ひでです。お早うございます。今は道の駅立田ふれあいの里にいます。昨日は朝になると雨も上がって、雨だったらコインランドリーだなと思っていたんですが、観光できました。でも、下着はあと2日分。コインランドリーに行くタイミングが難しい。
昨日は、先ず亀山歴史資料館でお勉強です。
ここは東海道五十三次の宿場で、安藤広重の書いたシリーズにも載っています。版元が蔦屋?
蔦屋って大河ドラマで同じみの蔦谷一門でしょうか?
亀山は壬申の乱でも重要な所。ちょっと先の、鈴鹿の関を閉じて態勢を整えました。
鈴鹿の関にも行きたかったんですが、今日は月曜日で主要な施設はお休みなんです。
「延喜式内」ってよく聞く言葉ですが、法令集だったんですね。
お馴染みの亀山ローソクもここの亀山でした。京都の亀山とどっちなんだろうって思ってました。笑
亀山城が近くにあるようです。
「どこにありますか?」と聞くと、パンフレットを持ち出し「今いる所が赤丸です。近くに駐車場はありませんが、多門櫓の遺構が残っていますよ」
と言うことで、亀山城址へ。続きはお城編で。
先ほどの歴史資料館で日本武尊の陵の話も「日本武尊はのぼので亡くなっていますが、のぼのには、のぼの王塚古墳のお墓と白鳥陵と2つあるんですが?」と聞くと「ずっと昔から白鳥陵がお墓だとされていましたが、明治になって宮内庁がのぼの王塚古墳が日本武尊の陵だと決めましたので、今ではのぼの王塚古墳とされています」
何せ神話の中のお話なんで、難しいんでしょうね。じゃあ、宮内庁に従いますか。
王塚古墳を目指していくんですが、王塚古墳に着いてもそれらしい遥拝所が有りません。そこら中探しても無い。もう一度グーグルを探すと、場所が違っていて奥様から怒られるのなんのって。涙
やっと着いたのが、のぼの王塚古墳です。本当に紛らわしい。
公園の駐車場に止めて、
遥拝所を探して歩きましたが
全く分かりません。
ご立腹の奥様。何せ、毎日歩かされている割には体重が減らないんです。笑
取り敢えず、能褒野神社にはお参りしてきました。
気が付けばもうお昼なんで、
ビッグで買い物をして、駐車場でお昼ご飯です。
グーグルナップを見ていると、近くに吉良の仁吉の碑があるようです。「吉良の仁吉は愛知の渡世人、なんでこんなところに碑が?」と思っていってみました。
んん。荒神山?
「吉良の仁吉は男でござる」。幕末の渡世人で清水次郎長の兄弟分の吉良の仁吉は、確か荒神山の決闘で命を落としたはず。ここが決闘の場所「荒神山」だったのか。
わずかな恩に報いるため荒神山で縄張り争いの戦に挑み、勝つには勝ったんですが、仁吉自身は28歳の若さで亡くなります。その時、わずか前に結婚したばかりの妻を離縁し、戦いに挑む、義理と人情の仁吉といわれるゆえんです。
って、広沢虎造の浪曲でもおなじみですね。
そうそう、フーテンの寅さんも「仁吉が通る東海道」って啖呵売をしていましたね。
これが吉良の仁吉の碑です。「仁吉って誰?」女・子供にゃわかるめぇが義理と人情の男の世界よ。笑
そこから行ったのは旧東海道の(車でそこまで来ましたが、大変な急坂です。「ひでの行くところはこんなとこばっかりや」奥さま談。笑)
杖衝坂です。
三重県の地名の発祥になった、いわゆる名所・旧跡です。
これが芭蕉の句碑です。
井戸があります。
こちらに有るのは「閼伽水」ですね。
そして上に有るのは「弘法の井戸」ですね。
そして、突き当りに有るのは・・行きませんでしたが・・血塚の祠でしょうね。
休憩所はお休みでした
四日市温泉湯守座でお風呂を頂き
揖斐川
長良川
木曽川の木曽三川を渡り
道の駅立田ふれあいの里に到着
ここは愛知県です。
何やかやと丁度いい時間になりました。
よかったらポチッとお願いします。
↓ ↓ ↓








































