「河童九千坊」 | はしの蓮のブログ

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はしの蓮です。古代史、古事記、日本神話などや日々のちょっとした出来事、気づいたことをブログに綴っていこうと思っています。また、民話や伝説なども研究していきます。

今夏、熊本・八代(やつしろ)に帰省した折、球磨川を散歩しました。

 

球磨川(前川)

右対岸は球磨川の中洲の島です。川の左奥の方で球磨川は二つに分かれ、手前が前川で、写真では見えませんが、中洲の向こう側が球磨川になります。

 

前川の岸で精霊流しを行うところ

 

その手前の土手に立つ河童渡来之碑

こう書いてあります。

 

「河童渡来之碑

ここは千五六百年前、河童が中国方面より初めて日本に来て住み着いたと伝えられる濱である。この二個の石(碑の石材)はガラッパ石と呼ばれ、三百五十年来の橋石であった。或日、いたづら河童が付近の人より捕えられた時、この石がすり減って消える迄、いたづらはせぬと誓い、年に一度の祭を請うたので、住民は是の願を許し、祭を当日の五月十八日と定め、今でも「オレオレデーライタ河祭」と名づけて安年祭を行っている」

 

これは、千五六百年前に中国黄河流域から、この八代の球磨川にやってきた九千坊(くせんぼう)という河童のことです。九千匹の河童を引き連れてきたので、そう呼ばれます。

 

八代と中国は何かと縁があるようです。

中国三国時代、魏に敗れた呉(西暦230年頃)は魏に追われて、呉の難民がたどり着いたのが、この八代です。

それからおよそ二百年後に河童がやってきて、また、それから約二百年後(680年)、中国明州から妙見神が亀蛇(玄武)の背に乗ってこの八代にやってきました(妙見祭の起源)。

さて河童九千坊ですが、一族の河童たちは当初、民にいたずらしたり、家畜を川にひきずり込んだりして、住民たちを困らせていましたが、のちに改心して、水難を防いだり、住民を助けたりしました。

河童渡来の石碑の近くに「河童九千坊音頭」の石碑があります。その隣に河童と天女の像があります。

 

河童と天女の像

写真の右奥に見えるのが「河童九千坊音頭」の石碑です。

その「河童九千坊音頭」の三番の歌詞に

 

ハア 水の妖精九千坊の 

泳ぐ姿の粋なこと 

ちょいとスイスイ人助け 

まるで天女もひと目惚(めぼ)れ

ほんに八代よいところ

よいところ ソレ

 

というのがあります。

この像は天女が河童九千坊に一目惚れした像なのです。