チリ6日目(さよならイースター島)
また朝からアフ・トンガリキへ。
これで3日連続。
そろそろ帰る準備をと思っていると、
(綺麗な飯は初めてか。。。)
(オサレソースかかってる!)
ランチ後レンタカーを返却すべく島唯一のガソスタに行くと、
(ホテルにあったこの島のお祭りの絵。宮川大輔がココ来てやったらしい)
帰りのイースター島からサンチャゴまでのフライトはラッキービジ
(ヤケタ)
(ビジネスはワインにビールに。。。)
フライトが遅れた事もあり、サンチャゴ着は夜12時過ぎ。
チリ5日目(イースター島まだまだ爆走)
泥酔翌日。女バックパッカーが朝日のアフ・
しかしこの日は雲っててアフ・トンガリキの日の出はイマイチ。。
(倒れてるモアイも多い)
(正座してる和風モアイ)
(切り出される途中で放置されたモアイ)
(遠くにアフ・トンガリキが見える)
(足首筋をフル稼働)
(埋まってもうた)
(確かにそれはアカン)
次に行ったのはラノ・カウ。ここは巨大な火口湖なのだが、
そうしてると到着。でっかいなーと感動。
(撮ってるところを撮られた)
(火口デカイ)
そうこうしているうちに、日没の時間が迫ってきた。
(上手く夕日モアイを撮れなかったので、ついでによくわからない写真を。。。)
で、某商社軍団はもうイースター島から帰ってきたので、
(この日は赤身入荷!)
(手打ち麺のラーメン)
(カツ丼)チリ4日目(イースター島爆走)
この日からバックパッカー2人との3人旅がスタート。
まずは、朝。
(この車で迎えに行くと)
アフ・トンガリキは15体のモアイが並んでいる。
(絶景)
とりあえず早起きして眠いので俺達は一眠りする為に宿に戻る。
まず向かったのはアフ・アキビ。
色々話しているうちに仲良くなると、
気を取り直して、俺達はドライブを再開。
(ビーチを見下ろすモアイ)
(ビーチで和んでると)
(横でエライ事してた)
ビーチで特大エンパナーダ(南米でよくあるパイみたいなの)
(ボリビアのエンパナーダはもう少し小さい)
(とにかく海青い)
(再び海に向かう)
(青い)
更に進む俺達。島を一周して朝見たアフ・トンガリキに到着。
(戻ってきた)
(15体マタギとか)
(ナデナデとか)
(同じ気持ち感じたりとか)
ようやくそれぞれのホテルのあるハンガ・ロア村に帰還。
晩飯は一大イベント。某商社駐在員軍団も合流して、
(店構え)
(ザビエルさん)
店の中のテレビでは日本のバラエティ番組(行ってQ?)
(寿司はまだかー)
(分かりにくすぎるけど、真中がモアイ)
記憶は確かではないけど、
チリ3日目(イースター島上陸)
この日は9:30発のフライトでいよいよイースター島へ。
朝予定通り6:30に起床して、準備しようとしてると、何か変。
空港には2時間前に着けというけど、
搭乗ゲートでキョロキョロしてみるが、
13時くらいに、遂にイースター島に到着。
(着いた瞬間、雨)
(空港には一応ちゃんとチリ国旗が)
予約していたホテルの迎えと一緒にまずはホテルへ。
(高級ってわけではないけど綺麗なホテルだった)
で、
「国際免許証忘れた・・・・」
当たり前だけど、レンタカーを借りるには、免許証の提示が必要。
レンタカー屋に行き、車を借りたいというと、
オバちゃんから地図を貰って、まずは良く分からんから、
3時間くらいかけて島を回って宿に戻った俺。
沢山の日本人と酒を飲むのは久々だったので、
チリ2日目(サンチャゴの丘)
この日は一日暇なので、一人でサンチャゴ市内を観光。
観光といっても、サンチャゴは特段観光地でもなく、
なので、他の都市には無いもの見ようと言う事で選んだのが、
俺はタクシーで丘の麓まで行き、そこからケーブルカー(
(ケーブルカー入口)
(ここから乗り込む)
(登る登る)
(おっさんが頂上から運転してる)
(サンチャゴ市内を見下ろす)
頂上にはマリア像があり、
(頂上の広場)
サンクリストバルの丘から降りた俺は、
(Bekkavistaの街並)
俺は、「Rock Stage」という店でサーモンクリームパスタを堪能。
(ハードロックカフェ風)
(レモネード、美味)
そして、街をふらふらしてると、
(南米で最も高い建物。建設中。)
(H&Mのために並ぶ人々)
(モールのフードコートにも本格的海鮮丼が!)
その後、俺は物は試しだと、地下鉄に乗ってみることに。
(切符売り場)
(ホームも綺麗)
ホテル近くのショッピングセンターにあるトニーローマでしっぽり
(牛とビア、アリます)
チリ1日目(サンチャゴ日本食)
今回の休暇はチリへ向かう。首都サンチャゴに行くのは初だ。
チリ北部の港町アントファガスタや、
朝、いつものように会社の飛行機でラパスまで移動。
(まぁまぁうまい)
アリカではチリ最初の町という事でイミグレを通過しないといけな
次に降りたイキケでは外に出る必要はなかったけど、
サンチャゴは空港も、
サンチャゴのホテル(マリオット)にチェックインした後、
とりあえず初日は日本食やろ!と決めてた俺は、
(将軍外観)
将軍には、日本のアサヒビールがあった。
俺が一人で満足感に浸っていると、
しばらく様子を伺っていたが、
彼らは俺よりも幾つか年下だった。話を聞くと、
まぁ色々話していると、南米に住む駐在員、
オルロカーニバル
韓国料理の翌日、朝8時にラパスを出発します。オルロは、
快適な移動だーっと思ったけど、ラパス・オルロ間は道悪すぎて、
あと、ボリビアは道路標識の距離表示がメチャメチャ。
オルロまで4時間半くらいかけて到着。
(泊まったホテル。オバケ屋敷では無かった)
ココの熱気ハンパ無い!人がスシ詰め!
俺達の席は、会場で一番良い席!高い金払った甲斐があった。
(この上の席を確保。下をパレードが通過する。)
パレードは朝7時から明け方4時まで続くらしい。オッソ(熊)
(爆竹の煙が充満。。。。)
(カラフルなパレード)
(何故か頻繁に登場するオッソ(スペイン語でクマ))
(オッソ白バージョン。白の方が多かった。)
(オッソの中でもサービス精神旺盛な奴)
(ディアブラーダと呼ばれる仮面のパレード)
(ディアブラーダ+花火)
ちなみに、カーニバル期間は、
日本と違って会場はトイレの整備が不十分です。なので、
(たまにこういう丸見えスタイルのトイレもある)
途中、俺はメディア席に乱入。
(通りすがりの人と)
ちなみにオルロは花火好きなのか途中でもロケット花火が連発。
という事で大満足のうちにカーニバル終了。
(道端で日本語勉強中というボリビア人学生に遭遇)
来年も来たいなぁ、オルロ!
チチカカ湖
ウユニツアーの翌朝、会社後輩とその友達を残し、
ラパスに着いた後、
ラパスからチチカカ湖は近いよー、なんて聞いてたけど結構遠い。
(チチカカ湖畔①)
(チチカカ湖畔②)
(チチカカ湖畔③)
チチカカ湖は大チチカカと小チチカカに分かれているのですが、
(車専用渡し船)
まぁここは街を見ても何も無くて、
(怪しい食堂)
(ボリビア海軍施設)
着くとボロいがデカい建物。ハーバーも併設してる。
ただ、帰りの道のりも長くてグッタリ。
夜はラパスの駐在員も合流し、合計7人の日本人で、
ウユニ塩湖
家から近すぎて、「何かキッカケが無いと行かないなー」
朝、鉱山サイトを後輩駐在員と出発。
ウユニ空港に到着後、会社後輩(+その友達)を待つ俺たち。
まずは朝メシ(Desayuno)だと行って、
そして次はウユニの駅(ウユニ-
(ウユニ駅)
その後、俺たちは、ボリビア風カラフルなパンツ(通称:
(ボリビアの路上マーケット)
ちなみに、このツアーを申し込んだ時は、
セントロを後にした俺達は、
(絶対無理なベンプレ)
そして昼前、いよいよウユニ塩湖へ。
ただ、塩湖の入り口に到着した時は、岸辺を流れる泥水を見て、「
(メコン川。まだ塩湖の入り口。)
10キロ程中に進むと、回りが真っ白になってきた。
しばらく鏡の世界を堪能した俺達は、
この日俺達が泊まるのは、「ちゃんとした方」の塩のホテル。
(端に焼酎の瓶を置けば、いいちこのポスターみたい)
(まっすぐな地平線に落ちる夕日ってそんなに見れないハズ)
(壁も地面も全部塩でできてます)
近すぎてこれなかったウユニ。やっぱり凄いトコだった。
パタゴニア7日目
ウェステインで目覚めた俺は、バスタブにお湯を張って久々(
(フルーツモリモリ)
リマから10時20分発のラパス行きに、
リマからボリビアへ飛ぶラン航空の便は、リマ→ラパス→
そして16時ごろラパスに帰還。
ホテルに着いた後は、ラパス随一の知名度を誇る日本食の店「
(ラパス市街はどっかで道路封鎖あり渋滞)
明日の朝は4時起きで、4時半にホテルを出発して、
重い気持ちを抱えながら、酸素不足でハーハー言いながら、


























































































































