パレスチナのこれから、シリアのこれから | ぷぷぷ日記

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映画・マンガ・アニメ・小説・歴史・日々の雑記帳。

更新は思いついたとき。

フリー・パレスチナ?

なぜ、今頃ですか。

いえ、言ってはいけないということではなく。

なぜもっと早く言ってくれなかったのだろう?

 

シリア解放万歳?

ほんとですか? 本当に解放ですか?

いえ、アサド退陣は喜ばしいです。

だけど、次の政権が心配じゃないですか。

穏当な政権が立つことを祈る……

 

 

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1986年、20歳で初めての海外ひとり旅。

アテネ in/outの航空券を買い、トルコ・シリア・ヨルダン・エジプト・イスラエルを周りました。

 

パレスチナーーひいてはアラブ側と、イスラエル側の両方を見てみたいと思ったからです。英語もさっぱりできず、アラビア文字も読めず、現地の人にお世話になりっぱなしの旅でした。みんな親切でした。みんなフレンドリーでした。いろんな人が助けてくれたし、泊めてもらったりもしました。外国人旅行者が非常に珍しい頃で、きっと若い娘がアホみたいにフラフラ歩いているのを見かねてのことだったのでしょう。

 

(本当にアホなので、ゴラン高原を通ってシリアからイスラエルへ入国できると思っていて、在イスタン・シリア大使館で出禁だ! と一喝されたほど)

 

だから特別に思い入れがあります。

 

美しくて本当にフレンドリーだったシリアの人たち。ローマの遺跡もあるタルトスの港町、ハマの水車、パルミラの夕日を見に登った丘などを思い出すと、そこにいた人たちも浮かんできます。パパ・アサドの圧政に傷ついていたのだろうけど、そんな事情はよそ者にはわからず、豊かに見えました。

パレスチナ人の学生とも知り合いました。パレスチナ問題の発端は、1948年に住民がイスラエル建国のため大量に殺され、または土地を追われたこと。そこを忘れて中立を言う日本って、何? と痛いところを突かれた。

 

イスラエルでは、洗練されたユダヤ人たちと、普通のパレスチナ人たちが、互いに不満や恐怖を持ちながら、分離壁もなくエルサレム中心街にも同居していました。

 

これから、あの国々は平和になるのだろうか?

あの人たちは幸せに暮らしていくのだろうか?

 

旅から帰ってからもずっと気になっていました。

見た部分など、もちろんほんのわずかです。

でも、見てしまった。人に会ってしまった。

だから、肩入れする。気になる。

 

それから、オスロ合意というものがあり、

ようやくパレスチナとイスラエルの和平へのロードマップというものが敷かれたと聞いた。これで、パレスチナ問題はどうにかなるのかと期待を持った。

 

 

 

しかし、そううまくはいかなかった。

迂闊にも、ずっと事態を注視していたわけではなかったので、

気づくと「インティファーダ」という抵抗運動が勃発しており、そして「ハマス」が台頭しており、分離壁という物凄いエゲツナイものが巨大迷路みたいに建てられていて、なんの冗談かと思った。パレスチナ人は分離壁や検問で日々嫌がらせに遭い、法のもとに家を壊されたり、少しずつすり潰されていく。

 

こんなひどい状況は、もっと、報道されないと!

もっとみんなに知らせて、人権無視と訴えないと!

気持ちだけはジリジリする。

 

だけど、できることはほとんどない。

 

年月は過ぎていく。アラブの春とか、ISとか、いろいろ。

地団駄踏むような気持ちが、いくつかの映画を見て傾いた。

 

パレスチナ人の若者は穏便にイスラエルに同化することを望んでいる。親の手前、強くは言えないけれど、独立を主張するより、普通に仕事がもらえて平和に暮らせるほうがいい。今更、独立なんて言っても仕方ないだろう。外国人が無責任に独立を煽るのもやめてほしい。不穏分子として目をつけられたら生きていけなくなるーーー

それがパレスチナのトレンドなのだと知った。

 

あれから、どのくらいたったのだろう。

迂闊な私である。

気付けばハマスが乾坤一擲とかいうのだろうか大攻勢に出て、

戦争になっている。

 

大攻勢で勝負に出たのはハマス。

この機会にイスラエルはもちろんパレスチナ消滅達成を狙う。パレスチナ人は全員、絶滅させる。

 

ここにきて、世界が騒ぎ出した。

人権擁護の人々が運動を展開している。

何も出来ない私よりも、余程ましな人たち。

だけど、なんでもっと早く運動を始めてくれなかったのだろう。

 

絶滅危惧種をほんの少数保護して動物園で飼う。

今の運動はほぼそれに近いと思う。

 

運動のおわりに「保護に成功」と記録するのだろうか。