以前、料理をゆっくり作ると身体に良い

という話をブログに書いたが、

それ以降、料理だけではなく、

家事全般、ゆっくりやると身体に良いように感じられるし、

何よりも楽しむことが(時々)できる。

 

私は家事と呼ばれるモノ全般嫌いな方ではない。

でも毎日家事と呼ばれる仕事が山ほどあると流石に愉しむことは出来ない。

 

これまでは、女性が家事をやるのが当たり前だった。

お仕事を引退してやることがなくなった時、

女性には家事が残る。

年をとって一番辛いのは、何もやることがなくなること。

つまり暇なことだ。

家事を担当していた女性は、忙しいけれど、お陰で元気に暮らしていけたのではないかと思うことがよくある。

 

さて、最近、家事だけではなく、どんなことでもゆっくりやることで楽しむことが可能になるということを知った。

やらなければならいことならば、なるだけ楽しみたい。

好きなことだけをやって生きていけるわけではないのだから。

 

夫を見ていて気がついたのだ。

彼は何をやるのも早い。

仕事ならばそれを優れていると言えるのかもしれないが、

観察していると、あまり楽しんでいるようには見えないのだ。

 

ゆっくりやること。

それが楽しむことの根幹なのだと知った。

スローライフである。

 

なぜなら、

早くやっている時は、今やっていることを「終わらせる」という意識になっている。

もっと悪い言い方をすると「片付ける」だ。

実際、家事の場合、「片付ける」ということが多いし、

「片付けている」感じがしょっちゅうする。

そして楽しくない。

そりゃそうだ。

終わらせることが目的の作業ならば、経過を楽しめるとは到底思えないから。

 

この間TVCMの台詞で

「楽しむ時間を持つために家事は早く片付けたい」

というのがあった。

趣味とか遊びとか、やりたいことのための時間を工面するのは簡単ではない。

しかし、

やらなければならない家事の時間をも、もしも楽しむことが出来たら素敵だと思う。

 

ということで、私は、今日はゆっくり掃除をする。

そしてゆっくり洗濯物をたたむ。

 

そして、それはずーっとは続かないから、

結局夕飯はパッパと作る。

 

普通の暮らしを愉しむことはなかなか難しい。

TOYOTAのRUSHという車に乗っていた。

今はもう製造されていない普通車で小さめの4WD

 

9年前、八ヶ岳の小さなログハウスに通うために、

それまで乗っていたお気に入りのMINIから変えた。

なんでも良かった。

当時それほど車にこだわりがあったわけではないし、

デザインのことだけ言えば、MINIより好きな車は見つかりそうになかった。

そう、単に八ヶ岳に通うために買い替えた車。

それから9年、3回車検を通して、この度、車を変えることになった。

 

夫は、今度来る新車のことで頭が一杯。

 

でも、私はその新車が来る数日前から突然、RUSHに乗る度に寂しさを覚えるようになった。

 

八ヶ岳に移住したいという希望もあり、2012年から毎月RUSHで八ヶ岳に通った。

多い時は猫5匹、犬1匹乗せて、みんなでワイワイ騒ぎながらのドライブは、大変だけど楽しかった。

毎月、猫たちを追いかけ回してキャリーに入れ、車に乗る。

みんなキャリーに閉じ込められていることも嫌だし車は怖いし嫌いだし、

とにかく猫がみーんなあっちこっちで交互に鳴く。

それでもしばらくすると疲れてしまうのだろう、みんな静かになる。

そこで私が「パトラ!」と猫に声を掛けると、一斉にまたみんなニャーニャー大騒ぎになる。

だから私が歌を歌うと、それに合わせて(全然合わせていないけど)ニャーニャーと伴奏が入る。

サービスエリアには必ず立ち寄る。

車酔いする猫がいたからだ。

私のお腹も空いてくるのだけれど、車の中に猫たちがいるので、

食べ物を買って車の中で食べる。

その分、一緒に過ごせた時間は長かった。

とにかく猫たちとドライブした車だった。

 

車の中は個室なので、よく運転しながら歌ったり泣いたりした。

RUSHだけが知ってる私の悲しい時間もある。

 

MINIの時は、高速道路の追越車線がお友達だったが、

RUSHは、加速が弱い。

でも、猫がスピードを嫌がるので、走行車線を80キロちょっとで走る快適さも知った。

急ぐ車が追い抜いていく時、私は珈琲片手に猫たちと心からドライブを楽しむことが出来た。

 

この車のおかげで、私の行動範囲は広がり、

国内ならばいつでも何処へでもひとりで行ける気分にしてくれた。

 

それから5年後、八ヶ岳の裾野の寒冷地に引っ越してきた。

寒冷地仕様になっていないRUSHは、毎朝寒くて凍っていた。

雪も東京よりは頻繁に降る。

その度に白い塊になっていた。

 

田舎に引っ越してきてからは、どうせ汚れるからと、ほとんど洗車もせず、

車の中には毛布とかあらゆるものが便利さを追求するがために置かれたままになり、

何度か擦った傷も治されることはなく、

大切にしたとは言えない車。

 

それでも故障ひとつせず、文句も言わず、ずっと走ってくれた。

 

大きさも程よく、運転しやすく、

乗り降りも楽だし、荷物の出し入れも楽だった。

 

使っている時は便利さだけで、

たいして大切にもしなかった。

でもモノへの愛情は、その子と過ごした思い出の量で変わってくる。

そして長く使っていると、その子に愛着が湧いてくる。

別れるのは本当に辛い。

 

最後のドライブの日、RUSHを撫でながら何度も話しかけた。

「一緒にいろんなところに行ったねぇ」

「ありがとう。お疲れ様」

涙が止まらなくなった。

 

東京は満開なのに、私の村の桜の開花はまだまだ先。

「今年は一緒に桜を見られなかったねぇ」と言った直後、

山梨県に入ったら、綺麗な桜が目に飛び込んできた。

 

image

RUSHを止めて、しばしふたりで花見を楽しんだ。

私とRUSHのLAST DRIVE   LAST DATE

郵便葉書の料金は63円

高いと思いませんか?

私は、62円になった時から、基本的に葉書を出すのをやめました。

筆まめな私には、あれしか書くスペースがない紙にこの金額は出せないからです。

 

もちろん、葉書には葉書のいいところがあります。

私は出さないけれど、年賀状やその他時々葉書をいただきます。

素敵な絵が書いてあったり、受け取った瞬間に目に飛び込んでくるものの力があります。

でも、私は絵は書けないし、書きたいことがたくさんある。

よって、葉書よりも手紙。

 

郵便の84円も高いと思っているけれど、

手紙を趣味とする私には仕方がない。

普通の便箋を使うと5枚くらいは入れられます。

 

2017年の値上げに続き、2019年の消費増税でまた1円とか値上げになったのですが、

その時に、値上げになったものとならないものがありました。

 

例えば、海外に葉書を書くと、確か世界統一料金で70円。

これは随分前から変わっていないように感じる。

その間に、国内郵便の料金は何度か値上げされた。そして

国内が63円で海外が70円!

 

郵便料金の値上げに伴って、よく使うようになった簡易書簡が

値上げを免れ、今葉書と同じ63円。

郵便書簡には、2、3枚の便箋を入れることが出来ます。

 

こうして見てみると、値上げしても影響の少ないもの

それなりに使われるものが値上げの対象になった気がします。

葉書は出しませんと最初に書きましたが、

それでも、葉書でなければならない局面がないわけではない。

海外に手紙を書く人は一部だけれど、

手紙を書く人が減った現代、

一番減っていないのが葉書なのではないかと予測できるのです。

一年間全く手紙を書かない人でも年賀状を出している人はまだいるような気がする。

 

私はたくさん手紙を書くので、こういったことが気になるけれど、

全く気にしない人も多いように感じる。

時々頂いた封書が定形外だった時、適当に、多めに切手を貼ってくる人がそこそこいる。

私にとって、切手は金券なので、1円たりとも間違えないように

その封書の重さを測って、家にある切手を組み合わせて貼るのだけれど、

そんな人の方が少ないのだろうとこうして書いていて思う。

 

こんなことに拘っている私のような人間の方が少なくて、

結局は、私はやっぱりマジョリティではないのだなと感じさせられたりするのだ。

ドラマなどを見ていると、過去のあの時点で別の選択をしていたらどうなっていただろう?

とか、

実際に過去に戻って選択を変えて生き直してみたり、とかあるじゃないですか。

 

人は皆、過去の何かを後悔したり、もしもあの時こうしていたら私の人生はどう変わっていただろうかと想像したりする。

ものなのだろうか?

 

人生は、選択の連続だ。

ふたつにひとつ

ふたりにひとり

どちらかを選ばなければならないことがたくさんあり、

その選択で人生は大きく変わる。

に違いない。

 

でも、そんなドラマを見ながら考えるのだ。

私には戻ってやり直したい過去が見つからない。

後悔がないのだ。

 

そして、気づいた。

後悔がないのは、パーフェクトの人生だったということではなく、

単に私に選択権がなかったということなのだ。

あの時、こうだったら…と考えてみても、

その結果を選んだのは私ではなく、他の誰かだったり、社会情勢だったり、

つまり過去のその時点に戻ったとしても自分の意思で別の道に変えることが出来ない。

だから、後悔のしようがない。

これって、不幸なのか幸せなのか。

 

もちろん、何ひとつ私に選択権がなかったというわけでもないと思うのだ。

でも思い出せない。

 

私はかなり決断力のある方だと思う。

ふたつにひとつを選べと言われれば、

たいていは、即座に選ぶことが出来る。

そのあと変えたいと思うことがないわけではないが、多分少ない方だと思う。

だから人生の中でもしも重要な選択機があったとしても、

そこそこすんなり決められたのではないかと想像する。

そして、その時のことを思い出さない。

 

逆の言い方をすると、

もう決めてしまったら、とことん、それを良い方向に持っていく。

そういうところはあるような気がする。

 

私の望まない方向になってしまった時は、

それならば望む方向に行けた時には出来なかったことをあえてやるようにしてきた。

そして、当初望んだ方向のことは考えなくなったのかもしれない。

 

話は、ずれてきたが、

つまり後悔が多い人は、人生のそれぞれで、選択肢があったということ。

そして、自分でどちらでも選ぶことが出来たということ。

それは幸せなことのように聞こえるが、そうでもないのだろうか。

だから後悔してしまったりするのだろうか。

 

私は、ほとんどのことは必然だと思っている。

偶然のように起きたことも全て必然。

だから、自分で選んだことの全て、選ばなくて進んできた道も全て、必然。

それならば、必然を愉しむことを考えるしかないのだ。

スーパーの袋の有料化も疑問でしたが、

今度はコンビニやスーパーのレジ横に置いてあるプラスチックスプーンの有料化が検討されている。

環境省がやりたいのは、一体なんなのだろうか?

それは環境を考えたプラスチックの削減ではなく、

環境を考えたプラスチック削減のために、何かをやっていますよ!というアピールにしか感じられない。

そもそもプラスチックのスプーンに問題があるのならば、それを作らなければいい。

それだけのことだ。

 

すべてのことを、企業側に求めるのではなく、

消費者、個人側に求める、この政治体制を何とかしてもらいたい。

 

今時、コンビニでプリンを購入して、黙ってプラスチックのスプーンをつけてくれる店はかなり減った。

スーパーのレジ横には、スプーンや箸などが置かれているが、

セルフサービスでとっていけという状態になっている。

つまり必要な人しか持っていかない。

確かに、以前は、コーヒーを買うとミルクとお砂糖が黙っていてもついてきた。

それを使わない人は砂糖を捨てていた人もいるのではないかと危惧する。

(私は、砂糖は入れないが、以前は、あの紙に包まれた3gとか5gの砂糖を家で保管し、

お菓子を作る時に、使っていた。グラニュー糖だし、測らなくて済むし)

 

つまり必要のない人にまで配ることは実際無駄が生じやすいが、

必要な人だけが持っていくのならば、構わないと思う。無料で。

だって、BBQとかやるとみんな紙皿とかプラスチックのフォーク、スプーンを使っているじゃないの!

(我が家でBBQやるときは、割り箸も使わないです。)

なんか一部のそういった小さいことに焦点を当てて、もっと大きな削減すべきところに手が加えられていない気がして仕方がないのだ。

 

昨年からのコロナ禍で、テイクアウトが増え、

プラスチックの容器などのゴミが増えたと聞く。

嘆かわしい。

何が悲しいかって、そういった使い捨ての容器の方が清潔だという風に思われていることだ。

(事実かどうかは専門家ではないのでぜんぜーん分かりません。ただ、安易であることは分かる)

 

昔は、タッパーやボウルを持って豆腐屋さんに豆腐を買いに行っていた(私は経験ないですけど)

お肉屋さんでは、油紙に肉を包んでくれた(これはつい5年前まで近所のお肉屋さんがしてた。家に帰ってもゴミが少なくて嬉しかったな)

 

そこまで暮らしを戻すのか?

戻せないのならば、どうするのか?

優れた紙があるのだから、プラスチックの代わりに燃やせるものを使うのか?

 

私は、まずレジ袋の有料化に反対でした。

環境のことを考えるのならば、

レジ袋を無くすか、レジ袋を燃やせる素材のものにして有料化するかです。

何で燃やしてはいけない、つまり世の中の悪のように言われているレジ袋にお金を払わなければならないの?!

みんながマイ箸、マイフォーク、マイスプーンを持ち歩いて暮らすようになるのは悪いことではないと思う。(でもマイ箸って、以前一度流行った頃のようには見なくなった気がする)

 

見た目ではなくもっと根源的なところで(専門家を交えて考えているのだろうから)環境省には次の一手を打って欲しい。

昨年は、有名な方の自死がショッキングなニュースとして続きました。

その裏側で、有名ではない方も厳しい状況の方がいらっしゃるに違いありません。

そしてコロナ禍、これほど長く続くと、これから更にきつい方が多く出てくると思われます。

 

コロナは、人と人との繋がりを、まるでマイナスかのようにしてしまう恐ろしい事態です。

外出自粛に伴い、人との交流が減り、精神的にきつい人がさらにキツくなってしまう。

 

私はいつも元気で(少なくとも周囲の人からそう言われる)

ポジティブシンキングだと自分で思っているけれど、

そんな私でもとても落ち込む日があります。実際、コロナはきついです。

 

よく、笑うことは健康にいいと言われます。実際その通りだと思います。

でも、泣くことも私はとてもいいと思っているのです。

精神的に良いと思うので、身体にもいいかもしれません(何の医学的根拠もございません)

 

私が泣ける場所は、車の中です。

一番辛い時って、結構家の中に辛いことがあったりもするので、

または、家族がいて家では感情を発露できる場所がないので、車の中はサイコーです。

泣ける曲が、何曲かあって、入っているので、

運転しながら、その曲を大声で歌いながら、ボロボロ泣きます。

ボロボロ声を出しながら泣くと、かなりスッキリします。

 

車を運転しない方は、別の場所を確保してください。

そして、辛いことがあったら、とにかく声を出してボロボロ泣いてください。

感情を中に閉じ込めないでください。

思いっきり泣くと、本当に気持ちがいいものです。

 

そう考えていると、男の人たちはどうしているのだろう?と思います。

もちろん、簡単に泣く男性もいるでしょうが、

あまり周囲で男の人が悲しくて泣くのをみたことがなく、

ずーっと泣かないように閉じ込めて生きているのだとすると、大変だなぁって思うのです。

 

 

最近ドラマの中では、ご飯作ってくれる男子多いですよね。

最近の若者カップルは本当にこうなってきているのでしょうか? 

まだまだ身近ではあまり見たことがなく、私の周囲では考えられないけど。

女子が集まると今夜の献立とか、3食考えるの面倒とか大変とか、そんな会話ばかりです。

 

例えば今やってるドラマでは、

『ウチの娘は、彼氏ができない!」は、ご飯は作らないので近所の男子のやってる店に食べに入り浸る。

『朝顔』では、半々くらいだと思うけど、父親や夫が台所に立つ。一緒にやっていることも多い。

『君と世界が終わる日に』では、キャンプ飯みたいなものだから自然には見えるけれど、ほとんど男子が料理をしている。

『天国と地獄』では、恋人で居候の男子がかなり手の込んだ料理を毎日作っている。

『書けないッツ!」では、稼ぐ妻に代わり、夫が主夫をしていた。

『にじいろカルテ』に至っては、同僚の男子二人がとにかく料理にこだわり、ご飯はもちろん、美味しいお茶まで出てくる。

 

これって凄いよね。

テレビで自然に見てるけど、これって事実? 現実に近づいているのでしょうか?

TVドラマを見ていて、こんな男子がいたらいいなって思う女子はすっごく多いだろうなぁ。

 

因みに私は、料理を作るのはそれほど嫌いではない。

少なくとも食べたくないメニューが出てきて無理に食べなくちゃいけないと思うよりは、自分が食べられるものや食べたいものを作って食べる方がいい。

男子が作ってくれても後片付けだけが残るくらいならば、台所に入らないで欲しい。

という、やっぱり古い人間です。

毎日3食、バランスや予算や冷蔵庫の中身を考えながら献立を考えるのが大変なだけで、美味しいものを食べたい時に作るだけなら料理は楽しいですよねぇ。

そして本当は男子も作れた方が楽しいと思う。

その楽しみを手渡したくないほどです。

 

そういえば、仕事の流れでご飯食べに行ったりすると、若い男子がお皿に取り分けてくれたりするのは、もう30年くらい前から当たり前にやって貰っていたなぁ。鍋奉行も若い男子。BBQはもちろん男子。

でも、ここは田舎だからかなぁ、時々友人の庭でやるBBQもやっぱり女子ばかりが大変になっている。

ここの暮らしが古いのか? 都会は、ドラマで見るような優しくて美味しいご飯が作れる若い男子で溢れているのでしょうか?

一昨日の夜、福島宮城沖を震源とするマグニチュード7.3の大地震が発生した。

私の家でも微妙に揺れた(私は寝ていて気づかなかった)

次の朝、ニュースをチェックして、震源地が福島県沖と聞いた時は身震いがした。

けれど、今回の被害者は、現在のところ、怪我人が100名強。

 

10年前の再来かと、身を震わせた方は多いと思う。

被災地の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

 

2011年の東日本大震災では、18000人以上の方が亡くなった。

あの災害は強烈で、私もそれを期に、暮らしぶりを大きく変えた一人である。

 

今回の地震で改めて気付かされたが、

あの東日本大震災の被害は、大津波と福島第一原発の事故によって甚大になったのだ。

地震だけならば、あれほどの犠牲者が出なくて済んだ。

 

土砂崩れ、川の氾濫、津波…

自然との戦いは昔からずっと続いている。

私たちは、自然と共存するために多くの経験を糧にしていかなければ安心して暮らしていけないのだと感じる。

 

問題は、人災の方である。

10年前、あれほどの原発事故を起こしながら、

時の民主党政権が、すべての原子力発電所を停止したにもかかわらず、

すでに多くの原発が再稼働している。

相変わらず、まるで原発の電気が安いかのように信じている人もいる。

日本国民の半数以上が、反対している原発が未だに止まらない。

今も福島第一原発では、廃炉作業が続いている。

遅々と進んでいる。

廃炉を完了するのは、今それに携わっている人たちみんなが亡くなったあと、将来の話だ。

どこが安い電力なのだ?

それだけでも、高価なことは誰にでも分かる。

 

この地域は、これからも大きな余震が起きやすい地らしい。

いや、ここだけではなく、日本全国ほとんどの場所が、大地震の可能性を持っている。

この地震大国に、原発はそぐわない。

一部の原発村と呼ばれる人々のためにこれからも動き続けるのか。

 

東北の方々は、この十年間復興に向けて着実に頑張ってこられた。

それを応援した多くの人々。

それなのに、10年経って、余震なんてものが起きるなんて、

それもこんなに大きな。

 

ただただ驚きとショックだった。

 

 

タイトルを考えず、そのままタイトルにしました。

 

私は、タイトルをつけるのが苦手です。

タイトル優先で書き始めることも稀にあり、そういう時は問題ないけど、

言いたいこととか、書きたい文章があって、後からタイトルをつけようとするともう全く無理だったりする。

メールでも、ブログでも、なんでも、一応タイトルを書く場所があって、

空いていると気持ち悪かったり、書かないと次に行けなかったりする。

 

タイトルを考えるというのは、宣伝とか広報とかそっちの仕事であり、

文章を書くというのとは、全く違う分野なのだと実感する。

 

脚本を書いていた頃も、タイトルには本当に苦労した。

それなりに気に入っているものはあるけれど、

それはタイトルが良かったというよりも、完成した芝居そのものが良かったので、

印象としてタイトルも良かったような気がしているだけだと思う。

 

1つだけ、劇団の若い子がタイトルをつけてくれた芝居があった。

私の脚本を読んでから考えてくれたのか、プロットを話して考えて貰ったのか、よく記憶していないのだけれど、考えてきてくれたタイトルが素晴らしく、本当に気に入った。

前述のように、タイトルをつけることが宣伝効果のみだとしたら、

そのタイトルが素晴らしかったかどうかは定かではないのだけれど、

私の脚本の意図から外れず、端的にあるイメージを表してくれたことが素晴らしいと感じた。

たった9文字のタイトルが、ものすごく大きな世界観をイメージさせてくれた。

 

そのタイトルをつける才能が、私にはない。

 

多分、何かを短い文章で表現する才能がないのだと思う。

詩を書くとか論外だし、

絵手紙を描いていた時も、もう本当に苦労して文章を絞り出していた。

結果的に、いつも文章が非常に評判良かったのは、

私に短文の才能があったのではなく、

私に絵の才能がなかったので、文章の方を褒めるしか手がなかったのだと思っている。

 

人には、それぞれ得て不得手があり、

本人が知ろうが知るまいが、

上司やキャスティング権を持った人間が、

その人の能力を最大限に活かせる場所に配置することができたら、

一億総活躍社会になるのだろうなと、

そういった能力を感じさせなかった政治家の言葉をお借りしてみました。

1月スタートドラマが出揃った感じなので、とりあえず書いちゃう。

 

『書けないッツ!』  生田斗真主演+福田靖脚本で、面白いこと間違いなし! と一番期待していたドラマだったんだけど、まずメンバーを見てがっかり、展開もがっかりです。それでも見どころはあるので、これからに期待します。

 

女性脚本家の作品が色々あって楽しみです。中でも橋部敦子脚本が2つも!

『知ってるワイフ』の方が『モコミ〜彼女ちょっとヘンだけど』よりも時間枠的にも、メンバー的にもお金かかっていて力も入っている感じなのだけれど、『モコミ』の方が断然いいですね。多分、前述は、原作ありで、後者は橋部敦子オリジナル脚本だからでしょう。『知ってるワイフ』見てすぐ、これって韓国ドラマ?と思ったらやはりそうでした。韓国ドラマはいまだに再放送とか山ほどあるので人気あるのでしょうが、このリアリティのない展開のものが多いですね。ダメではないけど、私はちょっといらないかな。主演女優も広瀬アリスは、とっても頑張ってて綺麗なのにもったいない。小芝風花、今回の役が一番いいなぁ。今まではうるさ過ぎる役ばかり見てきたんだけど、繊細な感じがとても可愛い。

 

北川悦吏子 『ウチの娘は、彼氏ができない!』なんか主演女優2人の戦いを見せられているようです。菅野美穂と浜辺美波。かなり疲れる。「はい、分かりましたお上手です」って言いたくなってしまうくらい、台詞回しとか、演技術が全面に出過ぎです。

 

池田奈津子 『君と世界が終わる日に』彼女と会うまでずーっと引っ張り続けるのかしら?とか、このコロナ禍、このゾンビ作品撮影するの大変だろうなぁとか、余計なことばかり考えてしまいます。対策なんだけど

 

吉田紀子 『その女、ジルバ』 1話は良かったんだけど、それ以降どうも冴えない、面白くない。原作ものだから仕方がないのかな?

 

『ここは今から倫理です』  雨瀬シオリ

『ドリームチーム』  吉澤智子

この二人は存じ上げなく、過去作品思いつかず、先入観なく楽しみます。『ここは今から倫理です』は、なかなか秀逸。

 

森下佳子  『天国と地獄』 こういうドラマ好きじゃないんだけど、綾瀬はるかだし、森下佳子だし。そしたら時々どっきりする素晴らしいセリフやシーンがあって…森下佳子さん凄いです。

 

私の大好きな岡田惠和脚本ドラマ続きますね。『にじいろカルテ』またまたびっくり美しすぎるドラマを作ろうっていうのでしょうか? 1話のラストで、真空が、自分の嘘(病気のこと)を話してしまうところが、岡田脚本らしいです。それで引っ張れるだけ引っ張る脚本家もいるだろうに、そんなところで勝負はしません。みたいな。しかし、あまりにも美しすぎるドラマで、果たして、多くの人がついてくるのかは全くの疑問です。視聴率を注視したいと思います。

 

宮藤官九郎脚本『俺の家の話』 キャストがすごくハマっていて、男臭い感じが趣味ではないのだけど、見る価値はかなりありそうなドラマ。

 

他には、予想外に面白いのが『レッドアイズ』と『スクールポリス』

こう書いてみると、とってもいい感じの冬ドラマ陣ですが、実はめちゃくちゃ楽しみなドラマがないのです。素晴らしいラブストーリーがなさそうだからでしょうか。

 

 

なんか結構書いちゃいました。3月末、まとめ書きます。