冬真っ盛りだった2月3日(土)に、鎌倉街道中道歩きの初回として、鶴岡八幡宮から戸塚近郊の下永谷までの区間を歩いた徒歩旅の記録その2です。
今回歩いたルート地図は↓。
歩行距離は寄り道含めて15kmといったところ。
その1は、街道のご紹介どころかモタモタしているうちに、鶴岡八幡宮の境内入口の鳥居にたどり着いたところで終わってしまいました。
こちらの常夜燈は、1862年(文久2年)に江戸と大坂の砂糖問屋それぞれ砂糖を輸送する船たちの無事な航海を祈って奉納したもので、こちらは江戸側のもの。反対側には大坂のものがあったのですが、撮り忘れてしまいました('◇')ゞ。
本殿に向かう参道の様子。今日は何かお祭りがあるのですね、きっと。
いきなり体力使いそうですが、頑張って旅歩きの無事を祈りに行きましょう。
5年弱ぶりの鶴岡八幡宮でお参りします。
参道を少し戻ると、西方向(参道から本殿に向かって左方向=前回歩いた下道とは逆方向)に出る道=流鏑馬馬場があるので、ここを鎌倉街道中道の出発点として、スタート!!
梅がきれいで良い出発になりました(^^)。
鳥居を出ると右方向に進みます。すぐに鎌倉を囲む丘に差し掛かるせいかすでに登り坂。
八幡宮の北西方面の鳥居の前を通り過ぎたら、、
左に曲がって、旧道の残る巨福呂坂(こぶくろざか)に入ります。ここは切通しが残り、昔の雰囲気が味わえる部分です、、が、、いきない工事中の看板が、、。
ま、とりあえず行けるところまで行ってみましょう。
工事は切通しの崖の工事のようで特に障害は無く先に進むことができました。その先に、、
左側に閉じられたトンネルっぽい構造物と、右側に見るからに旧道の香りのする道があります。
もちろんまずトンネルを覗いてみますよ。
鉄格子の隙間からレンズを入れてみると、、カマボコ状の真っ直ぐで上り坂になったトンネルの反対側にちょっと明かりが見えていますね。Googleマップを拡大してみると「巨福呂坂送水管路隧道」という遺構のようで、横須賀の海軍が横須賀まで水を引いていた水路の跡です。
まあ戦争遺産ですね。できれば後で反対側からも覗いてみましょう!
ここでカシミール3Dからキャプチャした画像で地形を見てみましょう。黄緑のラインが現代の鎌倉街道(車道)、ピンクのラインが巨福呂坂の旧道、丘の中腹で途切れています。
そして真っ直ぐに高低差を無視して真っ直ぐ突っ切っているオレンジのラインがその
黄緑のラインが送水管路隧道です。どうやら新道で巨福呂坂の向こうに出るとトンネルの反対側が見られそうですね、これ。それにしても何ちう複雑な谷戸地形なんでしょう。
トンネルを離れて旧道方面に向かうと勾配が厳しくなり、向かって左側に青梅聖天社という神社の参道入口が見えました。
ほっほう、風情がありそうですね、どれ鳥居から見上げてみると、、
うん、これはパス!
この後あちこちで、神奈川県特有の長い階段を上り下りするので、ここでこれ以上体力削るのはやめておき、階段したからお参りしてそそくさと先を急ぎます。
お、水仙ですね。
なんか後ろに萎れたのが入ってました(^^;)。
水仙の向こうには石仏石塔群がありました。庚申塔や道祖神が多数。
旧道を歩けるところまで歩き、もしも可能なら多少無理してでも旧道のまま巨福呂坂の峠を越えたいものですが、はたして、、
現代風ですが、なんか「ビシッ!」っとした感じのお宅が。
何と!刀研ぎさんのお宅でしたかΣ(゚Д゚)。
さすが鎌倉というところでしょうか。
もうちょっと道が続いているので進みます。旧道そのまんまな感じ。
前方にロープが張ってあるので、行けるのはあそこまででしょうね。
刀研ぎさんの物置らしきところで行き止まりになったので、この先も気になりますが引き返しましょう。
坂を下りる途中で、ブロ友さんの以前のシリーズ記事と呼応するように、房総スタイルのお宅が!
房総と鎌倉は陸路だと鎌倉街道ー房総往還で繋がってなくもないですが、海路だとすぐなので、文化伝播した可能性が高いと時々盛り上がるやつです。
記事2回も使ってまだ鶴岡八幡宮を出てから僅かしか進んでおらず何ですが、痕跡の少ない鎌倉街道のこととて、おそらく鎌倉近辺を離れると急に進行が早くなることを期待して、続きはその3でご紹介します。
つづく!