イソップ童話の中でも、最も有名な話の一つに

「アリとキリギリス」という物語があります。


……◆……◆……◆……


真夏の太陽が、ギラギラと輝いている。

こんな蒸し暑い日も、

アリたちは、せっせと田畑を歩き回って、

食糧を集めていた。

やがて訪れる、寒い寒い冬に備えて……。


一方、陽気で楽天家のキリギリスは、

涼しい日陰で、得意のバイオリンを弾いて、

歌って、遊んでばかりいる。

黙々と働いているアリを見るとバカらしくなってきた。


「どうして、そんなに一生懸命に働くんだい?

 もっと楽しく毎日を過ごせばいいじゃないか」


アリは忠告する。


「あなたは、雪に覆われた寒い冬がきても、

 その調子で浮かれているつもりなの。

 必ずやってくる冬の準備をしておかないと、

 大変なことになるよ」


「冬?

 そんなの、ずっと先のことじゃないか。

 それに食べ物だって、こんなにたくさんあるんだ。

 今のうちに、遊んでおかないで、どうするんだい」


キリギリスは、笑ってばかりいた。

季節は、確実に巡る。

青々と茂っていた葉も、少しずつ茶色くなり、枯れていく。

やがて雪が降りだした。ついに冬が到来したのだ。

一面の銀世界。

キリギリスは、空腹と寒さに泣きながら、雪の野原をさまよっていた。


「そうだ、アリさんの家に行って、食べ物をわけてもらおう」


アリたちは、夏の間から準備してあった暖かい家で、楽しく過ごしていた。

玄関を訪れたキリギリスに、アリは言った。


「君は、夏の間、

 一生懸命に働いている私を、バカにしていたじゃないか。

 少しでも忠告を受け入れて、あの時に働いていれば、

 今、苦しむことはなかったはずだよ」


……◆……◆……◆……


よく知っている話なのですが、改めて読むと耳が痛い……。

「わかってる」と言いながら、

未来の備えを怠って、痛い目にあった経験が、

何度かあるから、心に突き刺さるのでしょう。


キリギリスは、決して後悔しようと思って、

歌って踊って遊んでいたわけじゃないんですよね。


キリギリスだって、幸せを求めていたんです。

そして、今を思いっきり満喫しようと思って、

全力で歌って踊っていたわけで、

「こうやって、思いっきりやりたいことをやれば

 後悔なんかするもんか!」

ぐらいの気持ちだったかもしれません。


しかし、キリギリスは後悔しました。


どうしてでしょう。

全力で、思いっきり、自分のやりたいことをやれば後悔しない、

と言い切れないのでしょうか?


それは、「分かっている」と言いながら、

確実な未来への備えを怠ったところに、

キリギリスの後悔の原因があったのです。


キリギリスだって、やがて必ず来る冬の支度を

しなければならない、との思いはあったのでしょう。


ところが、

「まだまだ大丈夫」

と思って、問題を放置していたのです。


いざ、自分にその問題がふりかかってきたとき、

「こんなはずではなかった……」

と、取り返しのつかない事態に、一切を後悔する結果になったのです。



では、私たちはどうでしょう?


毎日が楽しい、

充実している、

といっても、確実な未来の準備を怠っている場合は、

キリギリスを笑えないことになります。


毎日が、忙しく過ぎていきます。

なすべきことが、山のようにあります。


目の前の仕事に一生懸命で、楽しんでいる余裕なんてないよ、

という方も少なくないでしょう。


果たして、目の前の仕事に一生懸命で忙しくしていれば

キリギリスのように後悔しない、と言えるでしょうか。


いえいえ、そんなことはありません。

「忙」という字は「心:りっしんべん」に「亡:なくす」と書きます。

“心”とは、私自身のことですから、

自分自身を見失っている最も危険な状態と言えるでしょう。


そんな時、何に気をつければよいのでしょうか?


鎌倉時代のエッセー集『徒然草』は、一人の男の生涯を例に語り始めています。


……◆……◆……◆……


ある人が、

「おまえは、仏教の学問をして、説教師になりなさい」

と、子供に言いました。


素直に従った彼は、まず、馬の乗り方を習い始めました。

「法事の時に、馬で迎えに来られたら、どうしよう。

 まともに乗れなかったら恥ずかしいではないか。

 落馬したら大変だ」

と思ったからです。

さらに、歌の稽古にも励みました。

「法事のあとで、お酒が出るだろう。

 何も芸ができなかったら、招待してくれた人が興ざめするに違いない」

と、彼なりに考えた結果でした。

乗馬と歌は、次第にうまくなっていきました。

上達すればするほど、おもしろくなってきます。

しかし、本来の目的であった、仏法を学ぶ時間がないまま、

年をとり、大いに後悔したのでした。


……◆……◆……◆……


著者の吉田兼好は、


「愚かなのは、この男だけではない。

 大きな目標を立てても、

 『まだまだ生きていられる』

 とのんびり構え、目の前のことに心を奪われている者ばかり。

 これでは、何一つ成し遂げられない。

 どんなに悔やんでも、過ぎ去った歳月は返ってこないのだ。

 しかも肉体は、勢いよく坂を下る車輪のように、急速に衰えていく」


と手厳しいことを言っています。


では、どんな心がけが必要なのでしょうか?

『徒然草』は続けます。


「まず、生涯に果たすべきことの中で、

 一番大切なものは何か、よく考え、ハッキリさせることだ。

 それ以外のことは思い切って断念し、

 最優先すべき目的に向かって努力すべきである」


「それは、一日、一時に縮めても同じである。

 やるべきことが山ほどある中で、

 何が一番重要かを的確に判断しなければならない。

 それ以外は投げ捨てて、少しでも価値の高いものから順に取り組むべきだ。

 どちらも捨てられないと執着していては、一つも成就しないであろう」


『徒然草』のアドバイスにしたがえば、まず大事なことは、


「生涯に果たすべきことの中で、

 一番大切なものは何か、よく考え、ハッキリさせること」


とありました。


目的がハッキリすれば、何を優先すべきか、おのずと明らかになります。

そして、それこそ確実な未来の準備となるのです。


━ ぴょんたの ◆◆
◆◆ ひとりごと ━


結構、一生懸命考えて決断しても、

思うような結果が得られず、後悔することはたびたびあります。

それは、些細な日常の場面でも……。


たとえば、レストラン。

私は、優柔不断な性格で、メニューを決めるのは、

メンバーの中で、一番、最後になることが多い。


せっかくお金を払って食べるんだから、

一番、自分が満足できるものを選ぼう、と力が入るからでしょう。


「うーん、このサーロインステーキもいいなぁ」

「こっちのチーズハンバーグも捨てがたい!」

「あ、でもオムライスもしばらく食べてなかったしなぁ…」

「お!グラタンがあるじゃないか!おいしそぉ~!」


こうなると、段々、周囲の皆さんが、

「まだ決まらないのォ~」

という目で訴えているのがビンビン伝わってくるので、


「ええーい!これだぁ!」


とチョイス(選択)するのです。


ところがですね、

いざ注文したものが次々と運ばれてくると、

心がまた移り変わるんです。


「あ、あっちのが良さそう」

「これにすれば良かったかなぁ」


心コロコロで、移ろいやすいな、と思い知らされます。

経験を積んで学ぶことも多いので、

1回1回を無駄にしないように、

向上したいな、と思ったりするわけです。


でも、現在35歳、レストランでメニューを決めるとき、

悩む時間は、子供のころと変わってないかもしれません……。


あー、向上してない……。



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