第2シーズンに突入した、
妄想吹奏楽部の続きです。
前回までのお話。
こちらがその「まとめサイト」です。
では、
続きです。
へそ曲がり
「ほら、ちゃんと並んでって。」
裕は朝からボランティアで少年少女マーチング隊の練習の手伝いに、区民館に併設している体育館に来ていた。
小学校三年生から六年生まで集まるこのインフィニティというグループに、裕と渋谷もその昔在籍していて、かなり歴史の古いマーチングバンドであった。
「裕兄ちゃん、カノジョできた?」
「彼女おったらこんな所におらんよ。」
「だよなー、ひな兄もきっとそうだよ。」
「だよなー三馬鹿って言われてたみたいだもん。」
「誰が三馬鹿やっ!」
「わー裕兄が怒ったでー。」
「もー、走り回って楽器落とすなよー。」
子供たちは楽しそうに笑い合っていた。
ひな、とは村上のことで、とある綺麗な女優さんと鼻の形が似ているというだけの理由で付いたあだ名は、すっかりその意味など知らないところまで広がりをみせている。
「マーチングなんやから、ちゃんと前向けって!そこー、走るなー!おい、横山!」
後方の隊列を整えていた村上は、ちゃんとせい!と言わんばかりに裕にジェスチャーで元に戻すよう促す。
「はーい、あと10数えるうちに戻らんと、休憩のおやつ抜きやでー」
そう言われると、子供たちはうろたえながらもお互いを指摘し合って綺麗に並ぶ。子供とは、本当に素直で面白いと裕はニヤリと笑う。
「俺が昔使ってた技を、横山が使うようになるとわなぁー。人生とは、本当に分からないね。」
ね、っと同時に裕の横に並び、右肩に手を置いて顔を近づけて来たのは、八幡高校の音楽教師である国分太一であった。
「むかーしは横山もこーーーんなに小さかったのに。」
国分は身体全体を使ってどれだけ裕が小さかったかを伝え、そのやり取りをみていた子供たちを笑わせた
「太一くん、邪魔だけはせんといて。」
「先生だろ!せ・ん・せ・い。」
裕がぞんざいに扱うほど、国分は楽しそうに裕をからかうようにくねくねと動いた。
「太一兄さん、何をしてまんねん!」
裕をからかっていた国分の動きがあまりに奇妙だったからか、村上は煙たそうな顔をしながらこちらに歩いて来た。
「いやーさ、あれは俺が音大行ってた頃だよね。課題に疲れててさ、息抜きにココに手伝いに来いなんて言われてさ、来てみたら口うるさいガキばっかりで、渋谷なんか俺の顔すら見なかったもんなぁ。」
国分は腕を組みながら、昔の思い出を噛みしめるように語った。国分が二十代前半の頃、このマーチングのボランティアに初めてやって来た日、裕と渋谷はすでにここの楽団に在籍していた。村上はまだサッカー少年だったが、練習場所がこの体育館の近くにあるグラウンドだったので、当時から国分とは顔見知りであった。
「裕兄ちゃんとすばる兄ちゃんってどんなだったの?」
近くにいた少年が国分に話しかけた。
「ただの悪がきだったよ。村上だってそうだよ!」
国分は短答にそう告げるガハハと豪快に笑った。子供たちも一緒になってまた楽しそうに笑った。
そこで、隊列の先頭にいるバンマスが笛をぴーーっぴと吹き、その合図で子供たちは笑うのをやめた。この団体の講師が手を叩き、子供たちの注意を引くと、全体に指示をあたえ、その度に子供たちは「はい」と元気よく返事をしている。
国分と村上と裕は、練習の邪魔にならないようにと体育館の壁に寄り腰を下ろすと、マーチングの進行と演奏を見学することにした。
先週自分たちのコンクールが終わり、この週は練習が休みになった。色々と思い詰める事のあった裕は、「人手が足りないから手伝ってよ。」という国分の電話で今こうしてココにいる。きっと気分転換にもなるよと言われ手ぶらで出たはずなのに、気が付いたらトランペットを携えていて、この体育館にやってきたらそこには村上もいたという流れである。
三人は互いに距離を取って座り、子供たちの演奏を聴いていた。
子供たちのマーチングは元気いっぱいで、音の強弱などてんで無視したその演奏を、指導者がゆっくりと修正していく。素直な子供たちはその指示を丸ごと飲み込み、少しづづ形にしてゆく様は、自分たちとさして変わりはないなと裕は驚いてしまった。国分も同じことを思っていたのか
「なんか、演奏上手くない?」
と目を丸くしていた。
「うん、ほんまに上手いわ。すげー。」
裕は国分に同意するように返事をしたが、村上は黙ったまま子供たちを見ていた。すると、国分の携帯電話に着信が入ったようで、断るように手をあげて体育館を出て行ってしまった。
村上と二人で並んで座っていたが、その微妙に出来た二人の隙間がやけにもぞ痒く、裕はじっとしていられなかった。
立ち上がってトイレにでも行こうかと考えたり、何か話しかけようかとあれこれ考えたが特に言葉は浮かばず、村上自身も子供たちの演奏を睨むように見ていたので、裕もその演奏に集中するように心がけた。
子供たちに人気のアニメの曲をブラスバンドにアレンジしてあるので、とても聞きやすく、それでいてとても楽しめた。きっと演奏をしている彼らが楽しんでいるからであろう。
この当時、自分はこんなに楽しく演奏をしていただろうか?もう十年近く前の話である。あの頃はまだトランペットを始めたばかりだったから、唇が痛かったという思い出しか浮かばなかった。
でも、きっとトランペットを演奏するという事は楽しかったと思う。今はどうかな?どこか周りの目を気にしている風も感じる。人からどう見られたって構わないから、自分のやりたい事をやれば良いのに、相変わらず臆病で、発表前の緊張は拭えない。いつも冷静な渋谷を見つけては精神状態を0に揃えてもらっていた。この癖をどうにかしなければとずっと思っていたのに、先週のコンクールでその代償は現れた。
コンクールへの練習が本格化する前、国分先生に呼ばれて音楽準備室に村上と向かうとそこには、国分の横に渋谷がすでにいた。なんの話かと心構えをした反面、あの話かと予想が出来てたので、「ごめんなさい。みんなと一緒には、コンクールに出られへん。」とすばるから頭を下げられた時、ただカッコ付けたかったから、特に驚く素振りは見せなかった。
「なんで?」と出かかった疑問をぐっと飲み込んだのは、少し背伸びをしたかっただけだ。どう考えたって音大に進むことを考えたらすでにAO入試やなんやらの準備をしなくてはいけない頃だったし、そのうえソロコンの出場も決まっていたらなおの事、こんな茶番に付き合うほど渋谷には時間などない事は目に見えている。
村上もすべてを熟知しているのか、大人しく口を閉じたまま何もいう事はなかった。話が簡潔に済むと、渋谷はペコリと挨拶だけして準備室を後にしてしまった。
「渋谷の決断だし、他のメンバーが何て言うかは分からないけれど、俺は不安、感じてないよ。」
国分はゆっくりと柔らかい口調でそう言った。
不安。
その言葉が裕の頭にはそのあともずっと響いた。
「なんで!?」
その後、部員に伝えた時にいの一番でそういったのが錦戸亮だった。
その時その場を何て治めたか記憶にはない。
ただ、その後の健闘むなしく結果は銀賞だったということだけが残った。
「楽しそうやね。」
突然村上はそう言った。
独り言のようで、裕は顔を向けたまま声をかけようか迷ってしまった。すると、村上がこちらに顔を向け、吹きだすように笑うと、
「俺らは、肩に力が入り過ぎてたかもしらんな。」
合奏の間だったので上手く聞き取れなかったが、村上は確かにそう言った。
「もちろん、金賞を取ってやるって躍起になるのは悪い事じゃない。やるからには先を目指すのは当たり前や。でも、何が足りなかったっていったら、こうやって楽しむことが足りひんかったなぁーって思う。」
この楽団の指導をしている先生は決して優しくなどない。楽器演奏よりも挨拶や礼儀作法にまず厳しく、裕も昔はよく怒鳴られた思い出がある。それでも、何事にも親身に答えてくれるその人柄と、先生の解く音楽理論は音符を読めない子供たちを夢中にさせ、一緒になって音の階段を歩いてくれる人だった。
しょっちゅう怒られた記憶があるのに、なぜここに通っていたのか今考えると不思議ことだが、どうやら自分は当時から音楽が大好きだったようだ。求められてもいない使命感に追われて、まったくそんなことを考える余裕はなかった。
今、改めて裕はその想いを噛みしめた。
「そっかぁ・・・楽しめてなかったんや。」
裕はそう口に出して、涙が溢れそうになった。なぜ、それが出来なかったのか?それはきっと渋谷すばるがいなかった事が大きな原因だと、我ながらそう結論付けてぐったりと身体が重くなるのを感じた。
当時、裕とすばるはここでもいつも一緒にいた。すばるは小さいくせに、大人を驚かせるだけの演奏をし、その音はみんなの希望になった。華麗に演奏するすばると一緒に音を出すと、自分も上手くなったような気がして楽しかった。裕はいつもそうやってパワーを貰っていた。
「なんでやろうなぁ。」
裕はこぼれそうな涙をあくびで誤魔化しながら目頭をグリグリと手の甲でもみくちゃにした。
そんな様子を村上は胡坐をかきながら眺めていたが、一泊息を吐くと、何かを決心したように話始めた。
「俺らが気張り過ぎてたんや。」
裕はそう切り出されて、思わず村上を直視し、またゆっくりと自分の手元に視線を戻した。
「金賞取ったるって、気張り過ぎてたんやって。そう思わん?」
「だって、金賞を目指すのは悪くないって言ったやん。」
「言うたで!でも、」
そこで村上は躊躇うように視線を裕からはずし、額をボリボリと掻くと何かを考えているのか、下を向いたまま黙ってしまった。
「分かってるよ。」
裕がそう話しかけても村上は動かなかった。
「すばるがいなかったからやろ?」
そう言うと、村上はハッとして睨むように裕を見つめた。
「すばるがいないと、やっぱり花がないよなぁ。きっと、審査員とかの中には渋谷すばるを見に来た人もおっただろうし。」
裕が流暢にそう述べると、村上はあからさまに苦いモノを噛むような顔をした。
「お前、なに言うてんねん!」
「なにって、コンサートの感想やんけ。」
「アホか!」
「なんやアホって、そう言うお前がアホや!」
「違うやろ!すばるが居なかったから、居なくてもやってやる!って意気込んでたんやろ!部長のお前が!」
「はぁ?」
村上がいったい何を言いたいのか裕には理解が出来なかった。口を開いたままの裕を置いて、村上は言葉を投げ捨てるように話した。
「昔から、すばるだけが囃し立てられて、辛かったんやろ?すばるの方が上手いんだから当たり前ってひがんでたんやろ?だったらお前は何のために今までトランペットを吹いて来たん?すばるを引き立たせる為じゃないやろ?そんな事はないって息巻いたのに、結果が銀賞でやっぱりか・・・とか考えてんちゃうか?だったらアホや。この結果はお前だけのモノじゃない。なのに、自分からすばるの陰に隠れやがって。」
一度に捲し立てられて、裕は半分も頭に入ってこなかった。すばるの陰に隠れる?そんな事をしていたつもりなど一ミリもない。なのに、そう言われて腑に落ちてしまっている自分に今ひどく驚いている。
「それはどういう意味やろ?」
「どういう意味もないわ!むしろ自分に聞け!でも、俺もアホやったわ。」
そう言うと、村上は髪の毛を両手でかきむしり、んん!と唸った。
「お前の力になってやれるかもしれへんって思ってしまったんや。」
「え?」
「すばるの陰に隠れてたお前が、やっとやりたいように出来るんやったらって思ったんや。」
「待って待って。俺、なんかすんげーザコじゃね?」
「ザコやで。」
村上はさらりと真顔で答えた。
「うわ、ここ最近でいっちばん傷ついたわ。」
「そんな傷、ツバでも付けときゃすぐ治るわい!」
すると村上はぺっぺっと唾を吐いた。
「きったなー。」
「汚いもあるかボケ!ミジンコみたいにウジウジしとる、お前の方がずーっとアホや!」
「汚いって話やったんやけど・・・。」
村上はハッキリ聞こえる音で舌打ちをした。
「横山、お前、俺を誘った時に何て言ったか覚えてる?」
村上は大きいため息を付いたあと、呼吸を整えるようにゆっくりと息を吐くようにそう問いかけた。
「ヒナを、何に誘った時?」
「俺を吹部に誘った時や!」
イラついたのだろう。村上は眉間と鼻の頭にしわを寄せ、吠えるように口を開くと、今度は自然とツバを飛ばすように熱を込めて吐き出した。
「お、」
俺、なんて言ったっけ?と出かかって裕は言葉を止めた。今その言葉は無神経であると分かるくらいに村上は熱を帯びている。一方、自分は思っている以上に冷めていた。この熱量の違いは一歩間違えると喧嘩になると、裕は幼馴染の心情を悟った。
はて?何といったかな?
この状況を収めるには、正しい回答が必要なのに、裕はその引き出しの場所を覚えていない。
からかったりはしていないはずだ。
待てよ、入部人数が少なくて、クラスメイトに話しかけたのは覚えている。
村上が「俺の力が必要なんかい。」と笑ったのも覚えている。その前や!俺の記憶!
ニカリと八重歯を出して笑った村上の顔が頭に張り付いて、その前後はてんで思い出せなかった。強烈な顔やなぁ。裕はぼんやりと記憶に投影されるスクリーンを眺めた。
「お前、人を誘っておいて忘れるって・・・ほんま何やねん!」
最後の「何やねん。」はほぼサイレントに近く、眉を落とした表情だけがそう語っていた。
「ごめん、覚えてへん。」
裕は怒られるのを覚悟で真面目にそう答えた。
村上は、何か苦いモノを噛んだような顔をしたが、裕を怒る事はなく、その沈黙が逆に裕の心を締めつけた。
いつまにか演奏の鳴り止んでいた体育館は静かで、少し遠くにいる子供たちが楽器をいじる音だけが聞こえた。裕がそちらを向くと、講師がそれぞれに指示を出しながら楽団に何かを話している。自分はあんなに真面目に話を聞いていただろうかと考えるくらい、子供たちは真剣に耳を傾けていた。
村上の方を盗み見ると、同じように楽団を眺めていたが、その瞳は少し悲しそうな色をまとっていた。
裕はとっさに「ごめん、ヒナ。」と浮かんだが、それは口から出なかった。その代わりに、村上が口を開いた。
「面白い事しよう。や。」
「面白い事?」
「あんなに楽しそうな顔して言ったくせに。」
村上は裕の方を見て、体を前後に倒しながら「あんなに」を強調していった。
「誘ったお前は、今楽しいか?」
村上は、優しい顔でそう言った。それは気持ち悪いくらいで、裕はぞくぞくと鳥肌を感じた。
ただ、その鳥肌と一緒に、「なぁヒナー。」と笑って話しかけた時の映像が蘇ってきた。
「一緒に面白い事せぇへん?」
「何や、ニヤニヤして。」
「へへへぇ、だってヒナ、一緒にやってくれるかな?って思て。」
「何や、俺の力が必要なんかい?」
そう言って村上は笑った。
「俺、面白い事せぇへん?って言ったで。」
「言い回しは関係ないやろ!意味は一緒や!」
「いやぁ~、確かに。そう誘ったね、ごめん。」
裕は気持ちがぺちゃりと凹むのを感じた。申し訳ないと思っているのに、反発するように「ごめん」の声が小さくなった自分にやりきれない。
「謝るなよ。」
村上は黙って楽団の方を向くと、小さくそう言った。
途切れた会話の先は見つけられず、黙って二人は楽団の方を見つめた。子供たちは思った以上に真剣に練習をしている。先週も夏祭りで演奏をしたらしく、その時の興奮をとても楽しそうに先程話してくれた。確かに裕もあの頃は楽しかったと記憶している。では、いったいいつから、こんなにも何かの重みを感じながら生きているのだろう?と自問した。そして、村上はいったいどんな気持ちでホルンを吹いているのだろう?と今更ながら聞いてみたくなった。
「あのさ、」
村上は少しぶっきらぼうに、何かに区切りをつけるようにそう切り出すと、身体ごと裕の方をくるりと向いた。
「次の定期演奏会がラストチャンスやで。」
村上はきっと、重苦しい話は避けて必要な話に方向を切り替えたのであろう。今更お互いの腹の内を探ってもしょうがない。裕は、ちらりと頭をよぎった疑問をそっと胸にしまい、同じように身体を向けた。
「演奏する事がってこと?」
「いや、三送もあるはあるけれど。吹部としてみんなで一緒に演奏するのはそこが最後や。」
先程と同じように「みんなで」というフレーズを強調した。
「みんなで。」
裕の頭には、一年生に披露した部活紹介の時の映像が浮かんだ。
体育館の後ろで、部員の顔をひとりひとり確認し、離れたところにいたすばるの顔も不思議とはっきり見たのも記憶に残っている。
あの時はいつもと変わらず緊張していたのに、演奏が始まると自然とその緊張感は、絡まる糸がほどけるように柔らぎ、鳥のように俯瞰した距離から全体の音が感じられた。
知らぬ間に気持ちが高揚していた事に気が付いたのは、全てが終わってトランペットをケースに戻し、その蓋を閉じる瞬間だった。初めてトランペットが自分を誉めてくれたような気がしたからだ。そうだ、あの時の演奏は楽しかった。
アルヴァマー序曲の演奏の出だしが、気持ちの良いくらいに綺麗だった。のちに入部してきた一年生からは「あの演奏に痺れました。」と絶賛された。
この曲は、典型的な序曲の定番で、急―緩―急という分かりやすい構成が、聴いている者にはとても心地の良い曲になっている。一時的に単調になるものの、各パートのなだらかなソリから、リズム隊に導かれるように序奏部へ展開される部分は、演奏している者としても湧き上がるものがある。
全員が気持ちを揃えた10数秒の序奏部から勢いに乗るこの曲は、主旋を奏でるホルンとクリネット、サックスフォンのメロディーにアクセントを添えるトランペットの三重奏。
そして音の粒を揃え、ところかしこにアクセントを加えるパーカッションの技が光る曲でもある。曲全体を通して2小節しか休みのないトロンボーンは、8分音符シンコペーションによる音形でひたすらにリズムを刻んでいて、このハーモニーがはまると第一主題がより流麗さを醸し出す。
そして、それを受けたトランペットの第二主題は、2拍3連符が印象的で仄かな憂愁が込められ、急き立てたれたその心を一度フラットに戻してくれる。この中間部は落ち着いた演奏の中にもハーモニーが要求され、音の強弱ひとつでその面影をもがらりと変えてしまう。
チューバのソロからスネアのロールに導かれるように木管殺しの片鱗を垣間見せるクラリネットの連符。金管がその波に乗ると、第一主題の繰り返しをへてクライマックスへと突入する。
高らかに連符を繰り返す木管と、中間部の旋律を高音で奏でる金管。曲は雄大なまでに音色を膨らまし、音の粒が空間をいっぱいに埋め尽くすと、寂しさなど感じさせぬまま歯切れよく曲は終わる。
この曲を初めて聴いたのは、汐澤安彦氏の指揮による東京佼成ウインドオーケストラの演奏だった。それは、作曲者が指定する132のテンポを上回る162という驚異的な速さで演奏されたものだった。
その意図によって、この曲は格段なまでにエネルギーを高め、楽器同士のコントラストを強烈的に色濃く描く形となった。
もちろん、コンサートでこんな無茶な演奏をする自信などない。
でも、あの日は少しテンポを上げて曲を披露した。吹部の印象を濃く残す為に提案してみたが、何を思ったのか国分は「いけるのか?」と意地悪く笑った。ただ、その瞳が悪だくみを企む子供の様で、二つ返事でこの話は決まった。きっと彼も悪くないと思ってくれたのであろう。
最初、特に指示のなかった音出しだったが、裕がトランペットを構え、指を押さえずにソの音を鳴らすと、部員たちは手探りでその音に寄り添うように一定の音を鳴らした。
その突然に始まった音を聴きとり新入生や在校生が後ろを振り向くと、ガヤガヤと複雑な音を立てていた体育館はあっという間に静まり、楽器の音だけが柔らかな風のように膨らんだ。
草原にいるような心地よさを感じた裕は、トランペットを口から外すように音を止めると、自然と部員も眠るように音を置いた。
ごく小さく反響する音が消えたころ、自然にすばるはフルートでカルメン幻想曲を奏で出した。ソロ曲は対外、ピアノの伴奏を携えて奏でるものだが、その妖艶な歌い出しは誰もがどこかで耳にしたことがあったものだからか、すばるの奏でる音は子守唄のように体育館を舞った。
フルートの音だけがくねる様に音の階段を高速で跳ね上がり、高音を行ったり来たりすると、すばるは中間部に行くことなく音を止めた。
そしてそこからのアルヴァマー序曲。裕は今その時を思い出して鳥肌が立った。
「部活紹介の時の演奏、良かったよな?」
村上は裕の頭の中を見透かすようにそう言った。
「うん。」
何とも見透かされてしまうのは悔しいが、同じ事を考えていたのかと思うと胸が熱くなった。
「あの時の、なんやろう、こう。」
村上は頭を掻きむしりながら懸命に何かを捻りだそうとしている。
「自由な感じな。」
「そうや!その、きっとそれが俺ららしさや。」
『俺ららしさ』裕は肩の力が抜けるのを感じた。いままで知らぬ間に責任を肩にしょっていたようだ。もしかしたら、すばるがいる吹奏楽部は全国に行くのが当たり前だ、などと勝手に考えていたのかもしれない。今、村上と話していて、何て自分はアホな人間なのだろうと呆れてしまうほどに。
「定期演奏会。何する?」
ぎらぎらと目を光らせグッと瞳孔を開いた村上は、あぐらをかいたまま裕ににじり寄るようにそう言った。
「何をやるって言われても、今からやと結構パツパツやで?」
「あほ!こんな時こそバカになるくらい楽しまんで、どないすんねん!」
言葉で殴られるということはこういう事だろう。
支部大会の結果はしょうがないと心に蹴りをつけ、顔には出さないようにしていたが、裕は人一倍凹んでいた。村上はお見通しなのであろう。いつもここぞという時に胸ぐらを掴んでくれる。俺は村上にそういうことが出来ているだろうかと、こんな時にそんなことを考えてしまう。
「金賞を取った高校が演奏した自由曲を片っ端からやるくらい自虐で行かなきゃあかんねん。」
裕は思わず笑ってしまった。それは実に面白い。プログラムにも全ての高校名を書いていいくらいだ。
「でも、それは演奏を聴き比べるから面白いんちゃう?きっと笑えるの俺らだけやで。」
ニヤニヤと笑った裕の顔を見て、村上も嬉しそうにニヤリと笑った。
「じゃ、何する?ポップスアレンジも結局毎年の恒例やけれど、なんか捻らんと。」
そう言うと、村上は唇を鼻に寄せるようなネズミ顔をした。
「ヒーローになりたいなぁ。」
「何やねんそれ?」
「ゴレンジャーとかのヒーロー。」
「何わけの分からんことを。ソロを吹きたいってことか?」
か?の勢いで村上はツバを飛ばした。
「ソロ、とは言わないけれど、なんやろ。」
「何やねん。」
「あ、」
「だから、何やねん。」
「すばる、歌ってくれへんかな?」
ずっと村上を真っ直ぐ見れずにいた裕は、そこで初めて村上の瞳を見つめ返した。
「ええやん。ワンマンショーやん。」
そのワンマンショーが何を言いたかったのかは分からなかったが、裕は心臓の鼓動が早くなっているのを感じた。
「俺らの演奏で、すばる歌ってくれへんやろか?」
裕はその様子を思い浮かべた。
でも浮かんだのは、小学校の頃にすばるが『大きなのっぽの古時計』を音楽のテストで歌った姿だった。
あんなにカッコよく歌えたらどれだけ気持ちが良いだろうかと裕はその時思った。同時に、神は才能を振り分ける分量を誤っているなとも感じた。
そっか、そんな時から俺は卑屈になっていたのだと裕は反省した。
「おっしゃ。」
突然村上は立ち上がると、立ちくらみを感じたのか、渋い顔で腰を逸らすように身体のコリを和らげた。
「ほら横山、行くで。」
座ったまま村上を見上げていた裕を急き立てるように村上は手をブンブンと振って、立ち上がれと催促した。
「ちょっと待って、どこ行くの?」
裕がゆっくりと立ち上がると、村上はエンジンがかかったばかりのバイクのように身体を揺らした。
「すばるの所や!」
「はぁ?」
要領が悪いなと言わんばかりに村上は顔を絞りながら怒らないようにしている。
「さっき、定演まで時間がないって言ったのはお前やで!」
定期演奏会、略すと定演。なるほどなど納得していると
「すばるにも話し合いに参加してもらおう。あいつも部活の三年生や。責任はある!」
村上はそう言い切ると、今にも走り出さんばかりに裕を睨んだ。
「待って、ここの手伝いもあるやん。」
裕が村上の熱にこれ以上油を注がないように注意を向けると、そんな様子を観察していたのか、国分が澄ました顔でそちらに戻って来た。
「何かね、音楽室を使って練習するみたいよ。二年生が許可を取りに行ったんだってさ。ちゃんと俺にも報告してきたよ。」
そう言うと国分は携帯電話を持ち上げてこちらに見せた。
「俺はここの手伝いがあるから終わってからじゃないと行けないけれど、お前たちは行ってきたら?」
国分は抜けてイイよと言わんばかりに村上と裕に手を振った。
「ほならそう言う事や。」
村上は顎でクイっと体育館の入口を指した。
「あ、もし練習に行かないなら、誰かに連絡いれておいてね。」
見透かしているのであろう国分は、そう言うとニコリと笑って楽団の方に視線を向け、もうお前らの好きにしたまえとその横顔は語っている。
すでに村上は、体育館出入り口の少し手前で忍者のように身体をかがめ、裕を促すように上へ下へと右手を大きく振っている。裕は躊躇いがちに「失礼します。」と国分に声をかけると、視線は外さずに「おぉ」と国分はうなずいた。
裕が外に出ると、村上はすでに自転車にまたがっていた。
太陽の強い日差しに目を細めていると「はよせいっ!」と、村上にせかされた。
壁に備え付けてある時計を見ると、もうすぐ昼の12時を回るころで、お腹がクウと鳴った。裕はお腹をさすりながら小走りで自転車まで向かいながら、ポケットにしまったはずの自転車の鍵を探した。
「はよって。」
苛立っているのか村上は、握ったハンドルを人差し指でトントンと忙しく叩いている。
「あれ、鍵、どこいれたっけ?」
「お前、ほんまによぉモノなくすなぁ。」
村上は呆れたとばかりに大きくため息を付いた。
裕は、ズボンのポケットの前と後ろを叩いて鍵を探す。
「あれ、いつも後ろに入れてるんやけど。」
両手をお尻に当てたまま裕は地面をじっと見つめた。
その時、体育館から小気味よくSing,Sing,Sing,が聞こえてきて、滑らかなトロンボーンとサックスに、張りの利かせたトランペットの音が耳に届き、裕はハッとして、その拍子に胸に手を当てた。
「あ、あった。」
鍵は胸のポケットから出て来たのだ。
自転車のサドルに手をかけたまま頬杖をついていた村上は身体を起こして喜んだ。
「お、ならはよせい!」
「いや、待って。」
「なんやねん。」
裕は口を閉じずに鍵を持った手で村上にストップをかけると
「トランペット忘れた。」
裕は村上の顔は見ずに、くるりと身体を回転させると、体育館に向かって猛ダッシュをした。
村上の自転車のベルはジリンジリンと嫌な音を立てて裕を急かした。
つづく。
