ガダルカナル戦書籍一覧   
*********************************************************************    

ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

 

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第一話

母娘ふたりガダルカナルの旅 第二話 より続いております。


母娘ふたりガダルカナルの旅 第三話

キタノメンダナホテルの近辺は日本がこの場所を死守するために多くの犠牲を出した場所なのである。

目をとじて75年前を想像してみる。

国に残してきた家族を思ってどれほどの若者たちが苦しい思いを募らせていたことだろう。

戦史についてはここに来る前にガダルカナル戦の本をいろいろ読んでみた。

しかし細かい点についてはすぐに忘れてしまうので勇さんにその都度説明してもらうのが一番わかりやすく頼りになる存在である。

 

昭和17年10月24~26日にかけての二師団総攻撃頓挫のあと、米軍は海岸線で一挙に攻撃に出た。

マタニカウ川を越えて小川、沖川と米軍の占領するところになった。

 

この時中岡部隊と呼ばれる砲兵部隊がメンダナホテル付近で全滅している。

海岸線を担当していた仙台歩兵第4連隊、第二師団のムカデ高地総攻撃より丸山道を反転、転進した新発田歩兵第16連隊が11月初旬から中旬にかけて反撃に出て小川の線まで第一線を押し返した。

私の叔父の部隊、会津若松歩兵第29連隊は連隊長と軍旗の捜索で丸山道からの転進が遅れようやく海岸線に出た頃だ。

 

その後、補給が続かず持久戦となり撤退開始の昭和18年1月中旬まで海岸線で対峙していたのが小川の線。

メンダナホテルはまさに第一線だった。

 

ホテルの部屋のベッドに少し横になったらスッキリしたので近所を散策してみることに。時差は2時間。ガダルカナル島のほうが日本より2時間進んでいる。

今ここは午後3時。まだギンギンに太陽が照りつけて暑い。

35度といったところだろうか?

しかし娘は「東京や大阪の暑さに比べればこっちのほうが涼しい」とおっしゃる。

そうなのかもしれない。

確かにここガダルカナルの湿度は日本よりも低く日陰に入れば涼しいので、体感温度は日本の夏の方が断然高い。

 

キタノメンダナホテルの前にその「小川」が流れている。

ちょうど繁華街でなんと「小川」にゴミがいっぱい捨ててある。

なんということだろう。

2012年 勇一三〇二撮影

 

裏のほうにまわってみると川口支隊の慰霊碑があった。ガダルカナル島に来て初めての慰霊碑に遭遇し固まってしまう。

カメラを向ける気持ちにはとてもなれずに目を閉じて黙とうをした。

 

2012年 勇一三〇二撮影

 

 

さらに小道を進むと少年たちがたむろしている。

どこから来たのかと聞かれたので日本からと言うとアリガトウ』『コンニチハ』と嬉しそうに知っている言葉を皆が言ってくれた。後から聞いたがガダルカナルでも日本をテーマにしたテレビ番組などもやっているそうで親日であることを伺わせる。

 

「写真を撮ってもいい?」と聞くと気さくにみんな応じてくれた。

いっしょにいた年配の女性にこの辺でいいローカルレストランはあるか聞いたところ、少し歩いたところにチャイニーズレストランがあるというので今日の夕食の候補にしてみる。

 

道端に赤い木の実のようなものが落ちている。

そういえばさっきの少年たちの歯が赤かった。

これは「dami dami」ダミダミ(ベターナッツ)というもので、よくパラソルの露店で売っている。

ガムの感覚で噛むもので歯に良いらしい。

webより勇一三〇二が拾ってきました。

噛んだ後は道端にペッと吐くのでいっぱい落ちているというわけだ。

あとで聞くと少し覚醒作用もあって現地では合法らしいが怖いから試すことはやめた。

噛みすぎると口の中がガンになることもあるのだという。

 

さてお腹も空いたことだしまだ4時過ぎだけどそのローカルレストランにいってみよう。

ローカルチャイニーズレストランに向かう途中、ようやく気づいたことだが車が左側通行である。

日本軍がいたころの名残なのかイギリスの統治があったのか?

調べてみるとソロモン諸島は1900年から1978年までイギリス領であったために左側通行なのである。

2012年 勇一三〇二撮影

 

すれ違う人たちは私たち親子を物珍しそうに見る。娘は若いのでときどきお兄さんたちからハローと声をかけられる。

ホニアラ市内には中国人が多くチャイナタウンがある。

だから東洋人はさほど珍しくないはずだけどなんとなくチャイニーズでないことがわかるらしい。

 

ガダルカナルの標準語は英語。

ピジンイングリッシュといって、なまりがあり単語自体も違う。だから地元の人同士が話している英語は全くわからないが観光客が多いのでサービス業の人たちは標準的の英語を話すことができる。

 

 

つづく

 

☆◎△〇□♡☆◎△〇□♡☆◎△〇□♡☆◎△〇□♡☆◎△〇□♡☆◎△〇□♡

 

文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。

お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。

 


にほんブログ村    

 

過去の記事

従軍慰安婦 慶子

ケ号作戦 陸上戦 

第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌

第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌   

第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌

独立戦車第一中隊

アウステン山の記録

堺台第一拠点の記録
**********************************お知らせ********************************    
ガ島へ訪島をご計画されている方へ    
案内人・戦跡地図・戦史資料・知っていたら徳する情報等々・・・よろず無料ご相談承ります。    
お気軽に↓メールください。    
tobu23butai@gmail.com    
勇一三〇二    
**********************************************************************    
   
歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉  長谷川榮作さまのホームページ    
ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal    
冥府の戦友(とも)と語る    
お立ち寄り戴けましたら幸いです。    
   
   
   
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト

 

 

ガダルカナル戦関連書籍 Guadalcanal    
石坂准尉の八年戦争さま    
と相互リンクさせて戴きました。