ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第一話

母娘ふたりガダルカナルの旅 第二話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第三話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第四話
母娘ふたりガダルカナルの旅 第五話 より続いております。

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第六話

平和慰霊公苑より南へ向かう一本道をバラナ村へと向かう。

米軍の星型記念碑が見えて来た

2014年 勇一三〇二撮影

右折するとバラナ村にあるギフスクールが左手に見えて来る。

2014年 勇一三〇二撮影

そのまままっすぐ進むとギフ高地のバラナ村に到着。

村の入り口にはパラソルがいっぱい野菜などを売っている。

これは村の人達のためのお店のようだ。

高床式の木造家屋が主流で涼しそうである。

高床式住居とフランシス

可愛い子供たちがいっぱい。髪の毛は茶色っぽいモフモフの頭で本当にお人形さんのようである。

赤ちゃんはスッポンポンでオムツはしていない。

暑いのと値段が高いのとで、まあオムツはここでは必要ないのかもしれない。

ガダルカナル島中部戦跡図

             

管理人サンディーの息子さんの先導で山の上の慰霊碑がある岡部隊奮戦の地(米軍呼称:ヒル27・日本軍呼称:丸山高原の頂上)をお参り。

 

 

 

フランシスがこの先に野戦病院があったということで少し歩いていくと山の陰の窪地になっているところがその病院跡だ。

遺骨収集の際にここからたくさんご遺骨が集められたらしい。

医療品も飲み水もなくただ放置されたままで多くの方がここで亡くなったことだろう。遠くにはかすかにルンガ飛行場が見える。

ここに大勢の兵士がいるのが見える気がした。

 

帰国後、勇さんのブログで確認してみると慰霊碑のあったヒル27周辺から多くの御遺骨か収集されていた。

日本から遠く離れた陣地で長い長い間ご苦労様でした。

兵隊の皆様の貴いお気持ちに「感謝」のみである。

 

 

車を停めたサンディーの野外博物館に戻ってみると、本当にいろんなものがあって・・・・・・私個人の気持ちとしては逆にこれでお金をとっていることに少しイラッとしてしまった。

だが、彼らが周辺の維持に勤めてくれているのだ。

ありがとうと言わなければいけない。

手榴弾、ヘルメット、水筒、飯盒、歯ブラシ、眼鏡、ベルトのバックル、薬のビン、ボタン、認識票。

日米両方のものがある。持ち主の顔が浮かぶようだ。

ボタンよく残っていたな。

本当に日本からはるばるここに大勢来ていたんだな。

 

みんな一緒に日本に帰ろう。

わたしの背中がどんどん重くなっていく。

 

一木支隊、川口支隊、第二師団と三次にわたる総攻撃にもかかわらずルンガ飛行場の奪取はできずに、兵員・装備・弾薬が補充され次の総攻撃となるまで持久戦へと移行した。

ここバラナ村は川口支隊の主力だった福岡の歩兵第124連隊・岡部隊が占領していた。

岡部隊は川口支隊の総攻撃、第二師団の総攻撃と二度の総攻撃に参戦しており消耗は著しかったという。

 

11月、次の総攻撃の為上陸した第38師団歩兵第228連隊第二大隊・稲垣大隊が岡部隊の増援としてバラナ村へ前進して来た。

勇さんから当時の布陣図をお借りしてみた。

ここは持久戦となった後、米軍と対峙した最前線だったのだ。

昭和18年1月、友軍後方からの連絡が途絶気味となり戦闘地帯が徐々に西方へと移行する中、岡部隊長は軍旗を埋め部隊を纏め後方へと移動を開始する。

移動中、撤退命令が出ていることを知った岡部隊長は自ら幹部と共に軍旗回収の為アウステン山へと戻った。

その折、後退を命じた筈の稲垣大隊・西畑大隊が後退出来ずに孤立していた。

さらに伝令を出し後退命令をを出すが命令は稲垣大隊予備陣地までしか届かず稲垣大隊・西畑大隊は撤退命令が出ている事すら知らず米軍と対峙し続けたのだった。

中央のマタニカウ川支流より右、岡部隊の西畑大隊、歩228の稲垣大隊が撤退命令が届かなかった部隊だったのだ。

 

第五話でもふれたが、

米軍大砲の着弾がアウステン山陣地より遠く西方となった事で取り残されたのではと疑心暗鬼になって居た稲垣大隊長。

昭和18年1月22日、恐れて居た米軍戦車が遂に現れ陣地を蹂躙し始めた。

22日深夜から23日未明、ここまでと判断した稲垣大隊長は独断で撤退を決め陣地より脱出の為突撃を敢行され玉砕されたのだった。

 

先代の村長、故ピーター氏は戦後の遺骨収集に甚大な協力をされた。

現代も村人は遺骨収集団が来ると協力をしてくれると聞く。

ここバラナ村はそんな歴史を持つ村なのだ。

 

つづく

 

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文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。

お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。

 


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