ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
母娘ふたりガダルカナルの旅
2017年8月26日私と娘のふたりは
ニューギニア航空055便でパプアニューギニアのポートモレスビー空港へ出発。
21時15分に成田空港を出発して6時間半。ようやく今回の旅の中継地点ポートモレスビーに到着。現地時間でまだ朝の5時だけど飛行機は比較的空いて足を伸ばして横になることもできたしとにかくはじめてのパプアニューギニアでテンションMax。
とりあえず乗り継ぎの手続きをして待合室へ。
空港はなんとなく南国の匂い。
外国人もいっぱい。
周りを見渡してみると日本人が20~30名くらい。お互いに見知らぬ日本人同士が何でニューギニアに来たのだろうと興味津々。待ち合わせ時間は5時間あってそれまでの時間を何とかしなくてはいけないのでとりあえず空港内を見学してみることに。
日本には絶対ないようなかわいいデザインのお土産。木彫りの壁掛け、置物、アクセサリーがいっぱいでいくら見ていても飽きない。しかし値段を聞いてみると安いのは二千円くらいだけどちょっと気の利いたものは数万円。今買ってしまったら荷物になるし、なにも買うことなく諦める。
さてまだあと4時間。
今回現地の学校を見学することになっているので、日本の折り紙を紹介しようと思い、折り紙をたくさん持ってきた。娘とふたりで折り紙を折っていると周囲の外国人が珍しそうに見ていた。
そうこうしているうちに眠気が襲ってきて、ついに寝ることに。待合室の椅子にふたりでド~ンと横になり、絶対飛行機に乗り遅れないようにタイマーをかけておやすみなさい。
私たちの今回の旅の終点はソロモン諸島通称ガダルカナル島。
大東亜戦争の激戦地でそこで私の叔父はたった23歳で亡くなった。
どうしてもいってみたい。そういう気持ちがとどまることなく、勇さんのお力添えもあり今回ようやくいけることになった。
待合室の固い椅子にもかかわらず熟睡することができて気分爽快。
いざホニアラ空港へ。
↓ルンガ河と日本軍呼称・ルンガ飛行場 米軍呼称ヘンダーソン飛行場
現在はホニアラ国際空港
搭乗機は着陸態勢へ
8月27日13時20分ガダルカナル島ホニアラ空港に到着。
「ワ~これがルンガ飛行場。日米戦の火種となった因縁の地。75年前に日本の設営隊員たちが中心になってこれを作ったんだよ」と心の中で叫んでみる。
そして叔父ちゃんの軍服姿の写真を地べたにあててみた。
「やっと迎えに来たよ」
スーツケースを受け取り空港の出口にむかうと宿泊先のキタノメンダナホテルのドライバーが迎えに来てくれていた。それからひとり旅らしき中年の男性が(以下Mさんと呼ぶ)が私たちのそばに来て「日本人いたね~」と満面の笑みで言った。
確かにポートモレスビー空港にいたはずのあの大勢の日本人はひとりもここにいない。
どうやら別の飛行機でフィジーにいってしまったようだ。
つづく
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文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。
お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
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新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。