『緑豆の花』、人間らしく生きて、人間らしく死ぬ | 一松亭のブログ

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労働問題、社会問題、心に残る映画について書いています。

『緑豆の花』も残すところ4回になりました。
前半の山は何より全州和約、後半の山は第二次の挙兵でしょう。
世界最初の労働者政権が1871年のパリコミューンですが、1894年の全州和約による執綱所は、全州コミューンと呼んでもよいのではないでしょうか。大きな高揚感をもって見ることができます。


全体としてこのドラマはペク・イガンの東学の運動との関わりによる新たな人生と成長の物語といってよいでしょう。
このドラマは名シーンが多いですが、無学であるはずのイガンとファン進士との人即天の問答はこのドラマの名シーンの一つです。また出兵後の最後の総攻撃に際し他の兵士に決意を語りかける場面も名シーンです。
根底に流れる旧制度、身分制度のくびきとの闘いへの姿勢が心を打つものがあります。


一方、旧制度、身分制度のくびきを越えようとして過去から逃れられず執綱所で鬼気迫る姿で銃を打ちまくり、思わぬ選択をしてしまったイヒョンは哀れです。
国の危機に農民、賤民のほかファン進士に代表される身分制度を絶対のものと考えていた旧体制側の人も小異を捨て武器を取る一方で、高宗等国の中枢の主体性の無さが悲劇を呼びます。


「風と雲と雨」の高宗、確かに成人したらこういう感じか…と思います。剛直な大院君(チョン・グクファン)は実際こういう方だったかな?という感じですね。このドラマが終わると「貴皇后」ですが、ヨンチョル丞相役で出ています。(笑)「風と雲と雨」の猜疑心の固まりのような大院君(チョ・グァンリョル)とかなり感じが違います。


そして本当に「個人的な」名シーンはポドゥリの妓生姿です。似合ってますね。ノ・ヘンハさん、このドラマで知ることができてよかったです。

ちなみに妓生とお坊さんが一緒にいるのが変というセリフがありますが、この時代は妓生とお坊さんも賤民です。私が当時の朝鮮の制度を詳しく知ることができた最初の一番の資料は漫画家、房学基の「李朝水滸伝」(韓国での原題「林巨正」)でした。何度か韓流ブームがありましたが、最初の韓流ブームはソウルオリンピック(1988年なので、向こうでは「パルパルオリンピック」と言います。)その前後、一気に多くの韓国映画、韓国音楽が紹介され、そのころ出版されたのが「李朝水滸伝」でした。主人公の白丁出身の大盗賊、林巨正は向こうでは洪命憙の戦前の小説で知られていますが、1980年代に房学基が漫画の大作「林巨正」を書き、日本ではJICC出版より1985年に、イメージがわきやすいようにでしょうか、邦題「李朝水滸伝」として出版されました。(小説との関連は不明です。)当時の房学基の作風は、真に韓国的なものを余すことなくちりばめており、今皆さんが韓流ドラマの時代劇でであう内容が網羅されています。個人的にも、チョン・ナンジョン、ユン・ウォンヒョン、経国大典、死六臣、本貫、八賤、等々時代劇で出てくる名前や用語はかなりこの漫画で覚えました。作中では白丁、広大(クァンデ)、妓生、僧、蛇取り等多くの賤民が林巨正一党として登場します。今も古本市場にそれほど高くない価格で出ているようですから、ためしにご覧になってみてはいかがでしょう。その後、房学基は空手の大山館長をモデルとした漫画「風のファイター」で一層名をあげることとなります。