ふるさとの四季を歩く〜マサの写真ブログ

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徒然日記です。
自然(風景、植物)、野鳥、散歩・旅、映画、本、小説、俳句、古墳、ダム、車、バイク、大衆食堂

 

 

久米寺は、橿原神宮に隣接していますが、線路(近鉄南大阪線)を挟んでおりますので、アクセスは良いとはいえません。また観光寺院化もしてなさそうにみえます。なので橿原神宮の参拝者の大勢のうちの一人を体験したあと久米寺入山しますと、境内はなんとも静かでひっそりしているなあと。

 

しかし、適度な間隔で佇む堂塔、あるいは石仏や石造物、さらにそれらに彩を添える花々の一つ一つに、なぜか長い歴史を感じてしまう古刹です。
それに加えて、結果としてですが、なかなかに興味深いといいますか、「そうなんだ!」という、知の深まりに伴うワクワク感も覚えましたので、そのへんを記事に書きます。

 

 

 

サラリーマン時代、孤独のグルメ真似て、行く先々の大衆食堂めぐりをしていた。それが今はもうたまに家の近くのファミレスに行く程度だ。

そんなわけで(どんなわけで?)肉を無性に食いたくなったので、それだけを目的に〇きなりステーキのお店に行った。

物の値段がなんでも上がっているが、ここもまた同じだった。オープンまもない昔は、たしか千円ちょっとからで食えたのに。だから週に2回3回と行ったものだった。

 

 

 

渋谷向山しぶたにむかいやま古墳は天理市渋谷町しぶたにちょうに所在し、龍王山から西に延びる尾根の一つを利用して築かれた前方後円墳です。現在は景行天皇陵けいこうてんのうりょうして宮内庁により管理され、上の山古墳を含む周辺の古墳3基が陪塚ばいちょうに指定されています。

墳丘は全長約300m、後円部径約168m、前方部幅約170mを測り、前方部を西に向けています。古墳時代前期に築造されたものとして国内最大の古墳です。」(現地説明板より)

 

 

 

 

 

 

タイトルには賀名生かなう皇居跡」の文字を使いませんでしたが、順番として最初に皇居跡を訪ねます。その後に、「南朝三帝賀名生かなう皇居跡碑」「北畠親房きたばたけちかふさ公墳墓」へ回ります。

 

「JR五条駅からJR西日本バスで南へ約20分、丹生にゅうの渓流を何回か渡り、短い神野こうのトンネルを抜け、賀名生あのうバス停で降りると、対岸に和田の集落が広がる。その集落の丹生の清流に臨むように南朝三代の天皇(後醍醐天皇、後村上天皇、後亀山天皇)の皇居と伝えられる堀家がある。

茅葺きの屋根の母屋は改修がみられるが古い民家で国の重要文化財に指定されている。冠木門には天誅組の吉村寅太郎の筆になる『賀名生皇居』の扁額がかかっている。背後の丘陵上は黒木御所の跡と伝え、北畠親房きたばたけちかふさの墓と称されるものがある。」(『大和を歩く』奈良地理学会編より)

 

 

 

 

本日、東京の標本木(靖国神社)でソメイヨシノの開花があったと発表されたようですね。(3月19日)


さすがこの時季(3月下旬)になりますと、数日前まで観梅客で賑わっていた奥吉野・賀名生あのう梅林」も、紅や白の花は散り、もとの静かな山里の風情を取り戻しております。それは祭りの後の寂しさに、ちょっと似ています。

 

 

十市といち、とおいち」といえば、「十市皇女とおちのひめみこ」が思い浮かびます。天武天皇の第一皇女で、母は額田王ぬかたのおおきみ。大友皇子(弘文天皇)の正妃となったという。

この「十市」の呼称が橿原市十市町と関係あるのかないのかはわかりません。このことは別途探求することとして、今日は、中世から戦国に活躍した大和の在地武士「十市氏」とその居城「十市城跡」を、橿原市十市町に訪ねます。

 

 

 

ふうん。上掲記事によれば、「雑賀水軍や雑賀衆、また雑賀鉄砲隊の拠点が雑賀崎にあった」ということではなさそうです。昔の雑賀荘は、もっと広いエリア(現和歌山市域ぐらい?)であったので、その雑賀荘のどこかが中心あるいは拠点であった、ということは考えられると思いますが。


今の雑賀崎は、沿岸漁業の盛んな漁師町です。急斜面に家々が密集して並ぶ美しい町並みや、新鮮な魚、灯台、台場(砲台跡)などで知られています。