「八百比丘尼(やおびくに)」-2
村人たちはおさとが年を取らないので、きっと人魚の肉を食べたのだろうと噂しました。そうです。じいさんがおみやげにもらった肉は人魚の肉だったのです。
じいさんが亡くなり、両親も年老いて亡くなってしまいましたが、おさとは若いままです。
それでもおさとは嫁に行きました。子どもも生まれましたが、夫が亡くなり、子どもたちも成人して子をもうけました。その孫たちが成人しても、おさとはその孫たちより若いのです。そして、子や孫たちも年老いて亡くなります。おさとはいたたまれなくなり、尼(比丘尼)になって若狭に渡り、尼寺ですごします。若狭でも同じようにまわりの知人や親しい人たちが年老いては亡くなるという繰り返しです。
比丘尼は、親しい人たちが老いて亡くなっていくという光景を何度見てきたことでしょう。何度つらい思いをしてきたでしょう。そしてこれから何度、涙を流せばいいのでしょう。我が身をうらみました。
時はどんどん過ぎ去っても、おさとは変わらず若いままです。そのうち、故郷の佐渡に帰りたい気持ちになり、佐渡へ帰郷します。もう何百年という気が遠くなるような年月が過ぎています。
佐渡に帰ったおさと(比丘尼)は庵を建て、そこでまた長い年月を過ごします。
やがて佐渡は罪人の流刑地となり、たくさんの罪人がやってきます。幕府は尼僧の数奇な運命を罪人に語ってくれるよう依頼します。
もうすでに、おさとは八百歳くらいになっていたので、「八百比丘尼(やおびくに)」と呼ばれるようになりました。
八百比丘尼はいつものように罪人を前にして静かに語りはじめましたが、その中に若い罪人がいました。
若い罪人は、八百比丘尼は八百歳と聞いていたので、少し伏し目がちに語る八百比丘尼をみて、どう見ても十六、七の美しい尼僧にしか見えないので驚きがかくせません。
若い罪人は、説法が終わったあと、八百比丘尼に聞きました。
「八百比丘尼様はこれから、どのようにしていかれるのですか?」
とたずねました。
すると八百比丘尼は、やさしい声で、
「ただ死ねるときを待っているのでございます」
おわり
(その後、八百比丘尼は再び若狭に渡り、小浜の寺の洞窟で亡くなったと伝えられています)