ひでです。お早うございます。今日はブッダガヤ迄約5時間車を走らさなければなりません。私も仏教徒の端くれですから折角インドへ行くならゴータマ・シッダールタが悟りを開き釈迦になった地、ブッダガヤに行かなければどうすると言う事で。

7時半ごろに食事をして

安いのに。バナナくらい出せばいいのに。果物が無いと食べるものがありません。朝っぱらからスパイシーなものは食べれませんよね。

この日の車はゆとりがありました。

2日間お世話になったホテルに別れをつけて

ガンガーを渡ります。今日も人が焼かれプージャが行われるんでしょうね。明日も明後日も、際限なく続いていくんでしょうね。

一昨日通ってきた道を行きます。あんなに混んでいたのに。この道しかないんでしょうか。

対向車はぎりぎりすれ違うは

パッパ~。とクラクションがうるさいは、急ブレーキ・急加速・逆走、何でもありの道を行きます。

日本へ帰ってから石川までの帰り道、「何しとるんやもっと早く。警笛を鳴らして」と奥様がインドかぶれしたような。笑

「果物が食べたい。バナナが売っていたら止めて」と言う奥様。ツアーだったらそんな我儘は言えませんが、私たちの思い通りになるのが個人旅行なんで。

バナナ半房20ルピー(40円)だったかな

ミカンもついでに。昔使っていた天秤ばかり

(こんな感じ。ネットから拝借)

ミカンを買って。10個で50ルピーくらい

なかなか甘いミカンでした。でも、種が多くて面倒くさい

ブッタガヤ迄はハイウエイで行くんですが、田舎へ向かうんで車が少ないです。

トイレ休憩です。

「チャイ飲みましょう」本当にチャイが好きだな~「いえ、コーラで」ドライブインのようなところなんですが、ジュースが高い700mlで300ルピーだったかな?。

ブッダガヤへ向かいますが、え?なぜ右側に車が?。インドの車は日本と同じく左側通行なんです。(日本も交通はイギリスに習いました。インドもイギリス領だったんで)

ちょっと、ここハイウエイじゃないの?

右にも同じ方向を向いてはするバイクが。そこは対向車線じゃないの?。そんなことより「ここハイウェイですよね。有料なんですよね。でも、どこからでも入れますよね。自転車も走ってますよね。人も渡ってますよね」とガイドさんに聞くと「有料道路ですよ。少しだったら逆走しても問題ないです。車専用のハイウェイもあるよ。」ですって。恐るべしインド

この車対向車じゃなく逆走車。だからか知らないけど80km位しかスピードを出さないの。笑

高速道路を外れたら凄い車の量だな~。田舎なのに

高速道路を外れてブッダガヤに向けて走ります。その前にお昼ご飯を食べないと、

尼蓮禅河に沿って走ります。2月は乾季なので水は殆どありませんでした。

向こうに見えるのが前正覚山です。詳しい話はまた今度。

今日泊まるホテルで昼食を食べます。

荷物は部屋へ運んでもらい

スープと

タンドリーチキンを頼みましたが、煮込んであるようであまり美味しくは有りませんでした。

先ず、スジャータ村へ行きます。

向こうに見えるのはマハーボディ寺院(大菩提寺)です。目の前に見える尼連禅川は、シッダールタが前正覚山から降りてきてブッダガヤに向かうときに身を清めた所だと言います。

この様な家が道の両方に。こんな貧困でTVなんてあるわけはいですよね。

インドの街ばかり見てきましたんで・・・この村は昭和30年代の日本を彷彿とします。

スジャータ村のスジャータ・テンプルに到着しました。

入り口には物乞いの人たちがいます。それぞれ手を出しますが。一人にあげるわけにはいかないんで。と言うより私は基本的にケチなんで。笑

寺院の中には。樹の下で骨と皮のシッダルタに乳粥を差し出すスジャータが。

長者の娘のスジャータが「もし私が男の子を生むことが出来たら菩提樹に木(ご神木的な木)にお礼に特別なご馳走を供えます」と言う祈念をします。

月満ちて男の子が生まれ、スジャータは下女に命じてお供え物をさせますが、菩提樹の下で瞑想していた骨と皮になっても黄金に輝くシッダールタを見て「樹神が現れてご馳走を貰いに来ている」と興奮気味に答えました。

驚いたスジャータが来てみると、金色に輝く痩せたシッダールタが神木の下に瞑想しています。約束通りシッダールタを乳粥でもてなしました。目出度し目出度し。笑

左に居るのがスジャータで、右側が下女さんです。

尼連禅川で沐浴したのはこの後です。

後ろにも乳粥を供えているスジャータが居ましたがここは何?シッダールタの使用前・使用後?

村の外れに大きなストゥーパがありました。この地で、スジャータによるお釈迦様へのミルク粥供養が行われたことを記念して1000年以上前に作られたと言う事です。

翻訳こんにゃくで読んでみてください。書いてあります。笑

そこの前にも物乞いが。きっと物乞いを職業にしているんだと思います。若い人たちは野良仕事に、年寄りと子供は物乞いに。

お釈迦様に乳粥をお供えしたスジャータが住んでいた家に建てられたと言われるストゥーパ、流石に長者の家だけあって大きな屋敷ですよね。

金持ちでなければ高価な乳粥を差し上げることが出来なかったでしょうね。

色んな国の人たちが居ました。「あれはミャンマーの人たちです」とガイドさん。ミャンマーの人たちって軍事政権で自由がないんじゃなかったの?

スジャータ村の周りには水牛が沢山いました。水牛の乳はホルスタインより濃くて滋養に富むそうです。シッダールタも水牛の乳を飲んだんでしょうか

尼連禅川を渡りブッダガヤへ向かいます

 

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