先日ボクの好きなクラウス・フォアマンの『回顧録』を読む機会があって、おお、これは、ボクもあやかって書いてみたらいいかな?って思ったものですから。。。
って、オマエはクラウスと同じレベルか!!
しかしクラウスと同じように、ボクも自分の参加している『バンド』を売り出すために活動した記憶はあまりなく、そういう志向のバンドは2バンドぐらいしか思い出せないのです・・・
その時その時でバンドとして活動しても、ほとんどがそのメンバーたちは他の音楽活動も行っており、バンドとして何かする!という経験はほとんど数えるほど・・・
そんなバンドだったり、セッションバンドだったり、若い頃何やったっけ!?
ということで、思い出すまま、不定期に『回顧録』シリーズも時々やってみようかと思いました。。。
でも、誰も知らない人たちのことを書いても面白くないですね。。。
バンドといえば、先ず思い出すのが、『メイベリン』というグループ。
後に『レッドショック』というバンド名になる前身のバンドでした。
大学時代の学園祭で初めてメイベリンのステージを観て、みんな下手くそなのにノリが良くて、カッコいいな~と思いました。
メンバーの小針克之助(Gt.Vo故人)と猪鼻伸吾(Dr)が同じ大学の2年後輩ということになります、でも小針は1浪なので実質は1年下。
この学園祭には、ボクも別なバンドで出たのですが、メイベリンを観たその日のうちに、ボクのところに小針から電話があって、結局ボクはメイベリンに加入することになりました。
加入すると決めたからにはやはり、なにか魅力があったんだと思う。
このバンドはビートルズ・ナンバーも演りますが、実質はキャロル系のロックンロールバンドであり、それにしても音楽的なレベルで言うと、すごく未熟なバンドでした。
ようするに悪く言うと、素人バンド。。。
リーゼントでロックンロール主体のバンドなのに、彼らの聴いている曲は、ボクの嫌いな『キャロル』はもちろんですが、『スリー・ディグリーズ』だったり、『スタイリスティックス』のようなフィラデルフィア・ソウルやディスコ曲ばっかりだったのには、びっくりしましたよ。
『何聴いてるんだよ!そんなん聴いてるから上手くならないんだよ!!』
と、当時ビートルズ系一点張りのボクは、彼らの主体性のなさにあきれていました。
しかし、このバンドの『売り』は何と言ってもカッコ良さであり、とくに宮崎謙実(Gt.Vo)は長身でハンサム、彼は何も上手いところなんてなかったけど、とにかくカッコ良かった。
それにしても、猪鼻伸吾の聴いていた『スリーディグリーズ』、悪いことに今ではボクも大好きなグループであり、これはヤツの影響だ!
音楽的な感心は小針だけが持っており、あとの二人はそういうことには興味がなかったようだ。。。
さて、『メイベリン』としては、ビートルズのように本当は革の上下に身を包みたいところでしたが、それをやるとモロにキャロルになってしまうので、オレンジ色のスイングトップを着て、オレンジ色のカラージーンズを『スパッツ』のように細く詰め、ブーツを履いてそれをお揃いの衣装にしていました。
全員がオレンジ色の上下という、ど派手な(色の!)バンドだったわけです。
メイベリンでは、もちろんボクもボーカルを担当し、ドラムス以外3人とも歌うことになって、みんな『オレに歌わせろ!』状態だったのがとても楽しかった。
あそこまで歌ったのはメイベリンが最初で最後でしたけど。。。
ステージの機会があれば、どこでも出演しました。
おかげでステージのたびにファンも徐々に増えてきて、とにかく演奏技術では勝てなくても、そのステージで他のバンドを圧倒する自信だけはありました。
伊豆の弓ヶ浜では1ヶ月近くレストハウスで『ハコバン』もやりました。
そして、こんな音楽合宿みたいなことをすると、一気にバンドの音もよくなる。
このレストハウスでの経験は、バンドとしてもう誰にも負けない自信がついたのは確かでした。
この時の弓ヶ浜に、『レモンドッグ』を解散したばかりの足木實君が、たまたま遊びで来ていて、メイベリンでのボクを見つけると『他の人だれ?いつの間に、こんなことになってたの?』みたいな話になって、彼が弓ヶ浜にいる間、ずっとボクらの演奏を見ていました。
彼は東京に帰ると、レモンドッグの事務所の社長に『リーク』したのか、ボクらも東京に帰るやいなや、社長から電話がきました。
『なに?いいバンドやってるんだって?だったら、一度ウチへメンバー連れておいでよ』
ということで、四谷の千野音楽事務所(後、千野アプリコットミュージック⇒現在スタジオ音楽館)へメンバーを連れて行きました。
千野社長は一度メイベリンの演奏を観たいということで、後日たしか大学の教室で演奏したのかな?そこへ社長も来て、あ~だこ~だ言われたわけです。
しかし、社長はそのときすでにボクたちを事務所に入れるつもりだったらしく、話はとんとん拍子に進んでいきました。
ところがボクは、もうこの頃には『ロックンロール』や『リーゼント』は、自分の目指す方向と違うことがわかっていて、ましてやそんな・・・バンドで事務所と契約するなど、まっぴらだ!
このときすでにボクのベースは、ヘフナーからフェンダーのジャズベースになっていた。
千野さんは『わかったよ、ヘフナーを手放したときに、キミはもうやめるつもりだったんだね』
とズバリ言い当てられ、ボクは契約を前にして、メイベリンを脱退してしまった。
ボクの後任には、宮崎の友達で山辺修君が加入しました。
ボクは知りませんでしたが、山辺君は、初期のレモンドッグでドラムをたたいていたらしい・・・
そして、ボクは山辺君にオレンジ色のスイングトップとオレンジのジーンズを渡した。
メイベリンは契約後、レッドショックとしてデビューすることになるが、その前にドラムが弱点だという判断から、猪鼻は『びーく』となり、代わりに市岡誠一郎さんが加入した。
したがって、メイベリンのプロパーメンバーは二人だけとなる。
市岡さんについては、ボクは何も知らない。
千野アプリコットミュージックはレモンドッグのあと、『ルージュ』『ガールズ』を売り出し、業界にも進出し始めていたので、メイベリンも『レッドショック』として、売り出され、ボクはその後のことはぜんぜん知らなかったけど、そこそこ売れたのだとか・・・