二月二回目だけれど一回目のお稽古 | fuyusunのfree time

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長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

先日は風邪がひどくて失礼してしまった。初期対処に失敗するとこういう事になる。
風邪は休養が一番だが、あろうことか忙しい夜勤だった。すっかりこじれてしまった。
一週間経っても、今一つ呼吸器系の調子が悪い。
そして、先日、あるものを調子に乗ってパクパク食べたら、歯の調子が悪くなった。
痛い。。。
何か今年に入っていろいろと故障だらけ。
もう歳なんだから自重しなさいという身体からの警告かもなぁ。
最近、あまり無理が効かなくなってきた。
ああ、いつまでも若くないのだなぁと実感するようになった。
 
さて、先日は風邪絶好調の時にお稽古だったために、泣く泣く失礼した。
自分も辛かったけれど、師匠にうつしてしまったら大変と思ったからです。
何とか頑張って、ここまで元気になりました。
先月からのお題である『高砂丹前』。
太鼓は、難曲である。でも、小鼓もけして簡単ではない。
今回で三回目かな。過ぎると忘れる“爽やか系”の曲であるために、すぐに忘れる。どんな曲かも思い出せず、いつもこの太鼓地を覚えるのに苦労する。
一通り過ぎた現在、地道に復習する今日。
あの日、本当に懸命になってがむしゃらに覚えた事がさっぱりである。
悲しいなぁ。
人間は忘れる動物である。学習していても、常習的なものでないと忘れる。
お囃子に限らずに、仕事でもそうだ。
必要でない小児科の事や産婦人科の事なんてさっぱりだ。現役の頃、テストで100点なんて取っちゃった科目だったのですが・・・、いまや素人より分からないかもです。
 
あるお囃子さんが脳血管障害を患って、
なんと「数える」という動作ができなくなったのださうです。しかし、お囃子でキザミ何鎖上げて打切なんていう事がスラスラできちゃう・・・不思議な人がいたというお話しを伺った。
脳は様々な領域があって、理論的にぜんぜん不思議ではない事だと思う。
数字の認識、簡単な計算の認識は左脳的な事であり、たぶん、お囃子で「キザミがいくつ」というのは直感的というか感覚的なもので右脳的な事である。
どの部分が障害されたかで、出る障害は様々。
言語中枢も運動性言語中枢(ブローカ中枢)と感覚性言語中枢(ウェルニッケ中枢)とがある。
前者は前頭葉にあり、後者は側頭葉に存在する。前者を障害されて失語症になると、分かっているのに言葉が言えないという障害に陥る。後者が障害されて失語になると、いわゆる錯語(簡単に言うと言い間違え)があったり、人のいう事を理解できないという障害である。
脳というのは不思議な臓器である。どこが障害されたかで、後遺症も大きく変わる。そして、リハビリによって新たな回路が構成されて、驚きの働きの復活もある。すごい臓器である。
記憶には短期記憶と長期記憶がある。
短期記憶は大脳辺緑にある海馬というところがつかさどっている。長期記憶は保存しているのは側頭葉にあるそうで・・・。
海馬というのは「生命に関係ない事は忘れちまえ」というありがたくない働きがある。
短期的な記憶としては覚えていてくれるけれど、ある時期が来るとすっかり忘れるのはそのせいである。
何回も復習をすると、海馬は「生命に大切な事」と判断して、長期記憶として分類してくれるとか。
お囃子の手なんて、ぜんぜん命に係わるものではありませんが、繰り返し繰り返し復習する事で海馬をだまして長期記憶となる事ができるのです。
アルツハイマーは、この海馬がダメになってしまう病気。短期的記憶ができない状態になる。でも、長期的記憶は健在。という事で、八十歳のお婆さんが「私は十五歳」と言い、学校で習った唄を生き生きと唄う風景がある。そして、生命維持のための行動は残っている。
たぶん、職業としてお囃子をやっている人。朝ごはんを食べた事を忘れても、『勧進帳』のお囃子をスラスラやっちゃったりするんだろうな。
私もそうなりたいものだけれど、まだまだ海馬をだますほどの練習が足りていない。
せっかく覚えたのに、海馬に「生命維持に必要なし」と判断されて忘却してしまうのですね。
 
私のお囃子ライフ。とうとう海馬との戦いに入ってきました。頑張らねば(^^♪