ぷぷぷ日記

ぷぷぷ日記

旅が好き。建築や町並みを見るのも、歴史も好きです。そこから現代世界を眺めるのも面白い。
映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。
もともと完全インドア人間でしたが、コロナ以降は野に出るようになりました。

更新は思いついたとき。

このブログ、開設時は日本語教師をめざし、かつ英語の勉強に励んでいたのですが・・・
幼かった息子を連れて9ヶ月ばかりタイに滞在。
その後、いちおうカタギの勤め人をしておりました。

息子も大人になり、再びプータローな季節がやってきたというわけで、
9ヶ月ばかりイラン界隈をウロウロしていました。が、コロナで帰国。

リセットのため海外へいったのですが、
自分という人間の軸がいささかズレてしまった気がします。

あ、そうだ、これはアラカンになったから?
年齢のせいか、モノの見方が変わってきたなと思うこの頃です。

そんなわけで、
以前の記事からブレまくっていると思いますが、そこはご容赦くださいね。



前回受験が2005年。

今回は2025年12月。実に20年ぶりの受験になる。60歳目前にしての挑戦でありました。

10年以上?は英語の勉強から離れていたというのに。

 

なんで受験する気になったかというと、

今年度終了すると非正規雇用期間満了となるので履歴書になにがしか書きたいと思った……

それだけのことで、特に英語を使う職を探したい訳では無い。

願わくば履歴書に書いても恥ずかしくない点が取れたらいいと思っただけなのです。

 

 

実を言うと、5年前の職探しのとき2005年のTOEICスコアを履歴書に書いていたのだけど、

「もっと新しいスコアはないの?」

と尋ねられ、TOEICスコアって古いとだめなのかと知ったのだった。

 

というわけで、8月から勉強を始めた。

 

youtubeを見るとTOEICの情報が溢れかえっている!

まあまあのお値段でabceedという教材使い放題のアプリも使うことができる!

これならスマホで隙間時間に簡単に勉強できます。

便利な時代になったなーと感心するとともに、いろいろなことで驚いた。

 

たとえば

◯点以上とらないと就職内定がフイになることがある

会社で◯点以上取るよう義務付けられている

TOEICの点数が大学の単位に変えられる場合がある

世の中にはTOEICerというマニアな人たちが何度も何度も受験して満点を目指している

TOEICは年々難しくなっているので5年前の点数は今と比較にならない

などなど……

 

厳しい世界になりましたね! 

そして、日本人の英語力は格段に上がっているようです。

それから、今は「音読」が流行っているんですねー

うまくやって場合の効果はわかるけど、漫然と30回とかやると昔の漢文素読みたいになりそう。

し、のたまわくーーとかいうアレ。

 

しかし、TOEICで最も驚いたのは

「問題数が多くてスピード勝負になる」

ということ。

TOEICは問題に出てくるシチュエーションや単語が限定的なので、

ゆっくり解けばそこそこ取れそうなのだけど、

なにしろ高得点者でも最後まで解ききれないというスピード勝負。

 

なので、リスニングパートは次の問題の設問を前の問題のアナウンスが終わる前に読む「先読み」というテクニックが必要になる。リーディングに至ってはpartごとに使っていい時間は文法一問20秒、読解一問一分などというのは常識らしい。

 

これじゃまるでスポーツじゃないか。集中力と瞬発力と忍耐力。体力いるわー

 

20年前、情報が乏しかったせいかそんなことは知らずに受けて

「時間なかったー。もういい年だから集中力もだめだったな」と思ったのを覚えています。

なのに、なんでまた性懲りもなく受けようと思ったんでしょうねえ。

 

申し込みを済ませてから、何度もやめときゃ良かったと後悔しました。

どうも瞬発力と集中力が足りなさすぎて、できる気がしない。

しかし、せっかくなのでyoutubeの情報をもとに単語を覚え、問題集に取り組み、

先読みだとかのテクニックも練習してみました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、昨日やっとTOEIC受験を済ませました。

感想としては、フル模試を何度かやっていたおかげか途中でしんどくなることなく終わることができました。

 

しかし、youtube仕込みの様々なテクニックはあまり使いこなせませんでしたね。

最後8問は時間切れで塗り絵になっちゃったし。

それでも、自分の実力は取り敢えず出せたようだということで納得できた。

非常に低い点数の結果になっても、これを実力と受け止めようと思います。

 

 

これで得た教訓は、youtube情報に振り回されすぎてはいけないということ。

 「これだけやればOK」というyoutuberの言うことに疑問を抱いて途中で方針転換し、自分なりの勉強方法に切り替えて良かった。多少は実力が上がったと思います。また、いろいろなテクニックの情報が気になってつい見てしまったけど、普通に勉強したほうが良かったですね。

youtubeもたくさん見ていると「これはキャッチーな情報を真似て再生産してるだけの動画」とか、

「これは超上級者にしか当てはまらない情報だから自分は関係ない」とかわかってくるのでうまく使えばいいだけのことなんですけど、しょうもない動画を見てしまうのは止められなかったです。

 

しんどかったけど久しぶりに勉強した感がありました。

 

久しぶりに金曜ロードショーで火垂るの墓が放映されたので視聴。

ネットで前評判をのぞくと、


清太はクズ

清太はなぜ働かない

暗いだけ

おばさんと清太 どっちが悪


などと評判が悪い。作品の意義そのものに疑問を持つ人も多いようだ。


自分としては戦争の中で悲惨な成り行きとなった数多の人間のうちの一つの例を描いた物語であって、いいも悪いもないと思っていた。過酷な状況下の人の生き方をジャッジできるものではない。


今回の放映で改めて見ると、たしかに清太は自由で裕福な育ちのせいか、わがままで不器用で周りに気を遣うのが嫌で、その結果妹を死なせてしまったと言える。妹の世話も自己満足の範疇に終わっていた。

つまり、清太は同調圧力に負けたくなかった。妹と、以前のとおりに暮らしたかった。切実に。それが、そんなに不評で、非難されるべきことなのか?


この問題についてネット上にいろんな人が評論を上げているけれど、高畠さんのインタビューを見てとても腑に落ちた。


 戦争のドラマはたくさんあるけど、家族を守るために戦うなんて、当時は言ってなかったからね。

 戦争の悲惨さを描くならもっと酷く描かないと、という人も多いけど、戦争中だって悲惨ばかりじゃない。子供は何かしら楽しい嬉しいことを見つける天才だから。

 主人公ががんばって戦うヒーローだったらみんな安心して気持ち良くなるんでしょう、そのために映画を見に行くんだもの。


概略、このようなことを高畠さんは述べていました。要するに、清太の心情はリアルなものなのだと思います。

戦争になったからって、誰もが熱心な軍国少年になるなんて変じゃないですか。

自由で裕福に育った中2くらいの少年が現実を少し見誤って引き返せなくなってしまった……誰に相談する気にもなれず。

 とても納得がいきます。

 清太は褒められた人間ではないけど、真実味がある。


ふと、妹尾河童の『少年H』を思い出しました。こちらは戦争が終わったときの混乱と怒りの心情を読むことができます。



アニメ完結は昨年のこと。

わたしとしては現在、2025年8月に初めてこの作品と出会い、マラソン視聴が終了しました。

原作は未読です。

 

二人の女の子がお互いを「ぜったい」大切な存在として生きていく物語。

SFです。ディストピアな世界にいるパパの話から始まって時間軸が遡り、再び遡り、

わかりにくいところが多少あるけど面白くて引き込まれていきました。

 

話が進むにつれて謎があきらかになっていくストーリーテリングが良いですね。

SF要素も目新しさはないけど、いろんな人物の葛藤や喜怒哀楽が盛り込まれて

続きが見たいと思わせる展開が続いていきました。

 

最後のほうはどんどん過酷になり、

「もしや、これは『まどか☆マギカ』みたいな話?」

 

と身構えたのも束の間、

なんと「夢オチ」的なハッピーエンドで終わったのでした!

いやー。。。。。。。そら、ないわー。

今までがんばってきた主人公たちの人生は消去されてしまった。

ハッピーならそれでいいのかと納得できないまま取り残された感じ。

 

 

たしかに、ハッピーエンドで終わるならこうするしかなかったでしょう。

話があのまま進むなら、完全な鬱展開ののち、世界の終わりを迎えるしかなかった。

夢オチハッピーか、完全に虚無的バッド・エンドかの二択しかない。

 

でもねえ、わたしとしては、パパをキーマンにしてシーズン2が始まるのを期待してた。

シーズン1と同じくらいの長さでシーズン2をやって、

その結果ハッピーに持ち込んでほしかったなあ。

 

ただ、物語の一貫性ということなら、

やっぱり母艦墜落後のみんなの戦いをちゃんと描くのが筋ではないかな。

時間軸を再び乗り換える結末は、作者が途中でみんなを放り出して安易なほうに逃げたとも感じた。

過酷でも主人公たちの戦いを見たかった。

この作者なら、その展開でもなんとか希望のある結末にできたのでは?

おんたんが「あのときの選択は間違ってなかった」と思える最後にしてほしかった。

 

とても面白い作品だっただけに、ちょっと残念な気持ちです。

大河ドラマ『べらぼう』

(12)俄(にわか)なる『明月余情』

初回放送日:2025年3月23日

 

今回の尾美としのりはなんだか演技がとてもええな~

 

と思った。放映終了後Xをのぞくと、尾美としのりがトレンド入りしてた!

皆さん、毎回尾美としのりがどこに出てたか探す遊びをしていたらしい。

 

製作がこっそりちょっとだけ尾美さんが写るシーンを積み重ね、長きに渡る仕込みをしてきた映像が、

今日、その種明かしの回となって日の目を見たのだった。(ネタバレしませんけど)

 

ええですねえ。エンタメの真骨頂ですね。

ちゃんと考えて、仕込みして、種明かしで観るものを沸かせる。

正しいエンタメだと嬉しくなった。

 

劇中の蔦重たちも、同じことなんです。

祭りをやるのも、伝統を踏襲するなんてものでなく、

エンタメとしてうまくいくよう

自分たちで考えて、作って、盛り上げていく。

その姿はとてもポジティブで楽しい。

 

江戸の侍が副業でエンタメ小説を書きまくって疲れちゃったり

版元に義理だてして他の版元との板挟みになっちゃったり

絵師がほかの絵師の本に嫉妬して、さらに面白い本を出したり

そういうのは現代にも通づるものがあって、江戸物が初めて面白いと思えた。

 

合戦ロケが大好きな私としては、江戸ものは好きでなかったのですが

今は『べらぼう』が面白くて楽しめてる。

失速せず、続いていってほしいです。

アメーバのジャンル設定してみた。

日記のほうで、「アラカン」になりました。

 

いや、とっくにアラカンだったんですけどね……

 

せっかくなので、

今後はシニア入り目前の人間にふさわしい記事を書いていこうかと思ったりする。

ついでに、自分のブログ内のテーマに「アラカンあるある」とか設定しようかな。

 

ふーむ。

しかし、アラカンを超えたら「アラカンあるある」ではおかしいので、

「シニアあるある」にしちゃうか?

 

まだ、シニアではないんですけどね……

 

これまで、シニアあるあるみたいな記事は書かないようにしていた。

あまりシニア入り目前なんて思いたくなかったから。

 

問題:以下の分の( )内に正しい語句を入れよ。

認めたくないものだな。自分自身の( )ゆえの過ちというものを。

 

認めれば、ブログを書くのも楽しくなるはずです。

 

書けば、誰か共感してくれる人もいるかもしれない。

カッコつけずに書きたいと思います。

「起用し続ける」

 

この言葉が誤用され、大々的に流布してしまったようだ。

多くの日本人がこの報道によって「起用する」を誤った意味で覚えたのではないか?

事件の内容より、この「起用し続ける」のフレーズが気になって仕方ない。

 

たとえば、

「……中居正広氏を起用し続けたフジテレビ社長に現役社員が抱く“強烈な違和感”」

 

 

 

これは、VIPな経済人が読んでいそうなプレジデントonlineの記事の見出し。(1/19分)

他にもざっと検索しただけで、

毎日新聞、スポニチアネックス、テレ朝ニュースなどのwebサイトで同様の使い方が確認できた。

 

さて、何が問題なのかを知るために、辞書を見てみましょう。

 

 

「起用する」の意味は、goo辞書によると(一部表記を変更しています)

・今まで用いられていなかった人を取り立てて用いること。

 例:「新人を主役に—する」

 類語:登用 挙用 抜擢

つまり、「起用する」はひとつの役や仕事につき、一回だけ発生する出来事です。

 

 

「起用し続けた」ということは、

次々と新たな番組が企画され、そこに中居氏をしばしば起用し続けたという意味になります。

その意味なら、この使い方は正しい。

実際、中居氏は問題発覚後も特番などに多々起用されていたそうなので、それについて言うなら間違っておりません。

 

 

しかし、1/17の記者会見で大きなポイントになったことに、

なぜ中居氏を降ろさず、レギュラー番組に出演させ続けたのか

という問題についての釈明があります。記事の大事な要素がこれだとすると、見出しは「レギュラー番組の継続」に連動するのが適切でしょう。

 

以前からレギュラー出演している番組について言うとき、

x「レギュラー番組に起用し続ける」などとは言えない。この用法は誤りです。

 

○「レギュラー番組に出演させ続けた/降板させなかった」

○「レギュラー番組の契約を継続した/解消しなかった」

とか、正しい言い方はいくらでもある。

 

「起用」と「継続」の両方について言及するなら「フジテレビの番組に出演させ続けた」とか普通に言えばよいでしょう。

 

なのに、なぜ報道は「起用し続ける」「起用継続」など、「起用」の言葉をやたらと使ってしまうのか?

 

私の推測では、理由はふたつ。

 

1.フジの社長の釈明に、中居氏をレギュラーに起用した番組が始まったばかりだった……という内容があった。ここで「起用」という言葉が登場。カッコいい言葉だと思ったか(?)記事を書く時にぜひ使いたくなった。

2.どこのメディアが最初に書いたか知らないが、他社も「起用し続ける」を問題の核心として

コピペ的に記事を書いてしまい、あちこちで「起用」と言うように。この流れで続報も「起用」と言い続けている。

 

といったところでしょうか。

 

起用起用とあちこちで言ってるおかげで、私は初めて一連の報道に接した時、

問題はフジが「新番組に次々に起用し続けたこと」だと受け取りました。

 

しかし、記事の内容を読むと、フジの会見がしどろもどろで「視聴率を気にして、レギュラー番組を終わらせたくなかったのでは」という疑惑がかえって強くなったことに報道の力点があったようです。

レギュラー番組継続の釈明が、最も重要なポイントだったんですよね。

 

 

 

曖昧な言葉の使い方のせいで、最重要ポイントがわからなくなってしまう記事って最悪です。

いろいろな記事を見直して、何がいちばん問題なのかますます確信が持てなくなりました。

 

お粗末な報道はやめてほしいと思います。

明確に意味がわかる日本語で書いてほしい。

 

ほんまに。

 

 

 

 

フリー・パレスチナ?

なぜ、今頃ですか。

いえ、言ってはいけないということではなく。

なぜもっと早く言ってくれなかったのだろう?

 

シリア解放万歳?

ほんとですか? 本当に解放ですか?

いえ、アサド退陣は喜ばしいです。

だけど、次の政権が心配じゃないですか。

穏当な政権が立つことを祈る……

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1986年、20歳で初めての海外ひとり旅。

アテネ in/outの航空券を買い、トルコ・シリア・ヨルダン・エジプト・イスラエルを周りました。

 

パレスチナーーひいてはアラブ側と、イスラエル側の両方を見てみたいと思ったからです。英語もさっぱりできず、アラビア文字も読めず、現地の人にお世話になりっぱなしの旅でした。みんな親切でした。みんなフレンドリーでした。いろんな人が助けてくれたし、泊めてもらったりもしました。外国人旅行者が非常に珍しい頃で、きっと若い娘がアホみたいにフラフラ歩いているのを見かねてのことだったのでしょう。

 

(本当にアホなので、ゴラン高原を通ってシリアからイスラエルへ入国できると思っていて、在イスタン・シリア大使館で出禁だ! と一喝されたほど)

 

だから特別に思い入れがあります。

 

美しくて本当にフレンドリーだったシリアの人たち。ローマの遺跡もあるタルトスの港町、ハマの水車、パルミラの夕日を見に登った丘などを思い出すと、そこにいた人たちも浮かんできます。パパ・アサドの圧政に傷ついていたのだろうけど、そんな事情はよそ者にはわからず、豊かに見えました。

パレスチナ人の学生とも知り合いました。パレスチナ問題の発端は、1948年に住民がイスラエル建国のため大量に殺され、または土地を追われたこと。そこを忘れて中立を言う日本って、何? と痛いところを突かれた。

 

イスラエルでは、洗練されたユダヤ人たちと、普通のパレスチナ人たちが、互いに不満や恐怖を持ちながら、分離壁もなくエルサレム中心街にも同居していました。

 

これから、あの国々は平和になるのだろうか?

あの人たちは幸せに暮らしていくのだろうか?

 

旅から帰ってからもずっと気になっていました。

見た部分など、もちろんほんのわずかです。

でも、見てしまった。人に会ってしまった。

だから、肩入れする。気になる。

 

それから、オスロ合意というものがあり、

ようやくパレスチナとイスラエルの和平へのロードマップというものが敷かれたと聞いた。これで、パレスチナ問題はどうにかなるのかと期待を持った。

 

 

 

しかし、そううまくはいかなかった。

迂闊にも、ずっと事態を注視していたわけではなかったので、

気づくと「インティファーダ」という抵抗運動が勃発しており、そして「ハマス」が台頭しており、分離壁という物凄いエゲツナイものが巨大迷路みたいに建てられていて、なんの冗談かと思った。パレスチナ人は分離壁や検問で日々嫌がらせに遭い、法のもとに家を壊されたり、少しずつすり潰されていく。

 

こんなひどい状況は、もっと、報道されないと!

もっとみんなに知らせて、人権無視と訴えないと!

気持ちだけはジリジリする。

 

だけど、できることはほとんどない。

 

年月は過ぎていく。アラブの春とか、ISとか、いろいろ。

地団駄踏むような気持ちが、いくつかの映画を見て傾いた。

 

パレスチナ人の若者は穏便にイスラエルに同化することを望んでいる。親の手前、強くは言えないけれど、独立を主張するより、普通に仕事がもらえて平和に暮らせるほうがいい。今更、独立なんて言っても仕方ないだろう。外国人が無責任に独立を煽るのもやめてほしい。不穏分子として目をつけられたら生きていけなくなるーーー

それがパレスチナのトレンドなのだと知った。

 

あれから、どのくらいたったのだろう。

迂闊な私である。

気付けばハマスが乾坤一擲とかいうのだろうか大攻勢に出て、

戦争になっている。

 

大攻勢で勝負に出たのはハマス。

この機会にイスラエルはもちろんパレスチナ消滅達成を狙う。パレスチナ人は全員、絶滅させる。

 

ここにきて、世界が騒ぎ出した。

人権擁護の人々が運動を展開している。

何も出来ない私よりも、余程ましな人たち。

だけど、なんでもっと早く運動を始めてくれなかったのだろう。

 

絶滅危惧種をほんの少数保護して動物園で飼う。

今の運動はほぼそれに近いと思う。

 

運動のおわりに「保護に成功」と記録するのだろうか。

 

山旅に出るために、道具を軽量化したい。

レインウェアをどうするか。

WEBでの調査と長考の果てに決めた。

「バーサライトジャケットとパンツを買うべし」と。

 

これまで、ワークマンのイナレムレインウェアは冬場によく働いてくれたけど、夏はレインとウインドシェルを兼ねて軽量化しようという目的です。

 

しかし、

なんのことはない、バーサライトジャケットとレイントレッカージャケットを間違えて購入してしまったのでした。

 

ネットでポチリ間違えたのでない。

リアル店舗できりきり舞いのあげくミスった。

そういう話です。

 

いつもなら通販で購入してしまうところだが、レインウェアはサイズが合わないと悲惨なので、出不精な自分を励まし励まし、モンベルのお店に到着。

 

メンズのバーサライトジャケットを着てみました。

私はまっすぐ体型の高身長女なので、ハナからメンズしか見ないつもりだった。

 

まず、メンズLサイズを着用。

お腹周りが余ってる割に、丈が短いような? 袖は長すぎるくらいだけど……

 

なんか変なので、メンズMサイズを着てみる。

ピッタリフィット。私はだいたいメンズMがピッタリすぎるくらいぴったりである。男前にカッコよく着れている。

しかしながら、レインの下にボディバッグを入れ込んだりするには余裕がなさすぎ。

 

駄目もとで、メンズXLを着てみる。

おお? ゆったりしていい感じ。カッコいいとすら思う。

中途半端に大きいLは不格好で、余裕のXLが着こなせるなんてめちゃくちゃ意外だった。ファッションって難しいですね。

 

店員さんがパンツはレディスが良いのではと、女性コーナーから取ってきてくださったりして、パンツはレディスXLに決定。

 

さて、ジャケットのほうはメンズXLで決定かと思ったが、残念な配色ばかりで頭を抱えました。

ダークグレーxジップ部分が赤ライン

イエロー(山吹色みたいな)x赤ライン

ネイビーx黄ライン

ブルーxグレーライン

 

モンベルらしいというか、微妙に残念な、学校を思い出すとうか、そんな色なんですよねえ。しかも、バーサライトジャケットはテカテカペラペラな質感で、さらに安っぽく見えるのです。40年前くらいから続くこの残念さ。

 

40年前は、

日本のメーカーだから和風な色味が入っちゃうのかねえ、しょうかないねくらいに思っていたのだけれど、

 

もはや外国メーカーと差別化のためのモンベルテイストなんだろうか?

 

さて。

メンズXLは全色揃ってるわけでもなく、買う意欲も今ひとつなので、またもや駄目もとでレディスコーナーを見に行くことにした。

すると、きれいなブルーグリーンがあるではないですか!

これはいい! とテンションあがって、試着するとレディスXLがぴったり。よっし、と飛び跳ねたくなったけど、

自制した。レインウェアは下に着込んだり、ボディバッグを隠す余裕が必要ですから、ぴったりではダメなのです。

 

並んでいるハンガーをさらうと、海外サイズのXLが一着だけありました! 

着てみると理想的な大きさです。見た目もなんだか感じがいい。海外版は発色がいいのか?

それはネイビーで、悪い色ではなかったけど、店員さんにブルーグリーンの取り寄せができないか聞いてみた。

 

もう、買う気満々になってました。取り寄せか、ネットで注文するか、レディスのUS版XLで決まり。

戻ってきた店員さんがブルーグリーンは売り切れだと言うので、「じゃ、これ買います!」と跳ね気味にネイビーを買う運びとなったのでした。

 

長々と店員さんにお付き合いいただいて、

うまくぴったりサイズにたどりつき、

なんとか気に入る色があり……

 

高身長まっすぐ体型女としては、なかなかこんな僥倖には出会えない。とても嬉しかったです。

 

さて。

モンベルクラブアプリがスマホに入っておらず、

会員証も携行しておらず、

ちょっと手間取りましたが決済して帰宅。

 

値札と説明のタグをあらためて見ると、おやや……?

 

私が購入したのは

バーサライトパンツと

レイントレッカージャケットでした!

 

バーサライト一択のつもりが、どこで間違えたのか。

よく考えると、

レイントレッカーは隣にあったので紛れていたんですね。

 

テカテカペラペラでなく、発色がよく見えたのも、

バーサライトじゃなかったからでした。

ほとほとアホですね

 

返品? いやレイントレッカーでもいんじゃね?

と悩みつつ検討してみました。

 

1.バーサライトより、レイントレッカーは1100円安い。

2.購入したUS版のレイントレッカーは、日本版バーサライトより1100円高い。(US版バーサライトはさらに4400円も高くて予算オーバーであったし、在庫もなかった)

3.レイントレッカーは、バーサライトより50gほど重い。

4.レイントレッカーは、テカテカなバーサライトより見た目が良く、生地も柔らかいので、雨以外でも活用しやすい。

5.バーサライトはミニマムデザイン、レイントレッカーは重いぶんポケットもある

 

本当は軽量化目的だったので、50gくらい重くなったのは残念ですが、やっぱりバーサライトの見た目にかなり購入意欲がしぼんだのは事実。

レイントレッカーを連れて帰ってしまったのは

なるべくしてなったことかもしれません。

 

いつも買い間違いのないよう通販でじっくりスペックを見て買うのですが、到着したモノにがっかりすることも多いです。それでも、返品せずにたいていはのんでしまいます。値段、スペックで比較検討のうえ決定したことだからと。

 

今日のように実店舗に行くと、舞い上がったり気まぐれを起こしたりして買い間違いもします。

リアルなモノの魔力に魅かれたかもしれない。

後日、後悔がないといいのですが。

うまく活用してやりたいと思います。

 

ともあれ、今回実店舗に行ったおかげで、モンベルはレディスのパンツは一部ロングやショートのバリエーションがあると知りました。値段はそんなに高くないようだし、いいかもしれない。

 

なんだかんだ言って、かっこいい海外スポーツブランドや、こなれたULブランドは値段が高すぎて無理なことが多い。

やっぱり最後は頼れるモンベルなのでした。

中東現代文学のたくさんの抄訳が詰め込まれた分厚い大判の一冊。

扱う地域/言語はイラン、クルドからイスラエルも含めて北アフリカのマグレブと続いて、西サハラに至る。

現代の新しい小説がたっぷりと読めて満足した。

ここには旧宗主国との複雑な関係や、家族のあり方、伝統文化への思いなど、現地語読者に向けて書かれている。欧米語で書かれると薄められてしまう、今の生の感情が頻々と伝わってくる。

 

もとより採算を考えた出版ではなく、科研費を利用した中東文学研究会紀要のような冊子である。

中東はややこしくて大変だ。だからこそもっと読みたい、知りたい。独自の味わいと魅力があることが、広く知られるべきなのにと思う。

 

 

 

 

今日、低層団地の点在する緑の丘を歩いて帰ってきた。

職場から家まで30分、初めて歩く道だった。

グーグルマップを見ながら近道をする。

団地の区画内へ入り込み、建物の脇の小道へ……

えっ、ここ道なの? という感じのけもの道。

 

なだらかな傾斜のある緑をふみつつ団地の裏側へ出た。一階のベランダのすぐ横を通る。

 

 

子供のころの感覚を思い出した。一階の住人がベランダにいたら、ごく近くを通るのである。いなくても住んでいる気配がひんぴんと伝わってくる。それは古い街の路地に住人が植木鉢をごちゃごちゃと置いていたり、物干しが垣間見えたりする感じと似ている。

 

何もない竹藪だったところを切り拓いたわが町は、歴史のないニュータウンである。それでも土地の記憶はある。このけもの道の感じや、山をそのまま残したような傾斜にうねるような公園、50年以上前に作られた大きな滑り台などに。素敵な枝ぶりの良い姿になった木々はこの街にも続く営みがあると思わせてくれる。

 

不覚にもじんと来て目が潤んだ。正確にはこの区画は私にとって隣町である。わが町は一歩早く住宅の建て替えが進んで、プレハブ住宅群の面影を失っている。低層団地はすでに取り壊され、マンションに変わった。

 

うちの近くへ帰ってくると、2階建て住宅がゆるやかな坂道に沿って並ぶ屋根の向こうにマンションが見える。

14階建てのマンションは近くを通る人に配慮して、ボリュームが控えめに見える外観になっている。しかし、というかだから余計に、遠くから見ると驚いてしまう。大きな壁が街を囲んでいるかのように見えて、進撃の巨人かよと思うのだ。

 

昔を思わせるあらゆるものがなくなったら……

百坪の敷地に建つ小さなプレハブ住宅たち

空地空間がものすごく大きくて緑の多い低層団地

開発前の池や竹藪や小山を残した自然の公園

 

わたしがここに住む理由はなくなるのではないだろうか。

土地の記憶はなくなってしまうのだろうか。