演奏中の写真を頂戴いたしました。
動きを感じる素敵な写真(^^♪
が、私のフォーム・・・。これでいいのかな?ちょいと反省。
昨日の仕事後お稽古がとっても体力的に厳しかった。ついでに、翌日の準備もあって遅くに就寝。で、翌日は早くに起床したので厳しかった。
なんか、家を出る段階からヘロヘロしていた。
ついでに、美容院に着いたら休業状態。いつも開店同時予約という事が多いのですが・・・こういうのは初めて・・・
予約の日時を間違えたか不安になった。
気の短い私・・・。いやいや、私は大概、十分前行動なので、約束の時間まで十分待っていることになる。なので、すごっく待っている感覚になる。
それに時間がある事なので、、、
ぼやぼやの私が間違えて予約したならペナルティーは覚悟。でも、この頭ではまずい。どこかセットできるところを探さないと。。。と、次の行動をとり始めたら電話が掛かってきた。ちょっと遅刻しちゃったみたい。普通なら許容範囲の時間。私が早く着きすぎたからの惨事だった。
小田急線。本日も人身事故でダイヤが乱れておりました。
はあ・・・、遅刻するかと思いましてた。
色々なアクシデントに出会い会場入り。なんかドキドキしちゃいました。
楽屋に着いて太鼓を上げる。なんか疲れてしまい、うまく上がらない。まあ、昨日タテ調べをきっちり師匠に上げていただいたので、多少緩くてもいいか・・・なんて諦めモード。
が、大皮をお願いしたヤングが上げてくれました。
さすがプロですね♪
私の師匠は太鼓の名人なのですが、私は太鼓が苦手。いつも「師匠、すみません」状態。でも、名取として苦手克服をしなければならないので、この選曲なのです。が・・・、師匠に怒られちゃうな。「何やっているの!」と。
でも、会場で演奏を見て下さった演奏家の方が「お師匠さんに似ているね」と仰って下さって嬉しかったです。
いつも師匠の演奏を見て「全然似ていない」。で、師匠を真似てやったことが「変だ」と注意を受ける。私は全然師匠の弟子としてはダメ子ちゃんと思っていましたが・・・。なんか「頑張ろう」という気持ちになりました。
お世辞でも嬉しかったので。今度は師匠の恥にならないように頑張らねばと思います。
また、知らないご婦人に「太鼓を打たれた方」と声を掛けられた。
「とってもかっこよかった」とお褒めをいただいた。
実際どうだったか分からないけれど、こうして「かっこよかった」とお褒めをいただくと嬉しいものです。
演奏するって、本当に幸せなんですね。
チーム編成に至って難しい事が多いのですが、いつもこのように素敵なメンバーに恵まれて嬉しい。
環境や気候に敏感な小鼓。調整が上手くいかずに・・・。
私も、先日のボランティアで経験しました。とっても悲しい事ですが、その悲しみを乗り超えて、小鼓がいう事を聞いてくれるようにしつける事が大切だと思います。
難しい楽器であることを理由に、使い手をなめている事があるのが小鼓という楽器です。どんなにヘボヘボでも「鳴らす」という意思が必要かと思います。最近の我が楽器は「じゃあこれでも」と泥沼になって私を困らせます。この泥沼が・・・非常に困っちゃうのよね。こうなったら、もう使えない「皮」になるのかなぁ。愛着あるから寂しいけれど。
本日の『神田祭』は藝大バージョンのお囃子でしたよね。
このバージョンが打てるようになりたいのですが、当り鉦に大太
鼓に桶胴。。。たぶん、だめだなぁ。
『神田祭』のお囃子はやっぱりこのバージョンが好き。
なんかとってもヘロヘロで会の途中で退席。すみません。
ああ・・・
打ち上げに出たかった・・・(涙)
本日は超大変でした。
そう、日勤のちお稽古。それも、楽器の調整のために重たい楽器と共に・・・。
朝は職場の最寄り駅のコインロッカーに太鼓はお預け(^^♪
いやいや、最寄り駅に大き目なコインロッカーがあってよかったでございます。
度々盗難とか耳にしているので、職場に貴重品を持って行くことはできません。まあ、太鼓や小鼓を盗む人はいないと思いますがね。。。
でも、置き場所を考えると、うーん!
・・・やっぱり、コインロッカーが一番♪
職場からお稽古場まで、本当に混んでいる電車ばかり!
本当にゴロゴロがストレス。
電車の中で足を踏まれた!思わず「痛い!」と突き飛ばしちゃった。
鬼のような目で睨まれた彼。次に、私のスカートを踏んでいた。
楽なゴムのスカートをはいていたので、お尻が丸見えになりそうになり・・・またまた、私に睨まれた彼。とってもブルーだったでしょうね。
次に、乗り換えの電車に乗車した際。発車のベルが鳴ったので、私も慌てていました。ところが、電車の奥の方から「スミマセン」という声も出さずに飛び降りようとする男性。声を掛けないから、だれもどいてくれない。こういう時、弱そうな女性の方にやってくるのが常。が、私は大きなお荷物を持っている。太鼓の入ったケースに躓いてドアに挟まった。私は、その人がドアに挟まった事より、大事な太鼓に衝撃が与えられてとても心配でした。自業自得。電車を乗り間違えたのでしょうけれど、人の大切な荷物を蹴飛ばして、人を退けようとするから罰が当たったのです。怪我なくスルーしましたが、混んでいるところでするべき行動ではありません。上りと下りを間違えるなんてお上りさん!田舎者?
混んでいる中、ゴロゴロと・・・。本当にストレス。お囃子の皆さまはそういうストレスに常に対面しているのですね。大変だなぁ。
さて、お稽古は
明日の本番で頭も心も一杯の私は、全然ダメ子ちゃん。
『綱館』のお浚いでした。ぜんぜん勉強していなかったのでチンプンカンプンでした。特に後半のチリカラは速いですから・・・チンプンカンプンのまま終わった感じ。次回は『藤船頌』のリクエスト。最近、ちょいと流行っているらしい。
明日は世田谷の成城ホールにて供奴(^^♪
掛かりは二時くらいかしら?
お時間ございましたら、ぜひぜひ応援にいらっしゃって下さい。
先日のボランティアの際の写真をいただいた。
やっぱり、糖質カットダイエットからもち麦ダイエットに切り替えて太った!原理は一緒なのに・・・どうしてなのか?!
まあ、しばらくはストレス発散。我慢したものを食べて、またまた糖質カットの生活にすればいい。
しかし、ぶっつけ本番で、
私は一人なので間違えても何とかなるけれど、、、
何度も合わせ稽古した感じ。お二人のすごさに感動。
もっともっと良い音楽を観客の皆さまにお聞かせできるように頑張らないと。
どうも、我が愛用の小鼓はメリメリで調子が出ない様子。
色々と手を加えたけれど、ギブアップ。この子・・・寿命?それとも何かケアすれば生まれ変わるのだろうか?
今の愛用の胴についていた皮。これも薄々の皮なんですがね。。。最近、代役になるように打ち込み中。
手の油で皮が変色するほどお稽古された様子がうかがえる表側。
ずっと放置されていたから、
「私は鳴ります」という事を小鼓君が忘れているようですが、何気に「私はもしかして鳴る皮かも」と最近になって皮自身が気が付いている様子。この時期を逃さず鍛えないと。
良い音のポンをお聞かせしたい!ボランティア
本日は立川方面の高齢者施設で演奏をして参りました。
高齢者施設というより、介護付きマンション?・・・こういうのはなんというのかな?(その道のプロなのに答えられない)
ほぼ皆さま健常者の方々。こういうところもあるんだなぁと本業的にも勉強になりました。
未熟者でお恥ずかしい限りなのですが、お声掛けいただきました方には、本当に感謝、感謝でございます。
本当にご期待に添えたか不安で一杯なのですが、私としてはとても良い経験ができました。
皆さまに喜んでいただけて本当に幸せでした。
そして、もっともっと頑張って勉強しなければと、明日への希望の糧になった気がします。
今回、楽器の説明をするという初お役。
色々、こうしよう、ああしようと考えたのですが、一番ダメバージョンになってしまいました。ああ、私って本当にダメ子ちゃんとがっかりしちゃいました。
他の方の説明を聞きながら、フムフム・・・こうすればもっとわかりやすいか・・・と勉強させていただきました。
しかし、ぷっつけ本番。。。( ̄▽ ̄;)
もっともっと勉強しよう!!!
でも、何だかんだと反省だらけですが、
大好きな小鼓を素敵な方々と合奏できて幸せでした。
そして、その合奏を喜んでいただけて幸せでした。
貴重な一日を過ごしました。

六月四日(日)に、世田谷の成城ホールにて『供奴』を演奏いたします。
13時開演で、五番目の演目です。
長唄・小唄・新内・清元と色々な邦楽を楽しめる。こういった会ならではですね。
東京都内。多くの自治体に邦楽連盟とかそういった団体があって、こういった文化祭的な会をやったりしているようですが、我が在住の杉並区にはないのですよね。。。
三曲とか日本舞踊はあるようですが・・・。だから、ちょいとつまらない地域に住んでいるなぁという感じ。
さて、世田谷には色々と縁のある私です。
お稽古場は三軒茶屋で世田谷でしょ♪
演劇学校は成城。この成城ホールが入学式の会場でした。
当時、三船プロダクションや東宝、国際放映の撮影所によく出入りしていました。これらも世田谷区。成城近辺で青春を過ごしていました。
演劇学校を卒業して所属した劇団は下北沢。やっぱり世田谷でしたね。
まあ、演劇を離れてしばらくは世田谷と離れていましたが、
看護師の学校が烏山で、やはり世田谷でした。母体の大学は旗の台でしたが、学び舎は世田谷(^^♪
縁の深い土地で演奏できるというのはとても嬉しい事です。
今回は大好きな『供奴』の太鼓です。頑張ります。
昨日はお休みでございました。
そして、午後はお稽古。そして、夜は合わせ稽古ととってもハードな一日でもありました。
お稽古。
本当は楽器を近くのコインロッカーに預けて、身軽に師匠宅に伺う予定だったのですが・・・。なんと、最寄り駅のコインロッカー!小さいところばかり。ちょっと大きな荷物用のロッカーがない!!
という事で、楽器を持って師匠宅に。
太鼓は『供奴』のお浚い。この後の合わせ稽古がある事を知った師匠。「じゃあ、一応浚っておこう」という事になった。
優しい師匠である。
全体的にOKのお墨付き。が、細かなところでダメ出し。
豊後下り端という手のご指摘。独特な手組なのですが、
「次の手を予測して待っている」というポーズが師匠の「こりゃいかんわ!」センサーに引っかかってしまった。
実は、こういうスタイルにしたのは、師匠の舞台を拝見して・・・。ちょいと師匠を真似てのつもりだったのですが・・・。タイミングの取り方が素人なので「待っている」という感じにとらえられてしまうのだなぁ。
芸というものの難しさを感じる注意でした。
あの流れるような師匠の所作が好きで一生懸命に研究したのですが・・・。本当に難しいです。
全体的にOKという評価をいただきましたが、
撥でリズムをとっているとか。。。色々と細かな点で今までご指摘いただいて、なかなか治らないのです。困ったものです。
小鼓のお稽古。『菖蒲浴衣』をサラッと浚って・・・。意外と覚えていて吃驚。で、『藤船頌』を浚おうかと提案がありましたが、この曲の場合は少し下準備が必要という事で『綱館』を浚う事になりました。
トッタンはけっこう覚えていますが・・・。やはり山尽くしのあとのチリカラなんて・・・ぜんぜんです。
でも、なぜか過去にお稽古した時に色々教わった事の師匠の声が聞こえます。
三軒茶屋から大田区の嶺町に移動。
嶺町には父方の親戚が以前住んでいました。
不動産業を営んでいて、田舎者の新婚が状況するにあたって、身内が近くにいる事が望ましいという事で、両親はこの近くの御嶽山に新居を構えました。
当時、超高級のアパートだったらしいです。
私は、母のお腹の中で超高級住宅地の生活を楽しんでいたようですが、、、
「やっぱり、私たちには分不相応の生活よね」という事で早稲田に引っ越した。という事で私は早稲田で生まれた。
そうそう、小学校に入る前に嶺町の父にとってのおじさんが亡くなってお葬式に行った覚えがある。
そこのお兄さんが新幹線の見える公園に連れて行ってくれたりと色々覚えているんだけれど・・・。この土地の事はぜんぜん覚えていない。
東急池上線。
看護学校は昭和大学の付属だったので、この沿線の旗の台は馴染みの駅である。
でも、五反田の駅が嫌い。という事で、池上線ではなくて大井町線をずっと使っていました。なぜか大井町線が好きなのです。
今回も三茶から二子玉に出て、大井町線から旗の台で池上線に乗り換えるというコースを選んだ。(帰りは速く帰りたいので、五反田経由しました)
旗の台は本当に懐かしい駅。私にとって聖地に等しい。
卒業式以来ですから、もう十数年経っている。
街の様子はぜんぜん変わっていない。
が、大井町線の駅がホームが超立派に。吃驚して、池上線も
変わったのかとドキドキしたら、ぜんぜん変わっていなかった。
なんか、学生当時から駅改造の工事を匂わす感じだったのですが、今もそんな感じ。・・・なぜでしょう・・・
しかし、合わせ稽古・・・。
非常にローカルな場所なんですけれど、私にとって非常に懐かしさを感じるところばかり。これも縁なのですかね。
六月四日。成城ホールにてご披露する『供奴』も着実に仕上がっております。
あとは下浚いのみ!かんばろう。
最近、この手の本をよく目にする。
患者さんの一人がせっせと書いているのを目にして、こういう本がある事を初めて知る。そして、意識して陳列を眺めるようになって、この種の本がたくさん出版されている事を知った。
人ひとりが亡くなる事って大変な事である。
尊い身内の死を悲しむ時間も猶予はない。財産を持っている人ほどそうであろう。
ちょいと金持ちでも、身内とのコミュニケーションが悪かったりすると、思わぬところで思わぬ躓きに出会うものである。
銀行口座はどことどこに持っていて、有価証券は何処何処にしまっていて所有数はこんだけとか・・・きちっと残る人に伝えておいてほしいと思われる。
家族が知らないところに、日陰のこどもがいたり・・・
そういう事も面倒となる。
たった一円の銀行口座を解約するにあたって、財産相続放棄の署名を持ってこいとかになる。普段、全く知らないところに相続の権利を有する人がいちゃったりすると本当に本当に大変。その人を見つけるだけでも一苦労したりする。
さて、このノートは、
自分の人生のエンディングを自分らしくどうありたいか、身内に知らしめるものでもある。
もし、自分が生死に関わる病に達した時、自分はどうしたいか身内に伝える事は大切だ。
自然に任せて逝かせてくれと思っているのに、徹底的な救命救急の処置を施され、生きているんだか死んでいるんだかの状態で行かされている状態にされるという事は不本意な事である。
しかし、不運なケースを目の当たりにした。
この方は就活ノートに「もしもの時」の身の処し方を記した素晴らしい人てある。
「もしもの時は積極的治療は望まない」と記す。
もし癌であれば終末期はしっかり痛みのコントロールをしてほしい。でも、脳血管障害の場合はとにかく何もせずに自然に対処してほしいと希望を書いていていらっしゃった。
が・・・
皮肉な事に、この方は突然倒れて救命救急センターに運ばれてしまいました。
そんな就活ノートの存在など分からなぬうちに、
「脳梗塞」と診断されて、救命処置をとられてしまいました。
一度生きるために治療を開始されたら、
「私は自然にしてほしいのよ」という希望は通りません。
何故なら、この治療をやめたらこの人は死んでしまう事を分かっていて治療を中止する事はわが国においては「殺人」になってしまうからです。
たぶん、今のような状況を予測して、この方はナチュラルを選択したのだと思います。
寝たきりになって、何も分からない状態。
鼻からチューブを入れられて、食事はそのチューブを通じで栄養物を流されている。排泄も失禁状態・・・。
癌は進行性の病気なので、すぐそこに死が待っています。
が、
脳血管疾患というのは、癌のように短期決戦ではないのが難点。
例えば、六十代でこのような状態になって、
今の医療は発達しているので、下手をすると延命的治療をしなくても、こういった状態で九十歳、百歳と生き延びる事ができます。
その人の寿命ですから、寿命を生き抜くしかないのです。
例えば、その方の寿命が百歳としたら・・・
四十年近くも、意に反する姿で生きながらえなくてはいけないのです。
やっぱり、そう願うなら・・・
普段からその願いを身に着けているべきです。
例え救命救急の現場でも、本人の意思に反した治療は行われないはずです。
が・・・。その瞬間から、受け入れ先を求めての難民となる事は確実。
なかなか難しい事です。
私も、いざという時は「自然に死なせてほしい」というのが希望です。
もし癌だったら、この方同様、痛みのケアは行って欲しいと思っています。
いざという時の事・・・
やっぱり書面で書き留めておかないといけないなぁ。そして、それを常に身に着けておかないといけないなぁ。
近くの児童公園に懐かしいものを見つけた。シロツメクサ。
小学校の時にこの花を集めて王冠を作ったりした事を思い出した。
近くの児童公園なのに・・・毎年咲いていたかしら?
観察力ないなぁ。
何十年ぶりに野に咲くシロツメクサを見つけた気がする。
そして、やっぱりご近所でへびイチゴを見つけた。
小学校一年生くらいの時に、へび山という子供たちの遊び場があって、そこで遊んでいて見つけて以来だなぁ。
「あそこは蛇が出るから遊んじゃダメ」と親から注意されて、行かなくなっちゃったのですが・・・。現在、どのようになっているのかしら。きっと宅地になっているんだろうな。
久々に何の予定もない二連休でした。
このところ、仕事が超忙しくてクタクタ。ゆっくり休めたような休めなかったような。一週間くらいドカンっと休みを取りたいなぁ。