ゴールデンウィークも、そろそろ終盤という土曜日にお稽古があった。
ゴールデンウィーク中、ほとんどが仕事。普段と変わらず全く余裕のない状況でのお稽古でした。
たまにはゆったり気分でお稽古に臨みたいものです。
・・・が、それも自分の選んだ職業選択のせい。そして、そうじゃないとお稽古継続が難しい自分の生活的背景のせい。しかたがない。
今度生まれ変わるなら、財閥の家に生まれたい。24時間。時間を持て余すそんな環境に生まれ育ちたいものである。
さて、小鼓は何故か『藤娘』。
そういえば、長唄の美学は置きの部分からお囃子が入っている。
踊りの場合は、置きは飛ばして“ヒカエ”から「若紫~」で始まるケースが多い。『藤娘』はあまり演奏会では出ない曲で、舞踊の曲。という事で置きの部分が省かれてた曲が一般的に耳にある曲。
そもそも、長唄は起承転結がきちっとしていて、“置き”で風景の説明があって、“出”で登場人物が出てきて・・・。そんな決まりがある。
が、最近の傾向だと、そんな構成を無視して音楽が始まれば「踊る」という傾向にあるらしい。
長唄の美学のように置きからお囃子なんぞ入っちゃったら、そこから「踊ります」なんていう具合に、長唄的には「ええっ!」という事が起こり得る・・・と推測されるそうです。
獅子ものの乱序・露の部分は、囃子方の命の部分というイメージが強い。が、そこに振りを入れちゃう方もいらっしゃるそうで。
こういう部分は奏者の呼吸で演奏する部分だからこそ、聴き応えがあるのですが・・・。舞踊家がそこに入るという事はイニシャチブが舞踊家にあるので、本来の「聴き応え」がなくなるなぁ。
観客として思うのは、そんなの「ラジオ体操を見ている感じ」と思ってしまう。
太鼓は、六月に演奏する予定の『供奴』をみていただいた。
無難に打っているのですが、もう少しメリハリを!
このメリハリが超難しい。自分では「メリハリをつけている」と思って演奏していても、実は他人には伝わっていないのがほとんど。
そういう事をふまえないとなぁ。
くさくないオーバーアクションの研究が必要です。