染めと織の万葉慕情54
“袖振る”二つの想い
1983/04/22 吉田たすく
花房を袖にこき入れる歌が続きましたが、袖という衣の手を通す一部分の動きで心の想いをいろいろにあらわすしぐさを、そのまま詠って表現する歌がたくさんあります。それは万葉にかぎらず、古今集、新古今集にもよく詠われているのです。袖を振るという所作には、必ず少しの距離をおいて相手がいることを意味します。 そしてその相手にこちらの想いを伝えるしぐさなのです。 袖を振って相手の気持ちをこちらにひきつけるためでありますが、それには二つの想いが表われます。
こちらへ向こうの目を引き着けることと、もう一つはそれでお別れという、今まで触れあっていた人との袖の別れの振りなのです。
袖ふる歌で、広く人々に絵炙(かいしゃ)されている歌。
額田王(ぬかだのおおきみ)が、蒲生野に天智天皇の遊猟(み袖振るかり)にお供をしました。その折、かつての愛人であった皇太子(後の天武天皇)が、岡の向こうに見えて詠った歌一首。
あかねさす
紫野行き
標野行き
野守は見ずや
君が袖振る
野行き、野行き、野守は、と同意語を三つ並べて調子よく詠い、袖振っちゃあだめよ、人が見てるじゃないの、と詠っているところなど、さすが歌の女王、額田王の明るくてハキハキと端的な詠いぶりは見事であります。この袖振るは、相手の気をひきつけるしぐさです。
次の歌は、少々遠慮して袖を振る歌です。
大伴旅人が、大宰府から大和へ行かれるのを送る乙女の歌。
凡(おほ)ならば
かもかもせむを
恐(かしこ)みと
振り痛(いた)き袖を
忍びてあるかも
普通の人でしたら、ああもこうもしようが、恐れ多くて、いつもならば激しく振る袖を、こらえて振らないでおります。この想いをお察し下さい。これは袖の別れです。
また、こんな歌があります。湯原王(ゆばらのおおきみ)の宴席(うたげ)の歌の一首。
あきつ羽の
袖振る妹を
玉くしげ
奥に想ふを
見たまえ わが君
あきつ羽の袖というのは、トンボの羽のような薄く透き通った美しい着物の袖のことで、当時大陸から技術が移入された高級絹の絽織か、紗織またはもっと複雑な羅織(らおり)であったのかも知れません。宴の席の
衣ですから、女人の体の透かし見えるあでやかな衣であったのでしょう。その袖を振るというのは人を呼ぶ振り方ではなく、手振り身振りの振りなのです。 その麗しい女人を、私は(玉くしげ=奥にかかる枕ことば)奥
ぶかく思っているのです。私を見なさい、わが君よ。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく
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