昨年12月9日に、旧東海道でも1,2を争うほど、屈指の江戸情緒ある宿場=関宿から、前回シリーズの伊勢参宮道の津宿までを結ぶ伊勢別街道を歩いた記事のその11です。
当日歩いたコースは↓。
歩いた距離は寄り道含めて20kmちょっとくらい。
その10では、真宗高田派本山専修寺の近くで、門前町の見られる町並を見ながら、崩し字字典のデータベースを利用して道標の解読に成功しほくそ笑んだところまでをご紹介しました(↓再掲)。
そのまま専修寺に向かっていくと、、何やら雅な橋が見えてきます。
橋の向こうの左側に見えている壁はすでに専修寺の一部でしょうか。
「安楽橋」、お寺の近くっぽいネーミングな気がします。
安楽橋から見た川というか用水沿いの景色。こういう住宅の隙間を流れるような水路はついつい激写してしまいます。
やはり先ほど見えていた塀は専修寺のものだったらしく、やがて唐門が見えてきました。
この専修寺の遺構には国宝になっているもの、重文に指定されているものが混在していますが、こちらの唐門は国指定重要文化財です。ものすごく大きい建造物なのですが単体の写真だと伝わらない気がします。
反対側(右側)から見た唐門。上部。
唐破風も見事だし、何だかいろいろ「分厚い」ですねえ。
唐門の説明板があったので、これも記念に撮っておきます。
唐門の後方に文字通り「聳え立つ」感じの如来堂。
如来堂。こちらも「マジで?」というくらい大きな建物です。
左下隅に写っている人たちとの対比で少しスケール感が伝わるでしょうか。
宝物の紹介があるので、記念に撮っておきましょう。
こちらが御影堂(みえいどう)。御影堂とは宗祖などの像(=御影)を安置するお堂のこと。
階段の段数から何となくこちらもサイズ感がお分かりいただけるでしょうか。
親鸞聖人の像を安置するのにこれだけのサイズ感の建造物を建てるのは真宗ならではと言った感があります。
御影堂と如来堂のコラボ!
とにかくこの時は建物の大きさに圧倒されていました。
御影堂上部にあった金色の彫刻。龍、ではなく麒麟でしょうかね。
こちらは境内の内側から見た山門。男性がちょうど良いところを歩いてくれたので、スケールが分かりやすいですね。
この時は確か「でかっ!」と声に出たと思います。
奉納された手水鉢はよく見ると「文政十丁亥」と刻まれているので、1827年つまりほぼ200年前のものなんですね。
山門から外に出て、表から山門を再び激写します。フレームに入りきらん!
おぉっと!上の写真で見切れてしまった山門の左方にまた「あの御方」の足跡が!
行在所(あんざいしょ)=天皇が行幸する時の仮の御殿なので、こちらに立ち寄った際にここで休憩されたのでしょう。これだけ立派な建物が「よりどりみどり」と言って差し支えない場所ですから、他に候補も無いですよね。
さて、専修寺もまあ一通り拝見したので伊勢別街道に戻りましょう。元々歩いていたところは本来の旧道ではない迂回路だのでもうショートカットしちゃいます。
結果として「なんちゃって桝形」みたいになった路地を進んで行きます。
その先、毛無川に架かる桜橋の手前で右から左に向かう伊勢別街道に復帰します。
順路は真っ直ぐですが、左側に見切れかけている鳥居の方に寄り道します。
こちらは、いっしん大権現。「いっしん」は一身田の「一身」でしょうね。
ガイドブックには「社」とだけ記され、特に説明は無く、何だよ!と思って最近お世話になりっぱなしの「三重の歴史・文化散策マップ」を参照するとやはり「社」としか書かれておらず、ガイドブックもこれを参照して諦めたんだろうな、と(^^;)。(注:「一身大権現」は祀られている神様の名であって、神社の名前ではないのですね)。紫の幟には「目の神」と書かれてます。
鳥居の下は、ちゃんと石橋になってます。微かに太鼓橋的な起伏もあって、ちゃんと神域に入る気になれますので、こういうのいいなあ。
さて、小さいながらもちゃんと手入れされている感じの社殿でお参りします。
最近老眼と目のかすみが尋常じゃないので「何とかして下さい」とやや乱暴にお祈り。
社殿の左後方には延命地蔵が祀られているのでそちらでもお参りします。
撫でると直るのかな?腰痛直りますように!
街道に復帰して暫く進んだところの街道右側にある民家の敷地。
個人的には向こうから来ている道的なものが伊勢別街道の旧道の可能性があると思っているので、ここで旧道に合流した!ということにします。気持ちの問題なのでもし違っていたとしてもモーマンタイ(≧∇≦)!
津の中心部(伊勢別街道の津側の発着点)に近づいたせいか、解説板が出て来ました。
ここからは前シリーズで臨んだ、伊勢参宮道との追分に向かってひた走り、、ひた歩きますが、この続きはその12でご紹介します。
あと2回つづく!