読んだり観たり聴いたりしたもの -150ページ目

なぜ株式投資はもうからないのか/保田隆明

手元にあったので読んでみた。

なんというか、対象読者が判然としない本である。誰に向けて書いているのか?

本書の内容は、簡単に言えばこうである。
1.株式投資の利率は、一般の人が思っているほど高くない。平均するとせいぜい年利10%である。
2.普通資産運用では株などのリスク運用に全額を回す事はありえない。せいぜい3割である。つまり、全資産に対する株での利率は3%程度であり、よりリスクの低い運用法と比べ、それほど旨味はない。
3.それ以上の高利も得られない訳ではないが、プロに比べ得られる情報に格差のある一般投資家が一朝一夕に達成できるものではない。
4.Web2.0時代を迎え、一般投資家は情報共有して、プロの仕掛ける罠にはまらず、独断と感情に支配されず、損をしないような体制を作るべきだ。

今時株ぐらいやらないと、と血気にはやる人を諫める本だと思うが、たぶんそういう人は手に取らないタイトルではないだろうか。そしてこの本を手にしてよく読みこなすほどの人であれば、きっとこの本に書かれている程度の事は冷静に理解していると思う。

個人的には、投資として株式を購入する事と、資産運用として株式を購入する事は、全く別の事であると考えている。
前者は広い意味での寄付であるし、後者はギャンブルである。つまり、いずれにせよ儲けを当てにしてはいけない。


保田隆明
なぜ株式投資はもうからないのか

空の食欲魔人/川原泉

川原泉の漫画を読むのは初めてだった。というより、名前も知らなかった。

読んでみて、あまりに面白いので驚いた。花より団子のエクストリームという感じ。

少女漫画といえば恋愛、つまり性欲の話が多いだろうが、ここまで恋愛のレの字もない漫画も珍しい。その代わり食欲がこれでもか、と描かれているのだ。坂田靖子の漫画も恋愛出てこないけど、あちらは自然な感じで、こっちはむしろ恋愛を憎んでいる、目をそらしている、という感じ(とくに表題作)。どれも奇譚と言うに相応しいヘンテコなストーリーで楽しめる。

小さめのコマ割りと、多めの台詞、そして所々ポンポンと出る地の文。このテンポとバランスが心地よい。すっかりファンになった。

どの話もよいので選べないが、あえて挙げるなら、良家の令嬢が釣りキチという「不思議なマリナー」が一番好きかな。

「アンドロイドはミスティブルーの夢を見るか?」というSFものに出てくるコンピュータのアンブレラ。これはバイオハザードの元ネタのような気がしてならない。


川原泉
空の食欲魔人

時をかける少女

TVの土曜プレミアムで放映していたのでビデオに録画して観た。

素晴らしい作品だった。ぐっと来て涙が溢れそうだった。観る前は全く何も期待して無かったので思いがけない収穫が嬉しい。

筒井康隆の全集で原作を読んだのは、もう20年近く前になるだろうか。今回、タイトルで予約録画した際に気が付いたのは、ストーリーを全く何も覚えていない事だった。時をかける少女で思い出すのは、原田知世の主題歌と、やかんを持って走る即席麺のパロディーCMぐらいだった。

現代の青少年の話にアレンジされている訳だが、それがどれほど忠実に彼らの感性を表現できているかは分からないものの、多少なりとも反映されたその感性にそれほど違和感を感じることなく素直に楽しめた事が意外であった。

キャラクターデザインは平凡なものの、寧ろその平板でやや崩れてさえいる人物画が、若干おかしな動きさえ、かえって生き生きとした表現になっていると思った。美術やカットは凄く丁寧で見惚れる事もあった。かなり長い間を取ったりしてシーンの緩急のメリハリが十分にあり、じっくりとストーリーに浸らせる事に成功していたと思う。主題歌も素直で良かった。

未来人であるちあきが現代若者風俗に慣れすぎているのはちょっと引っかかる所。一応、「漢字駄目だし」「数学凄いよね」と伏線は張ってあったが(あと髪の色も?)。

DEATHNOTE デスノート/読売

以前、コミックスの方でも書いたが、読了後、深夜のアニメをちょこっと見ている。
で、昨夜は最終回「新世界」だった。

最後の方が、原作と異なる展開にアレンジしてあって全くもって謎。

リュークのノートに名前を書かれて死に怯える月の最期のシーンが丸々カット。アニメでは遠くで名前を書かれて、月はそれと知ってか知らずか安らかそうに死んでいく。これでは全く台無しだ。なんのために長々アニメで物語を紡いできたのか分からない。少なくとも自分にとっては、この展開では作品になんら価値を認める事は出来ない。

さらに死に際にLの幻影を見るとか高校時代の自分を回顧するとか、そんな非合理な心情は月にとってはあり得ない事。
魅上をその場で自殺させてしまったり、逆に海砂を意味ありげに登場させたりと、このあたりも含みや余韻の効果としてはどうかなあと思わざるを得ない。

1年後のシーンが登場しなかったのは、時間の関係か。なんか夏休みに特別編を放送するそうなので、そこで公開するのか?

最期の謎の女性も登場は無し。これも上記の理由か、それとも、「キラ様」の台詞が入ると、声優からキャラクターが誰か特定されてしまうから演出上無理だったのか。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? /山田真哉

1,2年前にかなり流行った本。売れすぎたためか、どこでも見かけるし、我が家にもいつの間にか1,2冊転がっていたので、ブックオフに持っていく前に読んでみた。

淡泊だけど、まあまあ面白い。会計の初歩の初歩が優しく読みやすく書いてある。字も大きい。小中学生の副読本にぴったりだと思った。速い子なら30分、普通でも1時間もあれば読み通せると思う。

ただ、タイトルからビジネス裏事情みたいなものを期待した人はガッカリかも。

ちなみに続編の「食い逃げされてもバイトは雇うな」もその場にあったので、ついでに続けて読んだが、同じ事が書いてあるだけなので、どっちか読めば十分だろう。


山田真哉
さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

資本主義から市民主義へ/岩井克人・三浦雅士

雑誌連載の対談集?をまとめたもの。
三浦氏が単なる聴き手ではなくて、妙にしゃべりたがりですぐに自説を展開していて違和感有り。岩井氏の言葉が聞きたいのに、この御仁が勝手に遮って頓珍漢にまとめたりする。イライラが募る事必至。

貨幣も基軸通貨も何もかも、実体のない自己撞着・循環論法自体が本質である、という結論に持っていくのは面白かった。

経済論は面白いが、DNAとかゲーデルなどの話しを無理に織り交ぜるのは止めて欲しかった。本質を知らない人が聞きかじりの外面だけで物事を語り出すと、すぐに全体がポストモダニズムのように見えて胡散臭くなってしまう。そこが非常に残念であった。妙な対談相手の所以と思いたい所だ。

あと、驚いたのは、岩井氏の妻が水村美苗であると書いてあった事。


岩井克人・三浦雅士
資本主義から市民主義へ

Wii/ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス/任天堂

任天堂渾身のゼルダ。1ヶ月ちょっとに渡って計70時間強のプレイで一応クリア。ハートのかけらと虫は全部集めたが、ゴーストなどまだコンプリートしていないものもある。それでもかなりゆっくりのんびり進めた感じ。

まず特筆すべきなのは、やはりWii独自のリモコン操作。腕は疲れるけど、やはり直感的で面白い。特に弓矢系は、もうアナログスティックではプレイできない程。緊迫の騎乗戦とか凄く面白かった。

謎については、やや簡単目かな。というより、ミドナが毎回毎回、親切すぎるほどにヒントを出してくれる。もう、今からせっかく考えようとしてる所なのにヒントなんか出すなよ!と言いたくなるほど。Wiiのロンチだから、という面もあるのだろうけど、もっと突き放してくれても良かった。

ボスの手強さは、丁度いい感じでは。大体、妻も自分も、1,2回のトライで倒す事が出来た。もう少し強くてもやりごたえあったかも知れない。

チンクルが出てこなくて残念。イリアに○○ルさんと呼ばれた時はニヤっとしたけど。その代わり、おばちゃんという、任天堂はどうしちゃったのさこれ的なキャラが出てきて、しかもストーリー上重要だったのでびっくりした。

音楽は、最高!とまでは行かないが、まあまあではないでしょうか。ハイラル平原の曲とか割と好きだけど。

すもうなどのミニゲームがいつでも出来れば良かったのに。マロマートネタなどは面白かった。ラストのミドナにはほろりと来た。

しかし、リアルゼルダは、やはり違和感ある。タクトなどの猫目系が本当はいいのだが、そこまで行かなくても、オカリナぐらいのデフォルメ造形の方が味があっていい。キャラをリアルにすると箱庭もムダにリアルにしなければならず、ムダにコストがかかるだけ。そんな予算があるなら、謎やアクションの面白さに回して欲しい。どんなに綺麗でリアルな景色だろうと、一回見れば終わり。そんな所に力を注いで欲しくない。氷上のボス戦など、環境を巧みに使った工夫もあるから一概には言えないかも知れないが。

とにかくこんなに面白いゲームであるのに、値崩れしまくって、都市部の量販店・ゲームショップ大手なら3千円でおつりが来る。Wiiを持っているなら買って損はないと思う。

任天堂
ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス

カクレカラクリ/森博嗣

読み出してすぐに目眩を覚えた。平易でのっぺりとした文体。陳腐な言い回し。なるほど仕事で書いているな、と丸分かりでがっくり来た。コカ・コーラとのタイアップとかドラマ化とか帯に謳ってあったが、その犠牲は大きかったという事だ。

しかし、内容は面白くない訳でもない。そのためなんとか中盤過ぎまで読み進めて、ふと気付いた。そうか、これはジュブナイルなんだと。そして対象読者も、実はずっとずっと低年齢層に置いている。そう考えると文体もあまり気にならなくなった。そういう縛りなら仕方ないではないか。コカ・コーラというのもこの縛りで禁じられたタバコの代替となるシンボルなのだろうと思った。

しかし、寧ろ低年齢向けでは、あの石版の謎はかえってすぐに解かれてしまのではという懸念が。なぞなぞパズル好きの少年少女には、あれは謎でもなんでもないだろう。自分もそうだったが、イラストを見た瞬間、答えが分かるはずだ。それではやや興ざめというモノである。もう少し見せ方に気を配っても良いと思う。

あれほど引っ張った、カクレカラクリの作動の現実性については、結局お茶を濁して終わりというのも肩すかしだ。しかし、本当に120年生き続けるシステムの設計を行うのは天才しかできない訳で、詳細の解説や描写を敢えて行わなかったのは、むしろ工学者としての良心故だったのかも知れない。半端な物を出されても物語の魅力を減じるだけだからだ。

他は全部伏せているのに、タイアップしているコカ・コーラだけが固有名詞で寧ろ違和感ありだ。チョロQだって、そのまま書けばいいのに。

確かにお話は面白かったが、ジュブナイルとしてはようやく及第といったところ。その敗因は著者が理知的すぎる点だろうね。

森博嗣
カクレカラクリ

会社はこれからどうなるのか/岩井克人

以前書いた法人論「会社はだれのものか」の前書にあたる。
こちらの方がじっくりと理論的にも突っ込んであり、読むなら断然こっちが面白い。
さらに、前書は、多くの人に興味を持ってもらうためか、「こういう事があるそれはなぜか。それはこうこうこういうことだ」という語り口が多かったのに対し、こちらは「こういう事を考える。するとこうこうこういう事が演繹できる」という非常に理系向きの書き方で読みやすい。

内容的には前書とそれほどは変わらないが、法人の二重性といった法人論をみっちりやった後、貨幣論、ポスト産業資本主義と進んでいく。

IT革命や経済のグローバル化がポスト産業資本主義をもたらしたのではなく、産業資本主義の収束という変化が圧力となってIT革命やグローバル化の引き金を引いた、引かざるを得なかったという主張は非常に興味深い。

岩井氏の法人論の主張は、簡単に説明するとこうである。
1.法人企業とは法律上のヒトであり、会社の資産というモノを所有し、ヒトとして他の人間と契約を交わして経済活動を行う一方、法人自身も株式支配を通して株主によってモノとして扱われるという二重性を有している。アメリカの株主主権論は法人=モノという主旨に傾きすぎた主張であり、戦後の日本型経済は法人=ヒトとして強く捉えた考え方が優勢であった。
2.これまでの産業資本主義の世界では、カネ・資産・工場設備をもっていれば、農村と都市などの労働市場の流れによって、自動的に利益を上げる事が可能であった。つまり法人=モノという図式で誤差が少ない。
3.しかし安価な労働者の供給が止まるとこの構図は崩れ去り、カネ・資産・工場設備を持っているだけでは利益を上げられず、他社との競争により差別化を図ってようやく利益に結びつく時代へと変わってきた。
3.カネを持っていて産業に投資してもかんたんには儲からない、つまり相対的にカネの価値が下がってきたのであり、これがポスト産業資本主義であり、この状況下で利益の改善を図るべく、金融のグローバル化やIT革命が模索された。
4.今後の企業はモノとして存在するだけでは利益が上がらない。利益を上げるためには差別化が必要であり、そしてそのような差別化を安定して生み出せるのはそこで働くヒトとその組織に他ならない。
5.いくら株を買い占めて企業をモノとして所有しても、そこで働く「ヒトの心」までは買収できない。それゆえ株主主権論的な買収では法人のモノとしての側面は入手できても、差別化から利益を生み出す機能・価値は手に入れられない可能性がある。
6.企業の経営者はヒトとしての法人から経営を信託された者であり、その行動には高い倫理性が要求される。つまり、企業経営者の行動は法律によって規制される必要がある。経営者を大口の株主として株主のために行動させようとする米国型の企業統治法は、エンロン事件に代表されるように、経営者が自身の刹那の利益のために行動する事を防げず、結局法人にとっても株主にとっても有益でない。

大変面白い主張だと思う。法人企業が法人として社会から認知を受ける事を可能とするのは、その法人が社会にとって必要だとされている事が根拠となる、という主張にはうなずく人も多いだろう。営利企業は営利が目的ではない。社会事業が目的であり、その社会事業を営利運営しますとうい基本が抜けたら存在意義がないと思う。

岩井さんは、今後はもうすこし差別化の内容を研究されたらどうかと思う。というのは、資本主義における価値の源泉は何かという事について、マルクスの労働価値説からはじまっていろんな説がある訳だが、氏は差別化というものに源泉をおいており、そもそも差別化・差異というものはかんたんに定義できるようなものではないからだ。
あるモノが他の似たようなモノとは、違うんだ、こちらは価値があるんだ、という判断は、数字では表せない人間の認知の問題になってしまう。しかも下手をすると、AがBに比べて差別化されているのは何故かというと、AがBに比べて差別化されているとみんなが言っているからだ、差別化というものの自己撞着も考えられる訳で、非常に難しく興味深い。
商品の差別化というけれど、結局物自体はそんなに変わらなくても、口八丁で興味を引けば売れるんだ、結局どれだけ法律に掛からずにスマートに騙せるかだ、という勢力も台頭するだろう。
どんなに良いモノを作っても、良いと言うだけでは売れない時代とは、ある意味おかしいとも言える。差別化を図らなくても、ただ単に普通のモノが、普通の良品が求められる場合も社会生活においては多数あるし、常に差別化を図る人ばかりが富を得、当たり前の仕事を当たり前に行う人が割を食うような社会は、その社会基盤を支えている多数の「当たり前の仕事」の量も質も、いずれ疲弊せざるを得ないからだ。当たり前に潤沢にある事が前提の産業・サービスと差別化は共存し得ない可能性がある。
もしポスト産業資本主義がこうしたフィードフォワードが働くような経済構造なのであるとしたら、産業としての社会基盤はむしろ行政的な規制と補助が欠かせない事になり、これはいわゆる小さな国家の逆の方向性となってしまう。このような事は考えられないだろうか。


岩井克人
会社はこれからどうなるのか

DEATHNOTE/大場つぐみ・小畑健

一時期かなり人気を博したコミックス。昨年だったか、映画化もされてあちこちメディアを騒がせていたので、名前と殺人ノートのアイデアはよく知っていた。が、人気作であるがゆえに大して興味はなかった。

しかし、たまたま全巻セットを入手したので、読んでみた。これもそのうち書くが、実は先日ヒカルの碁を読んで、小畑健に親しみを持っていたのも、読んでみようと思った一因である。

実に面白かった。次の日仕事にもかかわらず夜を徹して読み耽った。妻もかなり熱心に読んでいた様子である。

内容は、書くまでもないかもしれないが、死に神が落としたデスノートを巡っての物語である。名前を書かれると死ぬというそのノートを拾った天才少年が、悪人を排除し善人ばかりの世界を作ろうと「神(キラ)」の裁きをはじめるが、それを大量殺人と断じその後に予見される独裁を阻止せんと対キラに立ち上がるもう一人の天才。この両陣営(?)の主に頭脳駆け引きをメインとした攻防が延々12巻続く話しである。

細かい伏線に読めない展開、そして何より極めて魅力的なキャラクター達が、魅惑的な設定下で縦横無尽に活躍する様から目を離せない。

いくつか雑感を書いておこう。

まず目に付いたのは、人物名が変な名前ばかりである事。これは主人公がノワールであることや悪人が多数登場する事から、少年誌という立場上、同姓同名者に気遣っての事だと思う。さすがに月とかいてライトと読む名前の子供はいないだろう。しかし、むしろこれから誕生しそうではある。

個人的に一番面白かったのは、やはり月とLとのやりとりである。Lが死んだ後はやや気が抜けた感じが否めない。Lが死ぬ瞬間のシーンが忘れがたい。キラの正体を突き止めきれないまま心臓発作で意識が遠のきかけるLにたいし、Lを抱きかかえる月は勝利の薄笑いで応えてやるのだ。Lは月がキラであった事を知り、自分の推理が間違っていなかった事を確認し、最期に安心を得る。月は用心深く、何も表情に出さない事も可能だったと思う。寧ろ、Lへの当てつけでそうする事さえ出来たはずだ。しかし、わざわざ危険を冒して薄笑いで真実を伝えてあげているのだ。これは、彼らのレベルの知性において最大限の優しさの表現だと思う。つまり生死や勝負を超越した所にある月のLへの友愛の表現の極みであるだろう。その点にすさまじく感銘を受けて涙腺がゆるんだ。

また誰しも気になるのが、ラストの女性である。これは誰なのか?当然作者はわざと誰にでも見えるように曖昧に書いているのだろうが、それぞれ読んだ人の想像にお任せである。自分としては、月の妹の様な気がする。ミサはああ見えて意外にしっかり生きていくタイプだと思う。月への想いは大切にしたままキチンと整理してしまい、他の誰かと新しい人生を生きていくだろうと思う。

悪人を排除して善人だけの社会を作りたいという月の意志に共鳴する人は多いだろう。彼の頭脳・行動力そして性格にも魅力を感ずる人は多いだろう。純粋故に悪になるという構図は否定しづらいものだ。しかし、そんな人気の主人公も、ラストには敗れ、堕ちて、そして無惨に死ぬ。心地よいぬるま湯のような世界に浸らせておいて、冷水をぶっかけて目を覚まさすような展開には大変驚いた。まさかこういう展開になるとは思わなかった。個人的には軟着陸して月とミサのラブラブハッピーエンド、といった展開も期待していただけに余計にギャップがあった。

しかし、もしデスノートの効力が、基本心臓麻痺ではなく、もっと惨たらしい死因となるものであったら違ったのではないか。月もここまで暴走できただろうか?読者も彼についていけただろうか?テレビの中の戦争といわれてもう20年近いが、これと同じようにデスノートの中の死は無味乾燥すぎる。最後に持ってきたLの死がその反動としてバランスを取っているとも言える。人は誰でも死ぬが、自分もいつかは死ぬという事実は、本当に自分が死ぬという事がないとなかなか実感として分からないものである。特にこの漫画の主な読者層である若い人にとっては。

きっちりルールを組み上げた中での詳細なシミュレーション漫画として納得のプロットと手に汗握るサスペンスのストーリーは本当に面白い。

現在、丁度深夜にやっているアニメもラスト近くだったので見始めた。やっぱりだったが、声の印象が違う。


大場つぐみ・小畑健
DEATH NOTE デスノート(1)