「出雲国風土記」その13 | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

 

さて、ここまで『出雲国風土記』を地域に沿って紹介してきましたが、詳細を追っていくのも、たいくつで面倒なので、ここからは主な伝承をピックアップしていきます。

 

 

「出雲郡(いずものこおり)の条」

 
宇賀郷(うかのごう)
 

(原文)

「所造天下大神命 譲坐神魂命御子 綾門日女命 爾時 女神不肖 逃隠之時 大神伺求給所 是則此郷也 故云宇賀 即北海浜有礒 名脳礒 高一丈許 上生松 芸至礒 里人之朝夕如往来 又木枝人之如攀引 自礒西方有窟戸高広各六尺許 窟内有穴 人不得入 不知深浅也 多至此礒窟之辺者必死 故俗人 自古至今 号黄泉之坂 黄泉之穴也」

(あまのしたつくらししおおかみ カムムスビのみこあやとひめいます そのとき ひめかみうべなわず にげかくれたまうとき おおかみうかがいもとめたまうところ これすなわちこのごうなり これうがという すなわちきたうみのはまにいそあり なつきのいそとなづける たかさ一丈あまり うえにまつありいそにいたる ひとあさゆうおうらいするごとく またきえだにひとがよじひくがごとし いそよりにしかたにいわとありたかさひろさ六尺あまり いわやのうちにあなありひとはいるをえず ふかささささをしらずなり おおくはこのいそのあなのあたりにいたるはかならずしす ゆえにひとはいにしえよりいまにいたるまで よみのさか よみのあなとごうすなり)

 

(現代文)

「所造天下大神が、カムムスビの御子、綾門比女命(あやとひめ)に求婚しました。そのとき、女神は承諾しないで逃げ隠れしたときに、大神が伺い求めた所がこの郷である。ゆえに宇賀(うが)という。北海の浜に磯があり、脳磯(なつきのいそ)と名づける。高さ一丈ほど。上に松が生え、磯まで続いている。人が朝夕に往来しているかのように、また木の枝は人が引っ張っかのようである。磯から西の方に窟戸(いわやど)がある。高さ、広さは六尺あまり。窟の中に穴がある。人は入ることができない。奥行きの深さは誰も知らない。この磯の窟のあたりに近寄ると、必ず死ぬ。ゆえに人は古(いにしえ)より今に至るまで、黄泉(よみ)の坂、黄泉の穴と呼んでいる。」

 

 

なんとも怖い話、この窟にだけは近寄りたくはありません。

※綾門比女命(あやとひめ)…カムムスヒの御子、『古事記』には登場しない。

 

 

 

「神門郡(かんどのこおり)の条」

 

滑狭郷(なめさのごう)

 

(原文)

「須佐能袁命御子 和加須世理比賣命坐之 爾時 所造天下大神命 娶而通坐時 彼社之前有磐石 其上甚滑也 即詔 滑磐石哉 詔 故云南佐 神亀三年 改字滑狭」

(スサノオのみこ わかすせりひめいます そのとき あまのしたつくらししおおかみ めとりてかよいますとき かのやしろのまえにいわあり そのうえはなはだなれらかなり すなわりのりて なめらかないわなりとのりたまう ゆえになめさという)

 

(現代文)

「スサノオの御子(娘)スセリヒメがいました。所造天下大神が娶って通っていたとき、その社の前に磐石(いわ)があって、その上がとても滑らかでした。そこで、『滑らかな磐石(いわ)だなあ』と詔りたまう。ゆえに南佐(なめさ)という。(神亀三年、字を滑狭に改める」

 

 

『古事記』ではスセリヒメと大国主命(所造天下大神)の出会いから根の堅州國からの脱出劇など詳細に記されていますが、『出雲国風土記』では大国主命がスセリヒメのところに通っていたことだけ簡単に記されています。