今とはほぼ正反対の季節にあたる今年2月3日(土)に、鎌倉街道中道歩きの記念すべき第一回として、鶴岡八幡宮から戸塚近郊の下永谷までの区間をはらりと歩いた旅の記録その8です。
今回歩いたルート地図は↓。
歩行距離は寄り道含めて15km前後でした。
その7では、㹨川(いたちがわ)という珍しい名前の川のほとりで道標を見て、その先で如何にも上り坂が先に控えてる感じの住宅街に差し掛かったところまでをご紹介しました(↓再掲)。
少し進むと、街道左側にある横浜市立西本郷小学校の敷地の前に大きな石が。
こちらは街道筋の神社などでよく見かける「力石」で、これは三十貫(3.75kg x 30=112,5kg)もあるそうです。
そこからさらに進むと予想通り登り坂に差し掛かりますが、行く手に京浜東北線の高架が見えてきた辺りの街道左側に鳥居のある神社と石標群がありました。
神社はお稲荷さん、仏像の方はお地蔵さんに馬頭観音、庚申塔などが並んでいました。
その先で京浜東北線の高架を潜って進むと、、
高低差のあるY字路に出ます。鎌倉街道中道の順路は左の登り道なんですが、この左側の家に、
この付近では珍しいんじゃないかと思われる長屋門が残っています。
道幅も狭いし、角度も取りにくく、全体像は諦めましたが、、あれ、、〇の門扉脇の通用口みたいなところって、、
にゃん!(*´∀`*)。何となくバタ臭い感じの風貌のネコでした。
写真を撮ろうが声をかけようがおかまいなしで、何かの境地に達しているようでした(^^)。
暫く登り道が続きます。この辺りは一応旧道を歩けているはず。
坂を一通り登ったところで公園があったので、おやつ休憩を取ります。
本郷台滝の前公園、、元々付近の高低差のある所に水の流れる滝でもあったような地名です。
今回の旅のお供はコレ↓。こしあん派です(つぶあんも好きですが、つぶあん≦こしあん)。
ガイドブックとして参照している『旧鎌倉街道探索の道Ⅱ』(芳賀善次郎)の復刻版によれば、この辺りで旧道は真ん前の住宅に突っ込むような進路をとってグルーっと左にカーブしていったようですが、今は住宅街で道が変わっているので、何となーく近いところを歩きます。
しばらく歩いていくと旧道ルートに近づいてきますが、まだ住宅を突っ切ってます。
この先を左折して再度右折するとそこから旧街道が復活しているようです。
左折して、、横浜市立小菅ケ谷小学校を回り込むように右折すると旧道(赤矢印)に合流!
合流したところで振り返ってみると、、まあだいたいこんな感じ。
小学校を通り過ぎてさらに進んでゆくとかなり高い鉄塔があったので激写しておきましょう!
その先で鎌倉街道中道は、谷間を走る環状3号道路に阻まれて、向こう側と泣き別れになってしまいます。
正面に見えている駐車場と建物の方が本来の進路。
やむなくいったん右側に迂回して跨道橋を渡ります。
「見晴橋」!フツーの跨道橋の割にいい名前貰ってるね、君!!
当然渡ったら環状3号を挟んで、さっき来た方向を振り返ります。
4枚上の写真を撮ったのは金網のある駐車場の左端一番手前の角っこでした。
こうなるとカシミール3Dで地形も見なければ!!
本来の旧道ルートはオレンジの線状に進んでいて、最初の環状3号跨ぎショットを撮ったのは〇の地点、真上の写真は〇の地点で撮ったものです。
その先がなかなかの細道&かなりの急坂。
そういえば鎌倉街道ってこんな感じな事が少なくない気がします。
ずんずん登って見晴らしの良いところに出ました。
再び高低差のあるYというかU字路に出ますが、ここは左の高い方を進みます。
鎌倉街道って尾根とか崖っぷちを通ることが多いですね。
住宅街ではあるものの、まあ見晴らしはいいですね。
細かい高低差が無数にありそうな地形が続いている感じですね。
その先で、門扉から階段を上がるのも幼児には少したいへんそうな「とつかふたばようちえん」の前を通り過ぎたら、、
再び跨道橋で今度は桂町戸塚遠藤線という車道を渡ります。
この辺りでは自分のいる所と、写真に写っている跨道橋の中間あたりを鎌倉街道中道が横切っていたと推定されているようです。さっきの環状3号もそうですが、掘って谷間を作ったところに道路を通したのですね。
その先で再び登り坂にさしかかり、そろそろ疲労も感じて来たところですが、この旅の残りはその9でご紹介します。
あと1回つづく!