「仁多郡の山野」
戀山(したいやま)
(原文)
「古老傳云 和爾 戀阿伊村坐神玉日女命而 上到 爾時 玉日女命以石塞川 不得會所戀 上故 云戀山」
(現代文)
「古老が伝えて言うには、和邇(わに)が阿伊村(あいむら)にいます女神、玉日女命(たまひめ)を恋慕って、川をさかのぼってやってきました。そのとき、玉日女命は川を岩で塞いでしまいました。なので、和邇は会うことができないので、ただ恋慕うしかできませんでした。ゆえに、戀山(したいやま)という。」
仁多郡の通道(にたのこおりのかよいぢ)
(原文)
「通飯石郡堺漆仁川邊廿八里 即川邊有薬湯 一浴 則身體穆平 再浴 則萬病消除 男女老少 昼夜不息 駱驛往来 无不得験 故俗人號云 薬湯也 (即有正倉)」
(現代文)
「飯石郡(いいいしのこおり)との堺にある漆仁川(しつにがわ)あたりに行くには、二十八里あります。川の近くに薬湯があります。一度浴すれば身体はすこやかになり、再び浴すればどんな病気も消えてしまう。老若男女、昼夜問わず通いますが、その効果がないということはありません。ゆえに、人々は薬湯と呼んでいます。ここには正倉(しょうそう)がある。」
「大原郡(おおはらのこおり)の条」
阿用郷(あよのごう)
(原文)
「古老傳云 昔或人 此處山田佃而守之 爾時 目一鬼来而食佃人之男 爾時 男之父母 竹原中隠而居之 時 竹葉動之 爾時 所食男云動々 故云阿欲 (神亀三年 改字阿用)」
(現代文)
「古老が伝えて言うには、昔ある人がここの山田を耕してずっと守ってきました。そのとき、一つ目の鬼が来て、耕していた男を食べてしまいました。そのとき、男の父母は竹原の中にいて隠れていましたが、ちょうど、竹の葉が動いてしまいました。そのとき、食べられている息子が「あよ、あよ」と言いました。ゆえに、阿欲(あよ)といいいます。(神亀三年に字を阿用と改める)」
☆
「あよ」とは「動く」という意味があり、息子は食べられながらも、竹葉が動いたので、両親に向かって「動いているから気をつけて!」と叫んでいるのでしょう。
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『出雲国風土記』終
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『出雲国風土記』は9つの「郡」で区分けされていました。
この「大原郡の条」が最後の条です。
古から古老が伝承してきた語りも、ここで終えることとします。
長きにわたり『出雲国風土記』の伝承をお読みいただき、感謝いたします。
はしの蓮