競馬シーン2001・短距離路線編
GⅡ史に残る女の戦い
古馬になっても、アンジェリークの勢いは止まらなかった。
この年も2月から過密出走をこなし、永遠の美少女戦士ぶりは健在。ダイヤモンドS2着後、東京新聞杯連闘で優勝。目黒記念4着後、中山牝馬S連闘で優勝。さらにGⅡの中山記念も制する。これらの戦績から、短距離路線を歩むことが決定し、天皇賞春は無視して、安田記念の前哨戦の京王杯SCへと駒を進めた。
京王杯SC当日はあいにくの雨、不良馬場。アンジェリークの重馬場適性は「△」であり、当然不利。しかし、この状況を水を得た魚のように喜んだライバルがいた。同門同期のチャパリータアスカ(父ダンシングブレーヴ、母ミッキーサロン)である。アンジェリークが優勝した桜花賞では7着に敗れており、オークス出走断念するなど、4歳春はパッとしなかったが、夏にラジオたんぱ賞、秋には府中牝馬Sを制し、5歳になっても初戦、年明けの金杯(西)を制した後、アンジェリークが東京新聞杯を勝った同週、フェブラリーHを勝つなど、着実に力をつけてきていた。そして、なんといっても重馬場適性が「◎」だった。同門同期の出世頭に、一泡吹かせるチャンスが巡ってきたというわけだ。
しかしレースは、チャパリータアスカにとって有利な条件だったにも関わらず、ポテンシャルの違いで大接戦となった。結果は、チャパリータアスカが僅少差で勝利を得たものの、もし良馬場だったら、アスカに勝ち目がないことは、誰の目にも明らかだった。
アンジェリークは、一転パンパンの良馬場となった安田記念で、チャパリータアスカに5馬身差をつける圧勝劇を見せ、見事にそれを証明して見せたのだった。
なお、チャパリータアスカの「チャパリータ」とは、スペイン語で「小さくて可愛い」という意味だが、アスカは500kgを超えるデカい女馬だった。アンジェリークは400kgそこそこだったので、むしろこちらの方がふさわしかったかもしれない。
アンジェリークは宝塚記念4着後、夏は故郷で休み、秋は朝日CCから始動。太目一叩きのつもりで出たそのレースで勝った後、波に乗り、毎日王冠、マイルCS、スプリンターズSと5歳秋は無敵の快進撃。牝馬では史上唯一の年度短距離三冠馬に輝き、文句なしの最優秀スプリンター・最優秀古馬牝馬となった。なお、牝馬では、隔年でもこの3つのGIを勝ったものは他にいない。ガラドリエル(安田記念・マイルCS)、ギヤテクローズ(安田記念2勝、スプリンターズS)、セイントテール(安田記念、マイルCS)など、みな一つ欠いており、アンジェリーク史上最強牝馬説のゆえんとなった。
ちなみに、チャパリータアスカは、安田記念水をあけられた2着後、マイラーのため宝塚記念は避け、阪急杯で3着。2年続けて夏競馬を走り、CBC賞3着後、小倉記念優勝。秋は連闘で臨んだ京王杯AH3着から入り、アンジェリークが優勝した毎日王冠で4着後、根岸Sと阪神牝馬特別に優勝。翌年も、金杯(東)・京都牝特・DB卿CTに勝った記録が残っている。しかし、ついにGIは勝てずに終わった。
だが、この二頭の因縁は終わらなかった。10年ほど後、彼女達の息子が再び同門内戦争を繰り広げるのである…。
続・競馬シーン2000
世紀末有馬記念の激闘
2000年度は、ギヤテク・ホースレーシングチームにとって、躍進の一年となった。ノーザンライアンが安田記念、ギヤタロウが宝塚記念で、チーム初勝利を挙げた他、クラシックロードも大いに賑わせたのだ。
中心となったのは、前年の朝日杯3歳ステークスで、チーム初勝利を挙げた3歳チャンプ・スーパーノヴァ(父ダンシングブレーヴ・母ハクバビーナス)だった。当然、期待は高かったが、想像以上の強さを発揮し、なんと、一気にクラシック3冠を達成してしまう。菊花賞の前に、古馬混じりの京都大賞典で2着に敗れただけの、11戦10勝での快挙だった。ジャパンカップでは6着に敗れてしまうが、それでも堂々有馬記念に駒を進めた。
一方、牝馬路線では、前年の阪神3歳牝馬ステークスで、チーム初のGI勝利を成し遂げた3歳女王・アンジェリーク(父シンボリルドルフ・母マリータ)が、期待に応えて桜花賞を快勝し、チーム初のクラシック制覇をも達成。どちらもスーパーノヴァにわずか一週先駆けたことになる。
オークスでは同門のライバル・プリンセスミネルバの大駆けに遭い、3着に敗れたが、チームとしてはこの年のクラシック5冠完全制覇を成し遂げたのだった。プリンセスミネルバはオークスTRとオークスで異常な強さを発揮した後、突如終わってしまったが、アンジェリークは秋のエリザベス女王杯でも奮戦。オークス2着の宿敵・メイジブラボーとの壮烈な叩き合いの末、惜しくも敗れた。それでもアンジェリークには声が掛かって、有馬記念参戦決定。
「世紀末超新星」スーパーノヴァと、「永遠の美少女戦士」アンジェリーク。主役の二頭はいつしかそう呼ばれていた。
この二頭が、20世紀最後の有馬記念を飾るに相応しい好勝負を演じる。
見せ場は、最後の直線でやってきた。堂々先頭、勝利目前の3冠馬・スーパーノヴァが、中山の坂にさしかかった辺りだった。ここで、小柄な体に似合わぬパワーを秘めた「永遠の美少女戦士」アンジェリークが、猛然とノヴァとの差を詰めにかかったのだ。マイラーと思われていた牝馬の猛追に、ワーッとスタンドが湧く。しかし、ノヴァは3冠馬の意地で抜かさず、先頭でゴール。だが、アンジェリークは半身差まで追い詰めていた。チーム有馬初勝利・春秋グランプリ制覇、しかも、今年のクラシックロードを引っ張ってきた主役の二頭、フレッシュなワン・ツーフィニッシュだった。
現実の競馬の2000年度も、テイエムオペラオーの古馬中長距離年度五冠に湧いた劇的な有馬記念だったが、自分がウイニングポストで観た世紀末有馬記念も、それに劣らぬドラマッチックなレースとして、記憶の中に残っている。
ノーザンライアン
弥生賞差し強奪のターフハイジャッカー
ノーザンライアンは、持ち馬で初めての差し馬だった。
1999年、弥生賞。
差し勝負のライアンだが、直線に入ってもなかなか浮上してこない。
もうダメか!と思った。
しかし、次の瞬間。
末脚を爆発させたライアンが、グングン伸びてくる。
「まさか…。」「行け、行けー!」
そしてライアンはゴール手前で先頭馬を交わし、見事勝利。
それは勝利目前のライバルから優勝を強奪したように見えた。そして、私は彼に、「ターフハイジャッカー」というニックネームを与えた。
初めて差し切り勝ちの興奮と感動を味あわせてくれた馬であった。
弥生賞優勝で、初クラシック制覇の期待が高まったが、残念ながら1冠も取ることはできなかった。
しかし、古馬になっても堅実に走り、00安田記念、02天皇賞秋で、持ち馬初の勝利を挙げた。
引退後、種牡馬となったが、その血統は時代の荒波の中に消えていった。
やがて差し切り勝ちも普通の現象となる。次々と強い差し馬が現れ、伝説のターフハイジャッカーも、初体験が生んだ少々大袈裟なニックネームではないか、とも思われた。
しかし、あの鮮やかな大逆転勝ちの感動が、色あせることはない。
活躍年1998年~2002年
馬名の由来 ノーラン・ライアン
注意事項
・やりこんだ「ウイニングポスト」は、SFC版のファーストのみ。
・ゆえに現在のレース体系では、あまりそぐわない。
・馬齢も数え年のままで記述。
・時々自分の想像力を反映させたような記述も登場する。馬のニックネームや擬人的ドラマ仕立てなど。
・詳細なメモ書きは、2006年7月から始まり、2054年7月まで続いている。それ以前については、少しは存在するメモ書きと、記憶を頼りに書く。
・2054年7月で、ゲームはセーブしたままである。あるいは、義屋巧はこの年月で死亡したのかもしれない。
・いつまで有馬桜子を水着のままにしておくつもりか? 寿命を延ばすべく、プレイ再開を試みるも、データを懐かしげに眺めることはあっても、歴史続行の気運は高まらず。やはり義屋巧は死んでしまったのか…。
・リセットボタンは気の迷いでただ一度だけ押したことがある。しかし、その後は厳禁とされ、出た結果は全て受け入れ、つむいだ歴史なのだった。
・実際の登録名は本名だが、ここでは義屋巧で通す。ゆえに自己牧場名も義屋牧場とする。
・なお、義屋巧はなぜか関西で登録している。
競馬シーン2000
ギヤタロウ、「晩成の極み」で宝塚記念制覇!!
ギヤタロウは再び宝塚記念の舞台に臨んだ。前年、京阪杯で初重賞制覇した勢いで参戦し、惨敗を喫したレースだ。その後、コツコツと力をつけて、巻き返しを狙っていたが、オーナーの期待も安田記念を勝ったノーザンライアンに集まっていた。
しかし、レースがスタートすると、ギヤタロウは先行策で好位につける。あとは、完璧なペース配分、レース運びで、ピッチを刻んでいく。第4コーナーから直線、優位は変わらない。独走態勢だ。ここで、同門のライバル・ノーザンライアンが、安田記念を制した末脚を爆発させる。しかし、ギヤタロウは全く寄せ付けず、7歳にして初めてのGI制覇を果たしたのだった。
晩成の力を極めたかのごとき強さを見せたギヤタロウの宝塚記念は伝説となったが、これで燃え尽きたかのように、その後これほどの強さを見せることはなかった。有馬記念9着で引退。種牡馬となったが、人気を集めることはなかった。しかし、娘のレディースクックが牝馬ながら晩成し、7歳でオープンを3勝する活躍を見せ、父の伝説を多少なりとも再現して見せたのであった。
エルグンバックス
2005年~2009年に活躍した持ち馬。03十勝牧場産の栗毛牡馬。実力は二線級ながら、脚質自在で、レースに合わせて様々な戦術を繰り出し、超一流馬と互角の展開に持ち込んだり、GIレースを勝ったりした。「ターフの奇策士」の異名を取る。戦績は53戦17勝2着5回3着9回、総獲得賞金11億1310万円。主な勝ち鞍は、07スプリンターズS、08スワンS、06NHK杯、セントライト記念など。
馬名の由来
ザブングル(Xabngle)の逆読み。
なぜラムタラ産駒にミラグロスがハマる?
ラムタラは、「神の見えざる手」の意。
ミラグロスは「奇跡」。よく符号している感じであろう?
でも、一番ハマりそうなのは、やっぱり「ガムシャラ」か。
一度は付けてみたかった…。
大体、ファーストウイニングポストとラムタラは何の関係もなし。
ギヤタロウ
ギヤタロウは、最初にプレゼントされた4歳馬であった。
ギヤテクバリスのデビューは2009年であり、それまで義屋巧は設定されていないから、1997年にギヤ冠名の馬はあり得ない。だから、実はギヤタロウは仮名で、本当は私の本名の名字の音をかぶせたタロウであっ たのだった。
馬名の由来は、2001年9月14日に19歳で死んだ愛猫、たろうから。
ギヤタロウについては、まだメモ書きノートをとってない頃だったため、詳細な記録はわからない。
しかし、晩成型の馬であり、コツコツと力をつけ、7歳宝塚記念で完璧なまでの圧勝で初GI制覇を成し遂げた姿は、今も鮮烈に記憶に残っている。
「晩成の極み」―これが私がギヤタロウに与えたニックネームだ。
クレッシェンド
クレッシェンドとは、音楽記号の一つで、「だんだん強く」の意。
その意味するところの通り、晩成タイプの名馬に付けようと考えていた名前だったが、成長型の見切りが難しく、結局使われなかった。
今思えば、何も歳をとるほど強くなるような馬につけようとこだわることもなかったと思うのだが…。
候補馬は実は豊富。7歳宝塚記念で完成された走りを見せたギヤタロウ、7歳秋に天皇賞と有馬記念を制したハーミットパープル、7歳時は無敗の怪物エクスプレスなど。