ガラスの仮面 46・47巻/美内すずえ | 読んだり観たり聴いたりしたもの

ガラスの仮面 46・47巻/美内すずえ

長かった。
一体どれだけの月日が流れたのだろう。

今ふと思い出したのは、遠い昔、高校の図書委員会での先輩女生徒達の会話である。当時出版されたばかりの三十数巻を読み、真澄への想いに気づいたマヤと自分の気持ちを殺す真澄の、ともに相手には伝える事のできないすれ違いの恋の切なさとその展開を、いつまでも熱く熱く語っていた(図書委員会とは大概そのような無駄話がメインの議題となるものだ)。
主題は、当時既に若い読者とは性向にギャップが開きつつあったと思われるマヤの、この作品特有の奥手で秘めた感情の持って行き方について、女性の社会行動学的な見知からの指摘だったように思う。
あの女学生たちももう40歳の筈である。そして、やはりこの巻を読んで歓喜の涙を流しただろうか。

そもそも私がこの作品を読み始めた時は、まだ小学生であった。思えば、我が家にこのコミックスを買ってきていた母は、今の私より幾分と若かった筈である。

正直、読むのを止めようかとも思ったこともあった。
刊行ペースが数年と極端に長くなり、時代が流れすぎて設定にも齟齬を来たし、作画の技量も落ち、展開も繰り返しの中だるみに堕し、そして、それでも結局は終わらないんじゃないかという諦観が帳を下ろす。
特に40巻台に入ってから46巻中盤までは、ほとんど惰性で読んでいるといっても過言ではない状態だった。
紅天女をつかむための稽古と真澄マヤのすれ違い、その果てしない繰り返しであった。
とどめを刺すのは、真澄の婚約者、鷹宮紫織の、恋心故の底意地の悪さ。
もういいや。そう思った人も多いだろう。

しかしである。
もうだめかな…。そう思った直後に訪れる、全てが報われる、夢に描いたシーン。
そう、可哀想な桜小路君の台詞を借りれば、まさに「ぼくは夢を見ているのか…?」。
本当に30年読んできてよかったです。
今、こうしてオールドファンに去来する得も言われぬ感激は、果たして今から全巻通読した若い人にも同様に訪れるものかどうかは分からないが、それでも共に過ごした時代の重みという部分を含めて、マンガ表現としてのある種の地平を開いたと思われる。

超高齢ファンなら、現実問題として、これでひとまず死ねると思った方もあるのでは。いや、むしろ、ここまで来てしまったら欲が出て死ねないと思うか…。

このところ刊行ペースが若干速くなり、著者はかなり勘を取り戻した印象がある。これから終幕へ向けて、ますます盛り上げていって欲しい。
取り敢えず至急48巻を読まねば。

美内すずえ
ガラスの仮面 46・47巻