鏡の左右の謎3〜「鏡の国のひみつ」さりと12のひみつ | ひろじの物理ブログ ミオくんとなんでも科学探究隊

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 鏡の左右の謎、3回目です。前回の光学的な解釈については、おわかりいただけたでしょうか。

 

 今回は『さりと12のひみつ』第2話「鏡の国のひみつ」の3ページめを題材に、ポイントの二つめ、左右・前後・上下についての人間側の解釈について、考えていきましょう。

 

 「チコちゃん」では、国語辞典的な解釈を引き合いに考えられていました。この「国語辞典的な解釈」はつきつめれば「人間が空間の方向をどのように解釈するのか」ということになります。

 

 マンガの2ぺーじめの4コマめで、さりが鏡に映った自分の姿を見て「右手を上げると、鏡のむこうのわたしは左手を上げます」といっているのが、その「人間的な解釈」による判断です。

 

 マンガの3ページめの最初の何コマでは、右手に「右」という漢字、左手に「左」という漢字を書いて鏡に写すと、鏡の中の左手だと思っている手には鏡文字になった「右」という字が描かれていますね。鏡の中で上げている手が、本人の右手の像であることを確認する実験です。

 

 これは、前回描いた「光学的な解釈」を確認するための実験だと考えて下さい。

 

 とはいえ、やはり鏡のむこうの自分は右手でなく左手を上げているように感じる人が多いでしょう。(そうでなく感じる人も半分くらいいるという結果が、「チコちゃん」の取材で結果として出ていましたが、あの結果もちょっとなあと感じます。取材方法に問題があったのではないでしょうか)

 

 ところで、左右・前後・上下とは、そもそも、どのような区別なのでしょうか。

 

 それをきちんとしておかないと、鏡の問題を議論するとき、共通の基盤がなくなって、大混乱しますので、今回はこちらをまず、押さえておきましょう。

 

 われわれが住んでいるこの世界は空間について3次元の世界です。つまり、3つの独立した方向の組み合わせによりつくられている世界ですね。

 

 『さりと12のひみつ』の第7話「4次元のひみつ」から、これに関したコマをひろってみましょう。

 

 

 「たて・よこ・たかさの3方向でできた立体の世界が3次元の世界」との説明を、ミオくんがしていますね。(*)

 

*こちらの作品は、このブログで全編を紹介することができません。ウェブ日本評論の連載でご覧になるか、現在作成中の電子本『さりと12のひみつ』出版までお待ち下さい。先日、ウェブ連載用の72dpiではなく、電子本用の600dpiのデータを、原稿の手直しの上、送ったところです。これから表紙にかかります。

 

 「たて・よこ・たかさ」は3次元を最初に数学でならうときによく使われる表現です。

 

 これらの方向は互いに直交していればいいので、3つの方向の名前は、数学的にはどうでもいいのですが、日常わかりやすく説明するときには、必ずといっていいほど、この「たて・よこ・たかさ」という表現が使われます。

 

 なぜでしょう?

 

 まず、国語辞典的な解釈というのを、実際に調べてみましょうか。てもとに『広辞苑』第四版があるので、ためしに「高さ」を引いてみます。

 

【高さ】高いこと。

【高い】空間的な位置が上方にあって下との距離が大きい。

【上方】うえの方。

【上】高い位置。高い場所。

 

 はい、堂々巡りになっていますね。これが、「国語辞典的な解釈」の典型です。

 

 鏡の左右問題を考えるとき、「国語辞典的な解釈」を行うと混乱する原因がこれですね。

 

 ついでに「左右」も調べておきます。

 

【右】南を向いたとき、西にあたる方。

 

 これは、いくぶんかましな解釈です。とりあえず、物理現象の1つである「東西南北」に依って解釈していますから。

 

 では、南と西を調べてみます。

 

【南】四方の一。日の出る方向に向かって右の方向。

 

 はい、またまた、堂々巡りになりました。「右」が「南」をつかって定義されているのに、「南」は「右」を使って定義されています。

 

 「国語辞典的な解釈」は、言葉を言葉によって解釈するため、こういう堂々巡りになってしまうケースが多くなります。天下の『広辞苑』でこれなのですから、非常に残念な状況です。

 

 ただ、「西」は物理現象だけに依って定義されていました。

 

【西】四方の一。日の入る方角。

 

 これはわかりやすいですね。日の入りの方向、というのは、近代科学的にいえば、地球の自転に関わる解釈になります。これについては、また別のページで登場しますから、今回はこのくらいにしておきましょう。

 

 さて、本題に戻って、「たて・よこ・たかさ」ですが、これは、「たかさ」だけが物理的な現象を利用した解釈になっています。さきほどの「高い」をもう一度見てください。

 

【高い】空間的な位置が上方にあって下との距離が大きい。

 

 堂々巡りにはなっていますが、上下という「物理的な現象」を利用しようとしているのはよろしいですね。

 

 では、上下とは何か。

 

 これは、物理学的な解釈では、非常にはっきりしています。

 

【物理学における上下】重力の働く方向で上下を定める。重力の働く方向、つまり、物が落下する方向が下。その反対方向が上。

 

 重力なしに「上下」を物理学的に規定する方法はありません。

 

【物理学における高さ】重力の働く方向と逆向きに距離が離れていることを「高い」という。(※)

 

※本当は、これは物理学における本当の定義ではありません。物理学での高さつまりポテンシャルは、重力場の向きと逆向きに物体を動かしたとき、1kgあたり何Jの仕事が必要かにより定義しますから、通常、長さの距離mで測っているものとは異なります。が、ここではこの話に深く立ち入ることはやめておきましょう。これも、いずれ別の記事で述べたいと思っています。

 

 このようにして、「たかさ」つまり上下方向については、重力により厳密に定義できますが、「たて」「よこ」や「右左」「前後」は微妙です。

 

 物理学的にいうと、物理現象により定義できるのは「たかさ」方向つまり「上下」方向だけなのです。

 

 「たて」「よこ」について物理学的に定義できるのは、「たて」と「よこ」の2方向によってつくられる平面が、「たかさ」方向つまり「重力」方向にたいして垂直であるということだけです。

 

 だから、水平(重力に垂直な平面)、鉛直(重力方向)の二つが、物理現象により定義できる最低ラインになります。

 

 「たて」「よこ」はその水平面内で、人間から見た紙面の中で擬似的な重力を想定して、それに沿う方向を「たて」、それに垂直な方向を「よこ」と読んでいる言葉です。つまり、2次元空間で定義されている言葉ということになります。

 

 この紙面の中で想定してしまう擬似的な重力は、実際に存在する重力ではありませんが、2次元の紙に家の絵を描くとき、誰もが普通にやっていることです。

 

 家の屋根は紙の擬似的な上方に、地面は紙の擬似的な下方に描きますね。でも、その紙の中には重力が働いているわけではありません。

 

 われわれが住んでいる重力の働く3次元空間を、2次元的に絵として描いたときに、擬似的な重力が、その絵の中に現れてしまいます。それにしたがって「たて」と「よこ」を区別しているだけなのですね。

 

 それに対して、「前後」「左右」は、2次元空間でなく、3次元空間内で生まれた概念だといえます。

 

 さきほど、物理現象で定義できるのは「上下」方向だけだといいました。

 

 残る2方向は、「上下」方向に垂直であるというほか、物理学的に定義することができません。(#)

#ごくわずかの物理現象を用いて、これを定義する可能性もありますが、その話はもっと後になってから触れることにします。

 

 では、「前後」「左右」はどうやって決めているのでしょうか。

 

 これは、人間が自分の体の形をもとにして決めているのです。

 

 

 人間の体でお腹側が「前」、背中側が「後」になります。普通に歩くときに進む方向が「前」、その反対方向が「後」ということもできるでしょう。目がついている方が「前」でもよいでしょうか。

 

 人間に限らず、日常で見かける動物の多くに「前後」があります。カニは横歩きするので、歩く方向で定義すると間違えてしまいますが、体の形態の形の対称性を利用すると、ほぼ形態が対称的に見える方向が「右左」方向で、形態の対称性が崩れている方向が「前後」方向になります。

 

 両手、両足、両目、両耳など、動物の体にはペアの形態になっている部分があり、それが「右左」に離れたところについています。

 

 「前後」と違って「左右」を区別する形態的な違いがないので、どちらを右、どちらを左とするか、決定する方法がありません。

 

 ただ、漢字の語源的な意味では、白川静氏の『字統』によれば、「右」は右手の形から、「左」は左手の形から生まれた字形だということです。右左の「ナ」の形は今の漢字の字形からすると似た形ですが、古い漢字の字形を見ると右の「ナ」は右手を描いた字形、左の「ナ」は左手を描いた字形になっています。

 

 古代中国では、人体の両手の形により「右」「左」の区別したのですね。

 

 物理学では「右手の法則」や「左手の法則」など、手の形を利用した法則の解釈をすることがありますが、似たような発想といえるでしょう。

 

 したがって、極端な話、もし人間が左右対称の形態をしていなかったら、「右左」という概念が生まれたかどうかはあやしいところです。たとえば、人間がヒトデのような生き物だったら、「上下」に垂直な方向は星形の対称形なので、前後や左右を定義しにくかったと考えられます。

 

 「上下」は物理現象によって、「前後」「左右」は人間の形態によって生まれた概念であることを、押さえておきましょう。

 

 大事なことなのでくりかえしておきますが、物理学的には「前後」「左右」を区別する物理現象はないのです。(さきほど#でコメントしたように、特別な物理現象でこの区別をする可能性がありますが、こちらについてはもっと後で述べることになります)

 

 今回は、上下前後左右のソモソモ論になってしまいましたが、今後の鏡の議論で混乱を防ぐために必要ですので、ご容赦を。

 

 「チコちゃん」では、この点が押さえられていなかったため、説明や議論が迷走していたと感じました。

 

 マンガの3ページめは、さまざまな内容をまとめてあるので、今回の記事ではその一部しか触れられませんでした。

 

 1つの記事が長くなりすぎるのも考え物ですので、今回はこのへんで。

 

 では、また。

 

 

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