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fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

穏やかな日中。神保町に行きました。

本日の目的は、古本屋街の散策と和紙の購入。

小鼓の調子紙、大皮の指皮作りに適している和紙というと石州和紙である。

亡き大皮の師匠より、指皮の作り方を教えていただき、その時に石州半紙を少し分けていただきました。随分前に品切れ状態。色々探し求めて・・・が、探し方が悪くてなかなか出会えなかった。まだ、ネットの普及する以前。本当にあちらこちら探し回ったけれど出会えなかった。

ネットを導入して、お囃子を再開して・・・。再び石州への需要が高まり検索。

そして、出会いました。でも、なんか触りが違うのよね・・・。

何気に使い勝手が悪い。可笑しいなと思いながら十年近く経ちました。

ある方に、石州でもいろいろある事を伺う。そして、取り扱っているお店も教えていただきました。

2009年。ユネスコの無形文化財として登録されたそうだけれど、そんなすごい和紙だったのですね。

お囃子的な私にとっては無くてはならない和紙。常日頃お世話になっている和紙。しかし、何とこの和紙をすく人が四人しかいないのだそうで。ええっ!今後、後継者がいなくて絶えてしまったら困るのですが!

本日、紙を購入する際に

「いつも川平さんの紙をお使いですか」と・・・。

たぶん、欲しい紙を指名して購入するのが珍しいのかも知れません。

「川平さん」・・・って誰?家に帰って検索をしたら、石州和紙の名工といわれる方でした。

「ご指名で、きっと川平さんが聞いたら喜ばれると思います」

・・・すみません。何気に、こんな素晴らしい紙を使って、小鼓の調子を整えたり、大皮の指皮を作るのが申し訳ない感じがした。

気軽にポンポンやっていますが、多くの名工と呼ばれる方々によって支えられている楽器だ。考えてみたら贅沢な楽器だ。

 

ところで、以前ネットで購入したのは石州半紙の「鶴」だった。今回、「稀」を購入して、その価格の違いが分かりました。そうそう、亡き師匠からいただいた半紙はこれこれ(^^♪

やっぱり、同じ名前でもいろいろなんだなぁ。

 

どんな仕事でも、

「ほうれんそう」て大切ですよね。

“ほう”報告

“れん”連絡

“そう”相談

 

火曜日の日勤の出来事であります。

月曜日は、リーダー+入院担当。それも面倒な方だったので。。。もう月曜日で一週間は終わったという感じでした。何せ、六時に家に帰って夕食を摂った。そして「食休み」と称して横になってそのまま朝まで・・・。ありえない疲労。

迎えた火曜日になっても、疲労は癒えず・・・。

なんか、確認したつもりが確認漏れの小さなミスが続いて、「無理!」なぐらいの疲労でがした。

でも、それは振り分けられた仕事。頑張らねばと思って一日頑張ったのであります。が

 

さて、リーダーになって一番気を遣うのは、安定した病棟経営です。

各チームの方々の「ほうれんそう」が、全体を把握するするもとなのであります。

就業時間。つつがなく終わったと思ったのでとすがね。

 

その後の夜勤の記録。「頭痛がひどくてごはんが食べられない」「鼻が痛い」というのから始まる。

翌日の夜勤に入った私。介護士から「昨日・・・」とその事件を知った。

ええっ!その日リーダーをしていたので、非常に吃驚した。

いやいや、記録もないし、インシデントレポートも出ていない。

突然、夜勤の看護師の記録に不思議に思ったが、納得。

 

翌日に、担当看護師が出勤したので確認。

患者を車いすに移乗する際に、介助者の肘が患者の鼻根に当たったとか。

そもそも、物事を大袈裟に訴える患者という事で、

「鼻血は出ていないし、腫れていないし・・・いつもの大袈裟」で片づけて、上への報告を怠ったという事です。
まあ、分かりますが・・・。

鼻根部や眉間は急所ですから。ドラマの見過ぎかもですが、人を気絶させたし時にはその辺を殴るわけだし・・・非常に危険な部位。

やっぱり、報告が欲しかったかも。

 

夜勤明け。出勤してきた師長にまずは報告。

いやいや、個人判断は止めようよ。

変わったことは、リーダーに報告、連絡、相談しようよ。

そう思う事例でした。

まあ、患者さんの状況から、チームリーダーの人の言うとおりに、自己アピールの大袈裟のように思えますがね。でも、患者さんの急所に肘鉄を食らわせたのは事実だし。

 

なんか現場管理って難しい。

主な思考がお囃子なもので・・・本当に全体をまとめるリーダーって、私には不適格なお役目と思うのですが…。

 

勤務の関係で、レポが劇遅い・・・。

仕事のちでヘロヘロ。ついで、翌日は夜勤・・・そして明け。

 

「ましほ会」とは、藤舎流お家元主催の藤舎流の演奏家の先生方の勉強会です。

毎年、とても楽しみ。プラス、とても勉強になる演奏会であります。

長唄の演奏会と違って、上段が豪華というのが、とってもお得な演奏会。という事で、毎年、この日がとても楽しみであるのです。

今年は何気にプログラムの数が一曲足らないように思うのですが・・・

参加するお笛の方の人数でプログラムが決まるようなので、今年はどなたかがご出演がないのですね。

が・・・

今年は五曲でしたが、五曲がいいですね。ここにプラス一曲だと、ちょっと負担感があります。

帰りが遅くなるなぁ・・・

お腹が減ったなぁ・・・とか^^

演奏会というと、やっぱり五曲くらいが、人間の集中力の限界かも。贅沢な会で三曲で終わりとかありますが、それはそれで欲求不満。プログラムの構成は難しいですね。

 

『俄鹿島踊』

<唄>

松永忠次郎・今藤政之祐・杵屋喜太郎

<三味線>

今藤美治郎・今藤龍市郎・柏要二郎

<笛>

藤舎理生

<小鼓>

藤舎呂英・藤舎夏実

<大鼓>

藤舎朱音

<太鼓>

藤舎清穂

 

これはお初の曲でした。けっこう古い曲で1813年3月江戸中村座興行の演目で、『四季詠寄三大字(しきのながめよせてみつだい)』。三世坂東三津五郎の変化舞踊のプログラムの一つで八月の亀戸祭の項に当てられた曲だそうです。作曲は五世杵屋勝五郎、作詞は二世瀬川如意という事です。

十二か月・・・つまり十二曲で構成されているそうです。

一月  吉書始 長唄『傾城』

二月  半田稲荷 長唄『坊主』

三月  雛人形 富本『業平』

四月  初鰹 富本『いさみ』

五月  飾兜 竹本『虎狩』

六月  祭礼 常磐津『臺所唐人』

七月  踊  常磐津『田舎ごぜ』

八月  亀戸祭  長唄『俄鹿島踊』

九月  月   長唄『木賊狩』

十月  爈開使  富本『雇奴』

十一月 雪  長唄『鷺娘』

十二月 豆蒔  長唄『金太郎』

 

想像したものより楽しそうな軽快な曲でした。

まあ、お稽古リクエストしても、却下されそうですが^^

『傾城』とか『木賊狩』・・・『鷺娘』・・・もしかして、知っているあの曲なんですかね。

本日、のちほど出る『木賊狩』は、解説によると初世杵屋正次郎のもので時代も1797年。違う曲らしい。まあ、勝五郎と正次郎だし参考曲なのかも・・・。

 

『娘七種』

<唄>

杵屋三津也・今藤政之祐・今藤龍之右

<三味線>

杵屋栄八郎・今藤政十郎・稀音家一郎

<笛>

中川義男

<小鼓>

藤舎円秀・藤舎千穂

<大鼓>

藤舎成光

<太鼓>

藤舎清之

 

今藤政貴氏休演のために急遽代役で杵屋三津也氏の唄になったらしい。前の『俄鹿島踊』の三味線も今藤長龍郎氏がタテだったのに、代役で美治郎氏だった。

インフルエンザでしょうか?

一般のサラリーマンの方々もそうですが、インフルエンザに対する病識が医療従事者の常識からかけ離れているのをよく感じる。「休めない」という事で強行に勤務継続をしてしまう。

インフルエンザで休むという事は、自分の為に休むのではなくて、人のため会社等の仕事場のため。その認識が一般の人の常識に薄いのを感じる。

医療従事者は院内感染とかそういう事件につながるので・・・。

DNA鑑定すれば、だれがその菌を運んだか分かるとか!実際にMRSAの院内感染で持ち運んだ看護師が訴えられた事があるとか。看護学校時代に聞いた話ですが。

確かに芸人さんは休みにくい業界ですが、、、

「あいつインフルエンザでヘロヘロなのに」という話を耳にするたびに思うのです。

周りの人のためにも、今は損失でも懸命な判断をしましょう♪

まあ、本当の休演の事情は分かりませんが・・・。もし、インフルエンザだったとしたら、無理無理に演奏するよりも懸命な判断かなと思いました。

どちらも、素敵な演奏家さんなので残念でしたが・・・。またの機会を楽しみにしています。

さて、やっぱり急遽代役のためなのでしょう。鼓唄の噛み合いが今 一つのような感じがした。簡単そうですが、そういう事なのですねと勉強になりました。

 

『瓢箪鯰』

<唄>

杵屋勝四郎・杵屋巳之助・杵屋佐喜

<三味線>

稀音家祐介・杵屋彌四郎・稀音家一郎

<笛>

藤舎正生

<小鼓>

藤舎呂鳳・藤舎呂裕

<大鼓>

藤舎清成

<太鼓>

藤舎呂雪

 

普段はお囃子無しで演奏される事が多い。研精会の曲なので、本来はお囃子が入らないのが本当なのだと思うけれど・・・。でも、のちのち舞踊家さんが舞踊の曲に使ったりするからお囃子が付いたパターンの曲かもかもですね。

曲自身がとても面白い。けっこう私はこの曲が好きなのです。

お囃子が入ってとても新鮮な感じでした。

太鼓は全部細撥。楽しい。不得意な四丁目も「打ってみたい」という気分になる。

しかし、細撥ばかりでも、段切れは太撥。段切れのために用意される太撥。細撥で段切れというわけにはいかないのでしょうかね。決まり手だから仕方がないのか。

 

『木賊狩』

<唄>

杵屋直吉・松永忠次郎

<三味線>

杵屋五三郎・杵屋五助

<笛>

藤舎名生

<小鼓>

藤舎呂船

<大鼓>

藤舎呂秀

 

この曲も、脇三味線は今藤の長龍郎氏であった。が・・・いつも一緒に演奏している五助氏の方が五三郎師匠ワールドを表現するには適任であったかもしれない。

本日も、第一音の音は、まるで宝石箱から奏でる音のようでした。

お家元は、全体を読んでの演奏が素晴らしい方である。大概は宝箱から出てくるような美しい音色をぶち壊ししてくれるお囃子が入ってしまいますが、お家元は違いました。やはり日々稽古です。以前より、この一音一音にこだわりを持つお家元の演奏に魅かれて・・・。いつかあんな演奏ができたらと努力しています。まあ、楽器のせいもありますが。。。こういう演奏ができるというのは、あと二十年も三十年もかかる事のように思います。

ちょいとモチベーションが低下している私ですが、なんとか自身を盛り上げて頑張りたいと思います。

もう少し、湿度が高い季節にこのメンバーの同じ演奏を拝聴したい。

 

『石橋』

<唄>

杵屋利光・杵屋巳之助・杵屋龍之右・杵屋利次郎

<三味線>

今藤美治郎・今藤政十郎・柏要二郎・(上)今藤龍市郎

<笛>

藤舎貴生

<小鼓>

藤舎清鷹・藤舎呂裕

<大鼓>

中村寿慶

<太鼓>

藤舎悦芳

 

もうお腹一杯の状態で拝聴する大曲。

関西系の方々は、けっこう体育系のお囃子。という事で東京系の上段さんとマッチしないところがあるのですが、藤舎を熟知する今藤さんはすごいなぁと思う。

超多忙な仕事のあとで、げっそりな私は

「絶対に寝てしまう!」と自信を持っていましたが、寝ずにすべての演奏を堪能しました。

 

今年は珍しい曲がいっぱいで楽しかった。

しかし、年々激務になってヘロヘロな状態になって会場に向かう。

いただけないなぁ。

ボサボサで恥ずかしくて、楽屋へ師匠へのご挨拶もうかがえなかった。

やっぱり、来年からは

「休みか、難しいなら明け」という希望を出す事にしよう。

この季節は色々あって、希望が多くなるので、

優先順位で・・・「夜勤ができません」レベルの消極的な希望になってしまう。

はあ・・・。

 

さて、ましほ会が終わると、

いよいよ内幸町の演奏会。今年は『岸柳』を演奏いたします。

来週から、ちょいと忙しくなる。がんばらねば!

 

途中下車の旅。お天気が良くて気分が良いと、ついつい故郷の幼少及び青春の思い出の公園を急にお散歩したくなって途中下車する。

ここは桜の名所なのですが、小規模の梅林があって、この季節は目が楽しい。

 

鵜君も健在。今日はいつになくスタイルよく休憩している彼をカメラに収められたような気がする。

自分の家にペットがいなくて、かわいい動物の写真が撮れないのが残念で仕方がない。こうして公園に散歩に来て、けっこう野生の生き物をカメラを向けるのが楽しい。

この雑草の花を見ると

「春だなぁ」と思う。これは「イヌフグリ」という名前らしい。

犬の陰嚢に似ているからと、日本の植物学の父と言われる牧野富太郎という人が名付けたらしい。

こんなに愛らしいお花なのに、犬の・・・。なんとも可哀そうな事です。というか、似ているかな?!

久々の何も予定のない休日で、ついでに穏やかな日中なのでのんびりと過ごせました。

何気に、桜の成長を感じるようになりました。

来月の今頃は桜が咲いてウキウキなんですよね。楽しみ♪

 

 

二月もあっという間。気が付けば、今月最後のお稽古だ。

 

小鼓も太鼓も課題は『高砂丹前』。

最近、あまりこの曲を聴かないなぁ・・・。気のせいかな?!

演奏するなら『廓丹前』。踊るなら『水仙丹前』。そんな感じがする。

良い曲だけれど、丹前ものなら。。。と考えると二番手になりがちな曲かも知れない。

 

たぶん、今回で三度目の復習になるけれど、この太鼓地や小鼓の一調は一から覚えなおしという感じ。いつか、この繰り返しが身になるというけれど・・・本当かな。

また、忘れたころに復習しないと、記憶のゴミ箱に永遠に放置されそう。

また、そういう時期にこの曲に出会えると良いかも。決して嫌いな曲ではない。どちらかというと好きな曲なので、ぜひぜひ身になって欲しいものです。

演奏をする上で大切なのは、大小鼓は太鼓を聴いて演奏する。太鼓は大小鼓を聴いて演奏する。お互いに確認し合ってこそ心地よいハーモニーになるとか。

分かっちゃいるけれど、情報が色々あると自分自身が混乱して分からなくなる。

三味線を聴いて、唄を聴いて、互いのパートを聴いて。

「聴ける」まで熟知するべきという事ですね。半端だから分からなくなる。

 

さて、来月はどの曲の復習をしていただこうかしら?思いつかない。

 

 

 

 

長唄協会の春の演奏会は一流どころのご出演があるのでとても豪華です。

知人もたくさん出演している、オオトリの女流協会員合同曲は楽しみ。今年は『安宅の松』。ああいう渋い曲を合同に・・・どんな感じか興味深かった。

 

会場に到着。以前ご指導いただいた師匠の演奏である『大原女』に間に合ってしまった。

諦めていたのにラッキーです。

繊細でとっても綺麗な音締。普通、この曲にはお囃子が入る事が多いのですが・・・。

お囃子なしで、その曲の美しさが表だって、お囃子の入った時の曲想とは違った心地よさを感じた。拝聴できて本当に良かったです。

 

本日の師匠の出演は

今藤流の『旅』と、東音の『雨の四季』。御簾の楽器を表に出しての演奏で、とっても楽しそうな曲です。御簾で使う楽器はとても多くて、学び切れないのですが、いつかこんな曲を演奏できたらなぁ♪

 

こういう会は、忘れ去られたお囃子の手を掘り起こす機会として絶好のチャンス。

「そういえばそうだったなぁ」とか

「望月はこうだけれど、うちはこうだったなぁ」とか

思い出すのですが、

基本が全く違う仙波さんのお囃子は、基本が違うので頭がガチャガチャです。

こちらが「ッホ●ッホ〇」のところも「イヤ●ッホ〇」なので、トッタンが分からなくなる。

各流派独自な手を持っているので、手の違いはどうでも良いけれど、このトッタンが分からなくなる現象はいただけない。

 

そういえば、同じ福原流の方でも、

望月系の方と金春に近い田中系の方がいらっしゃるのですね。

自分的には、

「福原流」=「望月系」と思っているので、太鼓は観世流系のはずなのですが・・・

いきなり金春流の感じになると吃驚します。

 

ラストの『安宅の松』。

大皮のKさん。変わらないけれど、私が二十代の頃から存じ上げている方で風貌の変化になるほどと思った。私は、この方の太鼓が好きなのですが。。。

脇小鼓のYさんは太鼓というイメージが強い。たぶん、以前も小鼓を打つ姿を拝見していますが、「初めて見た」という印象です。四枚目の方は神童という噂。が、活躍が無かったのが残念です。

合同曲は本当にお腹いっぱいの演奏でした。

 

さて、楽しい一日を過ごして、明日は日勤。

今の程よい疲れが、明日にはゲッソリにならないように(^^♪

また来年を楽しみにしています。

 

 

 

今年の内幸町は、
『岸の柳』を演奏いたします。この季節に寒々していますが、良い曲であります。
こういったしっとりした曲は苦手。苦手なのですかせ大好き。
でも、このしっとりした曲に雰囲気を合わせた最初の一発。オソ付けの「ポン」を入れる事が私の能力ではできないので、本当に難しい曲という位置付けになっている。
楽器の原因が主たる事。ここに、私が思う「ポン」を入れるには、この楽器の100倍はお金を積まなければ難しいでしう。
技術ではなく、楽器の良しあしで決まってしまうこの曲は私にとって難曲です。
きっと、お金持ちになって、納得の楽器を手にしなければ解決できない問題ですね。
このお稽古をするたびに、私の求める「ポン」が出ない。もう、それだけで、この曲の演奏継続をパスしたくなるのです。
私が貧乏だからいけないのですが・・・。そう言われてもね。。。
こういう曲に出会うと、貧乏人は邦楽に関わる世界ではないなぁと思う。
この曲は初歩の曲。
しかし、きちっと演奏するにはその「ポン」が必要。
駄馬ちゃんですからね。どうしたら、私の欲しいポンが出てくれるのか分からない。
工夫すれば出てくれるかもですが、99%難しいと私は判断している。

曲目検討段階で、技術でなんとかごまかせそうと思っていたのですが。。。
それが難しいと分かって、曲目選択で後悔しています。
 
それにしても、三段目の最後が難しい。
 
とにかくプライベート重視に生きているので、職場の事情にうとい私である。
「最近人手不足だね」とか、そういう実感はあるけれど、
水面下で何が起きているか分からないし、、、、興味もないし、、、
全然知らない。
経営的にこの病院は危ない。つまり、自分のライフラインに影響がある事以外は興味がない。
 
が・・・
最近、ちょいと周りが騒めいているのを感じる。
うちは、経営者が医療者ではないので、足場が不安定というのが以前から感じる。
目先で良いと思う事を考えもなく取り入れる傾向にある。
目先で良いと思う事を熟慮して取り入れれば、きっと良い結果になると思うのですが、
それを思い付きで実行する傾向があってダメなんだよなぁ。
 
私にとって、職場はあれば良いところなので、別に貢献しようとも思わないし、反対に阻害しようとも思わない。健全でくれるものをくれていれば、内容がどうであれ別にどうでもよい。
私はある知識と技術で100%で求められる事を消化する自信はあるし、今までも消化している。
技術・知識で足りないものを感じれば自分で学習しているしね。
責任ある仕事なので、チャランポランのわりに最低限のセールスポイントは研磨している。
看護師も芸人も一緒。仕事する上でポイントは押えないとね。
 
 
このところ、水面下で経営陣が個別面談を実施している事を噂に聞く。
まあ、私なんぞは「経営向上」とか前向きな思いが職場にない事をありありに仕事をしているので、そういう面談の優先順位が低い事はよく承知している。
「あの人はどうでも良いから」で、そういう機会がない事を願う。
今のところ、メインのお囃子の事が最低限に中心に事を動かす事ができていますし、それだから「この病院にいる」のですが、それが損なわれれば自分の将来は自分で考えるし・・・。目的を果たせなければ、この病院で仕事している意味はないし・・・。
また、例え収入が多少アップしても、主たるものを犠牲にして尽くすつもりもないですしね。
たぶん、長年お付き合いをいただいている看護部長を経由して職場はご存知の事と思うし、
前向きな事での面談は一番最後かなと思う。プラス、この私に順番が回ってきたら、この病院の経営はヤバいかもで「転職の準備」を整えた方がよいかも。
この面談の目的。役職継続を困難に思う人がいて、その後継者を選んでいるとか。
また、数か月前に精神的問題で休職した介護士の復帰に対しての身近な職員の意向調査をしているとか。
私は、その人のサボタージュの第一被害者です。
まあ、当初はよく事情を知らなかったから、ただの迷惑ものと思っていましたが・・・。
が、
「そろそろお金も乏しいので職場に常勤復帰したい」という願いらしく。
私的には、まずはリハビリてきな復帰をして、、、という段階を経てなら良いかなとは思う。
私自身もそういった病にかかっての時代があったけれど、
私だったら、休職はしても最終段階では退職する。(できる限り自分が払ったものに対しての恩恵は受けたいけれど、その病の原因を作った職場には戻りたくない)
病を発症して、多大な職場に対する迷惑をかけて、
すんなのと受け入れ態勢がある・・・。たぶん、この人の場合はないだろう。
同じ病でも、その苦しみを周りが見ていれば別ですが、
責任ある職務を放棄して、突然病欠。迷惑をかけている。それもはっきりしなくて数回。・・・私は運悪く、その数回に遭遇。
 
多大な迷惑を被った私なんですが、
その他の人が怒っていて「無理」と主張しているらしい。
私はリハビリして・・・と優しい回答。
あの人の場合、
「介護士の需要が多いのに、人手が足りないでしょ」オーラが当初から一杯でしたからね。
ですから、仕事がずっと適当でした。
まあ、そんな人をもう一度引き受ける事はゴメンというのが現場の声なのでしょうね。
いくら足りなくても、
「こういう人とは働きたくない」という同業者の声。
 
人手不足なのでどうなるか分かりませんが、
きっとこんな否定的な意見の中復帰するのは難しいですよね。
例え復帰してもどうなるか・・・。
 
しかし、こういう人とは働きたくないと評価されるって・・・。
自覚してほしいですね。
先日は風邪がひどくて失礼してしまった。初期対処に失敗するとこういう事になる。
風邪は休養が一番だが、あろうことか忙しい夜勤だった。すっかりこじれてしまった。
一週間経っても、今一つ呼吸器系の調子が悪い。
そして、先日、あるものを調子に乗ってパクパク食べたら、歯の調子が悪くなった。
痛い。。。
何か今年に入っていろいろと故障だらけ。
もう歳なんだから自重しなさいという身体からの警告かもなぁ。
最近、あまり無理が効かなくなってきた。
ああ、いつまでも若くないのだなぁと実感するようになった。
 
さて、先日は風邪絶好調の時にお稽古だったために、泣く泣く失礼した。
自分も辛かったけれど、師匠にうつしてしまったら大変と思ったからです。
何とか頑張って、ここまで元気になりました。
先月からのお題である『高砂丹前』。
太鼓は、難曲である。でも、小鼓もけして簡単ではない。
今回で三回目かな。過ぎると忘れる“爽やか系”の曲であるために、すぐに忘れる。どんな曲かも思い出せず、いつもこの太鼓地を覚えるのに苦労する。
一通り過ぎた現在、地道に復習する今日。
あの日、本当に懸命になってがむしゃらに覚えた事がさっぱりである。
悲しいなぁ。
人間は忘れる動物である。学習していても、常習的なものでないと忘れる。
お囃子に限らずに、仕事でもそうだ。
必要でない小児科の事や産婦人科の事なんてさっぱりだ。現役の頃、テストで100点なんて取っちゃった科目だったのですが・・・、いまや素人より分からないかもです。
 
あるお囃子さんが脳血管障害を患って、
なんと「数える」という動作ができなくなったのださうです。しかし、お囃子でキザミ何鎖上げて打切なんていう事がスラスラできちゃう・・・不思議な人がいたというお話しを伺った。
脳は様々な領域があって、理論的にぜんぜん不思議ではない事だと思う。
数字の認識、簡単な計算の認識は左脳的な事であり、たぶん、お囃子で「キザミがいくつ」というのは直感的というか感覚的なもので右脳的な事である。
どの部分が障害されたかで、出る障害は様々。
言語中枢も運動性言語中枢(ブローカ中枢)と感覚性言語中枢(ウェルニッケ中枢)とがある。
前者は前頭葉にあり、後者は側頭葉に存在する。前者を障害されて失語症になると、分かっているのに言葉が言えないという障害に陥る。後者が障害されて失語になると、いわゆる錯語(簡単に言うと言い間違え)があったり、人のいう事を理解できないという障害である。
脳というのは不思議な臓器である。どこが障害されたかで、後遺症も大きく変わる。そして、リハビリによって新たな回路が構成されて、驚きの働きの復活もある。すごい臓器である。
記憶には短期記憶と長期記憶がある。
短期記憶は大脳辺緑にある海馬というところがつかさどっている。長期記憶は保存しているのは側頭葉にあるそうで・・・。
海馬というのは「生命に関係ない事は忘れちまえ」というありがたくない働きがある。
短期的な記憶としては覚えていてくれるけれど、ある時期が来るとすっかり忘れるのはそのせいである。
何回も復習をすると、海馬は「生命に大切な事」と判断して、長期記憶として分類してくれるとか。
お囃子の手なんて、ぜんぜん命に係わるものではありませんが、繰り返し繰り返し復習する事で海馬をだまして長期記憶となる事ができるのです。
アルツハイマーは、この海馬がダメになってしまう病気。短期的記憶ができない状態になる。でも、長期的記憶は健在。という事で、八十歳のお婆さんが「私は十五歳」と言い、学校で習った唄を生き生きと唄う風景がある。そして、生命維持のための行動は残っている。
たぶん、職業としてお囃子をやっている人。朝ごはんを食べた事を忘れても、『勧進帳』のお囃子をスラスラやっちゃったりするんだろうな。
私もそうなりたいものだけれど、まだまだ海馬をだますほどの練習が足りていない。
せっかく覚えたのに、海馬に「生命維持に必要なし」と判断されて忘却してしまうのですね。
 
私のお囃子ライフ。とうとう海馬との戦いに入ってきました。頑張らねば(^^♪
 

 
今日は夜勤明けです。このところの夜勤は色々な意味で大変な患者さんが増えて、とっても内容の濃い仕事内容。今日もヘロヘロで帰宅いたしました。
 
昨日は昼夜逆転で起き出しちゃうような患者さんが入院してきて初日の夜勤。転院前の病院の情報通り、日中は爆睡。夜になると覚醒して動き出す・・・一般の方なら良いのですが、認知症の患者さん。どこかに行っちゃったり、怪我したり・・・目の行き届かないところで、こういう方を管理するのは大変な事です。このところ、中途半端なADLで認知症の方を預かる事が多い。夜間病棟の廊下を這いずっていたとか、ベッドの下の床の上で寝ていたとか、エレベーター前に立っていたとか・・・盛り沢山。日々山のように似たような内容のインシデントレポートが上がっています。我が病院は身体拘束は極々最小限。一般病院のように治療上の理由でベッドに縛り付けたりするような身体拘束はしていません。治療上の理由で、例えばCVカテーテルを抜去してしまう。などといった理由で手袋をしたり、つなぎ服を着せる事はあるんですが・・・。転倒転落などのリスクがあるとか、目が届かずに無断で離院してしまうとか、そういう理由で拘束する事はできません。
半端なADLの認知症の方の対策は、
離床した事を知らせるセンサーなどを使用します。あと、ベッドから落ちてしまうような人はベッドを低床にしてマットを敷いておくとか。けれど、こんな大勢そういう人をお預かりする想定はないので、数に限りがある。各病棟で取り合い。必要な方に万全に対策出来るわけではないのです。
特に入院した初日。「様子をみましょう」という事になるので、患者さんが疲れるまでナースステーションでお預かり。
 
一応病院なので、こういう認知症で「困ったちゃん」だけを管理しているわけではありません。終末期の患者さんなど、医療的な看護を必要とする患者さんも大勢いるんですよね。
なんかどちらも同時に看護・介護するって本当に大変。どっちかにして欲しい。
昨日は、
「いい子で明日の朝を迎えましょうね」と願いを込めている数人の患者さんと、身体的な面で濃厚な看護を必要とする方々を数人抱えた夜勤でした。
そして、二人の患者さんのお見送りをいたしました。
一人は、まあ具合は良くないが。。。まさか「今日?!」という患者さん。
発見した時は、最期の一呼吸というところでした。まだ頸動脈の触知はできていましたが・・・。この時点でご家族を呼んでも間に合わない。本当に残念なケースでした。
もう一人は、
あと日勤にバトンタッチを目前。ちょうど患者さんの朝食の時間でした。
一週間前より危篤状態。低空飛行でしたが「絶対に日勤に渡せる」と思っていたのですがね。
がん終末期の患者さん。こういったホスピス的目的で入院している方もいらっしゃいます。そういう方はお若い。この方も私の一つ年下の女性でした。数年前に癌を発症。治療して再発して・・・その繰り返しで病気と共に生活。昨年の夏まで普通にお仕事をされていたそうです。
歳も近く、家族環境も似ていて・・・。その方を見ていると我がごとのように感じていました。
子として、親より先立ってはいけない。親を見届けるのが勤め。先立つ子供は「親不孝」とよく我が親は言っていました。
親一人子一人の生活環境。きちっと子という勤めを果たさなければと思いつつも、母と別れる日があってほしいとは思わない。反対に、母も同じだと思う。順番的に親の方が子のもとを去るのが当たり前。でも、残される子供のことを思うと・・・。
病気が病気なので、この患者さんの親御さんはある程度、「子が先立つ」事に対して覚悟を決めていると思うけれど、やっぱり、ガックリですよね。
歳も近く、家族環境も似ているこの患者さん。身につまされるので、看取りたくなかったのです。しかし、仕事ですからね。仕方がないです。これも運命のいたずらです。
患者さんに「あなたは、きちっと子どもの役目を果たしてね」と言われた気がしました。
 
さて、不思議な事がありました。時間は違いますが、お二人とも「十一分」が死亡時間でした。
そして、お二人とも、ご家族が持っていらっしゃった「着物」を着て帰られました。
先の方はお気に入りの大島の着物を着て帰られました。
普段、着物を着慣れていますが、男性の帯の結び方はよく分からない。
すみませんが適当に結んでしまいました。帯が長くて、困りました・・・。一応、貝ノ口風に結びました。
一つ下の患者さんは成人式の時のでしょうね・・・。お振袖を着て帰られました。
しかし、柄行が私の世代の着物よりも古かった。丈も短めだったし・・・。もしかして、お母様のお振袖だったのかも知れません。
親御さんは、ガーゼの着物を着せて、振袖を掛けてあげる感じでいいですと仰っていましたが、せっかくの旅立ちの衣装。寝間着で旅立つよりも、正絹の綺麗な着物が良いと思って「振袖を着ましょう」と提案してしまいました。準備不足で帯もなく、紐はガーゼの浴衣の紐が一本。簡易的な着付けになったのが心残りでした。

木綿やガーゼの寝間着の着物は着せにくくて好きではありません。
正絹はやっぱり、きちっと格好がつく。
私が死んだときも、ぜひぜひお気に入りの着物を着せて送り出してほしい。が・・・。どの着物にしよう。そうね。。。私は、やっぱりお囃子の流派の紋付を着て逝きたいな。
 
今まで、寝間着以外のものを着せてお送りした事が何度もある。同じ日に二件ともお着物というのは珍しいが・・・。
在日の方で、そのお国の花嫁衣裳を着て帰られた事がある。さすがに着付けが分からないので、お嬢さんにお手伝いをしていただきながら仕上げました。
 
つまらない木綿の寝間着で変えられる方がほとんどですが、
私は、ご本人のお気に入りを着て旅立ってほしい。
ぜひ、自分が万が一の時の衣装。用意してください。そして、それを残される人に託してほしいと思います。