(富山県の立山黒部アルペンルートの室堂平・知人が撮影したものです)
「生きる意味」を
過去幾多の人間(親や、それ以前の先祖たち)から
受け継いできたものに求めた場合を考えてみましょう。
今、ここに私が生きているのは、
人類が始まって以来、連綿と続いてきた「命」のリレーによるもの。
そして未来へ「命」をつなぐ大切な一員として、あなたはその役割を果たしている。
だから、あなたが生きていることには、大切な意味があるのです。
もちろん、このような意見には、
「結婚しなかったら関係ない」
「子どもを産めない人は、生きる意味がないのか」
との非難が起こるでしょう。
もっと広い意味で考えれば、
その人が社会の中で、様々な生産活動を通じて他の「命」に貢献することがあり、
その人の努力なくしては生かされなかった「命」もたくさんあります。
だから、結婚するとかしないとかにかかわらず、
「命」をつなぐ大切な一員として生きてる意味があるんだよ、
ということが出来るでしょう。
ですが、今、苦しんでいる人には、そんなことを言われても、
何の救いにもなりません。
苦しくて苦しくて、人間に生まれたことを喜べず、
産んだ両親に申し訳ない、と思っている人は、
「せっかく命をつないでくれたのに、人生が喜べなくてごめんね……。
こんな子どもに生まれてごめんなさい」
という気持ちで苦しみ続けます。
結婚し、子どもが生まれても、何かの病気や事故で子どもが死んでしまったら、
「命」をつなげなかった親の「生きる意味」はどうなるのでしょう?
ヒトラーは、ユダヤ人を600万人虐殺したと言われます。
そんなヒトラーも一人の人間であり、受け継がれた「命」を持つ一人です。
その「命」(=ヒトラー)によって、どれだけ多くの「命」が奪われたことでしょう。
「命」をつなぐことで意味を持つはずの「命」が、
他の生命を大量に奪うことをした場合、
奪った方の「命」(=ヒトラー)の意味はどうなるのでしょう?
ヒトラーを持ち出すまでもなく、一般的な事件で、殺人を犯してしまった人の親は、
自分がつないだ命が、他人の生命を奪ったわけですから、
こんなにつらいことはありません。
「命」をつないだから「生きる意味」を感じて喜べる、とは言えません。
仏教では、生命は流転輪廻(るてんりんね)するので、
親から子、子から孫へと「命」をつないでいく、というような言い方はしません。
しかし、両親に育ててもらって、ここまで成長できた、ということや、
先祖の誰一人欠けても、今の自分は人間に生まれてくることは出来なかった、
という意味で、親や先祖に感謝する、ということはあります。
育ててもらったことに感謝できるのも、先祖に感謝できるのも、
今、私が「人間に生まれて良かった」という本当の幸せに
救われているかどうかによります。
「喜び」があって、「感謝」の気持ちが起きます。
「“命”をつないでいるんだよ」と言われても、
それがそのまま「喜び」となるわけではありません。
だから「感謝」の気持ちも起きません。
今が苦しい人には、
「つないでもらわないほうが良かった」
ということになるからです。
また、子どもに虐待されている親が、
どうして「命」をつないだことで生きる意味を感じ、喜べるでしょう?
他人に迷惑をかける子どもを持って苦しむ親は、
「こんなことなら産まねば良かった」と後悔したりもします。
2600年前のインドでも、親を虐待する子どもを持ち、
「こんなことならあの時、(子どもを)殺しておけばよかった」
と、恨みと呪いの人生を送っていた女性がありました。
当時、インドで最強を誇っていたマガダ国の王、ビンバシャラの妃であった
イダイケです。
イダイケは、産んで育てた息子、アジャセの手によって牢屋に入れられ、
七転八倒の苦しみを味わいます。
愛する息子によって牢屋に入れられた苦しみは激しく、
イダイケは牢屋の中で泣き叫びます。
「アジャセ!親殺し!
あんなに愛してきたのに……。
おまえは……。
私が、何をしたって言うの?
アジャセ!
どうして、どうしてなの?
アジャセ!アジャセ!」
イダイケは、息子アジャセの名を気が狂ったように叫びますが、
その声は虚しくこだまするだけでした。
「どうして、私、お前のような子を産まなければならなかったの?
あんなに、一生懸命愛したのに、苦労に苦労して育てたのに、
なぜこんな仕打ちをされねばならないの……?
どうして……、私だけ、こんな目に……」
床に伏し、頭を両手でかきむしり、半狂乱になって、
「あぁ~~~っ!アジャセ!
母さん、お前の為に、どんなに苦労したか、知ってるの?
寝ないで、看病してやったわ!
欲しい物は、何でも与えたじゃないの!
アジャセ!
その恩も忘れて……。
アジャセ!」
アジャセの顔が浮かんできます。
しかし、それは激しい怒りと憎悪の炎となって燃え上がるのです。
「あぁ~っ!こんなことなら、産まねばよかった!
育てるんじゃなかった!
あの時、殺しておけばよかった!
あぁ~っ!!」
ところが、イダイケは救われたのです。
お釈迦様から教えを受け、導かれ、それまで恨みと呪いの暗黒の人生が、
懺悔と感謝の光明の人生と生まれ変わったのでした。
「ようこそ、ようこそアジャセよ、このようにしてくれなかったら、
仏法を聞く私ではなかったのです。
他人を恨み、憎み、呪い苦しんでいた私は、
とんでもないわが身知らずでありました。
私ほどの極悪人はなかったのです」
イダイケは、自分を牢屋にぶちこんだアジャセにも
合掌せずにおれなくなっていました。
王舎城の悲劇と言われる、お釈迦さまのおられた当時、
実際に起きた仏教史上最大の悲劇。
それをハッピーエンドに転回させたお釈迦さまの妙手とは??
詳しい話は、以前、ブログに載せたので、そちらをご覧下さい。長編です。
1.人生の目的を果たした女性の話
2.あの声で トカゲくらうか 時鳥
3.はるばるやって来たのは、お前のためじゃ
4.やっぱり、案じていたとおりだった
5.縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもする
6.誰にもひそむ、優るをねたむ毒炎
7.昨日にかわる今日の姿
8.どうしてまだ来てくださらないの
9.岸上にたわむれる子供よりも、濁流におぼれる者の救済が急務
10.人間の愚かさ、弱さ、身勝手さ
11.自惚れ心しかない人間の実態
12.懺悔と感謝の光明の人生(王舎城の悲劇・最終回)
「人間に生まれて良かった!」
「生きてきてよかった!」
「人間に生まれたのは、この幸せの身になるためだったのか!」
「生きるとは何とすばらしいことなのか……」
と心からの喜びを獲れば、一切に感謝せずにおれなくなります。
そんなすばらしい幸せになるための命だから、絶対に自殺してはなりませんし、
どんなに苦しくてもつらくても、生き抜かなくてはならないのです。
なぜ人命は地球より重いといえるのか?
生きる意味は何なのか?
この問いにズバリ解答を明示されたのが親鸞聖人です。
「生きる意味」にいろいろな角度からアプローチしつつ、
親鸞聖人の教えられたことを紹介していきたいと思います。
■┓徒然なる ●┓
┗● ひとり言┗■
今日は、お昼にブドウをいただきました。
幻と言われる品種で、旧ソ連のセレブが愛したブドウ
『リザマート』
というものです。
皆さん、ご存知?
「幻」ですよ「幻」!!
あ、でも、ちゃんと口の中に入れて、モグモグできました。
皮も食べることが出来るんです。
テイストグッド!!
それと、夜はレストラン法輪で、またまたジェノバのスパゲティを♪
テイストグッド!!
ベリーグッド!!
それと、夏のオススメアイスを紹介。
五箇山アイス!!
これも実に、テイストグッド!!
親鸞会の同朋の里から道路側に下りたところにある食事処で販売されてます♪
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