2025年暮れの12月27日(土)と28日(日)にかけて、千人同心街道歩きの第三回として、前回ゴールの高坂から東行田の区間を歩いた徒歩旅の記録、その5です。
歩いたルートは↓の地図の通り。
歩いた距離は初日5km前後、二日目17kmくらいで、寄り道も併せてトータルで23~24㎞くらいでしょう。
その4では、松山宿に入り、街道沿いに立ち並ぶ現存の旧商家の見事さにワクワクしたところまでをご紹介しました(↓再掲)。
前回ご紹介した古民家たちのすぐ先で本町一丁目交差点を越えますが、交差点から向かって右(東)を見ると何となく良さそうな建物がチラッと目に入ったのでそちらに向かうと、、
「雑貨 荒物 大山商店」というこれまたステキな商家があったので激写!「本町一丁目」という住所からも松山宿の中心地ど真ん中だろうと思われますし、街道から左右方向に町の賑わいが広がるのは街道の宿場ではままあることです。
街道に戻ると、本町一丁目交差点を越えたすぐの街道右側が妙な広場になっていました。
端っこに松山道路元標があったり、
寂しい感じで「本町広場」というプレートがありますが、
元々は大きな建物でもあったのではないかと思われます。
元の姿が分からないかな、と思ってストリートビューで2011年まで遡っても、すでに本町広場になってしまってました。
ちなみに右端近くに見えている、古い商店は今は住宅になってしまっています。
本町広場の追及は諦めて先に進むと、煉瓦造りの蔵のある立派な出桁造り商家があり、「(有)プロスパー」と書かれています。
越屋根も立派で惚れ惚れするような姿ですが、土地賃貸などの商いをしているようです。
いや~素晴らしいなあ、と思っているうちに、大きな見落としをしていたことに( ゚д゚)ハッ!と気づきました。このプロスパのすぐ左隣りには木造の洋館、島田医院という建物があった筈なのですが、全然覚えがありません??↑の写真で見ても、左の煉瓦造りの蔵の向こうに見えてるのは恐らくその更に左隣のお菓子屋です。
嫌~な予感しかしませんが、すぐスマホのストリートビューで確かめると!!(↓は記事作成時にPCでキャプチャ)
こともあろうに、2025年12月=歩いたのと同じ月、に解体しとるΣ(゚д゚lll)ガーン。なんだよ、あとほんの少し早くここにきてたら最後の雄姿が見られたんじゃないの、これ( ;∀;)!!!
元の建物を過去のストリートビューで見てみると、、!!!
こんな立派な洋館が残されてたなら文化財指定して残さないとダメでしょうよ(# ゚Д゚)。
その先にも、二階建ての蔵造の母屋に平屋の看板建築の店舗を増築したような旧商家がありました。
正面から見るとこんな感じ。母屋の右端には「埼玉新聞東松山通信(所?)という札が掛かっていました。
左側面はかなり傷んでますが、こちらもかなり後ろまで同じ家の建物が続いているようでした。
上の写真の交差点を境に、古民家の密度が減り始めます。少し先の左側に出桁造り商家のようなものが見えるものの中心地から外れた頃合いかな?・・・
などと思っていたのですが、ここでもストリートビューで過去の姿を確認すると、全く違う姿が見えることが分かりました。↑の写真よりもう少し手前側の場所で2011年の姿を見ると、、
2011年当時にはまだこんなしぶいパロマの代理店や、現役かどうか微妙ですが「ロッテ」のマークのあるテントの(たぶん)駄菓子屋やクリーニング店が残っていたのが、、
その翌年に右側の店舗長屋が更地になって、、
2018年には完全な更地になってしまったようです。
基本はこの風景のまま今に至っています。更に道路を拡張する計画でもあったんでしょうかね。日光街道の越谷宿で見られるように、そんなことをしてもクルマが素通りして人が行き来しにくくなるだけですが。
↓がさっき遠くから見えていたその旧商家らしき古民家です。出桁造りではなく蔵造りでした。商いはやめているようですが住居としては現役かどうか少々微妙ながら、建物の前側がきれいなので、すくなくとも手入れはされているようです。
で、↑の写真の右端に神社の社のようなものが写っていますが、これがこの黒塗りの商家と細い路地を挟んだ先にある、八雲神社です。
少しだけ調べてみると、八雲神社は八坂神社などと同様の祇園信仰(神仏習合で、牛頭天王と素戔嗚尊を信じる)の神社なんだそうです。京都の八坂神社系だと「八坂神社」や「祇園神社」、出雲の須佐神社系だと「八雲神社」なんだとか(ほかにもありますが割愛)。
千人同心街道はこのまま神社右の道路を直進するのですが、さっきの黒漆喰塗りの蔵造り商家とこの神社の間にある、街道から左に曲る方向の路地の先に見たいものがあるので、街道から外れてその路地を進みます。
そのまま進んで行くと見えてくるのが松山神社。松山宿の総鎮守で、康平6年(1063)に大宮氷川神社を勧請して創建したと伝わっています。
ちなみにこの神社の名前や宿場名に見られるように、本来この地方の名前は「東松山」ではなくて「松山」なんですが、市制施行の際、そのまま「松山市」にしてしまうと、愛媛県のそれを被ってしまうこと、また東武鉄道の「東松山駅」がすでに親しまれるほど馴染んでいたことなどから「東松山市」になったんだそうです。
一部だけ朝日が当たっているのは、何となく神々しい感じがします。
前の方のお参りが終わるのを待って、自分も神妙にお参りします。
お参りが終わったら、街道から外れて来たルートを引き返します。3枚上の写真を撮った地点の右側は、前日立ち寄った下沼公園と対をなす、「上沼」公園。これは北を向いて撮った写真ですが、公園の右端外側は街道なので、元来た路地をそのまま引き返すのではなく、公園内を歩いていくことにしました。
公園北端まで着くと、公園の左(西)端の向こうに日吉神社が見えたので、そちらに向かいます。
余談ながら、日吉神社の由来などは全く知らなかったのですが、この時「せっかくだから」とスマホでググってみると、山の神(駅伝の話じゃないです)であるオオヤマクイノミコト(大山咋命)が祭神で、魔除け・厄除け・方除けのご利益で知られ、猿が神の使い(魔去る、勝る)として崇敬されということだったので、申年生まれの自分には、多少ご利益多めなのではないかと都合の良いことを考えて向かったものです( ̄▽ ̄)。
すごく大きい社殿ではないものの、敷地全体が丁寧に手入れされていて、地元で大切にされている神社なのでしょう。
ここからはまた宿場などの中継地ではない道行きに戻りますが、この続きはその7でご紹介します。














































































































































































































































