こんにちは☆
昨晩は、広島から夜行バスに乗り、今朝、大阪に到着しました。
雨が降ったりやんだり、ぐずついた天気です。
さぁ、王舎城の悲劇は、いよいよ最終回です。
お釈迦さまの妙手やいかに!!
続きをどうぞ☆
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(前回のつづき)
欲と怒りと愚痴のかたまりのイダイケに、できる善などあるはずがない。
ではなぜ不可能なことを、釈尊はさせられたのか、と不審に思う人もあるだろう。
なんとかすれば、なんとかなれると自惚れている者に、
なんともなれないしこを知らせるには、実地にやらせてみせるよりないのである。
そこに、やるせない仏の慈愛が光っているのだ。
釈尊の教えのままにしたがったイダイケ夫人は、どうにもなれない
自己の姿を知らされて、底の知れない苦悶(くもん)に堕ちた。
イダイケの心中を察知なされた釈尊は、「弥陀(みだ)の誓願(せいがん)」を説く、
時節到来(じせつとうらい)をよろこばれる。
「弥陀の誓願」は、そんな苦悩の人が正客だからである。
釈尊は、第七華座観(だいしちけざかん:お経に説かれてある善)を
説かれる直前に、
「イダイケよ、善く聞くがよい」
と心を傾注させて、
「その苦悩を除く法を説く」
と告げられる。
同時に釈尊の姿が忽然(こつぜん)と消え、金色輝く阿弥陀仏があらわれる。
その仏身を拝見したと同時に、イダイケ夫人の無明の闇は晴れわたり、
歓喜胸に満ち、ただ広大無辺な弥陀の救済に感泣(かんきゅう)する
ばかりであった。
「ああ、なんという不思議。こんな助かる縁も手がかりもない極悪人を…。
すべては、弥陀の誓願不思議でありました…」
釈尊の「苦悩を除く法」とは、苦悩の根元である無明の闇を破り、
人生の目的を果たさせる「弥陀の誓願」であったのだ。
「ようこそ、ようこそアジャセよ、提婆さま、このようにしてくれなかったら、
仏法を聞く私ではなかったのです。
他人を恨み、憎み、呪い苦しんでいた私は、とんでもないわが身知らずで
ありました。
私ほどの極悪人はなかったのです」
イダイケ夫人は、アジャセや提婆にも合掌せずにおれなくなっていた。
まさに、「仏身を見る者は仏心を得たてまつる」。
『観無量寿経』の定散十六観(定善と散善)は、“弥陀の誓願”に相応させるための、
釈尊の最善の教導であったのだ。
難度海を度する弥陀の大船に乗せられて、人生の目的を達成したイダイケ夫人は、
たちまち、恨みと呪いの暗黒の人生が、懺悔(ざんげ)と感謝の光明の人生と
新生した。
アジャセもまた、母のあまりの変貌に驚き、過去の大罪を懺悔し、
深く仏法に帰依(きえ)したのである。
韋提と等しく三忍を獲る(『教行信証』)
「どんな人でも弥陀の誓願不思議に救い摂られれば、イダイケ夫人と等しく
三忍(人生の目的成就)を体得できる」
親鸞聖人の明言である。
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恨みと呪いの人生が、懴悔と感謝の人生に転じ変わった事実が、
お経には説かれてあります。
すべての人が、本当の幸福になれるたった一本の道を、お釈迦さまは
明らかにしてゆかれました。
また、機会を改めて、内容に踏み込んでいきたいと思います。
(*^-^)
○~思い出日記~○
「十八番」と書いて「おはこ」と読みます。
今では、あまり使われないでしょうか??
これは仏教に由来する言葉なんですが、王舎城の悲劇でも出てきた
「阿弥陀如来」という仏は、全部で48の本願を建てておられます。
これを「弥陀の四十八願」と言われます。
その中で、阿弥陀仏が本心を誓われた願が第18番目で、
これを選択本願(せんじゃくほんがん)と言います。
この十八願に由来するのだそうです。
ちなみに、皆さんのカラオケの十八番は何ですか?
私は、80~90年代が精一杯です…。
懐メロでよろしければ、ご一緒させていただきますよ~☆
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ぴょんたの
ひまわり日記
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