ひでです。お早うございます。スジャータの元を去り尼連禅川で沐浴したひではブッダガヤに来ました。これで、11個目の世界遺産です。笑
ブッダガヤでシッダルタは悟りを開くんですが、その跡に建てられたのがマハーボーディー寺院(大菩提寺)なんです。ここは、誕生の地ルンビニと、初転法輪(初めて説教をした所)の地サールナートと、涅槃の地クシナガラ と合わせ、仏教の4大聖地に数えられています。その中で、ここは最大の聖地として知られています。
写真を撮るのに100ルピー必要なんだって。もちろんOKですよ。
ここでもセキュリティーは男女別です。インド中男女別でした。
マハーボーディー寺院はレンガを積んで漆喰を塗った塔です。建造と増築に関しては諸説ありますが、基礎の部分は3世紀のマウリヤ朝アショーカ王が作ったことが大菩提寺の始まりと言われています。その後増築されて、7世紀に大寺院の姿となりました。
玄奘三蔵もここを訪れていて、その際の記録には、「正方形の基底の上にピラミッド型に聳え立つ建物あり、これはグプタ王朝1世サムドラ・グプタ(AD335~385)により建立された」とあるそうです。この時の姿は今とほぼ同じだったようです。
マハーボーディー寺院の一番大きな塔は9層で、高さが約53mあり、古いレンガで造られています。また、塔の頂上に小さな塔があります。
そこら中に信者がいるんですが、初めて見ました・・・
五体投地です、ほんまもんです。チベットでは五体投地をしながらラサ迄巡礼をしているそうです。普通の道路をですよ。真似できませんね。
前正覚山の洞窟で、苦行をしてもなかなか悟りを開くことができなかったシッダールタが、スジャータに救われ、ブッダガヤに来て菩提樹の下で座禅を組み、悟りを開くことができたそうです。
ブッダガヤは12世紀ころまでは仏教徒の巡礼地でしたが、その後イスラム勢力に破壊と虐殺に会い寺院は放棄されました。それから後、16世紀になるとヒンドゥー教の巡礼地として再興されましたが、サールナートでムルガンダ・クティ寺院を建て、仏教徒の復権を目指すアナガーリカ・ダルマパーラが先頭に立ち、マハーボーディ寺を仏教徒の手に取り戻す運動を行ったそうです。そのおかげでマハーボーディ寺はヒンドゥー教徒と仏教徒による共同管理しているそうです。
人がいっぱいで、中には入りませんでした。それに中には「あの仏様しかいないよ」と言われたんで。
外から写真を。中には金色に輝く釈迦如来像があって、悪魔を退散させる降魔印を結んだ姿だそうです。黄色い袈裟をまとっています。
これは・・・忘れました。笑
寺院裏手(西側)の菩提樹の下には、仏陀が覚りを開いたとされる金剛座がりますが、昔は柵は無かったそうです。 殺人鬼の麻原彰晃が勝手に座ってから厳重に柵が作られてしまったそうです。
金剛宝座の金剛(石)とは最高に堅くて丈夫な石でダイヤモンドの事だとされます。釈迦の教えが堅固であることを例えたものだそうです。
金剛宝座の上に覆いかぶさっている菩提樹の木は、昔イスラム教徒による弾圧の際に切り倒されてしまったという話ですが、菩提樹の子孫を探して、挿し木したものだそうです。今のは4代目に当たるそうです。
この日も色々な国の仏教徒がお参りをしていました。でも、何と言っているんでしょう?南無阿弥陀仏では有りません。
この人も悟りを開くべく菩提樹の下で瞑想しましたが・・・さて、正覚できたんでしょうか?私。笑
金剛宝座を有難く拝みました。
この周りを歩きながら「悟りの境地を人々に伝え・広げるか否かで迷われ、歩まれた足跡に蓮華の花が開いた」という説話を表現した19の経行石があります。
ずいぶんチベット僧が多いような。
確かインドにはチベットの亡命政府があったはず。中国軍の侵略に抗議するダライラマ14世が政府を作ったはずです。その時チベットから逃れた僧侶たちでしょうか?
こんな所で世界が不安定なことを思い知らされるなんて・・・
小さなテントが沢山ありました。あの人たちはテントに泊まりながらお祈りしているんでしょうね。
「そろそろ外に出ましょうか」と「お土産屋の親父ガイド」に促されて
うちの現地ガイドさんはイスラム教徒を毛嫌いしていますが、お土産屋の親父ガイドを紹介するとき「私の友達」と言っていました。???
あっちでもこっちでも五体投地をしていました。
帰り際に池がありました。ムチリンダ池と言うそうで、ブッダガヤを嵐が襲ったときに、釈迦の体に巻きついて守ったのがムチリンダ龍王だそうです。コブラに守られた仏陀が瞑想しています。
マーハボディ寺院も見納めです。サヨーナラ~~
ここにもアショカ王の石柱がありました。柱頭の獅子はいませんでしたが、
壁の装飾を見ながら
マハーボーディー寺院を後にしました。
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