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fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

夜勤明け。本日も疲労困憊で帰宅。が、今日はいつものようにグダグダしていられない。何故なら夕方からお稽古だからです。

若いうちはよかったけれど・・・。やっぱり、年々厳しくなるなぁと感ずる。若いつもりでも、やっぱり着実に歳はとっているんだなぁ。

 

今月から、職場はサンダル型のナースシューズが禁止となった。

露出度の高いナースシューズは感染管理上不適切な履物である。

汚染物が落下した時、注射の針が落下した時・・・。サンダルは自己防衛がし難いのでは?!

感染管理上以外にも、サンダルは廊下を歩くときにペタペタうるさいとか、サンダルがいけない理由は山ほどある。

が、靴よりもサンダル型を好む人がけっこういるのは、「足が楽」「蒸れなくてよい」と利点があるからだ。

今は大きめの医療機関はサンダル禁止のところが多い。という事で、今の病院に入る前は靴を履いていた事が多かった。

私、足の指が長くて、けっこうクセっぽい足の形をしているらしい。

今まで、普段履いている靴でもフィットする靴に出会った事がない。という事で昔から靴による足のトラブルが絶えないのが私でした。

とにかく歩くのがナースの仕事。タコ・魚の目と悩みが尽きなかった。

今の職場に入職して、サンダル履きができたので、しばらくその悩みから解放されていた。けれど、またまた今月から「痛み」との戦いが復活した。

忙しい夜勤を過ごして、すっかりタコや魚の目を育ててくれちゃいました。もう痛くて痛くて、仕事を終えて帰宅する際はぴっこを引いて歩くのがやっと。

この痛みに耐えるくらいなら、汚物を被っても、針が刺さっても何でもいい感じがする。

家に帰って、一番痛い指を見たら、炎症を起こしていた。

一休みしても痛みの軽減はなく・・・。はあ、歩くのがとても辛かったです。

 

さて、お稽古。

本日の太鼓は『供奴』。先日の合わせ稽古で疑問に思った事の解決。「ハヲ」でも、二拍で掛ける時と一拍で掛ける事がある。知ってはいたのですが、他者と違ったりすると自信が持てなくなってしまう。反省。

小鼓は『島の千歳』の復習でした。段切れあたりが難しい。

 

六月にある会に向けての合わせ稽古がスタート。

今回は『供奴』を演奏する予定。

お囃子チームはいつもご一緒する方々がご多忙で、一緒に楽しみましょうというメンバーで構成。

上段では新しいメンバーが♪

実は、この方とは面識は無かったのですが、ネット上では十年近くのお付き合い。今回の初対面をとても楽しみにしていました。

色々と難しい世界なので、こうしてネットをご縁に一緒に演奏できるなんて夢のような事です。嬉しいです。

 

今回は太鼓を担当いたします。

今回の目標は、全体のボリュームのバランスを考えた太鼓を打つという事です。

太鼓という楽器は非常に大きな音がします。技術を持って制御しないと、非常にデリカシーのない楽器であります。

もともとデリカシーのない性格の私なので、この上なく気を使わないと全体のバランスが崩れて、「あの太鼓うるさい」という結果をもたらしてしまいます。

あと、もう一つの目標は他者の音を意識しながら演奏する事。

上段に合わせる事も大切ですが、大小鼓や笛を耳にしながら演奏するという事が大切なようです。長唄の演奏は総合芸術ですから。みんなの意識が一丸になっている事が良い演奏につながると思います。

 

さて、本番は六月四日です。良い演奏ができるように頑張ります。

 

ゴールデンウィークも、そろそろ終盤という土曜日にお稽古があった。

ゴールデンウィーク中、ほとんどが仕事。普段と変わらず全く余裕のない状況でのお稽古でした。

たまにはゆったり気分でお稽古に臨みたいものです。

・・・が、それも自分の選んだ職業選択のせい。そして、そうじゃないとお稽古継続が難しい自分の生活的背景のせい。しかたがない。

今度生まれ変わるなら、財閥の家に生まれたい。24時間。時間を持て余すそんな環境に生まれ育ちたいものである。

 

さて、小鼓は何故か『藤娘』。

そういえば、長唄の美学は置きの部分からお囃子が入っている。

踊りの場合は、置きは飛ばして“ヒカエ”から「若紫~」で始まるケースが多い。『藤娘』はあまり演奏会では出ない曲で、舞踊の曲。という事で置きの部分が省かれてた曲が一般的に耳にある曲。

そもそも、長唄は起承転結がきちっとしていて、“置き”で風景の説明があって、“出”で登場人物が出てきて・・・。そんな決まりがある。

が、最近の傾向だと、そんな構成を無視して音楽が始まれば「踊る」という傾向にあるらしい。

長唄の美学のように置きからお囃子なんぞ入っちゃったら、そこから「踊ります」なんていう具合に、長唄的には「ええっ!」という事が起こり得る・・・と推測されるそうです。

 

獅子ものの乱序・露の部分は、囃子方の命の部分というイメージが強い。が、そこに振りを入れちゃう方もいらっしゃるそうで。

こういう部分は奏者の呼吸で演奏する部分だからこそ、聴き応えがあるのですが・・・。舞踊家がそこに入るという事はイニシャチブが舞踊家にあるので、本来の「聴き応え」がなくなるなぁ。

観客として思うのは、そんなの「ラジオ体操を見ている感じ」と思ってしまう。

 

太鼓は、六月に演奏する予定の『供奴』をみていただいた。

無難に打っているのですが、もう少しメリハリを!

このメリハリが超難しい。自分では「メリハリをつけている」と思って演奏していても、実は他人には伝わっていないのがほとんど。

そういう事をふまえないとなぁ。

くさくないオーバーアクションの研究が必要です。

 

 

二十年近く前にやっていた大好きなゲーム。

今はもっと技術が発達して、もっともっと画像が綺麗。

でも、当時はこれでも「すごっく綺麗(^^♪」と感動した。

 

さてさて、このゲームがスマホアプリで再び。

ゲーム好きの私。懐かしさもあって購入しちゃいました。
そうそう、音楽が癒し系で良いのよねぇ。
今完全にゲームにはまっています。

このスマホ。はっきり言ってゲーム機器になっております。

ゲームをやっている途中で電話なんぞ掛かったら「イラッ!」。

特に最近、知らない電話番号から掛かって来る。だいたい、以前使った事のある看護系の人材派遣会社とかそういうところ。

知らないところからの電話は出ないのが基本。あちらさんが諦めるまでイライラ・・・。早く切ってくれ・・・。

 

知らない電話番号で思い出した。

朝十時くらいから夕方近くまで、何十回も同じ知らない電話番号から受診の履歴。

なんか、五分か十分の間に連発。いったん諦めたのか三十分から一時間あけて、またまた連発。

アドレス登録していないけれど、もしかして私の電話番号を知っている知人の緊急性ある電話の可能性も考えて、就業後、駅の公衆電話からその番号にかけてみる。

知らないおじさんが出た。

私の名前はもちろん言わずに、

「午前中から夕方まで何十回もお電話をいただいているようですが、どちら様ですか?」と聞いてみた。

「えっ、何十回もですか?」ととぼけた口調のおやじ。

「十時くらいから(怒)」とちょっと怒った口調で言うと、

「ああ、○○さんに掛けたつもりだったんですが」

「すみません・・・」

間違え電話で何十回も・・・。非常に迷惑である。

たまに、留守電に

「××です。明日、何処何処で十時に待っています。宜しくお願いします」と入っていて、翌日、「あの、××ですが、どうかされたのですか?何処何処で待っています」と入っていた。完璧間違え。

履歴で相手の番号は分かるので

「違いますよ」と言ってあげるのが親切かと思いますが、

実は「間違えを装った釣り」かも知れない。信用できない世の中ですからね。悪いなぁと思いつつ無視。

しかし、よく電話番号を確認して掛けてほしい。
今はゲームに燃えておりますので、どうぞ間違い電話はご遠慮ください。

しかし、テレビとつなげてのプレステと違って、スマホは画面が小さいので操作しにくいです。

 

 

四月最後のお稽古でした。このところ仕事が忙しくて、練習不足。

ヤマが外れてさんざんでした。

 

さて、桜の季節も終わって、

世の中は、もう藤の季節。ちょっと早いかなぁ・・・。

 

そうそう、唱歌で、

「ポン」とか「チョン」とか言っていると、早いと間が崩れる話が出た。

二十年以上前に、大皮の師匠が、

大皮の唱歌を「チョンチョン」と言っちゃいけないと仰った。

「チョン」は「chonn」、「ポン」は「ponn」

子音の数が多いから遅れる。だから、「n」つまり「ん」で表現すると間が崩れないと間が崩れないと仰っていました。母音でもよいと思うのですが、ゴロが悪いのでしょうね。

 

新年度に入って、新しい看護部長を迎えたり、人事異動があったり・・・

色々ありすぎて現場はざわざわと落ち着かない。こういう時って、事故が頻発する。

結局、現場に事件が起きるという事は、患者さんに迷惑が掛かる事なんだろうな。

日々、激変する現場。誰もが破片しか情報を知らなくて・・・。

皆闇夜に放たれていると同じで、どうすればよいか浮足立っていて、

重要な凡ミスをしますよね。

本当に、
現場にとっていらない人間が起こした騒動が、

大騒動になっています。

精神障害者を引き受けるという事はそれなりの覚悟が必要という事です。普通じゃない人は弱者かも知れないけれど、その弱者である事を利用して悪知恵が働くという良い例ですね。

個人的な事が組織をボロボロにしている。いつになったら傷はいえるのだろうか。

患者さんは、何だかの病気や障害を負っている方々なので、

その方々の看護・介護にあたる人は、やっぱり通常でなければならない。患者の面倒をみて、ついでに患者のような同僚の面倒・・・。非常に理不尽。患者さんは仕事なので良いが、なんで逸脱した職員の看護までしなくちゃいけないのだろうか。看護の無料サービスなんて・・・!

一人は天然。もう一人は脳疾患の後遺症で患者さんと変わらない人がいる。バタバタついでにこの二人を始末しなければ通常の現場誕生は難しいと思う。

この騒動が鎮火しないと、なかなか精神的に落ちつけないなあ。

看護協会。多くの看護師が所属する集団。研修会をやったり、地域親善を図ったり、色々やっているところ。
新人の頃は半ば強制的に入会させられましたが、

別に研修会に出席しないし。。。
自分の休みを使ってまで研修にはいきたくない。

所属するからといって何のメリットもない看護協会。

最初に所属した病院以来、会費を払わずパスしていました。

会費を払わない=脱退です。

 

私が二年目ナースの頃に、協会関係の施設修繕のために寄付を募っていて、でも看護協会系の勉強会は関係なかったし。。。という事で寄付金を拒否したら、上司にプツプツ言われて・・・。

感じが悪かったので、翌年は脱退しようと決心して、年会費の支払いを無視していたら、上司に「今年分は払っておいたわよ」と言われ、ますます理不尽を感じで・・・。

そして、その翌年。職場を辞めたと同時に看護協会を辞めた。

 

看護協会の研修。

行かしてくれる病院と、行かしてくれない病院とあって・・・。

今回、看護部長が変わった事で、行きやすい感じになって。

ついでに、

参加費補助が出るという事で、、、

いやいや、協会会員でなくても受講できるけれど、会員外はべらぼうに高額な研修費。

こりゃ会員でないと。。。職場の経済を考える私でした。

やっぱり、会員が研修が行くというのが、職場としてありがたいですよね。

という事で、十年ぶりかな。

看護協会に所属する事にしました。


当初入職した病院は給料が安かったので、非常に負担感ありましたが・・・。

ちょっと経済事情もよくなったので、負担感も薄れるかな。

今回の演奏会で一番楽しみだったのはアニメーション『孫悟空』でした。
実は初演発表会を見ている私でした。逆算したら八歳の頃でした。

ええっ!東音会とのお付き合い・・・。そんなに古かったのですね。
当時の事の記憶・・・。

学校を休んでいった演奏会。学校が休めた事でルンルンでした。
いつも山台で演奏している人が舞台上でマイクを持って喋っていた。

松島庄十郎氏がきっとたぶん解説をしたんだろうな。よく覚えていない。ただ、演奏している人がマイクを持って喋っている姿が強く記憶に残っている。

馬の脚の画像が印象に残っている。「これこれ♪」と今日も記憶通りの画像に感動でした。

私が小学校に就学する前に、手塚治虫のアニメで『悟空の大冒険』というのをテレビでやっていた。大好きで見ていた。

その孫悟空が強く印象にあるので、そういう悟空が出てくるかと思いきや、かわいくない悟空にショックを受けた事を思い出します。

今日見た感じでは、そんなにショックを受けるほどかわいくない悟空ではなかったけれど。。。
手塚治虫の悟空に比べて、やっぱり可愛くないなぁ・・・。

 

母は、学校の勉強より「生の芸術が子供の心を育てる」という主義の人だったので、学校を休んで色々な舞台を観に行った事を覚えています。

東音会も複数学校を休んで観に行った記憶があります。

こんな幼ない頃から親しんでいた東音会。六十周年ですって。歳をとるはずです。

考えてみたら、人間国宝のあの方も若いお兄さんというイメージが今も残っている。

『操り三番叟』・『橡の木』・『新曲浦島』・『雨の四季』・長唄メドレー『四季の彩-「春」娘七種・梅の栄・花見踊り「夏」都鳥・東都のひびき・菖蒲浴衣「秋」夜遊曲・俄獅子・秋の色種「冬」まかしょ・四季山姥・鷺娘』・『あたま山』・『孫悟空』・『勧進帳』というプログラムでした。

 

今年は「立分れ『勧進帳』」が流行っているのですかね。今年に入って三回目です。個人的好みでは今日の演奏が一番素敵でした。

『あたま山』。いつ聞いても面白い。後半の演目が外せないものばかり。よい一日を過ごしました。楽しかった♪

 

新年度に入って、混乱した職場は浮足立っていて大忙し。
うちの病院独自の確固たる看護部の姿勢があったのに、こうも脆く壊れるものか。悪意の持った弱者というのは本当に恐ろしいなぁと思います。
しかし、残されたものは、不安と期待。いやいや不安の方が大きく今日にあります。

新しい看護部長が来ましたが・・・

まだまだまとまりなく、今後がどうなるのか・・・。そういう中で働くのはとても疲れます。新年度に入って、日々が疲労困憊。

そんな日常を送っての私はダメダメちゃんのお弟子さんでした。

遠い過去の記憶だけで臨んだお稽古。撃沈でした。

 

太鼓は『廓丹前』。ぜんぜん練習する事なく臨んでいるので滅茶苦茶。やっぱり、いつも躓くところは一緒です。

小鼓の『勧進帳』も一緒。たぶん、間違えてしまうところは、苦手なところなのでしょうね。

つまり、その部分を集中的に稽古をすればよいという事に気が付きました。

 

ぜんぜん稽古していなくても、何気にできちゃうのですが、

何気にできちゃう中でできない事を克服するというのが、これからの稽古なのかも知れないです。


さてさて、明日は東音会です。楽しみ♪

かれこれ二十四年も前の話です。

当時は亡くなった大皮の師匠の門弟でした。藝大を卒業されてご活躍だった姉弟子が『二つ巴』を演奏するという事で、師匠のもとにお稽古にいらっしゃっていました。そのお稽古風景に出くわした私。厳しい稽古でしたが、本当に良いものを見学できました。

考えてみたら姉弟子も、当時の師匠と同い年近辺の歳になりましたね。そういう私も似た年頃です。

亡くなった師匠。お別れしてから、そんな長い時間が経っているのですね。信じられない。。。

元姉弟子というのですかね。。。。

構えが亡くなった師匠にそっくりです。今も彼女を通して師匠が生きているんだなぁ。

 

この『二つ巴』の演奏は、この会の第二回目だったようです。

あれから二十四年なのですね。感慨深いです。

その後、お囃子から離れていたのでしばらくご無沙汰だった新の会。

大皮の師匠が亡くなって十年。再びお囃子を始めることになって、そして、またご縁があってこの会に伺うようになりました。

いつも素敵な演奏を拝聴。毎年、とても楽しみにしていました。

なのに・・・

本日の演奏会で、この会は幕引きなのだそうです。とっても残念。

 

『四季三番叟』・『季の調べ(元禄花見踊り・神田祭・秋の色種・鷺娘)』・『常盤の庭』・『竹の踊り・竹の唄・樹々の密』・『勧進帳』・『三番叟』

 

帰りが遅くなるので、最後の演奏はパスしてしまいました。

どの曲も素晴らしく感動でした。
もっともっと後世にバトンタッチして行ってもらいたかった会です。