ぷぷぷ日記

ぷぷぷ日記

旅が好き。建築や町並みを見るのも、歴史も好きです。そこから現代世界を眺めるのも面白い。
映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。
もともと完全インドア人間でしたが、コロナ以降は野に出るようになりました。

更新は思いついたとき。

このブログ、開設時は日本語教師をめざし、かつ英語の勉強に励んでいたのですが・・・
幼かった息子を連れて9ヶ月ばかりタイに滞在。
その後、いちおうカタギの勤め人をしておりました。

息子も大人になり、再びプータローな季節がやってきたというわけで、
9ヶ月ばかりイラン界隈をウロウロしていました。が、コロナで帰国。

リセットのため海外へいったのですが、
自分という人間の軸がいささかズレてしまった気がします。

あ、そうだ、これはアラカンになったから?
年齢のせいか、モノの見方が変わってきたなと思うこの頃です。

そんなわけで、
以前の記事からブレまくっていると思いますが、そこはご容赦くださいね。



大河ドラマ『べらぼう』

(12)俄(にわか)なる『明月余情』

初回放送日:2025年3月23日

 

今回の尾美としのりはなんだか演技がとてもええな~

 

と思った。放映終了後Xをのぞくと、尾美としのりがトレンド入りしてた!

皆さん、毎回尾美としのりがどこに出てたか探す遊びをしていたらしい。

 

製作がこっそりちょっとだけ尾美さんが写るシーンを積み重ね、長きに渡る仕込みをしてきた映像が、

今日、その種明かしの回となって日の目を見たのだった。(ネタバレしませんけど)

 

ええですねえ。エンタメの真骨頂ですね。

ちゃんと考えて、仕込みして、種明かしで観るものを沸かせる。

正しいエンタメだと嬉しくなった。

 

劇中の蔦重たちも、同じことなんです。

祭りをやるのも、伝統を踏襲するなんてものでなく、

エンタメとしてうまくいくよう

自分たちで考えて、作って、盛り上げていく。

その姿はとてもポジティブで楽しい。

 

江戸の侍が副業でエンタメ小説を書きまくって疲れちゃったり

版元に義理だてして他の版元との板挟みになっちゃったり

絵師がほかの絵師の本に嫉妬して、さらに面白い本を出したり

そういうのは現代にも通づるものがあって、江戸物が初めて面白いと思えた。

 

合戦ロケが大好きな私としては、江戸ものは好きでなかったのですが

今は『べらぼう』が面白くて楽しめてる。

失速せず、続いていってほしいです。

テーマ:

アメーバのジャンル設定してみた。

日記のほうで、「アラカン」になりました。

 

いや、とっくにアラカンだったんですけどね……

 

せっかくなので、

今後はシニア入り目前の人間にふさわしい記事を書いていこうかと思ったりする。

ついでに、自分のブログ内のテーマに「アラカンあるある」とか設定しようかな。

 

ふーむ。

しかし、アラカンを超えたら「アラカンあるある」ではおかしいので、

「シニアあるある」にしちゃうか?

 

まだ、シニアではないんですけどね……

 

これまで、シニアあるあるみたいな記事は書かないようにしていた。

あまりシニア入り目前なんて思いたくなかったから。

 

問題:以下の分の( )内に正しい語句を入れよ。

認めたくないものだな。自分自身の( )ゆえの過ちというものを。

 

認めれば、ブログを書くのも楽しくなるはずです。

 

書けば、誰か共感してくれる人もいるかもしれない。

カッコつけずに書きたいと思います。

「起用し続ける」

 

この言葉が誤用され、大々的に流布してしまったようだ。

多くの日本人がこの報道によって「起用する」を誤った意味で覚えたのではないか?

事件の内容より、この「起用し続ける」のフレーズが気になって仕方ない。

 

たとえば、

「……中居正広氏を起用し続けたフジテレビ社長に現役社員が抱く“強烈な違和感”」

 

 

 

これは、VIPな経済人が読んでいそうなプレジデントonlineの記事の見出し。(1/19分)

他にもざっと検索しただけで、

毎日新聞、スポニチアネックス、テレ朝ニュースなどのwebサイトで同様の使い方が確認できた。

 

さて、何が問題なのかを知るために、辞書を見てみましょう。

 

 

「起用する」の意味は、goo辞書によると(一部表記を変更しています)

・今まで用いられていなかった人を取り立てて用いること。

 例:「新人を主役に—する」

 類語:登用 挙用 抜擢

つまり、「起用する」はひとつの役や仕事につき、一回だけ発生する出来事です。

 

 

「起用し続けた」ということは、

次々と新たな番組が企画され、そこに中居氏をしばしば起用し続けたという意味になります。

その意味なら、この使い方は正しい。

実際、中居氏は問題発覚後も特番などに多々起用されていたそうなので、それについて言うなら間違っておりません。

 

 

しかし、1/17の記者会見で大きなポイントになったことに、

なぜ中居氏を降ろさず、レギュラー番組に出演させ続けたのか

という問題についての釈明があります。記事の大事な要素がこれだとすると、見出しは「レギュラー番組の継続」に連動するのが適切でしょう。

 

以前からレギュラー出演している番組について言うとき、

x「レギュラー番組に起用し続ける」などとは言えない。この用法は誤りです。

 

○「レギュラー番組に出演させ続けた/降板させなかった」

○「レギュラー番組の契約を継続した/解消しなかった」

とか、正しい言い方はいくらでもある。

 

「起用」と「継続」の両方について言及するなら「フジテレビの番組に出演させ続けた」とか普通に言えばよいでしょう。

 

なのに、なぜ報道は「起用し続ける」「起用継続」など、「起用」の言葉をやたらと使ってしまうのか?

 

私の推測では、理由はふたつ。

 

1.フジの社長の釈明に、中居氏をレギュラーに起用した番組が始まったばかりだった……という内容があった。ここで「起用」という言葉が登場。カッコいい言葉だと思ったか(?)記事を書く時にぜひ使いたくなった。

2.どこのメディアが最初に書いたか知らないが、他社も「起用し続ける」を問題の核心として

コピペ的に記事を書いてしまい、あちこちで「起用」と言うように。この流れで続報も「起用」と言い続けている。

 

といったところでしょうか。

 

起用起用とあちこちで言ってるおかげで、私は初めて一連の報道に接した時、

問題はフジが「新番組に次々に起用し続けたこと」だと受け取りました。

 

しかし、記事の内容を読むと、フジの会見がしどろもどろで「視聴率を気にして、レギュラー番組を終わらせたくなかったのでは」という疑惑がかえって強くなったことに報道の力点があったようです。

レギュラー番組継続の釈明が、最も重要なポイントだったんですよね。

 

 

 

曖昧な言葉の使い方のせいで、最重要ポイントがわからなくなってしまう記事って最悪です。

いろいろな記事を見直して、何がいちばん問題なのかますます確信が持てなくなりました。

 

お粗末な報道はやめてほしいと思います。

明確に意味がわかる日本語で書いてほしい。

 

ほんまに。

 

 

 

 

フリー・パレスチナ?

なぜ、今頃ですか。

いえ、言ってはいけないということではなく。

なぜもっと早く言ってくれなかったのだろう?

 

シリア解放万歳?

ほんとですか? 本当に解放ですか?

いえ、アサド退陣は喜ばしいです。

だけど、次の政権が心配じゃないですか。

穏当な政権が立つことを祈る……

 

 

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1986年、20歳で初めての海外ひとり旅。

アテネ in/outの航空券を買い、トルコ・シリア・ヨルダン・エジプト・イスラエルを周りました。

 

パレスチナーーひいてはアラブ側と、イスラエル側の両方を見てみたいと思ったからです。英語もさっぱりできず、アラビア文字も読めず、現地の人にお世話になりっぱなしの旅でした。みんな親切でした。みんなフレンドリーでした。いろんな人が助けてくれたし、泊めてもらったりもしました。外国人旅行者が非常に珍しい頃で、きっと若い娘がアホみたいにフラフラ歩いているのを見かねてのことだったのでしょう。

 

(本当にアホなので、ゴラン高原を通ってシリアからイスラエルへ入国できると思っていて、在イスタン・シリア大使館で出禁だ! と一喝されたほど)

 

だから特別に思い入れがあります。

 

美しくて本当にフレンドリーだったシリアの人たち。ローマの遺跡もあるタルトスの港町、ハマの水車、パルミラの夕日を見に登った丘などを思い出すと、そこにいた人たちも浮かんできます。パパ・アサドの圧政に傷ついていたのだろうけど、そんな事情はよそ者にはわからず、豊かに見えました。

パレスチナ人の学生とも知り合いました。パレスチナ問題の発端は、1948年に住民がイスラエル建国のため大量に殺され、または土地を追われたこと。そこを忘れて中立を言う日本って、何? と痛いところを突かれた。

 

イスラエルでは、洗練されたユダヤ人たちと、普通のパレスチナ人たちが、互いに不満や恐怖を持ちながら、分離壁もなくエルサレム中心街にも同居していました。

 

これから、あの国々は平和になるのだろうか?

あの人たちは幸せに暮らしていくのだろうか?

 

旅から帰ってからもずっと気になっていました。

見た部分など、もちろんほんのわずかです。

でも、見てしまった。人に会ってしまった。

だから、肩入れする。気になる。

 

それから、オスロ合意というものがあり、

ようやくパレスチナとイスラエルの和平へのロードマップというものが敷かれたと聞いた。これで、パレスチナ問題はどうにかなるのかと期待を持った。

 

 

 

しかし、そううまくはいかなかった。

迂闊にも、ずっと事態を注視していたわけではなかったので、

気づくと「インティファーダ」という抵抗運動が勃発しており、そして「ハマス」が台頭しており、分離壁という物凄いエゲツナイものが巨大迷路みたいに建てられていて、なんの冗談かと思った。パレスチナ人は分離壁や検問で日々嫌がらせに遭い、法のもとに家を壊されたり、少しずつすり潰されていく。

 

こんなひどい状況は、もっと、報道されないと!

もっとみんなに知らせて、人権無視と訴えないと!

気持ちだけはジリジリする。

 

だけど、できることはほとんどない。

 

年月は過ぎていく。アラブの春とか、ISとか、いろいろ。

地団駄踏むような気持ちが、いくつかの映画を見て傾いた。

 

パレスチナ人の若者は穏便にイスラエルに同化することを望んでいる。親の手前、強くは言えないけれど、独立を主張するより、普通に仕事がもらえて平和に暮らせるほうがいい。今更、独立なんて言っても仕方ないだろう。外国人が無責任に独立を煽るのもやめてほしい。不穏分子として目をつけられたら生きていけなくなるーーー

それがパレスチナのトレンドなのだと知った。

 

あれから、どのくらいたったのだろう。

迂闊な私である。

気付けばハマスが乾坤一擲とかいうのだろうか大攻勢に出て、

戦争になっている。

 

大攻勢で勝負に出たのはハマス。

この機会にイスラエルはもちろんパレスチナ消滅達成を狙う。パレスチナ人は全員、絶滅させる。

 

ここにきて、世界が騒ぎ出した。

人権擁護の人々が運動を展開している。

何も出来ない私よりも、余程ましな人たち。

だけど、なんでもっと早く運動を始めてくれなかったのだろう。

 

絶滅危惧種をほんの少数保護して動物園で飼う。

今の運動はほぼそれに近いと思う。

 

運動のおわりに「保護に成功」と記録するのだろうか。

 

テーマ:

山旅に出るために、道具を軽量化したい。

レインウェアをどうするか。

WEBでの調査と長考の果てに決めた。

「バーサライトジャケットとパンツを買うべし」と。

 

これまで、ワークマンのイナレムレインウェアは冬場によく働いてくれたけど、夏はレインとウインドシェルを兼ねて軽量化しようという目的です。

 

しかし、

なんのことはない、バーサライトジャケットとレイントレッカージャケットを間違えて購入してしまったのでした。

 

ネットでポチリ間違えたのでない。

リアル店舗できりきり舞いのあげくミスった。

そういう話です。

 

いつもなら通販で購入してしまうところだが、レインウェアはサイズが合わないと悲惨なので、出不精な自分を励まし励まし、モンベルのお店に到着。

 

メンズのバーサライトジャケットを着てみました。

私はまっすぐ体型の高身長女なので、ハナからメンズしか見ないつもりだった。

 

まず、メンズLサイズを着用。

お腹周りが余ってる割に、丈が短いような? 袖は長すぎるくらいだけど……

 

なんか変なので、メンズMサイズを着てみる。

ピッタリフィット。私はだいたいメンズMがピッタリすぎるくらいぴったりである。男前にカッコよく着れている。

しかしながら、レインの下にボディバッグを入れ込んだりするには余裕がなさすぎ。

 

駄目もとで、メンズXLを着てみる。

おお? ゆったりしていい感じ。カッコいいとすら思う。

中途半端に大きいLは不格好で、余裕のXLが着こなせるなんてめちゃくちゃ意外だった。ファッションって難しいですね。

 

店員さんがパンツはレディスが良いのではと、女性コーナーから取ってきてくださったりして、パンツはレディスXLに決定。

 

さて、ジャケットのほうはメンズXLで決定かと思ったが、残念な配色ばかりで頭を抱えました。

ダークグレーxジップ部分が赤ライン

イエロー(山吹色みたいな)x赤ライン

ネイビーx黄ライン

ブルーxグレーライン

 

モンベルらしいというか、微妙に残念な、学校を思い出すとうか、そんな色なんですよねえ。しかも、バーサライトジャケットはテカテカペラペラな質感で、さらに安っぽく見えるのです。40年前くらいから続くこの残念さ。

 

40年前は、

日本のメーカーだから和風な色味が入っちゃうのかねえ、しょうかないねくらいに思っていたのだけれど、

 

もはや外国メーカーと差別化のためのモンベルテイストなんだろうか?

 

さて。

メンズXLは全色揃ってるわけでもなく、買う意欲も今ひとつなので、またもや駄目もとでレディスコーナーを見に行くことにした。

すると、きれいなブルーグリーンがあるではないですか!

これはいい! とテンションあがって、試着するとレディスXLがぴったり。よっし、と飛び跳ねたくなったけど、

自制した。レインウェアは下に着込んだり、ボディバッグを隠す余裕が必要ですから、ぴったりではダメなのです。

 

並んでいるハンガーをさらうと、海外サイズのXLが一着だけありました! 

着てみると理想的な大きさです。見た目もなんだか感じがいい。海外版は発色がいいのか?

それはネイビーで、悪い色ではなかったけど、店員さんにブルーグリーンの取り寄せができないか聞いてみた。

 

もう、買う気満々になってました。取り寄せか、ネットで注文するか、レディスのUS版XLで決まり。

戻ってきた店員さんがブルーグリーンは売り切れだと言うので、「じゃ、これ買います!」と跳ね気味にネイビーを買う運びとなったのでした。

 

長々と店員さんにお付き合いいただいて、

うまくぴったりサイズにたどりつき、

なんとか気に入る色があり……

 

高身長まっすぐ体型女としては、なかなかこんな僥倖には出会えない。とても嬉しかったです。

 

さて。

モンベルクラブアプリがスマホに入っておらず、

会員証も携行しておらず、

ちょっと手間取りましたが決済して帰宅。

 

値札と説明のタグをあらためて見ると、おやや……?

 

私が購入したのは

バーサライトパンツと

レイントレッカージャケットでした!

 

バーサライト一択のつもりが、どこで間違えたのか。

よく考えると、

レイントレッカーは隣にあったので紛れていたんですね。

 

テカテカペラペラでなく、発色がよく見えたのも、

バーサライトじゃなかったからでした。

ほとほとアホですね

 

返品? いやレイントレッカーでもいんじゃね?

と悩みつつ検討してみました。

 

1.バーサライトより、レイントレッカーは1100円安い。

2.購入したUS版のレイントレッカーは、日本版バーサライトより1100円高い。(US版バーサライトはさらに4400円も高くて予算オーバーであったし、在庫もなかった)

3.レイントレッカーは、バーサライトより50gほど重い。

4.レイントレッカーは、テカテカなバーサライトより見た目が良く、生地も柔らかいので、雨以外でも活用しやすい。

5.バーサライトはミニマムデザイン、レイントレッカーは重いぶんポケットもある

 

本当は軽量化目的だったので、50gくらい重くなったのは残念ですが、やっぱりバーサライトの見た目にかなり購入意欲がしぼんだのは事実。

レイントレッカーを連れて帰ってしまったのは

なるべくしてなったことかもしれません。

 

いつも買い間違いのないよう通販でじっくりスペックを見て買うのですが、到着したモノにがっかりすることも多いです。それでも、返品せずにたいていはのんでしまいます。値段、スペックで比較検討のうえ決定したことだからと。

 

今日のように実店舗に行くと、舞い上がったり気まぐれを起こしたりして買い間違いもします。

リアルなモノの魔力に魅かれたかもしれない。

後日、後悔がないといいのですが。

うまく活用してやりたいと思います。

 

ともあれ、今回実店舗に行ったおかげで、モンベルはレディスのパンツは一部ロングやショートのバリエーションがあると知りました。値段はそんなに高くないようだし、いいかもしれない。

 

なんだかんだ言って、かっこいい海外スポーツブランドや、こなれたULブランドは値段が高すぎて無理なことが多い。

やっぱり最後は頼れるモンベルなのでした。

テーマ:

中東現代文学のたくさんの抄訳が詰め込まれた分厚い大判の一冊。

扱う地域/言語はイラン、クルドからイスラエルも含めて北アフリカのマグレブと続いて、西サハラに至る。

現代の新しい小説がたっぷりと読めて満足した。

ここには旧宗主国との複雑な関係や、家族のあり方、伝統文化への思いなど、現地語読者に向けて書かれている。欧米語で書かれると薄められてしまう、今の生の感情が頻々と伝わってくる。

 

もとより採算を考えた出版ではなく、科研費を利用した中東文学研究会紀要のような冊子である。

中東はややこしくて大変だ。だからこそもっと読みたい、知りたい。独自の味わいと魅力があることが、広く知られるべきなのにと思う。

 

 

 

 

テーマ:

今日、低層団地の点在する緑の丘を歩いて帰ってきた。

職場から家まで30分、初めて歩く道だった。

グーグルマップを見ながら近道をする。

団地の区画内へ入り込み、建物の脇の小道へ……

えっ、ここ道なの? という感じのけもの道。

 

なだらかな傾斜のある緑をふみつつ団地の裏側へ出た。一階のベランダのすぐ横を通る。

 

 

子供のころの感覚を思い出した。一階の住人がベランダにいたら、ごく近くを通るのである。いなくても住んでいる気配がひんぴんと伝わってくる。それは古い街の路地に住人が植木鉢をごちゃごちゃと置いていたり、物干しが垣間見えたりする感じと似ている。

 

何もない竹藪だったところを切り拓いたわが町は、歴史のないニュータウンである。それでも土地の記憶はある。このけもの道の感じや、山をそのまま残したような傾斜にうねるような公園、50年以上前に作られた大きな滑り台などに。素敵な枝ぶりの良い姿になった木々はこの街にも続く営みがあると思わせてくれる。

 

不覚にもじんと来て目が潤んだ。正確にはこの区画は私にとって隣町である。わが町は一歩早く住宅の建て替えが進んで、プレハブ住宅群の面影を失っている。低層団地はすでに取り壊され、マンションに変わった。

 

うちの近くへ帰ってくると、2階建て住宅がゆるやかな坂道に沿って並ぶ屋根の向こうにマンションが見える。

14階建てのマンションは近くを通る人に配慮して、ボリュームが控えめに見える外観になっている。しかし、というかだから余計に、遠くから見ると驚いてしまう。大きな壁が街を囲んでいるかのように見えて、進撃の巨人かよと思うのだ。

 

昔を思わせるあらゆるものがなくなったら……

百坪の敷地に建つ小さなプレハブ住宅たち

空地空間がものすごく大きくて緑の多い低層団地

開発前の池や竹藪や小山を残した自然の公園

 

わたしがここに住む理由はなくなるのではないだろうか。

土地の記憶はなくなってしまうのだろうか。

 

 

 

 

インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 を視聴した。

リアルタイムで大好きだったインディ・ジョーンズなのだが、

評価はいい点をつけるわけにはいかない。

久々にTVでのながら視聴だったんだが、

国や人種に対する偏見や差別を植え付けるシーンが満載。

これまで自分がそのことを意識していなかったことに衝撃を受けた。


インドの、明らかに実在の地域(パンジャブだろう)や

宗教や民族をモデルにした人々が悪の組織として出てくる物語で、

窮地に陥った主人公を助けるためにイギリス陸軍が颯爽と駆けつけ、

インド人たちを銃撃戦でやっつけちゃうのですよ。

このシーンにはギョッとした。

インド人が見たら気を悪くするよ!


映画のなかでは、やられたインド人たちは悪の組織だからやっつけるべきだし、囚われた子どもたちを解放するためということになってるけど……

 

イギリス軍を常識ある正義の人たちとして植民政策を正当化し、インド文化をなんちゃってなイカモノに貶めてしまっている。


なんてこった。

私も若い頃は英国軍かっこいいと思ってたし、公開当時、植民地舞台においてイギリス軍は正義という文脈になんの不思議も覚えませんでした。数々の欧米製の映画やドラマなどの影響で、そういう認識だったんだと思います。もちろんイギリス植民政策がひどいとは思っていたものの、やっぱり欧米の立場から世界を見る習慣にどっぷり浸かってしまってた。


今後そのような誤った認識をみんなに広めないよう、このような映画は不用意に放送すべきではない。放送するなら重々解説をつけなくてはいけない、と苦々しく思った。

 

厳しすぎると思いますか?

でも、今、あちこちの旧植民地で名士扱いされていた欧米人の銅像を引き倒したり、侵略者の名前を冠した地名を変えたりといったことが起こってますよね。侵略者と植民者を讃えるような映画は徹底してなくしていかないと。

 

たとえば西部劇はジョン・ウェイン リスペクトはいまだにあるものの、インディアン=野蛮で悪い、というステレオタイプの作品はずいぶん前に消えましたよね。そして、インディアンをリスペクトする映画が作られた。ダンス・ウィズ・ウルブズとか。

 

過去の植民地政策の悪はもっと描かれるべきだと思うけど、リアルタイムでイスラム教の国や人々を悪者に仕立てて物語をつくるのは本当にやめてほしい。イスラモフォビアをどんだけ助長するんだよ とイライラします。

そういうキャラ設定は安易で、無知まるだしです。ターバン巻いてて髭が濃かったらイスラムというわけでもない。イスラムの国や地域なんて広大で多様で一概にステレオタイプ化できないはず。でも、人は映画なんかからイメージの刷り込みを受ける。

そして悪いイメージは実際の世界に悪影響を及ぼします。

ほんまに。

テーマ:

普段ニコ動なんて見ないんだが

たまたま見てツボにハマった。


 


エイシンフラッシュウマ娘かわいい

デビルマンかわいい


ウマ娘知らんかったし

展開速すぎてほとんどなんのことか

わからなかったんだが


今までウザいと思ってた

コメントの嵐が飛ぶのを見ながら

めちゃめちゃ笑って暖かい気持ちに

なったのだった


なにコレ楽しい? なんでだろ

心が病んでるせいなのか?

誰かと同じもの見ながら

ゴチャゴチャ言う体験


そう コロナでこれが不足してるに違いない!


あと米軍新兵器動画もおもろかったよー

コメントが。

テーマ:

一年半のブランクを経て、普通に通勤する仕事を始めた。

最初の頃、通勤途上や昼休みはスマホを見るのに忙しかった。

そういうのが不毛な気がして、

やっぱり紙の本――文庫本を持ち歩くことにした。

 

政治と歴史を含む評論本を読み終わったので、

昨日は普通の小説をかばんに入れて行った。

 

綿矢りさの『かわいそうだね?』

父が有無を言わさずよこす、いらなくなった本。

スキマ時間に読むには最適。

疲れない。

存外、面白かったので、本日、家で続きを読んで読了。

 

ああこういう読書があったなと思い出した感じ。

一日中家にいて、少々読みにくい本を

ゴリゴリ読むのとは全く違った読書感だ。

 

普通の人の読書ってこうなんだろうと思う。

頭を使う本を、わざわざ時間を作って読むのでなく

空いた時間にちょこっと読む……

 

流行作家とは、そういうのに適した人たちなんだな

なるほど

読みやすくて、ほどほどに面白い。

世間の人の気持ちがようやくわかった気がしたのです。