伊勢参宮道で伊勢詣り Day2の1 | らんまるの街道歩き・暗渠散歩ブログ

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10月3日(火)~6日(金)の伊勢詣での旅、今回から2日(10/4)の旅の模様をご紹介します。ガイドブックは『ちゃんと歩ける伊勢参宮道 善光寺街道』。

 

Day2の歩行ルートは↓。今回は街道遺構が多いので、ポイントの記載は殆どしていません。

 

ホテルで朝食を摂ったら8時前にホテルを出発します。この日はあいにくの雨。

午後は止む予定ですが、ホテルにいる時に見た天気予報では終日降ったりやんだりだとか。

 

すぐの路地を右に曲がって蓮光院初馬寺で今日の道中の無事などを祈ります。

 

街道に戻る途中で善徳寺というお寺の魚籃観世音でもお参りします。

なるべく雨が降らないようにお願いします!

 

この辺りもまだ津の宿場ですが、道筋がカーブしてるくらいしか面影はありません。

 

もう廃業してると思われる米屋。微かに「栄屋米穀店 」の文字が残っています。

 

このS字カーブ沿いに昔は宿場らしい建物が並んでいたんでしょう。

 

その先で街道を右に曲がって四天王寺という大きなお寺に立ち寄ります。

 

上のリンクのWikipediaで見ると推古天皇の勅願で聖徳太子が建立したというすごい古刹!
その後荒廃していたのを、信長の同母弟、信包が再建し、後に空襲で大部分が消失したのがまた再建されたんだそうです。

 

芭蕉翁文塚、、筆塚に筆を埋めるように、詩文の草稿なんかを埋めた塚が「文塚(ふみづか)なんだそうですφ(。_。*)メモメモ

全国十八番目の古さ!数えた人エライ!「二日坊」さん、どちらさんかな?と思ったら三重県のサイトに記録がありました。芭蕉の文塚を建てた功績が、石塚の現物だけでなくちゃんと記録されていたんですね。

 

こちらがその文塚。

 

楼門もかなり立派ですねえ。

 

本堂!、、ずいぶんとまた近代的な。

因みにこちらの四天王寺の境内には、織田信長・信包の母親、土田(どた)御前の墓があったそうですが、2分ほど見回して見つからなかったので諦めました(´・ω・)。

 

この日は終日降ったり止んだりの天気のようなので、きちんとお参りしてから、お守り替りにこちらのご本尊を撮らせて頂き、ケータイに転送して一日守ってもらいました(≧∇≦)。

 

四天王寺から街道に戻ると、ほどなく安濃川(あのうがわ)に突き当たり、左方向にある、塔世橋(国道23号に架かっています)経由で迂回します。

 

ゆったりとカモの泳ぐ安濃川を渡ります。

 

安濃川を渡った側の橋の袂にこんな碑が。旧塔世橋に空爆の痕跡がある、という事ですね。

どれどれ、、

 

こちらが残されていた現物。焦げ目のようねものと折れた鉄骨、右側も石が削れています。

石でできた橋がこんな風になるものが降ってきた日には堪ったものではないですね。。

 

国道の反対側(向かって左側)に残っていた「シマダ輪店」、自転車屋ですね。

御覧の通り看板が裏返しになっているし、店舗もとても現役とは思えないので、だいぶ前に廃業したのでしょう。

 

「ぶつだんの沢徳」、、シブいっスね。手前側が旧ビルで向こう側が新ビルってとこか。

 

旧ビルの入口にあった、ちょっと珍しい赤の回転灯x3。

「赤色灯が回転したら110番して下さい」!。上のフロアに強盗なんかが現れて緊急ボタンを押すとこれが光ることになっているんですね。

 

その先に国道から右に逸れる路地があったのですが、その路地の入口に「ユタカパン」という文字の残る、赤錆シャッターの平屋看板建築があったので、走り寄って激写!

おそらくは前日30㎞近く歩いたせいか、出発してまだ2kmも進んでませんが、すでに疲れてきました。長距離歩き1年ぶりだし大丈夫か、俺?今日のゴールは松阪で、宿も取ってあるので、もちろんどうしても無理なら電車で「ワープ!」作戦も無くはないですが、結局は翌日以降に繰り越すだけなので、頑張ってたどり着かねば、、

 

その先で伊勢参宮道が国道から左の旧道に入って行くので、歩道橋で国道の左側に渡ります。

これは、えーと、、さっき発ったばかりの津駅方面を振り返ったところ。

 

↓の地点で国道から左に入って、津宿の南側の中心地帯に入って行くのでした。

 

地味なスタート、かつ体力に大いなる不安を抱えつつ、Day2の2に続きます