ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

 

 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第一話

母娘ふたりガダルカナルの旅 第二話 

母娘ふたりガダルカナルの旅 第三話 より続いております。


母娘ふたりガダルカナルの旅 第四話

観光客は圧倒的にオセアニア、東南アジア,中国人のようである。

日本人は慰霊団が主で、あとは戦史に興味がある人である。

慰霊観光ポイントをまわるにはガイド付きのオプショナルツアーが良い。

戦跡には各所にかならず管理人がいて入村料を払わなければならない。

個人でいくと値段をふっかけられるなどのトラブルになりやすいためガイドを雇っていくほうが無難だ。

数年前まで内戦があったようだが現在のホニアラ市内の治安は良い。

でも夜は明かりが少なく物騒である。

夜の一人歩きは止めたほうがよい。

ホニアラの中心に位置する日本大使館 日の丸の階

2012年 勇一三〇二撮影

さっき教えてもらったチャイニーズレストランは日曜日のためお休みだった。

少し先まで歩くとちょっとしたオープンスペースがある出店のような食堂があった。

中を覗いてみるとやはり中国人がやっているらしい。お客さんもそこそこ入っているのでここに決めた。

 

メニューを見て一番おいしそうなフィッシュアンドチップスを注文。

値段は25ソロモンドル、日本円で350円。

大ぶりの白身魚のフライが5個とお芋が3個入っている。

お芋は揚げたものではなくて蒸かしてある。

まったく期待していなかったのだがすごく美味しい。

衣がちょっぴりスパイシー。

白身魚のフライでお腹いっぱいになってしまいお芋がお腹に入らないのでテイクアウトすることにした。

これで350円

 

去年の今頃はコーラが1本600円だったが今回は200円。

フィッシュアンドチップスはおいしかったし、たった350円でお腹いっぱいのお得感も味わえて初めてのガダルカナルでの食事に大満足。

 

今回慰霊のためにガダルカナルを選んだのだが、私ひとりでいくのは心もとなくちょっとだけ歴史に興味があり大学生で暇な時間もある娘を誘ってみた。

しかし娘は「戦跡ツアーだけではつまらない。ほかに楽しいことはないのか」と言い始めたのでビレッジツアーでガダルカナルの人たちが生活している様子を見学するのはどうかと提案。

そこで勇さんに相談したところ現地でタクシードライバーをしている友人のメレシオを紹介してくれた。

メレシオも日本の文化に興味があり私たちを案内することを喜んでくれたらしい。

ガダルカナルについたこの日は3日目のビレッジツアーの序章として夜7時に私たちに会いに来てくれる約束をしていた。

 

フィッシュアンドチップスの夕飯のあとホテルの部屋に戻って少し昼寝をした。

夜7時になったので準備をして部屋で待ってみるもののなかなかメレシオから電話がない。

南国だし慌てることはないと思ってはみるものの7時半になっても電話がない。

ようやく7時45分になって部屋の電話がなった。

フロントからで「お客様がロビーでお待ちです」

 

メレシオ氏

ご本人提供

 

ロビーのソファーに白いポロシャツを着たメレシオと淡いピンクのTシャツを着たかわいいお嬢さんが来ていた。

フィロミナはメレシオの末のお嬢さんで10歳、日本では小学校4年生にあたる。

白いショートパンツにピアスをしていてイケてる感じ。

人見知りをせずとっても人懐っこい。

メレシオが「ちょっとホテルの近所を散歩してみない?」というので4人で出かけることにした。

メレシオはタクシードライバーと聞いていたのでワイルドな感じを想像していたが口調もやさしく大人しい性格の持ち主だ。

フィロミナは明るくパパが大好きといった様子だ。

 

メレシオは私たちが蚊に刺されることを心配してマラリアの薬を持ってきてくれた。

発熱などの症状が出てから飲んで効く薬だという。

蚊が血を吸うのは17~21時。昼間は心配ないが、夜は絶対長袖、長ズボンが必要だ。

白い洋服が蚊が嫌うので効果的らしい。

日本でマラリアの予防接種をしようか調べたが副作用があるということでやめた。

一番の予防はとにかく刺されないようにすることだ。

 

わたしたちも彼女たちに日本からお土産を用意してきた。

フィロミナが一番喜んでくれたのはヘアアクセサリーと粉末の甘い抹茶ドリンクだ。

意外と受けたのがギャッツビーのメンソールボディーシート。

和柄の手鏡も気に入ってくれた。

 

さてホテルからメンダナ通りを西の方向に歩くとすぐ目の前に郵便局、国会議事堂、国立博物館、少し歩くと観光客用のカジノもあった。

ホニアラの夜は明かりが少ない。コンビニというものがなく、ホテルの近くにあるガソリンスタンドの支払いをする店が雑貨店になっていて比較的遅くまで飲み物や軽食が買えるくらいだ。

お店は夜8時にはほとんど閉店してしまう。

 

今度は東の方向に歩いてみると、ほどなく港についた。

「対日本軍監視コーストウォッチャーの英雄像」

ガダルカナルの現地の人たちは最初ルンガ飛行場を建設する時は日本の設営隊員たちと一緒に働いていたのに日本が劣勢米軍上陸の前日になると姿を消してしまい連合軍について日本の軍艦が来るかどうかを見張るために海岸の監視をしていたそうだ。

その英雄像だ。制空権までとられて現地の人まで味方につけられたらますます勝てるわけもない。

はるばる遠い日本からガダルカナルまでいって戦うのは苦労ばかりだったに違いない。

日本人としてなんとも切ない。

 

 

ホニアラのこの港は戦争当時米軍の基地があったらしい。

今は島で生産された野菜、果物や海で獲れた魚をここから海外に輸出する。

発電所もここにある。

大きなタンクがいくつもあり街なかなのに危険極まりないとメレシオが言う。

ガダルカナルでは発電にとてもお金がかかり一般の家では洗濯機はない。

すべて手洗いだそうだ。

気候的に一年中暑いから薄手の衣類が多いのだろうけど毎日の洗濯はきっと大変だろう。

ベチカマ博物館近くの発電所

2015年 勇一三〇二撮影

コンビニも洗濯機もあることに慣れてしまった私達はなかった時代を想像することができない。

日本だってなかった時代のほうが圧倒的に長いのである。

便利になりすぎてそれが当たり前であると思うことを反省すべきだろう。

 

4人でだいぶ歩き回ったので飲み物を買ってホテルのプールサイドの椅子で涼みながら少しおしゃべりをした。

メレシオはお父さんの生まれ故郷のマライタ島を指さしてあっちの方向だと教えてくれた。

さほどご高齢ではなかったと思うがご両親共すでに亡くなってしまっているようだ。

お父さんは学校の先生でいろんな学校に勤めたので何回も引っ越したといっていた。

「これが僕のヒストリーだよ」と。

 

フィロミナは明日また学校だし9時半になってしまったので明後日、ビレッジツアーにいく約束をしてこの日は別れた。

 

つづく

 

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文中、勇さんの名で出てくるのが不肖当ブログ管理人・勇一三〇二となります。

お母さまと娘さまも読まれておりますのでお気軽にコメントください。

 


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