ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第一話

母娘ふたりガダルカナルの旅 第二話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第三話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第四話
母娘ふたりガダルカナルの旅 第五話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第六話

母娘ふたりガダルカナルの旅 第七話  より続いております。 

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第八話

 

叔父の故郷は福島県。

海も山も近く自然豊かな場所である。

近くには温泉も湧く。

家の前は一面田んぼでピカピカのお米が獲れ、夏は大きくて甘~い桃、冬はあんこう鍋がとっても美味しい。

家は江戸時代から「叶屋商店」という味噌醤油工場を営んでいた。

その昔は醸造したものを御上にも献上していたと生前に父から聞いた。

 

昭和12年の日中戦争あたりからはそれ以前にも増して世間の風潮は軍国主義一辺倒となり「男子はお国のために兵隊になる」ことがあたりまえとされた。

叔父は二十歳のとき、若松歩兵第二十九連隊に現役兵として入隊する。

 

はるか遠い南国の地で草生す屍となられたひとりひとりの将兵にもそれまで故郷で過ごしたきらめく思い出があり、家族があり、そして『名前』があったのだ。

 

一木支隊の慰霊碑を後にして第二師団が総攻撃をかけたとされる ムカデ高地 へと向かった。

 

このムカデ高地には第二師団の慰霊碑がある。

勇さんが2015年に写した慰霊碑

とても綺麗に塗装されており今もしっかり管理されているのだと感謝の気持ちでいっぱいになる。

 

勇さんの要図をお借りしてみる。

二師団慰霊碑が今私たちが訪れている場所だ。

 

私の叔父の部隊は第二師団総攻撃の尖兵となった歩兵第二十九連隊。

慰霊碑のある丘の東端から飛行場を望む

この丘の右下の密林が叔父たちが飛行場を目指して突撃した場所かと思うと思い描いていたものがさらに現実として迫ってくるような気がして心臓が高鳴るのを感じた。

叔父の戦友も沢山この地で亡くなられている筈。

第二師団、川口支隊、このムカデ高地は多くの若い日本軍将兵の血が流された場所なのだ。

詳細は勇さんのブログ ムカデ高地  カツマタポイント ご参照ください。

 

私の叔父は10月24~26日のこの突撃で奇跡的に命をながらえた。

連隊長と軍旗が敵陣に突入したまま行方不明となってしまったので捜索の為、さらには前線に取り残された負傷兵の運搬、途中から負傷者より機関銃が優先との命令が出て機関銃の搬送までしている。

ムカデ高地の突撃地点から転進できたのは11月になってからだという。

この密林の続く丸山道を食料も無い状態でまた数週間かけて引き返したのだ。

日本軍の移動、行動、突撃はすべて夜間である。

ジャングルには至るところアメリカのマイクが仕掛けられており、しかも昼間は飛行機から狙われてしまうため移動もできずにひっそりと息をひそめていなければならない。

深い密林なので夜は月明りさえもない真っ暗闇である。水を汲みに行くだけでも必死の覚悟だ。

 

さらに言えば、この丸山道とは人が容易に行軍できるようないわゆる『道』ではない。

「チャチャっと行ってさっさと敵さんを倒せばルーズベルト給与(食料)にありつける」

などという、偉いさんたちが考案された常軌を逸した作戦である。

この手の話は止めどもなく出てくるのでまた別の機会に詳しく触れることにする。

 

この丸山道には今も御遺骨が眠られており毎年御遺骨を収集する為、日本から遺骨収集団が今も丸山道へ入っている。

多くのこころある若者たちが中心になり「ボランティア」として活動を続けてくれているのだ。

このことについては本当に頭が下がる思いである。

アメリカ政府は自国の戦死された方については最後の一柱まで探し出しDNA鑑定をして必ず家族のもとへご遺骨を返している。

この事実をみなさんはご存知であっただろうか。

 

ムカデ高地で掌を合わせ御慰霊申し上げ次は叔父に所縁のあるタサファロングへと向かう。

 

 

 

 

途中、お昼の時間になったので街なかのローカルチャイニーズレストランに向かった。

キタノメンダナホテルのガイドはお昼はホテルのレストランにランチに戻るように指示されている。しかしフランシスは私たちの希望を聞いてくれてここになった。

「フランシスありがとう。」

だからというわけではないが、私の持っていた「死の島ガダルカナル」の本をフランシスは「いいな~」と言って途中何度も見ていたので最後に「フランシス、どうぞ」と差し上げた。

表紙は川口支隊がジャングルを行軍する写真である。翌日たまたまホテルのロビーで彼に会った時も「昨日はありがとう。あの本を友達に見せたらうらやましいって言われたよ。」と目をキラキラさせてまるで子どものような笑顔だった。

フランシスはとっても温厚で無邪気で愛されキャラである。

日本に行ったときに鰻(うなぎ)を食べたらしい。とっても美味しかったけど二千円もして高くてびっくりしたという。

娘が「フランシス~、高いのは五千円くらいするよ。めちゃ美味しいけどね。」というと大きな目が飛び出そうなくらいにして驚いていた。

 

ローカルレストランのエアコンはあまり効いていない。

電気代が高いせいなのだろう。

日中はやはり暑く朝用意した水筒の水はすぐになくなってしまった。

勇さんに100均の瞬間冷却を持っていくように言われてそれで冷やしたのは結構効果があった。

エアコンがあまり効いていないとはいえやはりぐったりした体にはありがたい。

ランチにはフランシスと3人でビーフンと2種類のチャーハン、スプライト、コーラ2本をとりシェアした。

私たち好みの味付けでなかなか行ける。

フランシスは結構食べていたが私たちは途中から急速に食べられなくなってしまい結局、半分くらいしか食べることができずまたしてもテイクアウト。

エアコンに頼らざるを得ない軟弱なわたしたち、食べることができずに亡くなった先人たちに申し訳ない最大限の反省の気持ちを持ちつつ・・・

 

いよいよタサファロングだ。

 

 

つづく

 

 

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文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。

お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。

 


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