• 14Mar
    • 長南瑞生著『不安が消えるたったひとつの方法』で不安の原因と解決法が分かる

      私が大学に入学したのは平成7年。その頃は、パソコンも携帯電話も、まだまだ普及していませんでした。外出時の電話は、電話ボックスを探し、テレホンカード(電話のプリペイドカード)を入れてかける。大学のレポートは手書きが当たり前でした。それが今は、パソコン、スマートフォンを持っているのが当たり前、電子マネーで簡単に支払いを済ませたり、いたる所で機械が自動でやってくれる世の中です。そんな時代がくるとは……。とは言え、わずか20年程度で、こんなにも世界は便利になってしまったのですから、驚きです。振り返ると、あの頃は、どうやって友だちと待ち合わせたりしていたのだろう、と疑問に思うくらい、便利さにどっぷりつかった生活をしています。ところが、こんなに便利なものが身の周りにあふれているのに、そんなに「幸せ」って感じじゃないのは、どうしたことでしょう?それよりむしろ、「不安」を感じている人の方が多いように思いませんか?仕事、家庭、人間関係のような身近な不安から、日本の政治、世界情勢といったグローバルな視野でも、あれこれ不安を挙げればキリがありません。わずか20年で、世の中を大きく変えるほど、科学技術を進歩させたのは、不安をなくして、幸せな世の中にするためなのに、実現した便利さ、快適さと、自分の「幸せ」の実感がかみ合わないことに、違和感を覚えている人は少なくないのではないでしょうか。そんな私たちが感じる「不安」にも、実は2種類あることを、ご存じでしょうか?しかも、そのうちの一つが解決されれば、世の中がどれだけ不安に満ちていても、変わらない大きな安心に満たされた人生が送れるというのです。そのことを、分かりやすく解き明かしている新刊が、長南瑞生氏の「不安が消えるたったひとつの方法」(KADOKAWA)です。長南瑞生氏は、ブッダの教えをもとに、私たちの人生の不安は、「生活の不安」と「人生の不安」に大別できると述べています。そして、不安と向き合い、2つの不安の違いを知ることで、本当の幸せへと歩みを進めることができるとアドバイスしています。この本を読むと、「不安」と向き合う勇気が与えられます。不安の絶えない人生に、希望の光を見出すことができます。なぜなら、単なる処世術ではなく、いつの時代、どの国でも通用する普遍性をもって、人間が抱える不安の根本原因を明らかにして、その解決法を教えているからです。長南瑞生氏自身の実体験と、数多くの著名人の言葉、そして時代を超越して輝きを放つブッダの教えが、説得力をもって、面白く、分かりやすく書かれてあり、あっという間に最後まで読ませます。春は新生活が始まったり、新年度を迎える季節ですから、こんな時こそ、避けられない不安から目を反らさず、真正面から見つめて、自信をもって胸を張れる一歩を踏み出したいものです。この春に、ぜひとも読みたいイチオシの一冊です。▼詳しくは、こちらをご覧ください。(長南瑞生氏のサイトです)仏教ウェブ入門講座http://true-buddhism.com/item/fuan/

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  • 17Nov
    • 「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く 2」 いいね!

      友人が本を出版しました。しかも、2冊目!「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く 2」この「2(ツー)」というのが、シンプルというか、ストレートというか、分かりやすい。読んでいると、無理なく、自然とやる気になってきます。「がんばってみよーかなぁ」というように、ちょっと背中を押してくれる感じです。あと、内容ももちろん、個人的には、この本のイラストも好きだなぁ。内容は、↓こんな感じです。◆主な内容1章 うまくいかないのは、運が悪いからではありません   ・運命を決めるのは、あなた自身の行いです      占いを信じるのは、当たるからではなく、不安だから   ・こんな自分の性格、何とかしたい      三カ月で「なりたい私」に近づこう2章 明日の自分が幸せになるシンプルな法則   ・挙式の日は、やっぱり大安?      幸せな結婚生活は、お互いの思いやりと努力から   ・逃げ出したくなった時      いちばんの解決策は、「ここだ」と思って向き合うこと3章 あなたのタネまきには、すごい力がある   ・不幸や悪い結果は、どうして起きるの?      お釈迦さまが教えられた「十悪」   ・迷ったり、イライラしたりした時こそ要注意      苦しみが深まっていく過程を「惑業苦」といいます   ・負のスパイラルに陥らないために      「王舎城の悲劇」が教えてくれること4章 誰に悩みを打ち明けるか、    どんな所に身を置くかによって人生はガラリと変わる   ・私たちが幸せになるために、      「縁」は、とても大事な要素です   ・心コロコロどこへ行く      大切なのは、上手に「縁」を選ぶこと5章 怒りが治まらなくてつらい時、     相手への仕返しを考えるより、      傷ついた自分の心を手当てしよう   ・毎日怒ってばかりで自己嫌悪      腹が立たなくなる方法はあるの?   ・怒りのループにはまらないために      傷ついている自分の心に目を向けて   ・ケンカはお互いに傷つくだけ      相手の怒りは、さらりと流して受け取らない6章 なぜ二人の思いは、すれ違うの?     私たちは、一人ひとりの生み出した世界に生きている   ・他人の評価は、自分勝手      周りの目を気にしすぎることはないのです   ・困難にぶち当たったら、因果の道理を思い出そう      何をすればいいか、ハッキリします第1弾も、まだの方には、ぜひ!と思う、すっごいオススメの本です☆(*^-^)

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  • 12Oct
    • 永遠の問い「幸福とは」

      今週のAERAに“永遠の問い「幸福とは」に迫る”という記事が載ってました。最後に“研究は確実に進んだが、幸福になるための普遍的な法則や「幸福因子」と呼べる物質は、まだ見つかっていないという”と結ばれていました。幸福について、科学、心理学、経済学、政治学などいろいろな分野からのアプローチが試みられているようです。「幸福になりたい」のは、人類共通の願いなんですけど、その「幸福」が分からないところに、人間最大の悲劇があります。人間関係が希薄だと「寂しい」。でも、濃い付き合いは「煩わしい」「気を遣う」といったストレスを生みます。好きなことなら「楽しめる」と思いがちですが、楽しめるのは「楽しみたい」という欲求が満たされるプロセスに限られてます。ある程度、満たされてしまうと、そこから先は「苦しみ」に変質してしまうのです。ケーキが美味しいのは「ケーキを食べたい」という欲求が満たされる過程で、満たされた後のケーキは「もういらない」「気持ち悪い」「見るのもイヤ」に変わってしまいます。1個目のケーキを食べている人に「幸福感は?」と聞けば、「最高に幸せ!」と答えるでしょう。でも、10個目のケーキを無理やり食べている人は「地獄です」と言うかもしれません。だから、ケーキを食べたら幸せなのか、食べないほうが幸せなのか、どんなケーキなら良いのか、という議論をしても結論は出ません。ケーキそのものが「幸せ」ではないからです。独身がいいか、結婚したらいいか?マイホームはどうするか?どんな会社で働くか?学歴、資格の有無など、生きていくためには、何れも大事な問題ですが、それと幸福になれるかとは別問題。結婚したい人が独身生活を余儀なくされても、最高の人生を送ることができます。結婚したい人が結婚できても、後悔の人生になりうるわけです。お金持ちで苦しんでいる人はたくさんいます。貧乏でも、明るく楽しい生活を送っている人もいるんです。晩年まで順風満帆に過ごせても、臨終に涙をのむ人生もあります。苦しみ悩みに涙した人生が、臨終間際に喜びの涙に転ずる人生もあるんです。まさに記事のタイトルにあるように「永遠の問い」が“幸福とは”ということなんだろうと思います。日本の古典『歎異抄(たんにしょう)』という仏教書には、本当の幸福とは「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)」になることだと書かれてあります。ガチッと摂め取られて、絶対に捨てられない幸福(利益)をいうのですが、いつ、何が起きても変わらない幸福のことです。650年前に書かれたものですが、災害や飢饉で苦しんだ時代、普遍的な幸福に言及したものが日本の古典にある、というのはすごいことだと思います。ノーベル賞どころではないことが書かれてあるといっても、決して言い過ぎではないでしょう。日本人は、ものすごい身近なところに、大切な問いの答えを知るヒントがいっぱいあると言えます。(*^-^)

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  • 19Sep
    • 蒔いたタネ、あらわれ方にも違いがある

      蒔かぬ種は生えぬ、蒔いた種は必ず生える。善いのも悪いのも、自分にあらわれた運命のすべては自分の蒔いた種が原因なのですよ、とお釈迦様は私たちに教えてくださっています。理屈ではわかっていても、苦しい状況がふりかかると、なかなか認めがたい心が出てきます。前回、蒔いた種が結果にあらわれるのに、時間がかかるものがある。それが原因と結果の関係をわかりづらくしていることを紹介しました。今日はもう一つ。まいた種の生え方に、2通り教えられていることも 知っておく必要があります。一つには、「等流因等流果(とうるいんとうるか)」。これは、まいた因(タネ)と現れる結果が同質のものを言います。例えば、「殴ったら、殴り返された」「悪口を言ったら、悪口を言われた」などです。「親捨てた 報いで子にも 捨てられる」「呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ まず笑顔せよ みな笑顔する」と言われるように、人間関係でも、他人を尊重しない人が、他人から尊重されるはずはないし、相手を大切にしない人が、相手から大切にされるはずもありません。愛する人が愛されるのも、因果の道理です。もう一つは、「異熟因異熟果(いじゅくいんいじゅくか)」。これは、因と果が異質のものをいいます。例えば、「悪口を言ったら、財布を落とした」、「泥棒したら、家が火事に遭った」など、単純に因と果の関係が分からないものです。「私がなぜ、こんな目に遭わねばならないのか?」と思えることの中には、異熟因異熟果の場合が多いでしょう。しかし、結果が同質であれ、異質であれ、善因は善果、悪因は悪果を生み出すことに変わりはありません。ですから、「正直者が馬鹿を見る」こともないし、「努力がムダになる」ことも絶対にありません。この因果の道理を知れば、無気力なアキラメ主義は吹き飛んで、過去を反省し、より良い未来を創造することに全力を挙げる、たくましい人生が開けるでしょう。

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  • 18Sep
    • 「正直者が馬鹿を見る」ということはない。蒔いた種は必ず生えるのだから

      前回、どんな結果も、自分に現れた結果は、すべて自分の蒔いた種、私のやった行為が生み出したもの、とお話しました。誉められたり、テストでいい点をとったり、お金が儲かったりすると、私たちは、「よっしゃ!やっぱり日ごろ、がんばってるから、いい結果が来たんだなぁ」と“善因善果 自因自果”に深くうなずきます。ところが、怒られたり、テストで悪い点をとったり、お金を盗まれたり、事故に遭ったり、病気になったり、会社をクビになったりしたときは、「なんでオレがこんな目に!世の中、絶対に間違ってる!どうなってるんだ!」と、悪い結果を受けた原因が、自分以外にあると思い、不平不満をぶちまけます。とても“悪因悪果 自因自果”とは思えません。こういう私も、「自分がこんな目にあったのは、あのせいだ!」と思ったことがたくさんありました。「蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える」の因果の道理に例外はありません。悪い結果が現れたときの原因は誰のせいなのか、冷静になって、考えてみましょう。「火の車 造る大工は なけれども 己が造りて 己が乗りゆく」という昔の歌があります。“火の車”とは、苦しい状態のことです。「うちの台所は火の車だ」と言えば、家計が大変苦しいということです。“造る大工は なけれども”とあるのは、昔、車は大工さんが造っていたから。ここで言われていることは、「(苦しい状態は)自分以外の誰かが造ったのではありませんよ」ということです。では、“火の車”は誰が造ったのか?“己が造りて 己が乗りゆく”。自分が造って、自分がその車に乗り込んで、 自らが火に焼かれ、苦しむのだよ、と教えられています。因果の道理に狂いはありません。すべて自因自果です。他の誰かが原因で自分に結果が現れた、という他因自果ということは、万に一つ、億に一つもありません。それでも「正直者は馬鹿を見る」と言うじゃないか、 という人があるかも知れません。善いことをしても、ひどい目に遭ったり、 悪いことをしても、見つからず、甘い汁を吸っている人も あるのではないか?そんな思いを抱く人はないでしょうか?お釈迦さまは、このような疑問に対し、「蒔いた種は必ず生えるが、生えてくる時期には、前後があるのだよ」と教えられています。これを○ 順現業(じゅんげんごう)○ 順次業(じゅんじごう)○ 順後業(じゅんごごう)と言います。ちょうど、“米”のように、種を蒔いた年に、収穫があるものもあれば、“麦”のように、蒔いた翌年に刈り取るものもあります。“栗や柿”のように、数年たってようやく実を結ぶものもあるのです。例えて言えば、「順現業」は、すぐに結果が現れる“米”のようなもの。「順次業」は、しばらく経ってから、刈り取る“麦”のようなもの。「順後業」は、長い間を経て、ようやく結実する“栗や柿”のようなものです。遅い早いはあっても、縁が来れば、必ず結果が現れることに例外はありません。原因は厳しく結果を開きます。他人が見ているとか、いないとかは、因果の鉄則に関係ありませんから、善いことをして損をすることもなければ、悪いことをして得をすることも絶対にありえません。「自分は一生懸命、善いタネを蒔いているのに、なんで結果が現れないんだろう?」という人は、 貯金をしていると思えばよいでしょう。後で、利子がついて、ドーンと大きな結果が返って来るのを待てば良いのです。善い種を蒔かないと、善い結果は絶対に現れません。悪い結果を避けたいならば、悪い種まきをしないように努めないといけません。お釈迦さまの説かれた「幸せの法則」はシンプルかつ厳粛なのです。

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  • 17Sep
    • 運命は決まっていない。未来はこれから自分が創造していくもの

      前回は、「因」と「縁」と「果」の関係をお話ししました。「因」と「縁」とがそろってはじめて「結果」が生じる。どんな場合も、例外はありません。しかも、善い結果であれ、悪い結果であれ、私に現れた運命(結果)のすべては、“私の行為”が「原因」である、と教えられます。酒を飲めば、飲んだ人が酔っ払う。お餅をノドに詰まらせたら、ノドに詰まらせた人が苦しむ。善いのも、悪いのも、自因自果です。他人のせいで、私が苦しむというような“他因自果”は絶対にありません。「確かに、理屈はそうかもしれないけど、他人のせいで、自分が苦しむことって、あると思うけど…」そう思う人も多いと思います。もっともな疑問です。世の中には、一見すると自因自果と思えないことがたくさんあります。「自分がこんなに苦しんでいるのは、あの人のせいだ」「あいつが、あの時、あんなことを言ったから、 オレはこんな目にあったんだ。悪いのはあいつだ」自分があまりに不幸で、惨めな目にあうと、とても自因自果とは思えず、他因自果のようにしか思えないことがあります。しかし、仏教では、どんなことも例外なく、自因自果だと教えられています。それを他因自果のように思うのは、「ナワをうらむ泥棒」と一緒だよ、と言われるのですが、それはどういうことなのでしょう?御用となった泥棒がナワで縛られ苦しんでいる。泥棒は“オレを苦しめているのは、このナワだ!”と考え、ナワを恨んでいる。そんな泥棒を見たら、誰もが「バカな泥棒だなぁ」と愚かに思うでしょう。泥棒を苦しめているのは、ナワではなく、泥棒自身の犯した“盗み”という行為に他ならないからです。ところが、目先のことしか分からない泥棒は、自分を苦しめているのはナワだと思い、過去に犯した悪の行為の結果とは、ユメにも気づかないのです。世の中に、ナワがどれだけあっても、縛られて苦しんでいるのは、その泥棒だけです。そのような結果を招いたのは、間違いなく、泥棒自身の行為なのですから、恨まねばならないのは、自身の行為であって、ナワを恨んでいるのは、お門違いだというのは、誰でもわかると思います。しかし、この泥棒を笑える人はどれだけあるでしょう?「自分がこんなに苦しんでいるのは、あの人のせいだ」「あいつが、あの時、あんなことを言ったから、オレはこんな目にあったんだ。悪いのはあいつだ」と、他人をのろい、相手を憎む心はないでしょうか?とんでもないものを恨んだり、腹を立てたりしていては、幸せにはなれないでしょう。現在受けている一切の運命は、自分がかつて創造したものであり、未来の運命は、これから自分が創造していくものなのです。

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  • 16Sep
    • 運命の仕組みをよく理解するために知っておかないといけないこと

      仏教の根幹である因果の道理は、正確には「因縁果の道理」と言われます。ここは大切なところです。よく知って頂きたいと思います。「因」と「縁」と「果」の関係を知るために、“お米”を例に考えてみましょう。“米”を「果」としますと、米はモミ種から作られますから、「因」は“モミ種”です。でも、いくらモミ種があっても、畳や机の上に蒔いていては米にはなりません。モミ種が米になるには、土や水、日光、空気、肥料などの助けが必要です。仏教では「因」が結果になるのを助けるものを「縁」と言われます。因だけでは、結果は生じません。すべてのことは、因と縁がそろって、初めて結果が現れるのです。次に、目に見えない「業力」というタネが、縁と結びついて、幸福や不幸という目に見える「運命」となって現れることを次のような歌で説明しましょう。「年毎に 咲くや吉野の 山桜 木を割りてみよ 花のありかは」という歌があります。毎年、毎年、見事に花を咲かせる吉野山の桜も、冬に行ってみると、枯れ木のような木がツクンツクンと立っているだけ。「あれだけ見事な花を咲かせるのに、花びらはどこに隠しているのだろう」と、木を一分刻みに刻んでみた男があったそうですが、当然ながら花びらはどこにもありませんでした。それもそのはず、木の中に蓄えられている目に見えない“勢力”が、“春の陽気”という縁と結びついたとき、初めて満開の花を咲かせるのです。春の陽気なしに、桜の木は花を咲かせることはありませんし、どれだけ春の陽気があっても、木が枯れていては花は咲きません。「因」と「縁」とがそろって「結果」が生じるのです。目に見えない業力も、縁が来れば確実に、善因には善果(幸福という運命)、悪因には悪果(不幸や災難という運命)、それぞれ結果を開きます。善い種を蒔いて、すぐに結果が現れないからといって、焦ったり、残念に思う必要はないのです。縁がそろっていないだけで、縁がくれば必ず結果は引き起こります。悪いことをして、すぐに悪い結果が現れなかったからといって安心は出来ません。縁がくれば、必ず悪果を引き起こします。“業力は大象百頭に勝る”と お釈迦さまは教えられています。業力は、何ものをもってしても止められないものすごく強い力なのです。自分の運命のすべては、自分自身の行為が生み出した結果です。自分のやった行為には、自分が責任を持たねばなりません。“蒔かぬ種は生えぬ。刈り取らねばならぬ一切のものは、自分の蒔いたものばかり”

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  • 15Sep
    • 私たちの運命は行為によって決まると仏教で教えられる

      私たちの運命は何によって決まるのか?お釈迦様は、「行為によって決まる」と教えられました。それについて、もっと詳しく学びましょう。行為のことを仏教では【業(ごう)】と言います。インドの言葉では「カルマ」と言われます。私たちのやった行為は、【業力(ごうりき)】という目に見えない力となって残り、決してなくなりません。これを【業力不滅(ごうりき ふめつ)】と言います。その不滅の業力はすべて、【阿頼耶識(あらやしき)】と いう私たちの本心に蓄えられるのだと仏教では教えられます。「阿頼耶(あらや)」とは、昔のインドの言葉です。意味は、「蔵」ということ。「識」は心のことですから、「阿頼耶識」とは、“蔵のような心”と言えましょう。この阿頼耶識に、私たちが日々造り続けている無量の業力が蓄えられるのです。肉体の命は、およそ7、80年、長くてせいぜい100年ですが、この阿頼耶識は、悠久の過去から永遠の未来へと流れていく不滅の生命です。肉体が生まれて、50年や100年の間で死ぬのは、永遠の生命の流れから見れば、とうとうと流れる大河の水面に泡がポツンと生じ、やがてパッと消え去るようなものでしかありません。不滅の業力を蓄える阿頼耶識は、肉体が滅びても、滅びることのない永遠の生命である、と仏教では教えられています。その阿頼耶識は“暴流(ぼうる)のごとし”と教えられます。「暴流(ぼうる)」とは、激しい流れのことで、滝のようなものです。滝は、遠くから見ると一枚の布のように見えますが、実際は、激しく流れていて、一時として同じ水ではありません。“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”『方丈記』(鴨長明)の冒頭のように不滅の阿頼耶識は暴流のごとく、絶えず変化しながら続いていくのです。行いには、・身業(しんごう):体の行い=体でやる・口業(くごう):口の行い=口で話す・意業(いごう):心の行い=いろいろのことを思うの三業があります。これを“身口意(しん・く・い)の三業”と言われます。法律や道徳では、体と口の行ないを問題にしますが、仏法では“心”が最も重視されます。心で思ったことを、体で行い、口で言う。心はあらゆる行為のもとだからです。“殺るよりも 劣らぬものは 思う罪”と言われます。「殺る(やる)」とは、体で殺すことですが、心で殺す罪はもっとも恐ろしい、ということです。ですから、心で日々思っていることこそ、私たちの運命を大きく左右していることを知らなければなりません。心と口と体の3つの行為が、目に見えない業力となって阿頼耶識に蓄えられ、やがて未来の運命を生み出すのです。

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  • 14Sep
    • 運命の原因と結果の関係を教えられた仏教の言葉

      幸福や不幸という運命の原因と結果の関係について、仏教ではどのように教えられているか、お話しましょう。お釈迦さまは次のように教えられています。 善因善果 (ぜんいん ぜんか) 悪因悪果 (あくいん あっか) 自因自果 (じいん じか)「善因善果、悪因悪果」とは、「善い種をまけば、善い結果が現れる。悪い種をまけば、悪い結果が現れる」ということです。植物で例えれば、ダイコンの種をまけばダイコンが出てくる、キュウリの種をまけばキュウリが出てくる、ということです。ダイコンの種をまいてキュウリが生えてきたり、キュウリの種をまいてダイコンが出ることは絶対にありません。まいた種と同じものしか生えてはきません。まいたものを知れば何が出てくるか分かるし、出てきたものを見れば、まいた種も分かります。「自因自果」とは、「自分のまいた種は、自分が刈り取らねばならない」ということです。善いのも悪いのも、まいたその人に結果が現れるのであって、他人のまいた種の結果が自分に現れたり(他因自果)、自分のまいた種の結果が他人に行く(自因他果)ということも絶対にありません。ここで種(「因」のこと)といわれているのは、私たちの「行い」のこと。結果(「果」のこと)とは、分かりやすく言えば「運命」のことです。だからこそ、受験生は、入りたい大学に合格するために一生懸命、勉強をします。自分の勉強した成果が他の人に行くと思ったら、誰も がんばって勉強する人はないでしょう。疲れていても、それに耐えて会社に行くのは、自分が働いた分だけ、自分の収入になると思うからです。給料が、自分の努力と無関係なら、一生懸命働く人もありません。善い運命(幸福)も、悪い運命(不幸や災難)も、自分に引き起こる運命のすべては、自分のやった行為が生み出すものなのだよ、と教えられているのが仏教です。これには一つの例外もない、とお釈迦様は教えられています。せっかく良いことをしたのに、誰も見ていなかったり、評価もされなかったとき、残念な気持ちになることはありませんか?反対に、悪いことをしたけど、見つからなかった、ばれなかった場合、しめしめ、と ほくそえむ心はないでしょうか?因果の道理に狂いはありませんから、種を蒔いたのに結果が現れない、ということは絶対にありません。自分が良い種を蒔けば、必ず自分に良い結果が現れます。自分が悪い種を蒔けば、その報いは必ず自分に引き起こります。宇宙に逃げても、たとえ警察や裁判官から逃れることは出来ても、自分が蒔いた種の報いから逃れることは出来ないのです。

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  • 13Sep
    • 星座、手相、くじ、先祖などと私の運命は関係あるの?

      朝の番組を見ていると、よく“星座占い”をやっています。雑誌では、“今日の運勢”が 必ずと言っていいほど載っていますね。“手相”をネタにしたお笑いもテレビや雑誌に出ています。神社にいって毎年“おみくじ”を引く人もあるでしょう。自分に引き起こる結果を「運命」という言い方をすれば、古今東西の人間の最大関心事は“自分の運命”かもしれません。特に、未来に大事なイベントがあると、とかく“運命”が気にかかるものです。受験、就職、結婚はもちろん、商談や工事、宝くじを買う日や場所など、どうすれば少しでも良い結果(運命)が得られるか、必死になります。種子島で、ロケットの打ち上げの日が近づくと、打ち上げの関係者は、宇宙センター近くの3ヶ所の神社に詣りに行くそうです。平成14年、ロケットの打ち上げに失敗したときも神社に参っていました。次回の平成17年の打ち上げ時もやはり成功祈願の宮参り。今度は、前回の反省(?)もあって神社の参拝順序を変更したとか……。最先端の科学を駆使する技術者たちも、運命となると、手も足も出ないのでしょうか。「やることやったら後は神頼みしかないでしょう」とセンターの職員は語っていたそうです。日常生活で引き起こる些細な結果(運命)から、未来を大きく変えるような結果(運命)まで、いったい私たちの運命は何によって決まるのでしょう?占いが運命を決めることがあるのでしょうか?運命を与えるような絶対的な神がいたりするのでしょうか?先祖や何かの霊の影響?手相や人相、親がつけた名前が運命を左右する?星座や、その日の善し悪しが今日の私の運命を決める?どんなに努力しても、結局、神サマが運命を決めるのなら、努力するのがバカバカしくなります。先祖の霊のきまぐれで私の運命が左右されるなら、悪い運命がくれば先祖の霊を呪わねばなりません。“先祖のタタリ”は聞いたことありますが、“先祖をタタる”は聞いたことがありません。2600年前、インドで活躍なされたお釈迦さまは、私たちの幸福や不幸という運命は、何によって決まるのか、その法則をハッキリと教えられた方です。その法則を『因果の道理』と言われます。「因果」とは、原因と結果のことで、“すべての結果には必ず原因がある。 原因なしに起きる結果は、万に一つ、億に一つもない”ということです。髪の毛が1本落ちたという結果にも原因があります。今、皆さんがパソコンや携帯の画面を見ながら、この文章を読んでいるという結果にも、必ず原因があるのです。“どんな結果にも必ず原因がある”これはいつの時代、どんな場所でも変わらない真理であると、お釈迦さまは教えられています。何の原因もなしに結果が生じるという意味の「偶然」や「奇跡」を仏教は認めません。すべて必然であり、一つとして例外はありません。「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、ここは大切なところです。しっかり心に留めて聞いていただきたいと思います。『因果の道理』の「道理」とは、「三世十方(さんぜじゅっぽう)を貫くもの」をいいます。「三世」とは過去世、現在世、未来世のことで、「いつでも」ということ。「十方」とは東西南北上下四維(しゆい:北東、南西など)で、「どこでも」ということ。いつでも、どこでも変わらない真理を「道理」といわれます。この世のすべてのことは、必ず原因があって結果が生じるという、いつの時代も、どんな場所でも変わらない真理が「因果の道理」です。平安時代は、それは通用したけど、平成の今日では通用しない、というものは道理とは言えません。今は成り立つけど、1万年後の未来は成り立たない、というようなことも道理とは言われません。また、中国では正しいけど、アメリカでは、それは間違いになる、というもの、日本では通用するけど、ヨーロッパに行くと通用しない、というものも、道理とは言われません。その時代、その場所のルールや価値観に左右されない、いつでもどこでも成り立つこと、正しい事実を仏教で道理と言われます。そんな道理を、仏教では、2600年前から教え続けられているのです。特にお釈迦さまは私たちの最も知りたい、幸福や不幸の原因と結果の関係を詳しく教えられています。

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  • 11Sep
    • 人間関係がうまくいかない。それにも必ず原因がある。

      どんなにいい景色の家に住んでも、どんなに好きな仕事に就いても、そこでの人間関係がうまくいかないと、たちまち憂鬱な毎日になります。ある夫婦の会話です。妻「ねぇ、これ体にいいって、テレビで言っていたから買って来たのよ。  あなたも飲む?」夫「なに、それ?」妻「ダイエットにいいサプリメントなの。  食後に飲むと、脂肪分が体に吸収されにくくなるって。  二の腕とおなか、気になってたのよ」夫「バカだなぁ、そんなの飲むぐらいなら、もっと運動しろよ。  だいたい、カロリー摂取量が、カロリー消費量を上回っているから太るんだ」妻「それくらいわかってるわよ。それが出来ないから苦労してるんでしょ」夫「サプリメントなんて、怪しいんだよなぁ。医学的根拠、あるの?案外、テキトーだよ。  それより、もう風呂の用意できた?」妻「なによ!自分で入れたら?いつも私にさせてばっかり」夫「そんなの、お前の仕事だろ。  オレは、外で働いて疲れてるんだ。  家のことをやるのが妻として当然のことじゃないか」妻「何その言い方。  私だって、掃除とか、洗濯とか、買い物だって、大変なんだから。  自分だけが働いてるなんて思ってもらったら困るわ」夫「なんだと!いい加減にしろ!」妻「いい加減にしてほしいのは、あなたのほうよ!」夫「もういい!やりたくないなら勝手にしろ!」妻「そんな言い方ってないでしょ!  あなたっていつもそうなんだから!」と、夫婦で会話をすると、いつもこうなってしまう……、というお悩みの方、ありませんか?また、職場でこんなこともありますね。上司「君、頼んでおいたあの報告書、出来た?」部下「え?あ、いや……」上司「なんだ、まだ出来てないのか。遅いぞ」部下「あの、ちょっと他にも依頼されたものがありまして……」上司「期限は守ってもらわないと困る」部下「申し訳ありません。しかし、今日も午前に会議が……」上司「言い訳を聞きたいのじゃない。いつやれるんだ?」部下「……」(クソー、オレの言い分も聞いてくれよ!)上司や同僚との人間関係にも、悩んだことがない、という人はないでしょう。夫婦の間でも、上司と部下、同僚同士でも、お互い仲良く幸せに生きたい、という願いは共通しています。なのに、なぜか「うまくいかない」「関係がギスギスする」「すぐケンカになる」など、問題が多発します。どうしてでしょう?どんな場合もそうですが、結果には必ず原因があります。「人間関係がうまくいかない」という結果にも、必ず原因があるのです。また、「良い人間関係」にも、もちろん原因があります。良い結果を得るには、その“タネ”(原因)を知って、“タネ蒔き”を実行しなければなりません。悪い結果を避けるには、その“タネ”(原因)を知って、タネを蒔かないように努める必要があります。仏教を説かれたお釈迦さまは、私たちに引き起こる良い結果、悪い結果は何によって決まるのか、それぞれの原因について、関係をハッキリと教えておられます。

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  • 08Feb
    • うまくいかない原因を環境に求める前に

      何か、物事がうまくいかないとき、環境に原因を求めることがあります。仕事がうまくいかないとき、「そうだ。職場を変えれば、うまく行くんじゃないかな」と転職する。だけど、行った先でもうまく行かない。どこに原因があるのだろう?それを考える一つの小話があります。ある森でのこと。顔をしかめて飛んでゆくフクロウを、連れのハトが呼びとめました。「おいおい、そんな、うかない顔して、どこへいくんだ?」 さびしそうに、フクロウが答えました。「知ってのとおり、この里の者たちは、悪い声のオレを嫌うので、所を変えようと決心したんだよ」 くくと笑って、ハトは、「それはムダだよ、フクロウさん。 いくら所を変えたって、おまえの声を変えないかぎり、いく先の者はやはり、おまえを嫌うだろう。 古巣を捨てる覚悟があれば、声を変える努力を」と、忠告したといいます。周囲に好かれる努力をしないまま、環境だけを変えても、結果は変わらないことを教えてくれる話です。自分のことは棚に上げて、環境に原因を求める心を「愚痴」と言います。フクロウが声を変えるのはさすがに大変ですが、それに比べたら、私たちは、ちょっとした努力でもかなり変わることができます。たとえば、職場の自分の机の上に注目。「自分の机の上なんだから、少々、乱れていてもいいだろう」と思っていたら要注意。意外と見られているものです。周囲からは「ちゃんと整理整頓すればいいのに」と思われているかもしれません。自分が思いもよらないところで、周囲に不快な思いを与えて、人間関係がうまくいかない要因の一つになっていることもあります。たとえば、自分の服装や髪型。高価な服装である必要はなく、要は、清潔であればいいのです。ヨレヨレであったり、シミがついていたり、ネクタイがだらしない状態であったり……。また、髪の毛がボサボサであったり。これでは、行くところ、行くところで、嫌がられます。幼稚園や小学生のころ、よく言われたと思います。「爪はちゃんと切っていますか」「ハンカチ、ティッシュ、持っていますか?」などなど。子供でもやっていることですが、改めて「自分は出来ているかな?」と振り返って、出来ていなかったら直す。これだけの種まきでも、結果は大きく変わるに違いありません。◆ つぶやき ◆新潟の佐渡を中心に大きな地震がありました。富山も揺れましたが、震度は2でしたので大丈夫でした。あちこちで地震が起きて心配です。地震も心配ですが、今は雪が激しく降って、そちらも心配です。勤務先のビル前の道路で、今日は交通事故がありました。路面が凍結していて、スリップしたのか、車が電柱に激突していました。幸い、運転手は怪我もなかったようでしたが、急に冷え込んだので、こんな時こそ危ない。明日の朝は、かなり積もっていそうです。全国的に冷え込むようですから、皆さんも、くれぐれもお気をつけて。

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  • 06Feb
    • 「運が悪かった」ということはない

      今朝は、少し冷え込みましたが、午後から雨が降り、雪もだいぶ解けました。今週の後半、また寒波で雪が降るようです。今日は、戦国武将に学びましょう。武田信玄は、戦国武将の中でも最強と評されるほどの人でした。なぜ、強かったのでしょうか?その秘密を解く鍵が、次の言葉の中にあるといわれます。「負けるはずがないと思っていた戦に負けたり、滅びるはずがないと思っていた家が滅びたりすると、人は皆、天命(運)だという。 だが、わしは天命だとは思わない。それは皆、やり方が悪かったからである。やり方さえよくすれば、負けるはずがなかろう」(名将言行録)思いがけない事態が起きると、「運が悪かった」で済ませてしまうこと、あります。でも、こういう心も「愚痴」の心です。失敗の原因は「運が悪かったから」ではありません。そもそも「運」とは何でしょう?うーん……(ーー;)と言っていては、サムイ……。どんな結果にも、必ず原因があります。「仕方がなかったんだよ」で済ませれば、もう進歩はありません。悪い結果が起きたならば、その時、その時、きちんと原因を追究し、反省し、対策を立てて、改める努力をしてこそ、未来は開けてきます。信玄のモットーに、学ばないといけないな、と思いました。◆ つぶやき ◆毎月、言葉使いの勉強会に参加しています。この前は、「させていただきます」について、教えてもらいました。この「させていただきます」は、浄土真宗から出た言葉で、ちゃんと意味があってのこと。日常会話で乱用すると、おかしな印象を与えかねないので、適切に使いたいものです。「私はA高校を卒業させていただきました」と自己紹介すれば、どうにかこうにか、大目に見てもらって卒業させてもらった、ということになります。「私はA高校を卒業いたしました」で充分通じます。ということで、この年齢になって、言葉使いを学んでいるわけですが、ちゃんと勉強しないといけないな、と毎回、反省させられます。では、今日は、この辺で。おやすみなさい。m(_ _)m

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  • 03Feb
    • 愚痴とはどんなこと? 愚痴の意味から分かること

      こんばんは。今日も、寒い一日でした。日が暮れてから外に出ると、昼間に雪が解けたところは凍ってツルツルです。危うくすべって転びそうになりました。さて、鬼の話、まだ続いています。今までは、赤鬼の「怒り」についてでした。さて、今回は黒鬼です。これは人間の愚痴(ぐち)の心を表したもの。“愚痴”という言葉は使いますよね。言ってもしかたのないことを言って嘆くのを「愚痴を言う」と言います。仏教で「愚痴」とは、ネタミ、ソネミ、ウラミ、ニクシミの心をいいます。醜い心なので、「黒」で表されています。「愚」は「おろか」という字です。「痴」は知恵が病気にかかっている字です。ともに、馬鹿で愚かな心ということを表しています。どうして、ネタミやソネミ、ウラミやニクシミは、馬鹿で愚かな心だと言われるのか?例えば、同じクラスの友人が、数学のテストで100点をとって先生の褒められた。それを見て、「ちぇ、たまたまいい点数とったからと言って、いい気になるなよ」と思うのは愚痴です。自分が万引きをしたのを通報され、警察に補導された。通報した人を逆恨みする。「クソ!あいつが通報さえしなかったら……。おのれ!」こういうのも愚痴の心です。クラスの友人が100点をとったのは、その友人が一生懸命、勉強をしたから。自分が100点を取れなかったのは、勉強しなかったから。実にシンプルな因果関係です。自分がちゃんと勉強をしなかったことを反省すべきなんですが、その因果関係を認められずに、相手をねたむ馬鹿な心だから「愚痴」です。警察に捕まったのは、自分が万引き行為をしたから。明らかに自分が悪いし、通報をした人は良い行為をしたわけです。その自分の行為を棚に上げて、通報した人を恨むのは、愚かなことです。これも「愚痴」だとわかるでしょう。どんな結果にも必ず原因がある。原因なしに起きる結果は、万に一つもない、という因果の道理を認められない愚かな心だから「愚痴」と言われます。「自分が悪かった」と認められず、他人を恨み続ける限り、不幸のスパイラルに陥るだけ。ちょうど病気でも、原因を誤ると、病気も治らず、苦しみは増すばかり。自分に引き起こった原因を正しく知って、正しく反省しないと、幸せに向かっての第一歩は踏み出せない、ということを、「愚痴」の言葉の意味から学ぶことができます。◆ つぶやき ◆自宅の屋根から、つららが垂れ下がっています。ベランダに出ると、手でポキッと折って、取ることができます。大雪は峠を越したということですが、来週の半ば以降も、また雪のようです。寒い冬は、すごく苦手なんですが、今年は例年と違うことがあります。まだ、しもやけになっていません。「おー!」(*^-^)これには自分で感動。体質が変わったのかな?でも、かかとがひび割れて痛いのは昨年と同じです。乾燥して、皮膚が固くなって、それがひびわれてしまうんです。乾燥肌なので、保湿が大事ですね。ふだん、自分が任務をする部屋は加湿器で加湿しています。これをしないと、部屋の湿度が20%台まで下がってしまうのです。空気の乾燥は、知らず知らずのうちに体から水分を奪ってしまうそうで、こまめな水分補給が大事だと、以前、テレビでも言っていました。冬場の健康管理、お互いに気をつけましょう☆

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  • 01Feb
    • 怒りの心がわいたら、どうすれば良い?

      怒りの心がわいたら、どうすれば良いのでしょうか?具体的な方法について、今日は、こんな話を紹介します。 「禍いと苦難を避ける方法を教えよう。それは、ただ『堪忍』の一句である」一人の男が、高僧から、こう伝授された。高僧は続ける。「これは、と思う急な時には、まず『堪忍、堪忍』と唱えて、後ろへ3歩下がりなさい。 決して、そのまま前へ進んで、カッとなって思ったとおりのことをしてはなりませんよ」 男は、頭を下げて聞いていたが、心の中ではバカバカしくてならない。「その程度のこと」と、信じようともしなかった。 それから6年たった、ある日のことである。 彼は、久しぶりに故郷へ帰った。我が家に着いたのは、もう夜更けであったが、中からは明かりがもれていた。 「おかしいぞ、こんなに遅くに……」  戸の隙間から、そっと中をのぞくと、妻が立って仕事をしている。 ところが、その側には、頭巾をかぶって顔を隠した男がいるではないか。妻と、仲むつまじく話をしている。 「さては、浮気しているな! おのれ!」  彼は烈火のごとく怒りを発し、短刀に手をかけた。 この時、ふいに、6年前の高僧の言葉、 「忍び難き場面に直面したら、『堪忍』と唱えて、3歩下がりなさい」 を思い出したのである。 「堪忍、堪忍」と言って、後ろへ3歩下がると、「急ぐな、今、やつらを殺せば、我が身は、殺人罪。もうこの家にはおれない。親や子供は、どんな思いをするか……」 と思えてきた。  彼は、心を静めて、家の戸をたたいた。 すると、頭巾で顔を隠していた男が、すぐに戸を開けに来て、「婿殿、今、帰ったのか」と、満面の笑みで迎えてくれる。  頭巾を取った姿は、男ではなく、妻の母であったのだ。 母は笑って言う。「少しでも生活費を稼ごうと、夜なべ仕事を始めたんです。 でも、夜は、女だけではぶっそうなので、私が男に変装して、この家を守っていたんですよ」 彼は、大地にひれ伏して、「ああ、『堪忍』の一句がなければ、俺は今ごろ、妻と母を殺していたんだ。 恐ろしい結果になるところであった。浅はかであった……」と、泣いて懺悔するのであった。 (1万年堂出版『こころの道』より) 本の中に教えられていた話です。 イギリスのことわざに「腹が立ったら、100数えよ」とあります。 アメリカの3代大統領のトマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に10まで数えよ。 それでも怒りがおさまらなかったら100まで数えよ。 それでもダメなら1000まで数えよ」と言っています。 日本のことわざにも、「一朝の怒りに、一生を過つ」と戒められています。 「堪忍」は「こらえしのぶ」ということですから、腹が立ったときは“忍耐”が大事ということを、よく心得ておきたいものだなぁ、と思いました。 (*^-^)

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  • 30Jan
    • あなたは善人ですか?それとも悪人ですか?と問われたら…

      大正時代の話です。ある仏教の布教使が、寺で説法していた時のことでした。大の仏教嫌いだった村の小学校長が話を聞きに来ていました。「仏教は、すべての人間は悪人であると説くから気に入らん! 有名な僧侶が来るなら、一度行って、懲らしめてやろう!」そう思って、参加していたわけです。そうとは知らない布教使は、いつものように、「仏さまの眼から、ごらんになれば、善人は一人もありません。皆、悪人なのですよ」と話をしました。話の後、控室を訪ねた校長は、早速、「あなたは今、人間は皆悪人と説法されましたが、まことに困ります。 そんなことを認めたら、教師も皆悪人ということになり、教育が成り立たんではありませんか。 今後、かようなことは言わないようにしてもらいたい」と、カンカンになって抗議しました。すると布教使は、即座に校長の下座に下がり、土下座して謝りました。「いやぁ、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、とんでもないことを申し上げました。 何とぞご容赦ください」あまりに意外な反応に、校長はビックリ。なにしろ、この布教使は、大正の一休とまでいわれた人。歯に、きぬ着せぬ物言いをする人が、ひと言の反論もせずに謝り果てているのですから、薄気味悪い。「まあまあ、そんなにまでしてもらわなくても、あのような説教さえ、してもらわねばよいのです」そう言って校長は、早々に退散しようとしました。「じゃあ、私はこれで」靴を履き、校長が玄関を去ろうとした時、「先生、ちょっとお待ちください」。布教使が声をかけた。「何か?」「先ほどあなたは、この世には善人もいれば悪人もいると言われましたな」「はい、そう申しました」「では校長先生、一つお尋ねしますが、あなたご自身は、その善人でいらっしゃいますか。それとも悪人でいらっしゃいますか?」答えにくい質問です。今更、悪人とは言えません。かといって、善人と答えるのもはばかられます。校長が返答に窮していると、「他人のことを聞いているのではありません。あなた自身のことです。 なぜ答えられないのですか? なら質問を変えましょう。あなたは学校で、うそは善だと教えられていますか。悪だと教えておられますか」「もちろん、うそは泥棒の始まり。悪いことだと教えています」「では校長先生は、これまでにうそをつかれたことはありませんか?」校長ならずとも、だれにも身に覚えのあることです。「では、喧嘩はどうですか?善悪、いずれだと教えられますか」「悪に決まっています」「では、校長先生は今までに夫婦喧嘩をなされたことは一度もないのでしょうか?」これまた日常茶飯事。「生き物を殺すことは、いかがですか?子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」「言うまでもない。悪だと教えます」「それならば、あなたは、一切生き物を殺しておられないのですか。また、肉や魚は食べられないのですか?」「それは……」力なく答える校長に、その布教使は、「それならばあなたは、うそも喧嘩も殺生も、皆、悪だと知りつつ、毎日それを繰り返しているのではありませんか?」日常、何とも思わずに重ねている悪を一つ一つ指摘されるうちに、さすがの校長も反省の心が起きてきました。ついには玄関に座り込み、「先ほどは座敷で失礼なことを申し上げてしまいました。 よくよく考えてみると、気づかぬところでどれだけの悪を造っているかしれません。ご無礼をお許しください」と謝ったといいます。一つのエピソードですが、いろいろ考えさせられます。善いのも悪いのも自分が受けた結果は、すべて自分の蒔いたタネが引き起こしたもの。悪い結果を受けたときは、「そんな悪い種を蒔いた覚えはないけどなぁ……」という思いが出てくるのですが、この布教使と校長先生の話を教えてもらって、自覚なしに悪いタネをたくさん蒔いているのだなぁ、ということを思いました。◆ つぶやき ◆今朝は、けっこうな雪が積もっておりました。昼には太陽が出て、路面の雪もかなり解けましたが、まだまだ今週は雪が続きます。さて、昨晩、NHKスペシャルで、「なぜ人間になれたのか」という番組をやっていた。その中で「人間は、他人の痛みを不快に思う仕組みがある」という説明がありました。例えば被験者に、男性が女性にビンタされている映像を見せると、脳では「不快」を感じる部分が反応する。ところが、この被験者に、あることを伝えた上で、同様の映像を見せると、まったく逆の反応を見せる、という。その「あること」とは……?「あの男は、彼女にひどいことをしたんだ」こう伝えた上で、被験者に、男性が女性にビンタされる映像を見せると、「快感」を覚える反応を示した、という。これは、人間が、集団で生きるために生まれた機能だという説明だった。何万年も前の人類において、規律が存在し、ルールを守らない者を罰していた、というのは驚きました。人間が集団で生きていくために生まれた脳の機能……。なるほどなぁ、と思いました。今の社会が成り立っているのも、そういう脳の機能があるからだな、と思います。では、また☆

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    • 1から分かる仏教講座のホームページ開設のお知らせ

      友人の講師が有志で、仏教講座のホームページを作成しました。各地で開かれている仏教講座のことが、詳しく書かれてあるので、ぜひごらんください。開催地は、東京、横浜、千葉、茨城、大阪、広島、富山、金沢、名古屋、京都などです。仏教講座で、どんな内容が学べるのか、仏教についての解説も載っていますから、勉強にもなります。下のリンクから仏教講座のホームページに行くことができます。1から分かる仏教講座

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  • 28Jan
    • 一家和楽の秘訣

      「家庭内でケンカが絶えない。いったいどうしたら……」という悩みを抱えている方は少なくないようです。ケンカはしたくないのに、つい「カッ」となって衝突してしまう。そんなケンカの絶えない家の主人が、仲良し家族の家に秘訣を聞きに行く、という話が本に載っていましたので紹介します。・・・・・・・・・・ ある所に、内輪ゲンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していた。 ケンカの絶えないA家の主人は、隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず、ある日、B家を訪ねて懇願した。「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。 お宅はみなさん仲よくやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか。 一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。 ただお宅さまは、善人さまばかりのお集まりだからでありましょう。 私の家は悪人ばかりがそろっていますので、ケンカにはならないのです。ただそれだけのことです」 てっきり皮肉られているのだと、A家の主人は激怒して、「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき、B家の奥で大きな音がした。 どうも皿かお茶碗でも割ったようである。「お母さん、申し訳ありませんでした。 私が足元を確かめずにおりましたので、大事なお茶碗をこわしてしまいました。私が悪うございました。お許しください」 心から詫びている、お嫁さんの声がする。「いやいや、おまえが悪かったのではありません。 先ほどから始末しようしようと思いながら横着して、そんなところに置いた私が悪かったのです。 すまんことをいたしました」と、続いて姑さんの声が聞こえてきた。「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。ケンカにならぬ理由がわかった」 A家の主人は感心して帰ったという。 謗るまじ たとえ咎ある 人なりと     我が過ちは それに勝れり(1万年堂出版「光に向かって100の花束」より)・・・・・・・・・・「自分が悪い」とは、なかなか思えないものです。“自分がこんな目にあったのは、あの人のせい”“私の不幸は、あいつのせい”“自分がこんな苦しい思いをしないといけないのは、会社が悪い”と、自分が受けた苦しみの犯人探しをし、相手を責めます。責めることの出来ない相手に対しては、“恨み”“憎しみ”の炎となって、いつまでも消えません。なぜ「自分が悪い」と思えないのでしょう?それは、自分を正しく見ることが出来ないからです。自分が悪い結果を受けたのは、過去にやった自分の悪い行為が原因で、それ以外にありません。ところが、“悪い”という自覚なく悪い種まきをしているので、いざ結果が現れると「オレが何をしたというのだ」という思いが出てくるのです。もうちょっと深く突っ込んで、話をしたいと思いますが、長くなったので、また次回にします。

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    • 「短気は損気」とよく言われたものです

      「短気は損気」よく祖母から言われた言葉です。腹を立てると、誰が一番ダメージを受けるかと言えば、自分です。損得勘定で考えたって、腹を立てないほうがいいに決まってます。腹を立てたら、自分が損をするんですから。こんなシチュエーションを考えてみましょう。友だちと遊びに行く待ち合わせをしました。約束の時間は午前9時に、駅前で。早めに行っておこうと思って、15分前に到着しました。まだ時間があるので、駅前の本屋で立ち読みでも。さて、そろそろ時間。本屋を出て、待っても、友だちは現れない。メールをしてみるが、返信もなし。電話をかけるが、コールのみ。こんな状況になったら、どんな心になるでしょう?「何で来ないんだ? 遅れるとか、何か連絡ぐらいくれたらいいじゃないか!」「自分は、遅れないように15分前に来たのに。 人を待たせるなんて、とんでもないな」30分待っても来ない、となれば、イライラも通り越して、「もう、これ以上待てない! 予定はキャンセルだ!」と帰ってしまうかも知れません。その後も、腹立ちはおさまらず、ムシャクシャする気持ちを晴らそうと、気晴らし策を考えます。しかし、思い出せば出すほど、腹が立ち、「今度会ったら、今日のこと、問い詰めてやる」と、絶対に詫びを入れさせるぞ、と心に誓ったりします。「約束の時間に相手が来ない」という状況に対して、「忘れてるんじゃないか?」「すっぽかしか?」と思うと、無性に腹が立ってきます。果たして、そんなふうに思わないといけないものか、もうちょっと考えてみましょう。「約束の時間に相手が来ない」という事実は、他にも解釈の仕方があります。「事故にあった」「緊急事態が発生した」「病気になった」もしかしたら、よほどの事情があって、来れないのかもしれません。「何かのことがあったんじゃないのか?」と心配してみましょう。気持ちも、ガラッと変わります。30分経っても来なければ、「きっと何かあったのだろう。 連絡もとれないし、予定を変更することを伝えて、とりあえず帰ろう」そして、メールします。「今日、9時の待ち合わせに来なかったから、心配したよ。 大丈夫だった? とりあえず、今日は予定を変更することにしよう。 また今度、遊びに行こう」本当に、何かの事態が相手に起きていれば、「そうだったのか、大変だったな」と相手を気遣えるし、相手も「申し訳なかった」という気持ちいっぱいに違いない。単に「寝坊した」とか「すっぽかし」だったら、「なんだ、そうだったのか。心配したよ。 ま、そんな程度で良かった」と、流せばいい。もちろん、これは「遊びの約束」だったから流せる話。重大な商談、会議など、多くの人に迷惑をかけることになる場合は、対応も変わると思う。でも、どんな場合でも、自分が受けた結果の責任は、自分にあることには変わりない。すっぽかした相手と、そもそも約束をしたのは自分だ。すっぽかした相手も悪いが、そんな人と約束した責任は自分にある。自分が受けた結果の責任を、「相手」に求めると、腹が立つ。責任は「自分にある」と思えば、気持ちは相当変わります。シチュエーション別にやっているとキリがないんですが、今日はこの辺で。次回は、「怒り」についてまた別の話を紹介しましょう。◆ つぶやき ◆少し前のニュースですが、「日本の風邪事情」の調査結果が発表されました。●あなたは熱が何℃になったら会社・学校を休みますか?全国平均は、37.9℃ちなみに、カゼを引いても休んだことのない割合もデータとしてありました。1位は香川県で、14%。富山県は4位で、12%でした。無理をする傾向が高い?ちなみに、休んだことがない人が最も少なかった県は佐賀県で1%。熱が出たら早めにしっかり治すという県民性があらわれたのかもしれません。●この1年で風邪をひいた回数は?全国平均2.3回最も多いのは富山県で2.8回でした。カゼを引きやすい気候ということでしょうか?●風邪が完治するまでの日数は?全国平均4.7日完治まで最も時間がかかるのは青森県民で5.4日。富山県は3位で、5.19日でした。カゼとは違いますが、インフルエンザが流行してます。激増してますので、感染には要注意です☆お互い、気をつけましょう。(*^-^)

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  • 26Jan
    • どうして腹が立つのか?

      最近、本屋さんに行くと、「怒り対処本」をよく目にします。・「しつこい怒り」が消えてなくなる本・「怒り」がスーッと消える本・「怒り」を上手に消す技術・「ムカッとくる怒り」がスーッとおさまる本・「イライラしてるな」と思ったとき読む本・「怒り」のマネジメント術・怒りのセルフコントロールこれ、全部、昨年から今までに出版された本です。「あ、この本のタイトル、知ってる」というものもあるでしょう。こんな本が流行るということは、それだけみんなイライラしているのかも知れませんね。“怒り”は、なかなかやっかいです。本当は怒りたくないんです。エネルギー使うし、疲れるし、後味悪いし、ムシャクシャしてると何をしても楽しくない。なのに、腹が立つのですから、自分でも「どーして?」と思ってしまう。誰とでも仲良くして、ニコニコ楽しく過ごしたいんです。ところが、この“怒り”が、いったいどこから出てくるのか、どうも、毎日、腹が立つ。どんな時に腹が立つかといえば、たいていは自分の欲が邪魔されたとき。「ああしたい」「こうしたい」「ああしてほしい」「こうしてほしい」という欲の心いっぱいなので、ちょっとしたことでも、それが妨げられて、ムカッときます。些細なことなら、急いでいるときに信号が赤になるだけで、「どーしてこのタイミングで赤になるんだよ!」と腹が立ちます。テレビに気に入らない芸能人が出てくると、「お前は出なくていい」とむかつく。ポケットにティッシュを入れたまま洗濯して、ティッシュまみれになった洗濯物を見て、すべては自分のせいなのに、「なんでティッシュが入ってるんだよ!」と怒ります。腹が減ると、疲れると分かっているけど、腹が立つのです。こんな感じで、“怒り”の感情は、いつでもどこでも出てきます。最近なら、ノラリクラリと責任の追求をかわす政治家の答弁を聞いてるだけで、イライラしてくる人も多いでしょう。欲をなくすことはできません。しかも、思い通りにならない世の中ですから、思うように自分の欲を満たすこともままならないものです。どうにかしたいけど、どうにもならないこの感情。だけど、何とかしたい……。分かります、その気持ち。“怒り”は恐ろしい心ですから、「気をつけよ」と仏教で教えられます。自分の欲を邪魔した“奴”を、“心”のまな板にのせて切り刻むから、“怒”という字は“心”の上に“奴”と書きます。腹を立てると真っ赤になって怒ります。まるで火のようです。それで赤鬼に例えられます。理性も教養も焼き尽くしてしまいますから、怒った時はムチャクチャやって、後悔することになります。誰しも、経験のあることではないでしょうか。じゃあ、腹が立ったときは、どうすれば良いのでしょう?それについては、また今度。

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1975年4月13日
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