大阪市内でグラフィックデザイン事務所をしているフトデザインの二村です!
▶︎はじめましての方へ
『自分に繋がると全てうまくいく!』をコンセプトに
『自分に繋がるヒント』と『自分ビジネス』についてを書いてます。

(ミルクタンクと呼ばれていた時のみっちゃん
)
前回の記事に続きがありまして。
ヒーリングの後、号泣しながら母に電話した時に
こう言ってくれました。
『あなたがいてくれたから、生きてこられた』
そして、またまた私は涙腺崩壊。。。
今の視点でみると、
母が私に言ってくれた言葉は
『存在しているだけで素晴らしい』
に繋がる言葉なのですが
当時はこの答えに辿りつきませんでした。
愛されているなぁ有難いなぁと感じつつ
『何も返せない自分』
『期待に応えられない自分』
感謝と罪悪感がセットになっていました。
実は、ヒーリングで慰めた幼稚園児のみっちゃんは
寿ぎ庵さんで出会った時の『あの子』で
真っ先にこの浮かない表情の写真を思い出しました。
▶︎最強の自分(あの子)との出会い
┝寿ぎ庵さんで「自分ビジネスコーチング」を受けてきました!
┝自分史上初!「最強の自分」との出会い ーその1ー
┝自分史上初!「最強の自分」との出会い ーその2ー
┝自分史上初!「最強の自分」との出会い ーその3ー

この頃は、父の浮気からの離婚危機から脱した頃ですが
私の暗黒時代は、保育園時代に遡ります。
姉曰く、
母の私へのお仕置きは引くくらいだったとか。
と言っても、スーパー幼稚園児な良い子ちゃんだったので
たいした悪さをした記憶はありません。
父方の親戚の家で
従姉妹と兄弟で、ビーチボールで遊んでいた時
リンビングのシャンデリアにあたって
壊した事がありました。
端の小さなパーツに当たっただけなのに
物凄い剣幕で怒られて
家に帰ってからもお仕置きされた記憶があります。
(家の外に出されて、半ズボンなのに正座&膝を連打されました。
この年齢になっても覚えているのが凄い
)
この頃に、母は後妻で、姉と兄とは異母兄弟だと
当時、小学生の兄から聞く事になります。
(初婚で子持ちの長男に嫁いできた母に驚く)
私からすると、家族は生まれてからずっと同じ顔ぶれなので
聞いてもふーんぐらいでしたが(保育園児ですしね)
祖母(父の母:父と犬猿の仲)が破天荒&嫌みを言う人だったので
姉と兄と差がつかないように
私への接し方に気をつけていたようです。
(とにかく私に厳しかった
)
私の中では普通でしたが
私の名前は呼び捨てで
姉、兄はちゃん、くん付けでした。
こんな感じで、姉、兄、親戚に気を遣っていた母は
ヒステリックになって、気づかないうちに矛先を
私に向けていたのかもしれません。
ヒーリングを受けるまでは
この一連の出来事は
『ただの幼少の頃の思い出』から
『私がいい子でいれば
お母さんを守ることができる』
小さな自分が盾になって母を守っていたと思うと
よく耐えたね。頑張ったねと慰める対象になっていました。
10年前のヒーリングで『あの子』に出会っていたのに
なぜ気づかなかったのだろう?
この時に出会っていたならと思いましたが
当時は、『お母さんを守っていた自分』を認めるだけで
精一杯だったのかもしれません。
『あの子』が『最強の自分』になってから
いつも思い出す『幼稚園児のみっちゃん』の写真は
浮かない顔ではなく
単に日差しが眩しかった(幼稚園の玄関先)から
この表情になったと思うようになってきました(笑)