8月12~13日の道東・オホーツク方面への旅行は、元々細かなスケジュールなどは宿泊先以外、直前までありませんでした。

女社長が「ピアソン記念館に行きたい」というので北見を少し巡る事が決まった時、それでは梅之助として北見で見てみたいものは・・・と考えた際、一つ思い浮かぶものがありました。

北見市内のお寺に安置されているという「屯田兵人形」。

そこで「ピアソン記念館」を出て、「北見ハッカ記念館」を訪れる前に行ってみる事にしました。

 

 

屯田兵人形があるのは信善光寺(北見市川東412)。田舎にひっそりと佇むお寺、という風情です。

この日は13日なのでお盆に当たりますが、参拝者等の姿はありません。

駐車場に車を停めて、本堂の扉を少し開けてみました。鍵はかかっておらず、正面に見えるご本尊の仏壇には照明とろうそくの灯りが点されています。

そしてご本尊の隣側には屯田兵の人形が並んでいるのが見えました。

 

ここで一旦、本堂の扉を閉めて、敷地内の住職の自宅と思われる家に行って、見学の許可を頂きます。

「あの~、中に入ってお参りしてもよろしいでしょうか?」

「屯田兵はご仏壇の左側になりますから、どうぞ」

初老のご住職と思われる方は、気軽に快諾して下さいました。

 

 

全部で75体の屯田兵人形です。

 

 

 

一つ一つのお顔が違いますね。

 

 

 

屯田兵が現在の北見の地の開拓に入植したのは、1897(明治30)年、98年。

厳しい自然と気候環境の中、北見発展の土台を築いた屯田兵の功績を称える目的で、1923(大正12)年に当時の信善光寺の住職が屯田兵入植者たちから希望者を募り、名古屋の人形師に製作させました。製作に当たっては、日露戦争当時の写真を元にした為、モデル本人とかなり似ているそうで、かつ生き生きとした表情が印象的です。

北見市指定文化財になっています。

 

 

北海道開拓の先人らの姿に対して、そして「命と時代の巡り合わせ」というものに対して、梅之助は静かに手を合わせました。ここに来れて本当に良かったと思います。

やがて順番が逆になりましたが、設置してあった賽銭箱にお賽銭を投げ入れ、再度手を合わせて信善光寺を後にしました。

 

思えば、今回の旅は北海道の近代史の一コマに多く触れることが出来た旅でした。

「二重の刑罰」としか思えない過酷な労働で道路を開墾していった監獄の囚徒たち。

小樽・札幌・旭川・北見と、より北海道の奥地へと活動拠点を移し、弱者救済を長年続けた宣教師夫妻。

戦前、ハッカ世界市場の7割を占める程の生産拠点だった北見の当時の活気と情熱。

迫りくるロシアの脅威から国土を保全する為、苦労を厭わず開墾入植していった屯田兵たち。

 

今記事で「2017 道東の旅シリーズ」は終了です。お付き合い頂いて有難うございました。

 

 

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