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不全世界の創造手(アーキテクト)/小川一水

SF風ライトノベル。

幸運の女神の助力を得たエンジニアの少年が、自分の腕だけを頼りに、この不全なる世界に技術で挑むというジュブナイル。
主人公の戸田祐機は、特殊技術で世界を席巻する中小メーカーの技術者兼オーナーである父のもと、子供の頃からモノ作りに取り憑かれてゆく。自己増殖する機械である第一種フォンノイマンマシンの創造を究極の目標に、自作のUポットというマシンの開発にひたすら没頭するユーキ。しかし父の工場は、世界生産に関する一般協定事務局(GAWP)という魔物の歯牙にかかって買収され、全てを失った。しかしユーキは諦めなかった。それから5年の歳月が流れ、改良を進めたUポットとそれを用いたUプログラムをベンチャー投資フォーラムに投稿したユーキを、一人の少女が訪ねる。ユーキの将来性を見込んで投資しようと言う少女はジスレーヌ。物事の成長性が「見える」という一種の超能力を持ち、母親と共に投資会社を率いて巨万の冨を稼いでいる富豪だった。しかしジスレーヌは同じ能力を持つ母の非人間的な性格に反発し、自分一人の力で母を越えようと画策していたのだ。
こうしてこの二人が出会った事で物語は大きく動き出す。電子部品などの供給さえあれば自己増殖できる第二種フォンノイマンマシンであるユーキのUマシンは、スポンサーを得て、その真価を文字通り世界に問い始めたのだ。…というような話。

ユーキのUマシンは、たった1台からスタートして、多少の電子部品や太陽電池パネルなどの供給さえあれば、それ以外のボディなどは現地の土壌などから自己生産し、自分で組み立て、次々と自己増殖してゆく。1台が2台になり、2台が4台になりと、ねずみ算式に増える訳だ。1台1台の性能は大したことが無い。たとえば、4足歩行の子馬のようなUマシンは、辺りを見回し、周囲より高い部分を掘ってくずす事ができる。硬い岩は隙間や圧電素子を使って破砕できる。おもちゃのような性能だ。しかし、そんなUマシンが数万台集まり数に物を言わせて作業に当たる事で、例えば荒野の整地などの土木工事を素晴らしいスピードでやってのける。

こうしたUマシンの科学的な描写や工学的な応用プロジェクトの思考実験がこの小説のミソである。もちろん粗は多いものの、上手く描いているので、Uマシンのリアリティにそんなに違和感を感じる事がない。

ユーキはモノ作りが好きだ。そこに自身の存在意味を見いだしている工学マニアだろう。彼がUマシンの製作に打ち込むのは、単にそれ自体が生き甲斐というだけではない。かれのUマシンがこの不全なる世界に関わる事で、実際に世界は変わってゆく。ナウルの島に湛水池を作って農業の基盤をもたらし、ウズベキスタンにある綿花農地の農業用水路を治水し、バングラディシュの三角州島をダムを築いて繋止し、確実に現地の人達の生活を変えていった。
しかし、それはかつて世界生産の効率向上を掲げてユーキから全てを奪ったGAWPと、同じ事をしているのではないのか?ユーキの事業は絶賛を受ける半面、かならず根強い反発も受けた。こうした葛藤が本書のメインテーマである。
人に手をさしのべるという事は、どういう事なのか。世界に影響を与えるというのはどういう事なのか。

ついには大国そしてGAWPをバックにしたUマシンのデッドコピー、ヴァーゲンが現れ、真っ向勝負を挑んできた。しかもそれらにはユーキが慎重に避けていた、自己増殖機械の戦争への応用が組み込まれていた。
ユーキは、これらに対抗することを決意する。武力闘争ではなく、人々への関与の仕方として、別の手段を取るという意味である。
最低限の助力さえあれば、人々の生活は格段に向上する。内戦で生活の全てが破壊されたソマリアで、武力制圧による治安維持を目論むヴァーゲンと、人々に水と種と電力を与えて呼ばれるまでは干渉しないUマシン。人々は徐々にUマシンを受け入れ、ヴァーゲンは破壊されていった。

こうしたストーリーを追いながら、誰でも自分のしたい事ができる世界、という理想に向かって、手探りで現実世界への干渉を行い、その反作用で傷つき悩む少年を描いた本作の意図は良く伝わってくると思う。
グローバルに世界を変えるユーキのUマシンのスポンサーが、万物の成長性が「見える」というジスレーヌの異能によるグローバルな金融取引でもたらされた資金、という構造の皮肉は面白い。

残念なのは、紙幅の関係かやや端折りすぎの展開描写や人物描写。どうしても淡々とした印象を受けてしまい、インパクトが弱いだろう。

小川一水の過去エントリ

小川一水
不全世界の創造手(アーキテクト)

金環日食

6時に起床すると、大阪市南港は薄曇り~厚い雲の繰り返しで期待薄。
ところが、7時頃より雲に穴が開き始め、太陽が顔を出す。
これ幸いと徐々に欠けてゆく様をのんびり観察。
しかし、ちょうど最大食の7時29分の直前よりまたしても雲が…。以後ずんずんと雲に沈んでいった。大きな金環状態が厚い雲に透けて肉眼でも容易に観察できたのは面白かった。ただ、それも数分間の僥倖で、あとは厚い雲の向こうへと消えてしまった。

日食はいつも投影法で観察する。今日も室内で、不要な段ボールにプスプス穴を開けて、白いケント紙に映した。鏡を使って天井や壁に拡大投影しても面白い。

こうして太陽そのものを観察するのも楽しいが、個人的には日食時は木漏れ日を眺めるのが好きだ。
太陽が翳り始めると、揺れる木漏れ日に、無数の欠けた太陽が現れる。三日月のような光が無数に揺れる様はとても面白い。無数の金環木漏れ日が見られると壮観だったろうが、あいにく雲がかかってしまった。

決して日食を認識しての事ではないと思うが、壁面や天井に揺れる細った太陽を、愛猫が不思議そうに目で追って眺めていたのが面白かった。

香港海鮮飲茶樓/飲茶・中華

今月の心斎橋は、ハンズのはす向かいにあるこの店で。
商業ビルの2階で、エレベータで上がるとすぐ店内。まず、雰囲気は十分。調度、音楽、スタッフと、ばっちり「香港・中華」という感じで気分が盛り上がる。ただ若干店の隅などがごちゃっとしているのが目について残念だった。

ランチは1000~。週替わりランチと1500円のコースがお昼のメインだろうか。
週替わりランチは、点心4種と、麺・ご飯セット4種の組合せでオーダー。
妻が点心5s品+おかゆセット、自分はエビ餃子+蟹チャーハンセット。

おかゆはかなりボリュームがあるみたい。チャーハンは適量か。かなりパラパラな仕上がりで美味しかった。
点心も丁寧に作ってあって美味しかった。食感を活かすための絶妙に加熱を控えた仕上げとなっていた。ただ個人的には、多少食感が飛んでも、庶民的なヤケド上等のアツアツの方が好みである。ただ猫舌の妻にはこっちが良いだろう。
セットのデザートに付いてきた杏仁豆腐は、かなり美味しいと思う。最初口に入れた時程よく固く、噛んでいるうちにねっとりと溶けていく食感が良い。上品な甘味もマッチしていた。
ポットでドンと出るジャスミンティーも美味しくお得な感じ。

次回は、ぜひコースにしようと思った。


ダンジョンズ&ドラゴンズ/坂田靖子

98年の刊。古本屋で100円で見かけて購入。
ゲーム好きの坂田さんらしい、RPGのドラゴンをモチーフにしたほのぼのコミカルファンタジー。

昨日の話ではないが、坂田靖子のファンタジー、特に初期の作品などは、かなり足穂系だと思う。
この本はもう少しオリジナルテイスト寄りでコメディ色が強い。

学生のアリスと、ひょんな事から知り合ったドラゴン研究家の青年スペル、そしてスペルから贈られた可愛いミニドラゴンのペット銀竜が、何故かアリスの部屋に繋がってしまう不思議な空間で、ドラゴンたちとマジカルでファンタジックな冒険を繰り広げる物語。
しれっとした蘊蓄で物語をゴーインに進める坂田節は健在だ。


坂田靖子
ダンジョンズ&ドラゴンズ

いまファンタジーにできること/U・K・ル=グウィン/谷垣暁美

手を入れた講演録などを数編まとめたもので、全体としてみると著者のファンタジー論として形が見えてくる。
先日、ジブリのゲド戦記を見た後、映画に対する原作者ル=グウィンの遺憾の表明など、周辺事情をちらちらと見た事もあって、どんな事を考える人だろうかと、近著を手に取った次第。

もちろん、言わずと知れた大作家だが、ゲド戦記はもちろん、恥ずかしながら何もその著作を読んだ事がない。「闇の左手」ぐらいは教養として読んでおくべきだろうが、かなりの偏食故機会がなかった。

そもそも、ゲーマーでRPGが嫌いではない癖に、大上段に振りかぶったファンタジーにはちょっと苦手なところがある。なぜだか分からないが、腰が引けてしまうのだ。小学生の頃、トールキンの「ホビットの冒険」を手に取った際も、初めの数ページを読み、これから始まるであろう壮大な物語に怖じ気づいて、そっと頁を閉じてしまった。中学生になりぐっと卑近に流行のロードス島戦記を手にした時も、当時激ハマリしていた弟のようには楽しむ事ができず、やはり数頁で離脱。大学生になり、これぐらいは読んでおかないと教養だろうと手にした「指輪物語」も、やっぱりダメだった。佐藤さとるのシリーズも投げたし、エンデの「モモ」「はてしない物語」も脱落した。「ガリバー旅行記」や「ドン・キホーテ」「オズの魔法使い」「ドリトル先生」「アリス」なども、正直に言うときちんと読んだ事はない。グイン・サーガなど足がすくんで近づく事すらなかった。
例外的に読んだものといえば、中学生の頃トーベ・ヤンソンのムーミンシリーズは好きだった。また、大学生の一時期、稲垣足穂に傾倒した事もある。これぐらいである。

ファンタジーとは何なのだろう。ファンタジーについてこうした経験を持つ私は、本書で著者がファンタジーについて熱く語るのを読んで、自分が意固地に食わず嫌いを繰り返していたような気がした。
原初、人々が危険な一日を生き延び、安堵と共に焚き火を囲んで語るその日の話は、語り手そして聞き手の想像力を刺激し、娯楽としての発酵を経て、「物語」へと変化していった。それは神話の誕生であり、そしてファンタジーの誕生でもある。ファンタジーとは人々の想像力に直接に働きかける物語のもっともプリミティブな形式なのである、と著者はいう。
原始の人間にとって世界は混沌であり、想像力によってカオスからコスモスを紡ぎ出す操作そのものが、ファンタジーなのである。世界には善と悪があるということを想像によって世界の闇からすくい上げる事がファンタジーなのであり、龍と魔法の世界でヒーローが悪を倒す形式をファンタジーと呼ぶのでは決してない。私を含めファンタジーに造詣の浅い者は、こうした後者の形式的な色眼鏡でファンタジーを論ずる事が多いと著者は憤る。
過去の名作の焼き直しに過ぎないハリーポッターを、その売上故により集まった免疫のない無知な批評家が、まるでファンタジーの創造主のように持ち上げている現状への辛辣な皮肉は痛快である。

その他、本書の中核をなす児童文学における動物と人間の関係の話や、ゲド戦記の創作秘話など、ファンならずとも興味深い話にはかなり引き込まれた。

本書を読んで、とてもファンタジーが読んでみたくなった。著者に非常に共感するところ大であったのだ。
取り敢えず、「バンビ」を読もうと思う。そしてそのうち著者のアースシーの世界を旅してみたい。


U・K・ル=グウィン/谷垣暁美
いまファンタジーにできること

3DS/いつの間にテレビ/任天堂

という訳で、いつの間にテレビもサービス終了である。

アホかという程こつこつ地道にサポートを継続するかと思えば、一方で、商売としてダメだと思えば、スパンと損切る速さも任天堂の真骨頂である。もっとも最近は後者の比重が高くて懸念もあるが。

さて、いつの間にテレビ、問題点は何だったのか。

個人としての経験からは、まず、そもそもそんなもの不要、という事がある。

私は3DSで、ゲームで遊びたい。寸暇を惜しんで遊びたい。ゲーム時間は貴重なのである。
その時間を、なぜ豆しばの下らないCM映像を毎日何回も見るような事で消費しなければならないのか。
また、そもそもの映像コンテンツの魅力も薄い。まあまあ面白い映像シリーズもない事はないが、まあまあ楽しい映像程度を観るために、最高に楽しいゲーム時間を削るなどという事は本末転倒であり得ない訳だ。
「彫刻の森」は、雰囲気が少しだけ好きで一時ハマって毎日観ていた事もある。義弟は手品が好きで、多分、いつの間にテレビで手品を見続けた人間では日本トップクラスだろう。このように内容が嗜好とぴたっと一致すれば訴求しない事もないだろうが、実際は、多種の番組を揃えるという観点からも、原理的に趣味の合わない番組が大半となる訳だ。

繰り返すが、暇人用の受動メディアであるテレビの感覚で展開していたのが敗因である。ゲーム機は、能動的に自分の時間を注ぎ込む人が使用するマシンである。ただ、そこにあるから、見られるから、という理由だけで下らない番組を甘んじて見続けるような人は少ないだろう。

それなら、どうしたら良かったのだろうか?多少は詰まらないアイデアもあるので、この際書いておく。

まず、3DSを持っているのはゲーマーだ、という前提でシステムを設計しなければいけない。ゲーマーに訴求するには、

・そもそものコンテンツをゲーマーモノに絞る。オタ、マニア、などの広い括られ方をして、アイドル番組なんそを持ってこられても困る。例えば、世界のゲーム開発者インタビューシリーズなどはどうか。ゲームメーカー歴訪なども面白いだろう。ゲームショップやゲーセンを巡る番組も良い。そしてやっぱりゲームそのもの、攻略番組も面白いだろう。早い話ゲームセンターCXをここでやればいいのである。

・貴重な時間を割いたからには、見返りが欲しい。つまらん番組でも、1コンテンツ視聴で1ゲームコインゲットなら見るだろう。その日の全コンテンツを視聴するとボーナスでプラス5コインゲットである。これなら重い腰を上げるゲーマーもいるだろう。なぜこういう連動を思いつかないか不思議。

・ゲーマーは繰り返しやスキップ不可に耐性が弱い。またあの豆しばや映画の広告を見なければいけないのか、と思うと憂鬱にさえになる。そこで、それを逆手にとって、コレクションゲームにする。つまり、頑張ってCM映像を多種製作し(ロゴの位置などを少し変えるだけでよい)、「発見CM図鑑」機能を搭載する。視聴してゲットしたCMは登録される。登録されると集めたくなる。集めるためにはマメにチェックしなければいけない。つまり視聴が増える、という訳である。シリーズのCM全てを揃えると称号が得られる。そしてCMには当然、特別編や色違いやキラなどのレアCMが低確率で混ざる。レアの取得など図鑑の成績はフレンドに自慢する機能がある。ポイントによる全国ランキングがあっても楽しいだろう。もちろん一度見たCMはワンボタンでスキップできるようにしておくこと。

他にも色々と考えればアイデアは出るはずだ。3DS=普及した3Dメディア端末、ぐらいの曖昧な認識で展開するとヤケドをするという好例であろう。ゲーム機は、まずゲーマーのものなのだ、という事は忘れてはいけない。

被取締役新入社員/安藤祐介

職場で何冊も見かけたので、1冊拾って読んでみた。

内容は、ダメ男のシンデレラストーリー&成長記というか。
子供の頃から勉強もスポーツも対人関係も何をやっても上手くできない鈴木信男。高卒後もヘマして会社を首になり、バイトでも失敗の連続。そんな筋金入りのダメ人間が、突然超一流企業に年俸3000万の役員待遇でスカウトされる。そのミッションは極秘プロジェクト「ひとりいじめられっこ政策」を推進する被取締役(とりしまられやく)への就任であった。
平たく言うと、一流企業のハードな職場では人間関係がギスギスしがちであり、究極のダメ人間が他の社員の怒りや侮蔑、哀れみの対象としてストレスの捌け口となる事で、他の社員の精神衛生を維持し、モチベーションアップを図り、ひいては業績の向上をもたらす事を期待する、という社長肝いりの作戦なのである。
こうして誕生した極秘役員は、表向きには平の新入社員、羽ヶ口信男として広告会社の制作局という花形の現場に配属された。力の限りダメ社員を演じる(というか本来の実力を発揮する)奇妙な仕事は順調で、驚くほどの成果を上げてゆくが…、というようなお話。

降って湧いたような幸運をつかんだダメ男が好待遇に我が世の春を謳歌するが、その後、結局中身は変わってない事を思い知らされ、これまでした事のない本当に何かに打ち込む事を通じて成長してゆく、というストーリーは良い。
ただ、全体的に、結局はアイデア先行の与太話で、リアリティが薄くて馴染めない。ひとつは、ダメ社員の存在が大局的には高効率をもたらすプロセスについて。もうひとつは、ダメ男である羽ヶ口信男自身の思考や行動について。どちらも上っ面だけなぞった印象。小一時間でさくっと読める軽いお話、という目的には合致しているのだろう。


安藤祐介
被取締役新入社員

借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック/セシル・コルベル

妻が図書館で借りた。
以前映画を観たし、という理由だけで、何の期待もなく聴いてみると、素晴らしい内容にびっくりした。
ここしばらくずっと聴いている。

のだめとおなじコンセルヴァトワールで学んだというセシル・コルベルは、ハープの弾き語りで、(多分)全曲の作曲も行っている。
かなりケルト音楽に傾倒した事があるらしく、アリエッティの楽曲がもつ、南欧の日射しの色やケルトの風の匂いのイメージの理由が分かるような気がした。

メインテーマの「アリエッティ・ソング」はケルティックな印象が強すぎる気がする。より南欧の爽やかな印象の「床下の我が家」の方が素晴らしいと思う。

ハープというとアルペジオの静かな楽器というイメージだったが、こんな明るく力強い演奏もできるんだ、という驚き。ギターより澄んだ音が涼しげで、そして擦れのある太いギターの音と合わさる事で、良い味わいがでているのだと思う。
セリーヌ・ディオンみたいに日本語歌唱に挑戦している点にはびっくりした。


セシル・コルベル
借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック

スラムダンク 23巻/井上雄彦

印象的なシーンがある。
花道を始め湘北バスケ部員が、インターハイの開催地広島へ旅立ったあとの体育館。無人の筈のコートに響くボール音がある。花道の特訓に付き合った洋平が戯れにシュートを打っていたのだ。音を聞きつけたハルコが、花道特訓への感謝を洋平に述べる。そのシーンである。
中学で相当バスケを練習したハルコから見て、花道は新幹線だという。普通の人が各駅停車で身につけるところを、短時間でみるみる成長して追い抜いてゆく。「1日で 私なんか 追いこしちゃった!!」。そして、深いバスケへの愛を湛えた瞳でこう言う「少しだけ… 嫉妬も 感じるの」。ハルコのバスケへの想いが、確かなリアリティを纏って描かれる素晴らしいシーンだと思う。そして同時に花道の客観的な評価として、後半への布石ともなっている。

インターハイ開催地の広島へ到着した一行。海南と再開したり、豊玉とコナ掛け合ったりと、落ち着かないまま過ぎてゆく。
そして大会初戦。トーナメントなので、負けたら即サヨナラである。相手は大阪2番手の豊玉。いろんな意味で大変ガラが悪い相手だ。初戦という事もあり無駄な力みや意識で全力で集中できない湘北は、開幕1分で9失点を許す。リョータは加熱して自分を見失い、花道は必殺の合宿シュートをいきなり暴投して交代。交代のヤスがリードしなんとかスローペースに持ち込んでゴリが初得点。ようやく振り出しに戻った。
湘北はゴリが絶好調だった。神奈川ナンバーワンセンターの存在感を見せつける。
そして流川も好調だった。ゴリのパスから、目の覚めるようなシュートを放つ。

このシーンが素晴らしい。会場の度肝を抜く素早いシュート。しかし、もっとも度肝を抜かれた男、それは花道であった。合宿で2万本のシュートを打ってきた今なら分かる。流川のシュートの凄さを、今初めて知ったのだ。
ハルコがらみでずっとライバル視していた男の本当の実力を初めて理解した。能力のある者の本当の凄さは、能力が無い者には伺い知る事もできない。特訓を経て、今ようやく花道は、山頂の流川を仰ぎ見る登山口にたどり着いたのだ。圧倒的な実力差に息も継げない花道の表情が実に素晴らしい。バスケの才能を持ち、驚異的に成長した花道ですら、流川から盗めるだけ盗んで3倍練習しないと3年間では追いつけないと安西先生は言う。これが現実なのだ。著者の経験に基づき的確に描かれた才能の階層構造が、少年誌でよくある幾何級数的で平面的なインフレバトルに堕するのを防いでいるのだろうと思われる。

しかしゲームには暗雲垂れ込め始める。豊玉キャプテン南の奸計にはまり、流川は脳震盪で退場。そして6点差で前半終了。
冷却期間をおいて前半の失態を反省するメンバー。流川は起きあがったが目が見えそうにない。
「よし…じゃあ 後半の作戦を 言いましょう」にっこりと笑う安西先生には秘策があるのか?流川は動けるのか?切り札花道の出番あるのか?次巻も非常に楽しみである。

200話の扉に書かれていた大会申込書。何と、リョータは、本名も「リョータ」だった!びっくりした。

井上雄彦
スラムダンク 23巻

ガラスの仮面 46・47巻/美内すずえ

長かった。
一体どれだけの月日が流れたのだろう。

今ふと思い出したのは、遠い昔、高校の図書委員会での先輩女生徒達の会話である。当時出版されたばかりの三十数巻を読み、真澄への想いに気づいたマヤと自分の気持ちを殺す真澄の、ともに相手には伝える事のできないすれ違いの恋の切なさとその展開を、いつまでも熱く熱く語っていた(図書委員会とは大概そのような無駄話がメインの議題となるものだ)。
主題は、当時既に若い読者とは性向にギャップが開きつつあったと思われるマヤの、この作品特有の奥手で秘めた感情の持って行き方について、女性の社会行動学的な見知からの指摘だったように思う。
あの女学生たちももう40歳の筈である。そして、やはりこの巻を読んで歓喜の涙を流しただろうか。

そもそも私がこの作品を読み始めた時は、まだ小学生であった。思えば、我が家にこのコミックスを買ってきていた母は、今の私より幾分と若かった筈である。

正直、読むのを止めようかとも思ったこともあった。
刊行ペースが数年と極端に長くなり、時代が流れすぎて設定にも齟齬を来たし、作画の技量も落ち、展開も繰り返しの中だるみに堕し、そして、それでも結局は終わらないんじゃないかという諦観が帳を下ろす。
特に40巻台に入ってから46巻中盤までは、ほとんど惰性で読んでいるといっても過言ではない状態だった。
紅天女をつかむための稽古と真澄マヤのすれ違い、その果てしない繰り返しであった。
とどめを刺すのは、真澄の婚約者、鷹宮紫織の、恋心故の底意地の悪さ。
もういいや。そう思った人も多いだろう。

しかしである。
もうだめかな…。そう思った直後に訪れる、全てが報われる、夢に描いたシーン。
そう、可哀想な桜小路君の台詞を借りれば、まさに「ぼくは夢を見ているのか…?」。
本当に30年読んできてよかったです。
今、こうしてオールドファンに去来する得も言われぬ感激は、果たして今から全巻通読した若い人にも同様に訪れるものかどうかは分からないが、それでも共に過ごした時代の重みという部分を含めて、マンガ表現としてのある種の地平を開いたと思われる。

超高齢ファンなら、現実問題として、これでひとまず死ねると思った方もあるのでは。いや、むしろ、ここまで来てしまったら欲が出て死ねないと思うか…。

このところ刊行ペースが若干速くなり、著者はかなり勘を取り戻した印象がある。これから終幕へ向けて、ますます盛り上げていって欲しい。
取り敢えず至急48巻を読まねば。

美内すずえ
ガラスの仮面 46・47巻