競馬シーン2003・スーパーノヴァ最後の戦い
遂に凱旋門賞への遠征に赴いたスーパーノヴァ。しかし、8着と惨敗し、帰国することとなった。
ところが、帰国したスーパーノヴァは、突如往年の逞しさを取り戻す。
3年続けて負けていたジャパンカップに参戦し、7歳にして見事初優勝を遂げたのだ。
考えてみれば、スーパーノヴァは5歳6歳と2年連続夏休みなしで走ってきたわけで、体調面でかなりの不利があったはず。フランス遠征とはいえ、久々にバカンスがとれ、気力体力ともに充実できたのか。
復活したスーパーノヴァの強さは、本物だった。続く有馬記念でも、2着ユニコンギャロップに3馬身半差つけて、快勝。スーパーノヴァにとって、3年振りの有馬記念制覇で、ユニコンギャロップと共に、同門同期のワン・ツーで、引退レースを飾ったのだった。
このことから、「凱旋門賞帰りの馬は、強くなる」というジンクスと言うか法則が唱えられるようになった。
もちろん、ヒヨシマルが12冠制覇路線を歩んだという恩恵もあった。しかし、この時のスーパーノヴァの強さなら、ヒヨシマル相手でも勝てたのではないか、と信じるノヴァファンも多い(あくまで筆者の想像です)。
しかし、一般的には、ヒヨシマルはあえて12冠路線を歩み、偉大な先輩に引退の花道を飾らせてあげたのだ、という、粋な計らいを考える向きが多い。
ともかく、スーパーノヴァは、朝日杯から数えて5年間毎年GI制覇で、合計GI9勝。当然、シンジケートサイアーとなり、ギヤ軍団を大いに潤した。そして、スーパーノヴァは期待に応え、大種牡馬への道を歩んでいく。
競馬シーン2003・ヒヨシマル、怒涛の天下取り
二度目の敗北から12冠制覇まで
故郷の三石で夏休みをたっぷり取り、領家厩舎に帰厩したヒヨシマル。しかし、調教を再開するも、なかなか馬体が搾れない。そこで、太目一叩きの腹づもりで、京都大賞典への出走を決めた。
ここに、一頭の同門同期のライバルが、てぐすね引いて待ち構えていた。ハッスルパンチである。ヒヨシマルの皐月賞では、5馬身差の2着に敗れるなど、大きく水をあけられていた。しかし、この年は、夏競馬の最高峰・高松宮杯を制し、その後も着々と調教を積んで、最高の仕上がり具合でデブデブのヒヨシマルを迎え撃つチャンスを迎えたのだった。
レースは、終始ハッスルパンチがリードし、半馬身差ながらヒヨシマルを完封して勝利。ヒヨシマルは、ただハッスルパンチの後をくっついていく感じの凡走だった。ハッスルパンチは、フルパワーで本調子でない同期の大立者を下し、何とか一泡噴かせることには成功したのだった。
だが、結局本番で笑ったのはヒヨシマル。一叩きでスッキリ馬体が搾れて、見事、アカサカフリーに5馬身差の圧勝。天皇賞春秋連覇を果たした。ハッスルパンチは、前哨戦で目一杯に仕上げてしまったツケが回り、5着敗退。再びヒヨシマルに水をあけられた。
ヒヨシマルはその後、前年勝ったジャパンカップと有馬記念には行かず、マイルCSとスプリンターズSに参戦し、前代未聞の12冠制覇(ワンダースクラウン)を目指す、と発表。世間を騒がせた。
その通りの路線を進み、まず、マイルCSで、ヘイザントラベラーに3馬身差つけ、優勝。朝日杯から数えて11冠目。あと一冠。最後の戦い、スプリンターズSに臨む。さすがにここは距離が短過ぎると見られていた。マイルCSで負けたヘイザントラベラーが必死に食い下がる。しかし、ヒヨシマルは本当に強かった。地味に2馬身差ながらも、勝利。ここに、牡馬が出られる12のGIレース全てに勝利するという、空前絶後の快挙、ワンダースクラウンが達成されたのだ。年間GI6勝も史上唯一のものとなった。そして、その戦いぶりは、万能の神を思わせた。「天来の神馬」―ついに、ヒヨシマルを神格化するニックネームが定着した。それまでは、西の若大将的なイメージも強かったのだ。栄光のワンダースクラウンと、神の称号を得て、2敗は記録したものの、なお28戦連続連対記録は継続し、ヒヨシマルはこの年の競馬を納めた。
競馬シーン2003春・ヒヨシマルとスーパーノヴァ
初黒星から春競馬制覇まで
17戦無敗で年を越したヒヨシマル。この年の目標は、日本競馬の完全制覇である。
2月から始動。ダイヤモンドSで7馬身差、目黒記念で5馬身差の圧勝を飾り、デビュー以来の無敗記録を19戦まで延ばした。
さらに、デビュー戦からの20連勝を目指し、阪神大賞典に臨む。
だが、これはスーパーノヴァも苦労した殺人レース。ヒヨシマルも64kを背負って3000mを走るハメになった。ここに大きな落とし穴が待ち構えていた。
なんと、さしものヒヨシマルも、最後の直線で隙を見せたのだ。ここで、一世一代の追い込みをかけ、ヒヨシマルに一頭の無名馬が襲い掛かった。メイジペルセウスである。かつてない重負担にヨレたヒヨシマルは、この猛追を抑えきれない。見事、メイジペルセウスがヒヨシマルを差し切り、歴史的ゴール。この一発だけで、メイジペルセウスは、「ヒヨシマルに初めて土を付けた馬」として、歴史に名前を残すこととなった。
それでも、ヒヨシマルは、シンザンを超える連対記録は継続。大阪杯を勝って立て直し、さらに記録を延ばして、古馬の最高峰・天皇賞春へと臨んだ。
天皇賞春は不良馬場の戦いとなった。それでもあの阪神大賞典の地獄に比べればよほどマシなのか、アカサカフリーに3馬身半差つけて快勝。スーパーノヴァは重の鬼ながら、4着。メイジペルセウスは、確か5着。実はヒヨシマルは重巧者でもあった。NZT4歳Sとセントライト記念でも、不良馬場で圧勝していたのだった。
さらに、ヒヨシマルは中一週で安田記念に参戦。見事、1.32.0のレコード勝ちを飾った。2着は同門同期の牝馬、ゴージャスアイリン(父ミルジョージ、母シスタートウショウ)で、ワン・ツーフィニッシュ。ヒヨシマルに2馬身半差と頑張った。後に、この2頭は結ばれ、歴史に残る美人姉妹、ガラドリエルとディードリットを生み出すことになるが、それはまだ先の話。
そして、ヒヨシマルは、春競馬の完全制服を目指し、宝塚記念へ。ここでは4馬身差、全く危なげのない勝利で、春の古馬王者の座についた。2着は同門の晩成馬、ユニコンギャロップ。スーパーノヴァと同期だが、これまで全然名前が挙がってこなかった。ここにきて、4着に敗れたスーパーノヴァにようやく一矢報いた感じ。
なお、ヒヨシマルの同一年度春GI三勝(春天・安田・宝塚)は、その後、2043年、6歳牡馬ワイルドペガサスによって再び記録されるまで、何と40年間並ぶものがなかった。
スーパーノヴァは、この春は、とにかくヒヨシマルの裏方に徹していたようなところがある。前年と同じくフェブラリーHを勝ち、さらに日経賞を勝って、実力健在ぶりを示した。にもかかわらず、DB卿CTなんぞに出走している。大阪杯でヒヨシマルと対決させることも考えられたはずだが、避けたのだった。義屋巧の思いとしては、凱旋門賞の声が掛かるのは、まず、ヒヨシマルでなく、スーパーノヴァでなければならなかった。ヒヨシマルには夏をしっかり休んでもらって、秋の天皇賞を走らせたかったのだ。DB卿CT勝ちで本賞金を上げたのが良かったのか、スーパーノヴァはその後春天・宝塚共に4着に敗れたものの、無事に凱旋門賞に誘われ、遂に今年は遠征に赴くことになった。ヒヨシマルも無事に、故郷の三石牧場に帰省し、秋に向けて鋭気を養えることになったのだった。
リッシンカンキチ
活躍年1998or1999~2002
父ミホノブルボン、母ビーバージャパン。スーパーガイドブックP27に写真がある、ノウテンキウイングと同一の馬ではないか、と推察される。
メイジモンスターと同期。同じく、スーパーホースだったとも言われるが、さらに奥手の馬だった。2000年アルゼンチン共和国杯で、アンジェリークとの大接戦の末、勝利した辺りから、ようやく名が挙がる。その後、参戦した有馬記念では、不甲斐なく12着(最下位)に敗れている。
彼が天下を取ったのは、7歳の春(2002)だった。阪神大賞典で、メイジモンスター・スーパーノヴァ・ノーザンライアンら、並み居る強豪馬を相手に、晩成の実力の充実振りを見せつけて、勝利。以後、スーパーノヴァを始めとするギヤテク・ホースレーシングチームを一蹴し、天皇賞春・宝塚記念を勝利。見事、春の王者に輝いた。
しかし、秋は意外な不振に陥る。天皇賞秋は、ノーザンライアン・スーパーノヴァのギヤ勢がワン・ツーフィニッシュで、リッシンカンキチの着順は不明だが、確実に3着以下。ジャパンカップでも8着に敗れた。
しかし、有馬記念は、ヒヨシマル・スーパーノヴァの三冠馬ワン・ツーに続く3着で、何とか春の王者の面目を保って引退レースを飾り、種牡馬生活へと入った。
種牡馬として、2026年の天皇賞春を勝ったイッシンタスケを輩出。イッシンタスケは、さらに種牡馬として、強豪サツマハヤトを出した。サツマハヤトは2037年天皇賞秋を勝って、父子三代天皇賞制覇達成。さらに、翌2038年の天皇賞春をも勝ち、天皇賞秋春連覇、父子三代天皇賞春制覇。何よりも、その名を高めたのは、2039年のジャパンカップだった。2.18.0、「伝説の末脚」と呼ばれる驚異的な差し切りでレコード勝ちを飾ったのだ。これは、2044年のジャパンカップ、スーパーソニック(2.17.9)まで、5年間破られなかった。最新のレコードでも、2049年ジャパンカップのフェザーフォルク(2.17.8)までで、大きく更新されてはいない。
早熟の天才逃げ馬、ミホノブルボンの血筋は、なぜか差し脚質の晩成ステイヤーの子孫たちによって、受け継がれていくこととなった。
競馬シーン2002・古馬の戦い
この年の古馬戦線、まず阪神大賞典でクッキリと勢力図が分かれた。前年、台風の目となった、メイジモンスターが10着に敗れたのだ。代わって、このレースで優勝した晩成馬・リッシンカンキチが台頭。春競馬をリードしていくことになる。
一方、スーパーノヴァは、前年同様、3着。この年、初戦のAJCCで4着に敗れ、不振の引きずりが心配されたが、その後、フェブラリーHを勝ち、何とかここで前年と同レベルまでの立て直しを見せたのだった。さらに、スーパーノヴァは、一番人気はアンジェリークに取られたものの、大阪杯に優勝(アンジェリークは5着)。圧勝した前年と同じ良い流れで、再び堂々と天皇賞春に駒を進めた。
しかし、大成したリッシンカンキチの強さは本物だった。見事、春の盾を手にしたのだ。阪神大賞典では5着だったノーザンライアンが2着と健闘。スーパーノヴァは3着に敗れてしまった。
その後、スーパーノヴァは中一週で安田記念に参戦し、優勝を果たす。何とか面目を保って、宝塚記念に臨んだ。
だが、やはりリッシンカンキチは強かった。スーパーノヴァは前年同様、2着に敗退。リッシンカンキチが春の王者に輝いた。
さらに、スーパーノヴァはこれも前年同様、凱旋門賞を断り、夏競馬を走るハメになった。前年のは何かの間違いではなかったのか、と義屋巧は思ったらしいが、やっぱり放牧の話が出ないのは本当。この年も、腹いせのように、CBC賞と新潟記念を勝ったのだった。
迎えた天皇賞秋では、7歳馬・ノーザンライアンが頑張りを見せ、見事、チーム初勝利。自身、00安田記念以来のGI勝ちで、引退間近の大勲章を挙げたのだった。スーパーノヴァは2着。凱旋門賞行けばよかったのに。
ジャパンカップは、15戦無敗のクラシック三冠馬、「天来の神馬」ヒヨシマルが圧勝。スーパーノヴァは4着、アンジェリークは9着、ノーザンライアンは11着。春の王者リッシンカンキチは8着、「先代怪物」メイジモンスターが12着(最下位)。
有馬記念でも、ヒヨシマルがスーパーノヴァを寄せ付けず、完勝。リッシンカンキチが3着、メイジモンスターが9着、ノーザンライアンが10着。
6歳牝馬、アンジェリークが4着と健闘。この年の4歳女王、メイジチェッカーは5着で、それを抑える意地を見せた。「永遠の美少女戦士」は爽やかにターフを去り、さらに偉大なる繁殖生活へと入っていく。
競馬シーン2002・牡馬クラシック中心編
神馬の降臨
この年から四年間、一頭の神のごとき名馬を中心に、競馬が動いていくことになる。
その馬の名は、ヒヨシマル。
父ダンシングブレーヴ、母フローラルレディ。1999年三石牧場産の栗毛牡馬。
後に名手に成長する塩沢満夫騎手が、牧童時代に手塩にかけて面倒を見たスーパーホース。塩沢騎手は義屋巧オーナーと懇意になり、その呼び名をそのまま馬名としたのだった。
既に前年、3歳時から無敵の快進撃。7月2週のダートの新馬戦でデビュー勝ちした後、野路菊S・もみじS・京成杯・朝日杯3歳Sと、五戦無敗で三歳チャンピオンに輝いていたのだった。
この年は、20世紀の神馬を祀るレース、シンザン記念勝ちから始動。さらに、弥生賞・スプリングSを勝って、皐月賞に臨んだ。同門のライバル、ハッスルパンチに5馬身差をつける見事なワン・ツーフィニッシュで、まず一冠。
そして、予習をするかのごとく、青葉賞で7馬身差圧勝してから、ダービーに臨んだ。すると、本番でもアカサカフリーに7馬身差をつける圧勝で、二冠目。タイムも同じ 2.24.0 だった。アカサカフリーもスーパーホースだったらしいが、朝日杯3歳Sでも2着に敗れており、ヒヨシマルの前には影が薄かった。
ヒヨシマルは、なぜか連闘でNZT4歳Sをも制してから、夏は故郷で休養。秋は、やはり初の三冠馬を祀るレース、セントライト記念から始動。放牧開け初戦にも関わらず、5馬身差の圧勝を飾ると、さらに京都新聞杯もついでとばかりに制し、三冠を懸けた最後のレース、菊花賞に臨んだ。そこでも、鷹匠騎手を背に、全く危なげないレース運びで、2着シムフリーに3馬身半差の快勝。15戦無敗、堂々のクラシック三冠を達成したのだった。
ヒヨシマルは、さらに先輩の名馬や外国の強豪が集まる大レース、ジャパンカップに臨む。デビュー以来続けてきた1番人気は他馬に取られたものの、思い切った単騎逃げの策が奏効。外国馬カーラに6馬身差つける圧勝劇を飾り、この年四冠目。
有馬記念は、ジャパンカップで4着に敗れたスーパーノヴァが、先輩の意地に懸けて、ヒヨシマルへのリベンジを果たせるかどうかに注目が集まった。ジャパンカップはヒヨシマルに展開が向き過ぎた面があると見られていたのだ。ヒヨシマルにとっても、真価が問われる総決算の戦いだった。
その有馬記念、最後の直線。抜け出したのは、ヒヨシマル、そしてスーパーノヴァ。追い比べとなるも、ヒヨシマルは全くスーパーノヴァを寄せ付けない。2馬身半差つけて、完封勝ちのゴール。4歳年度五冠は、史上初かつ唯一のものとなった。現実の競馬においても、まだ達成されていない。
当然、ヒヨシマルは最優秀4歳牡馬、年度代表馬。時代を大きくリードしていく存在となる。
永遠の美少女戦士
競走馬として、母として、アンジェリークの実績の凄さには、驚くばかりだ。
しかし、もう一つ驚かされるものがある。
それは、異常な過密出走をこなしていることだ。
まず、4歳六月、オークス3着後、中一週でNZT4歳S優勝。
中一週はザラにあることなのだが、アンジェリークはさらに、連闘でエプソムCまでも制しているのだ。
圧巻は4歳秋。競馬シーン2000にも書いたが、アンジェリークはエリザベス女王杯でメイジブラボーと壮烈な接戦の末、2着に敗れた。
実は、その後、直で有馬へ向かったわけではない。何と、連闘でアルゼンチン共和国杯に参戦。やはり、リッシンカンキチと壮烈な叩き合いを演じ、2着。
その後、さらに3連闘で、オープンのトパーズSに勝利。そこから、あの劇的な有馬2着につなげたのだ。
翌年初めも、ダイヤモンドS→東京新聞杯、目黒記念→中山牝馬Sという、無茶苦茶なローテーションから入っていったのは、競馬シーン2001で書いた通り。
彼女が、「永遠の美少女戦士」と呼ばれるようになったのは、ただ強かったからではない。やたらとカネが欲しい貪欲なオーナーの無茶苦茶な要求に応えて、いくらでも走り、勝ち、戦い続ける、健気な女だったからである。
メイジモンスター
活躍年1998or1999年~2002年 芦毛牡 96武野牧場産
父メジロマックイーン、母メイジキンバリー。ゲーム開始当初から存在するが、欲しくても譲ってもらえないスーパーホース(調教師が、デビュー前から、「こいつは本当に凄い馬だよ。」というコメントを付けてる馬)。
残念ながら、戦績の大半は忘失。1999年の菊花賞で、父子二代制覇を果たしたのは確か。しかし、その後不振に陥り、2000年の有馬記念のメモでは10着。
その名が再び脚光を浴びたのは、2001年の宝塚記念からだった。天皇賞を圧勝したスーパーノヴァをねじ伏せて完勝。さらに、天皇賞秋でもスーパーノヴァを完膚なきまでに叩きのめし、父子四代天皇賞制覇を果たした。その異様な強さは、義屋巧オーナーに、「恐怖の先代怪物」と言わしめたほど。
ところが、翌年は再び不振に陥り、2002年初戦の阪神大賞典では10着。以後、ジャパンカップ12着(最下位)、有馬記念9着のメモが残るのみ。
種牡馬としては成功せず、消えていった 。父子五代天皇賞制覇の栄光は、ホルホース~エクスプレスへと受け継がれることとなった。
競馬シーン2001・スーパーノヴァの明暗
甦った恐怖の「先代怪物」
クラシック3冠プラス有馬記念制覇で、文句なし、チーム初の年度代表馬・最優秀4歳牡馬に選出されたスーパーノヴァ。
2001年は、その余韻も覚めやらぬ1月から早くも始動する。
1月にAJCC、2月に京都記念を快勝。
だが3月、64kgを背負って3000mを走るハメになるこのゲームの殺人レース、阪神大賞典では3着に敗れた。とはいえ、このレースで苦労した名馬は史上多く、やむを得ない面があるものだ。
4月に大阪杯を勝って立て直し、堂々、古馬の最高峰・天皇賞春へと駒を進めた。
その天皇賞では、思い切った単騎逃げの策が功を奏す。完全にレースのペースを自分のものとし、終始独走態勢で、稀に見る大圧勝を飾ったのだ。
チーム初の天皇賞制覇で、シンザンに並ぶ堂々の五冠目(+朝日杯3歳S)。
もはやスーパーノヴァは日本の頂点に立った―誰もがそう思った。
宝塚記念。
凱旋門賞挑戦のプランも噂されるスーパーノヴァの前に、もはや対抗できる馬はいないかと思われていた。
ところが、ここに久しく不振をかこっていた一頭の「怪物」がいた。
メイジモンスターである。
元はゲーム開始当初から存在することで有名なスーパーホース、メイジキンバリーの96(父メジロマックイーン)であり、1999年の菊花賞馬(実は戦績の大半は忘失)だが、前年、スーパーノヴァとアンジェリークが見事なワン・ツーフィニッシュを決めた有馬記念では、10着に敗れており、9着のギヤタロウにも負ける有様。
ほとんど、その脅威は忘れられた存在となっていた。
それが宝塚記念で突如復活する。
スーパーノヴァを付け狙うようにマークし、最後の直線でねじ伏せて完勝したのだ。
これがスーパーノヴァの悪夢の始まりだった。
凱旋門賞挑戦の誘いがかかるも、オーナーは天皇賞秋を望み、断った。
それで、このゲームの最大の欠陥、「凱旋門賞を断ると、放牧の話が出ず、夏競馬を走るハメになる」を初めて知り、相当な不興を味わうこととなった。
腹いせのように、スーパーノヴァはGⅡの最高峰、高松宮杯を制する。そして、秋はセントウルS優勝から入り、天皇賞でメイジモンスターへのリベンジ戦に臨んだのだった。
しかし、生まれながらの天才、メイジモンスターに対し、スーパーノヴァは、コツコツと実力を磨き上げた良血馬ではあったが、元々スーパーホースではなかった。もっとも、それでスーパーホースとも渡り合った、あるいは、スーパーホースに劣らぬ戦績を残した名馬は史上多いのだが、ポテンシャルの差はいかんともし難いものがあったと思われる。
一旦目覚めたスーパーホースを相手に、もはやスーパーノヴァに勝ち目はなかった。
宝塚記念に続き、天皇賞秋でも、メイジモンスターに完膚なきまでに叩きのめされることとなった。
そして、その異様な強さは、オーナーを震え上がらせた。恐怖の「先代怪物」。ライバル馬にニックネームを付けることは稀で、ハマり過ぎのインパクトは骨の髄まで染み込み、今でも感じるほどである。
夏休みが取れなかったことによる体調への悪影響もあったのか、スーパーノヴァはその後も、ジャパンカップ7着、有馬記念3着と連敗。ショックのあまり、それらのレースでメイジモンスターが勝ったかどうかも覚えていないが、勝ったのかもしれない。
勝手にEを補って
以前、キン肉マンの超人オリンピックチャンピオンベルト裏に彫り込まれた、「GIYATKBURIS」という歴代チャンピオン名が元になっていると書いたが…。
見れば、「ギヤトクバリス」または「ギヤトクブリス」と読むべきなのは一目瞭然。
いやー。よく見ないで読んで、本当に良かった…。