昨日22日は、朝の日曜討論に山本太郎さんが出演し、
「安倍首相は、オリンピック招致のために、福島はアンダーコントロールだと嘘を言い……」
とはっきりと事実を話し、
そして、国会議事堂前の【安倍政権NO】という抗議活動には、
一万四千人余りが集まった。
これほど嫌われている首相というのを、私は生まれてから見たことがありません。

さて今日のお話は、道路の渋滞事情。
最近、道路が混んでいるんです。
私は住んでいるところの関係上、勘八をよく利用する人なので、基本的に環八情報です。
やけに混んでいます。
年度末だから?ガソリンが安いから?
直接的な理由はそんなところだと思います。
やはりガソリンが安くなることは、環境のコトを考えるとよくないことなのだと痛感します。
そもそも、勘八はこのくらい混んでいたのです。
空き始めたきっかけは、東日本大震災だったと記憶します。
その後、割と道路が空いていて、私は非常に助かっていました。
実際、あれ以来ガソリンもずーっと高かったのです。
しかし、昨年からの原油価格下落により、
今は円安にも関わらず、ガソリン価格が安い。
そして道路はどんどん混んできたという感じでしょうか?

仕事に行くため、遅刻が許されない身としては、
渋滞情報を見て、かなり早めに家を出る日々。
さすがに、土曜日は、恐ろしい渋滞が予測されたため、電車で行こうかとチェックしました。

そして分かったことが恐ろしいのです。
なんと、私が出かける周囲のコインパーキングの価格がこのところ下がったせいもあり、
電車の運賃の方が、一人で車で行くよりも高いことが判明してしまったのです。
これはおかしな話です。

私が車を利用するようになったのは、歳のせいです(x_x;)
仕事が終わって、電車で帰ってくる日々の中で、
最寄駅に着いた時、ここから家までたどり着けるかしら?と疲れを感じる日々だったからです。
そう、歳をとると、身体を休めることにお金を使うようになるのだと学びました。

つまり車は贅沢品です。
一台に四人乗れば、電車で出かけるよりも安くなるのは分かるけれど、
一人で車に乗って、電車よりも安いというのは絶対に間違っているのです。
つまり電車賃、公共交通機関の金額が非常に高いということです。

何が問題かって、
結局車を持てない人たちが、高いお金を払って生活せざるを得ないということが問題です。
安いから公共交通機関を利用する。でいいのです。
環境にも優しい。

この問題はなんとかしなければいけないと感じます。
円安のせいもあり、ガソリン代はその内上がるでしょう。
でも、それによって高くなったからよいということではないのです。
この国はみーんな高すぎます。
それを当たり前だと思っていることが間違いなのです。

とりあえず、これだけ景気が低迷している今、
消費税を無くす方向へ舵を取らなければなりません。
私の考えは、消費税を5%に戻して、基本的な食品には一切消費税を掛けない。
そこに戻ってから、経済の様子を見るべきだと考えています。
消費税が上がったことを当たり前だと思ってはいけません。
10%に上がる時期が先延ばしになったことを喜んでいる場合ではありません。
税金は、どんどん上がっていくものではありません。
上がったモノは下げられるのです。
NHKでは、地方のNHK製作のドラマが最近よく放映されている。
勿論、以前からあったものだが、このところよく目にするようになった気がするのは、
私だけ?

そもそもは、広島発ドラマだったと思うが、
とてもいいドラマを見てから、なるだけチェックしているが、
予算の問題もあるだろうし、地味な作品が多い気がする。

今回は、福岡発ドラマ。
でも、脚本が岡田恵和さん
だから間違いない。ということで楽しく観ました。

地方色をしっかりだす、温かいドラマでした。

実際、地味。
これを面白いドラマと言って全面に出して売れるか?というと疑問はあるけれど、
こういうモノが作られるのはいいことだと思います。
今回は、福岡の津屋崎というところを舞台にし、
その街をよく描いていました。

こういった地味な内容で、しっかり暖かさを伝えるためには
岡田恵和さんは、最高のシナリオライター。

松田翔太さん演じる立川浩幸が、津屋崎という田舎の町に降り立つ。
東京から来た、何の人生目標も持てない、覇気のない若者だ。
町を歩いていると、小学生たちが「こんにちわ」と挨拶してくる。
戸惑いながらも「こんにちわ」と返す立川。
しばらく歩いて行くと、主婦3人が立ち話をしている。
ちょっと恥ずかしげに、3人に向かって今度は自分から挨拶してみる。
すると元気に「こんにちわ」と返ってきて、嬉しくなる立川。

こんな所にとっても温かみを感じる。

挨拶をすることは素晴らしいこと。
田舎に行くと、知らない人とも挨拶をする。
挨拶したら、明るく挨拶を返されると、それだけで得した気分になれる。
そういった些細なことで元気をもらえる。
何の目標もない若者が、ちょっと嬉しい気分になる。
ささやかだけれど素敵なシーン。

ドラマは、この立川は、もしかしてこの津屋崎で家族を作りずーっと暮らしていくのだろうか?
という終わりになっている。
これは、少し出来過ぎだが、
ある種の理想なのだと思う。

年老いた女性が一人で暮らしている。
子どもはいるようだが、少し離れたところで自分たちの暮らしを持っている。
そこに東京から青年がやってきて、そこで暮らす。
老婆にとっては、家も広いし、一人増えたところでどうってことない。
それよりも話し相手が出来てとても嬉しい。
ご飯は作ってあげる人がいた方がいいし、一緒に食べる人がいた方がいい。
青年は、そこで人々と触れ合うことで、自分の存在価値を見い出していく。
出来れば、彼女も連れてきて、将来そこで家族を作る。

核家族化で、家族がどんどん小さくなっている。
子どもの居ない人もとても増えて、
将来、ひとりきりの老人は増える一方。

別に血が繋がっていなくたって、
気が合って、目的が合致する人は世の中にたくさんいるに違いない。
そういった人たちで家族を作ることが出来たらそれは素敵なことだと思う。
そして世代間の隔たりなく、町に年寄りも若者も、出来ればこどももいて、
社会を形成していくことが出来たら、それは理想的だ。

そんな社会が出来ることを望む人は多いし、
そうなっていく可能性もあるかもしれない。
が、今はまだ無理かなぁ~?   と感じた私の経験は、次のブログにて。

幼児教育については色々な考え方があるだろうが、
私が信じているのは、3歳までの幼児教育。

3歳までに自分でやる力をつけさせる。
転んでも手を貸さない、などなど。

そもそも3歳までに痛い思いしたことは、
その後の記憶にはほとんど残らないからラッキー!

覚えていないにもかかわらず、
転んだ時に自力で起きられる子になることはやっぱり凄いことだと思う。

そもそも子どもは、放っておけば自分で起きる。
泣くこともストップする。
泣くのは、近くの親に対しての意思表示であり、
誰も助けてくれなければ、泣くのをやめて自力で起き上がる。

それなのに、自力で起きる前に起こしてしまう親がいるから、
その子は3歳までに自力で起きることを覚えないまま幼稚園へ行く。
そして小学校、中学校
周りの友人に影響され、感受性が強くなり、
もう親の言うことは聞かなくなる。
にもかかわらず、自分で起き上がることが出来ない。
となると、モンスター化していく。ことがある。

親には子どもを教育する義務がある。
子どもを教育するとは、「子どもを自立させること」に他ならない。
決して助け続ける事ではない。

「死なない」ことだけを教え、
「死なない」ならば怪我くらいしたってどうってことはない。
ことを教えることだと思っている。

その「死ぬ」という最悪のことさえ避けるコトが出来る一般常識を
なるだけ早く学ぶチャンスがあればいいと考える。

そうしたら、いじめ問題も、引きこもり問題も、最近多い子どもの殺人事件も、
もう少しまともに解決される事件が増えると思っている。

子どもには可能性がたくさんあるのだから、
「死なない」程度に、自由にやらせてあげられる余裕があったら
素敵な親だなと思えるのだが、
今の社会ではそれが難しい人も多いのだろう。

(それは政治の問題だから、そのことには声をあげていくしかない)
昨日友人宅へお邪魔したら、小学6年生の長女の友人がたくさん家に遊びに来ていた。
そして思い出したことを……。

最近、小学生でも前もって約束、許可を得ないと友人宅へ遊びに行けないという話を近年聞いていた。

急に遊びに来てもらっては困る。
↑どうやら来てもらうためには、いろいろ準備がいるらしい。
掃除とか?お菓子とか?
ここまではまだ理解しようと思えばできる(理解する気がないが…)

急に友だちの家に遊びに行くのも困る。
↑どうやら持たせるお菓子がない。とか?
その内、お返しをするのが……とか。

何かを戴いたらお返しをする。という日本人が昔からよくやっている気遣い。
遊びに行く時はお土産を持参するとかも含む。
は、全く廃れていないのだ。

15年くらい前、最近の若い子は、誰かの家に行くのに手ぶらで行くのね。
なあんて感じるコトが多かったが、
最近の若者は、またまたなんだかそういった気遣いをするらしく、
何か物を貰うとそれに対して物をあげることでお返しすることもよく目にするのだ。

小学校の時から、遊びに行くのに親が何かを持たせなければ……と考えるくらいだから、
当然、それは子どもにある種の教育として伝達されているのだろう。

そもそもは気遣いなので悪いことではない。
しかし、それは大人になってからでもいいのではないか?と思うのだ。
子ども通しの気遣いは、モノのやり取りは必要ないのではないかと。

小学生の時、学校が終わるとよくランドセルをそこらへんに転がして芝生で遊んでいた。
家にも友だちが遊びに来ていたし、
勿論、行っていた。
どうやって約束したか?
当時、電話で約束するという頭はなかったので、
学校帰りに「あとでね!」とか言って約束する。
または学校帰りに、そのままピンポーンする。
通りがかりにピンポンする。

家が近いから出来るのだ。
小学生の活動範囲は狭い。
基本的に歩いて行動できる。
プラス自転車。
だから、急に訪ねて留守だったら、「なあんだ」と言って帰ればいい。
または、別の友人宅に行って見ればいい。

以前は、大人もそうだったのだと思う。
ご近所の付き合いとはそういうモノだ。
しかし、今は、都会ではそういったことが全くなくなった。
それが私は寂しいのだ。

サプライズが大好きな私は、
ちょっと寄ってみただけ、という友人の訪問をもっと受けてみたいのだ。

だって、メールが来て「これから電話していい?」と許可を得る。
電話が来て「○日空いてる?」と詳細まで約束事を決める。
そしてその日に友人が、例えば訪ねてくる。
となると、当然、お茶とお茶菓子か、お食事を用意して待つ。
家もいつもよりは少し丁寧に掃除する。
スリッパとか確認する。
結構、仕事が多いのだ。
友人は、駅前でお菓子を購入する。
そしてやってくる。
楽しいひと時を過ごす。
それはそれでいいけれど、
どこにもサプライズがないのだ。

お互いに気遣いがあり、それなりに気持ちよく過ごせるとは思うけど、
これとは別に、サプライズのお邪魔があってもいいと思う。
のは、私だけ?

突然、誰か友人が訪ねてくれたらいいと思っている。
化粧ももちろんしていないし、髪の毛もバサバサ、
お菓子も大したものはだせないけど、
お茶は出せます。
相手も急に来たからそれ以上のモノは望んでいないと思うし。
時には、仕事中で時間がないから、玄関先で立ち話で終わります。
でも、ちょっと顔を見に寄ってくれただけなら、
逆に短い時間で親交を温めただけ、
次の約束などして別れる。

その積み重ねがあれば、
時々、一緒に出掛けることとバランスが取れている。

ダメでしょうか?
それはもう現代社会の、都会では特に、もう無理でしょうか?

それならせめて小学生にだけは許してあげるのはどうでしょうか?
それとも皆さんは、そんなこと全く楽しいことに感じられないのでしょうか?
私の感覚が変なのでしょうか?

今日も私は、誰かを驚かせることを考えます。
そうそう、誰かの家にお邪魔する機会も作れないので、
絵手紙を出したりします。
【突然】を喜んでくれる人が、多くいると信じて。



昨日は、若者たちと、18歳へ選挙権を下げることについて話し合った。
この件は、来年の参議院選挙から採用になりそうな雰囲気。
特に強い賛成も反対も感じられなかった。

それよりも大切なことは、
選挙権を下げるならば、被選挙権も下げなければならないという考えだ。
選挙権を18歳に下げるならば、
被選挙権も23とか20に下げるべきだと考える。
そうしたら優れた若者が政治に本当に参加できると思う。
選挙権だけ18歳に下げても、
今のように彼らから見ておじいちゃんみたいな政治家ばかりでは
入れたい人を見つけるのも難しい。
20歳の若者でやる気旺盛な人が出て来たらいいと思う。

さて、その後、またまた私は脱原発について話を持って行ってしまうわけだが、
彼らはよく知っていた。
分からない。
ただ、私の手前、首を縦に振っているだけかもしれない。
が、実際にネットなどで見て、
福島第一原発が何も解決していないこと。
東電や政府が嘘をつき続けていることなどを
いろんな形で見聞きし、
それなりの情報を持っている感じはした。

やはり男の子は(昨日は問題意識の高い女の子も一人いました)政治に対して興味を持ってくれる感じがする。

問題は、一部の女性(年齢にかかわらず)に多いかもしれないと、最近痛感する。
私と同年代を筆頭に若くない女性がそうならば、
若い女性もそうだろうという予測から。

40代50代の女友達に政治や原発の話をするとスルーされることが多い。
親友なので、あえて反論しないでスルーするという感じだ。
私は母親である彼らが、子どもという若者に影響力を持つ以上、
しっかり判断して貰いたいと思って、議論したい訳だが、
議論に乗ってこない。
何らかの考えを持っているならば意見を言ってくれればいいが、
実は彼らの意見は、そのまま旦那の意見だったりする。
あまりプッシュするとそれこそ拒絶感を示すことも予測されるので、
次の機会を狙うことにする。

そして数少ない、議論できる他の友人と話すことになってしまう。

しかし、この議論は広げていくことに意味がある。

私が子どもの頃
「宗教と政治の話はするな!」という言葉を聞き、頭の片隅にずーっと残っていた。

友人間などの話題に、これを出すと、人間関係を壊す可能性があるという意味だと理解している。

しかし、今大人になって、「この考えはおかしい。」 ということは分かる。

宗教の話はしない方がいい。
何故なら、宗教は自分が信じてやるものであり、相手に強制するものではない。
そして神のことについて他宗教間で議論しても何も達成されないからだ。

しかし、政治のことは違う。
議論しなければならないことなのだ。
もっとも議論に値する事と言ってもいいかもしれない。

アメリカでは、夫婦で民主党と共和党なんてことが多々ある。
つまり支持政党が違っても、それは仲たがいするようなことではない。
お互いの意見をぶつけ合って、いい社会を作っていくことが重要だ。

国会という場所もそれをやる場所なのだと理解している。
が、
実際にはそんなことはほとんど行われず、
自民党が数の勝利で法案を通していく。

民主党の時は良かった。
何故なら、国会がねじれていたからだ。
ねじれていたから、数の力で押し通すことが出来ず、
必然議論が行われる。
ねじれていることが、正しい状態なのだと初めて知った。

しかし、民主党の時とは違って、与党が法案を通していくことを
まるで安倍総理の決断力、行動力があるからだと彼をほめたたえる人がいる。

日本人はどこまでお人よしなのだろう?
そしてお人よしのままみんな死んでいくのだろうか?

私は、選挙権を18歳に引き下げることには、反対です。
私は、安倍政権下では、どんなことでも変えられることには反対です。
危険だからです。
裏側に悪が隠されている気がしてならないからです。

でも、18歳の若者の中に、40代以上の大人よりも
物事をしっかり考えようとしている人がたくさんいることも知っています。
知識は経験値から来ることが多いから、
間違った判断をすることも多いと思います。
でもそれでいいのだと思います。
自分自身で間違ったことならば、自分自身で将来訂正して行くことが出来るはずですから。



これは続きです。
【重松清作品のドラマ化したシナリオライターについて見る】です。

『とんび』の脚本は、森下佳子さん
『あすなろ三々七拍子』の脚本は、吉田紀子さん、ふじきみつ彦さん
『流星ワゴン』は、八津弘幸さん

私は、名前だけのことを言うと、八津さんと、ふじきさんは存じ上げませんでした。
そこでウィキペディアで調べてみると、
ふじきみつ彦さんだけ、ウィキペディアには載っていませんでした。

過去の作品を見ると、
吉田紀子さん、
かなり好きなシナリオライターというイメージがあったのですが、
それほど好きな作品は見つかりませんでした。

森下佳子さんもそれほどイメージは変わりませんでした。
が、『JIN-仁』がありました!
これは素晴らしい作品でした。
そして原作モノでした。

そして今回のドラマの八津弘幸さんは、
なんとなんと『ルーズヴェルト・ゲーム』と『半沢直樹』がありました。
両方とも原作モノで、テレビドラマも素晴らしかったです。
では、なぜ……?

この2作品は、同じ池井戸潤さんの本のドラマ化です。
残念ながら池井戸潤さんの本は読んだことがありません。
これを機会に読んでみたいと思います。
だって、上記ドラマは本当に素晴らしかったもの。
つまり八津弘幸さんは、池井戸さんの本との相性はいいのだと思われます。
それで今回の作品のシナリオライターになったけれど、
重松清作品は、どうなんだろう?って感じです。

私も戯曲ですが、ずっとシナリオを書いてきましたが、
原作モノというのは基本的に書きませんでした。
自分の劇団で上演することが基本でしたので。

みなさん、そうだと思いますが、
自分の好きな作品を自由に書かせて貰えれば、
その人の力がよく見えますが、
原作モノを脚本家する場合は、本人の力だけではなく、
色々な影響が発生すると思われます。
勿論、原作がつまらなければどうにもなりませんが、
ドラマ化するくらいですから、原作はそれなりにヒットしたものと考えた場合、
やはり相性です。
その脚本家が、原作の本質をどこまで理解しているかということも含めて、
これは相性だと思います。
それを判断して、相性のいいシナリオライターを当ててくれたら、
原作以上の輝きを見せてくれるのではないでしょうか?
そしてそれを期待します。

因みに、湊かなえさん原作の『Nのために』
こちらも『とんび』同様、原作があまりに辛く、途中で読むのをやめてしまった本です。
湊かなえさんは好きな作家です。
そのテレビドラマがありました。
主演が、大好きな榮倉奈々さんということもあり、見ました。
1話見たら、面白くて…………
お蔭で、そのままDVDに全部録画して2話以降を見ておりません(-_-メ
今月末にはもしかしたら時間が出来るので、全話まとめて楽しみたいと思っています。
それから感想を書けたらいいとは思っていますが……。
原作よりもドラマ化してくれた方が見やすくなる、理解しやすくなる、分かり易くなる。
そこが映像化のいいところだと思っています。

わたくし、こんなドラマの見方です。
ですから、面白いと思ったモノの方が見るのが遅くなり、
こちらに感想を書く頃にはふるーい題材になってしまって申し訳ないです。
でも、いい作品は、古くなってもいい作品です。

『とんび』も来週から再放送があります。
見逃した方は、是非見てみてくださいね。

今期放映されたドラマ『流星ワゴン』つまらなかったですねぇ。
(まだ最終回を含む2話を未視聴)
正確には、どんどんつまらなくなりましたねぇ。

前々クールの『あすなろ三々七拍子』
あまりにつまらなくて、途中であきらめました。
2話か、3話は見ました。

私は、以前から書いているように重松清さんの本は大好きです。
ただはずれの作品もありました。
というのは、好きなジャンルでない本も書かれているからだと思います。

重松さんの本の人気で、最近テレビドラマ化も増えているのではないかと思います。
しかし、2回続けてつまらなかったのには参りました。

今回の『流星ワゴン』なんて、
西島秀俊さん、井川遥さん、香川照之さんと
魅力的で大好きな役者さんが揃ったにもかかわらず、
どんどんつまらなくなっていったのは、本当にがっかりでした。

どちらも原作を読んでいないので、
ドラマ化のどこかに原因があるのか?
それとも原作に原因があるのかは分かりません。

実は、以前放映されて高視聴率を取った『とんび』という作品は、
本を読んでいました。
そして、実は、重松作品の中で珍しく最後まで読み切れなかった本でした。

ドラマでも、本でも、映画でも、芝居でも、
面白くなるまでにしばし我慢しなければならない作品というのがあります。
どんな作品でもプロローグから面白く出来るとは限らないからです。
だから、しばらくは我慢して読んだり、見たりします。
でも、どうしても我慢できなくなったり、
これは時間の無駄だと感じた時は、ストップするようにしています。
それでないと一生のうちに読める本の数なんてタカが知れているので。

『とんび』はそれほど原作が好きになれなかったのに、
ドラマは大ヒットしました。
そして、私はそれをうっかり見過ごし、ずっと再放送を望んでいたら、
ラッキーにも見つけました。
来週から再放送あります!
ビデオ予約もしました。
ハッピーです。

最近の2作品がつまらなかった分、堪能したいと思っています。

『流星ワゴン』がつまらなくなっていった理由の一つには、
話の中心が広がりすぎたということにあると思います。
本は、長編になれば、いろんな人間、事件を網羅することが出来るけれど、
1クールのドラマや映画の場合は、何かを捨てて行かなければいけない。
そもそも映画や芝居を作る時は、無駄を捨てる作業です。

ところが、このドラマは、最初は、
主演の西島秀俊さん演じる永田一雄の家庭を修復するためにタイムトラベルする話だった。
妻や息子の問題に直面する。
そして過去に戻って、やり直し未来を変えていく。
そんなドラマなのだと理解しました。
家庭問題を解決するためには、
自分の父親(香川照之さん)との関係も修復する必要があった。
そこまでは良かったのだけれど、
その内、吉岡秀隆さん演じる橋本家族の話が入ってきて、
話が膨れ上がるとともに、とっ散らかってしまった感があります。

息子の問題、妻の問題をもっと掘り下げて、
その合間に、自分の父親との関係を挿入することによって、
最終的には父との和解。という方向に行く。
それが大筋としてぶれなければもっとうまく行ったと思うのだけど……。

脚本家の八津弘幸さんという方の力なのか?
企画側からのプレッシャーなのか?
はたまた

ドラマが面白くなるかどうかは、とにかく脚本です。
このように原作モノの場合は、
その原作の意図するところを読み解き、
無駄を排除して、
いかに映像的なドラマに仕上げていくか?
脚本家の力が試されるところです。

良い本がなければ役者さんがどれほど魅力的でもどうにもなりません。

因みに今調べてみました。
『とんび』の脚本は、森下佳子さん
『あすなろ三々七拍子』の脚本は、吉田紀子さん、ふじきみつ彦さん
ついでにそれぞれのシナリオライターについて調べてみました。
ちょっと長くなりそうなので、続く……


掃除用具などで紙が普通に使用されるようになってどのくらい経つのでしょうか?
トイレクイックルが出た時は、画期的だったように思います。
キッチンペーパー、
ウェットティッシュ―。
そして最近は、キッチン用、床用、家具用、
どこを掃除するのにも使い捨ての紙があります。

私は新しいモノに飛びつくのが何でも少し遅いので、
ウェットティッシュ―などは、まだ数年という感じがします。
でもペットを飼っていると、これはかなり便利。
トイレの後に、ポトッと垂れていたりすることがあり、
シュッと取って、ヒュッとひと拭き、すぐに済みます。

雑巾を使うのと違って、雑菌がないので、綺麗ということなのだろうけれど、
資源的にはどうなんだろう?とは考えますが…

さて、今日一番書きたいのはここからです。
ティッシュペーパーは、以前から、丁寧に折り重ねてあって、
箱ティッシュは、いつも一枚頭を出しているようになっています。
一枚とると、次の一枚の一部が外に飛び出す。
すごく便利ですよね。

でも、ウェットティッシュと言うモノは、そうするとウェットでなくなってしまう。
だから蓋が付いていて、ウェット感をキープしてくれているのです。

ところが、掃除用のウェットな紙で、箱ティッシュのように重ねているモノがいくつかあるのです。
これは何とかした方がいいとずっと思っているのですが……。

こういったものです。

一枚を取ると、次の一枚が出てくるように折られている。
で、出てきてしまうので、それを押し込めて、上のビニールのような蓋をする。
この作業が無駄なのです。

ところで、これを作っている企業の方は、わざわざ折りこむという作業が増えていないのでしょうか?
(もちろん、機械がやるのでしょうが)
因みに、トイレクイックルは、そういうことはありません。
普通に重ねて収納されています。

多分、企業の作業効率を考えてこうなっているのだと、私は予測するのです。
つまり便利だと思っていた箱ティッシュのような組み方をすることは大変な作業ではないということでしょうか?

どうでもいいことのように感じるかもしれませんが、
家事の中では、こうした些細なことが、些細なストレスを産みます。
何がストレスかというと、もっと簡単にしてくれた方が便利だということです。
企業努力をして、私たちを楽にするためにもっと頑張れと言うことではないことです。

ウェットな紙を重ねて袋に入れて売ってくれれば、それでいいのにってことです。

因みに、私はこのウェットな紙は基本的に購入していません。
銀行などの粗品で戴いたモノを使用しているだけです。
普段は、雑巾やダスターを濡らして掃除しています。

どれが綺麗できちんと除菌されていて、無駄がなくエコで……
いろんなことを考えているとどれがいいのか、何が正しいのか分からなくなる。
結局は、よく考えて、自分で判断して使用するのがいいのだと思っています。


今日ツィッターで見つけた画像です。 福島県川内村鍋倉地区 以前は、のどかな高原に広がる約6ヘクタールのソバ畑でした(写真左) 今は……。 一面を埋めつくすフレコンバッグと呼ばれる青い袋。 勿論中身は、福島第一原発事故の除染で出た放射能汚染土です。
こんな写真をツィッターやネット上では毎日のように見ることが出来ますが、
テレビでは特番でしか流されません。

福一事故からもうすぐ4年。
福島は、まだ汚染土さえ、片づける場所を見つけることが出来ません。
そしてこれとは比べ物にならないほど高い放射性物質を含む
廃棄物が、片づけられないどころか、未だ生成中です。
解決のめどは立っていません。

これは福島の問題ではなく、日本全土
そして太平洋に垂れ流しているのですから、地球全体の問題です。

もしも中国や韓国で原発事故が起きて、
その死の灰が、放射性物質が、
風や海の水に乗って日本にやってきているとしたら、もっと許せないですよね。
同じことだと思います。

今日、ドイツのメルケル首相が来日されます。
ドイツは、福一の事故をきっかけに、2020年までに原発ゼロにすると政府が決めて、
着実にその道に進んでいます。
日本は、当時の民主党政権が、段階的に日本の54基の原発を停止して行って、
一昨年の9月に全基を停止したにもかかわらず、
安倍政権は、再稼働しようとしています。
今一番最初に稼働しようとしているのは九州の川内原発です。

メルケルさんは、来日前、取材に答え、
わざわざ言ってくれています。
「日本も原発は辞めるべき」だと。
わざわざ海外の政治家が、日本のために発言してくれています。
ドイツでは、今日も日本の脱原発のための抗議活動が行われています。
日本では、毎金曜日の官邸前の脱原発抗議活動を始め、
全国で原発廃止のための抗議活動が行われているにもかかわらず、
ほとんどNHKでは報道されていません。

そして上記の写真も滅多にテレビで映し出されません。

本当は、福一の事故後、
毎日上空からの映像を配信すべきだったと思っています。
これからでも遅くないので、毎日配信すべきだと思います。
先日東電が暴露した、汚染水問題も、
毎日上空から見ていれば誰の目にも明らかなことだったのです。

福一の事故後、日本も2/3の国民は原発に反対だと言われています。
でも、まだ声が小さいのかと思います。
ほとんど国民の声に耳を貸すことのない現政権だけに、
もっともっと声をあげて行かなければならないのだと思います。

福島をなんとかしなければ、
原発再稼働をなんとしても止めなければ、
第二の福島が出来、私たちは安全に住める国土を失います。

小さな一歩から始めませんか?
ステッカーや缶バッチなどで「NO NUKES」と発信し、
身近な人でそれに興味を持ってくれた人に話すとか。

一基の原発を一年間動かすと
広島原爆1000発分の死の灰と、長崎原爆30発分ぐらいのプルトニウムが否が応でも生成されてしまいます。
その死の灰は、今も処理できずに日本に溜まっています。
そしてだーれもそれを処分する方法を見い出していないのです。
間違いは、どこかで引き返すしかないのです。
そしてそれが今なのだと、
東日本大震災は、そう言っていたのだと思うのです。
電車に乗る。
そもそも役者なので、電車の中は人間観察をする絶好のチャンスだ。

更に本を読むにしてもメールやSNSをやるにしても眼鏡を掛けなければならないし、
揺れた中で細かい字を見るのは目に悪いらしいので、
目が疲れるから、必要に迫られない限りは電車の中ではやらない。

座った場合は必然的に前の列に座った人々を眺めることになる。

これはずーっとやってきたことなのだけれど、
最近ちょっとした違いに気づいたのだ。

例えば10人の人がいる。
時間帯によって違うが、7人がスマホを見ている。
SNSだったり、ゲームだったり?
1、2人が本を読んでいる。
1人が眠っている。
こんな割合のことがある。

私は、その人数を数えながら、男女、年齢層をチェックしながら、
服装を見たりして、その人についていろいろイメージを膨らませる。
そんなことが人間観察なのだが……。

以前は、ある人を興味深く見ていると、その内その人が見返してくることが多くあった。
そして、私が目をそらす。

しかし、最近、誰も見返してこないのだ。
私の目力が減った?(笑)
そういうことではない。
みんな心にシャッターを下ろしているのではないかと推測する。
誰かと関わらないように心がけている人が多いのではないかと思う。

お蔭で、私の 人間観察行動は、至極順調に、行われるようになった。

いいのか?悪いのか?