今週のAERAに“永遠の問い「幸福とは」に迫る”という記事が載ってました。
幸福について、科学、心理学、経済学、政治学などいろいろな分野からのアプローチが試みられているようです。
「幸福になりたい」のは、人類共通の願いなんですけど、その「幸福」が分からないところに、人間最大の悲劇があります。
人間関係が希薄だと「寂しい」。でも、濃い付き合いは「煩わしい」「気を遣う」といったストレスを生みます。
好きなことなら「楽しめる」と思いがちですが、楽しめるのは「楽しみたい」という欲求が満たされるプロセスに限られてます。ある程度、満たされてしまうと、そこから先は「苦しみ」に変質してしまうのです。
ケーキが美味しいのは「ケーキを食べたい」という欲求が満たされる過程で、満たされた後のケーキは「もういらない」「気持ち悪い」「見るのもイヤ」に変わってしまいます。
1個目のケーキを食べている人に「幸福感は?」と聞けば、「最高に幸せ!」と答えるでしょう。でも、10個目のケーキを無理やり食べている人は「地獄です」と言うかもしれません。
だから、ケーキを食べたら幸せなのか、食べないほうが幸せなのか、どんなケーキなら良いのか、という議論をしても結論は出ません。ケーキそのものが「幸せ」ではないからです。
独身がいいか、結婚したらいいか?
マイホームはどうするか?
どんな会社で働くか?
学歴、資格の有無など、生きていくためには、何れも大事な問題ですが、それと幸福になれるかとは別問題。
結婚したい人が独身生活を余儀なくされても、最高の人生を送ることができます。
結婚したい人が結婚できても、後悔の人生になりうるわけです。
お金持ちで苦しんでいる人はたくさんいます。
貧乏でも、明るく楽しい生活を送っている人もいるんです。
晩年まで順風満帆に過ごせても、臨終に涙をのむ人生もあります。
苦しみ悩みに涙した人生が、臨終間際に喜びの涙に転ずる人生もあるんです。
まさに記事のタイトルにあるように「永遠の問い」が“幸福とは”ということなんだろうと思います。
日本の古典『歎異抄(たんにしょう)』という仏教書には、本当の幸福とは「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)」になることだと書かれてあります。
ガチッと摂め取られて、絶対に捨てられない幸福(利益)をいうのですが、いつ、何が起きても変わらない幸福のことです。
650年前に書かれたものですが、災害や飢饉で苦しんだ時代、普遍的な幸福に言及したものが日本の古典にある、というのはすごいことだと思います。
ノーベル賞どころではないことが書かれてあるといっても、決して言い過ぎではないでしょう。
日本人は、ものすごい身近なところに、大切な問いの答えを知るヒントがいっぱいあると言えます。
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