染めと織の万葉慕情61
涙に濡れる袖の歌⑵
1983/06/10 吉田たすく
大伴家持に恋をしても、結ばれなかった人、山口女王(やまぐちのおおきみ)が、家持に贈った恋歌が五首あります。
その中の一首
相思はぬ
人をやもとな
白栲(しらたへ)の
袖ひつまでに
音(ね)のみし 泣くも
私はあなたを思っていても、私を思って下さらないあなた。ただわけもなく、白栲の袖がぐっしょり濡れてしまうまで、こえを立てて泣きながら恋しく思っていますよ。
涙にぬれる袖を詠って恋泣く女心を、しっとりと深い気持ちに表現して
いるところがうまいものです。
この歌につづいて、その思いを袖だけでなく彼氏の寝枕まで歌の中にとりあげ、この片思いの切なさを詠います。
わが背子は
相思わずとも
敷栲(しきたへ)の
君が枕は
夢に見えこそ
わが思う背の君は、私を思って下さらなくとも、せめてあなたの枕だけでもよいから、夢に見えて来て欲しい。 いやいや、あなたの寝姿の夢を見たい、と詠っています。
また別の一首に
妹(いも)に恋ひ
わが泣く涙
敷栲(しきたへ)の
木枕通り
袖さえ濡れぬ
あなたと恋して一人寝の床。わたしの泣く涙で、木枕を通り、相交さない片袖が濡れてしまったという歌もあります。
敷栲は枕にかかる枕詠です。ただ恋しくて泣くだけでなく「敷栲の木枕通り」とくるので、一人寝の床というステージの設定までして詠っているところに、この歌の心にくさがあるのです。
次の歌は大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ=家持のおばにあたる人)が跡見の庄という所に行っているそこで、宅(いへ)にとどまれる女子の大嬢 (むすめおほいらつめ) に送った歌で、むすめ恋しさの歌です。
常世にと わが行かなくに 小金門(をかなと)に もの悲しらに おもへり しわが児の刀首(とじ)を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし わが身はやせぬ 嘆くにし 袖さえ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 古郷(ふるさと) に この月ごろも ありかつましじ
あの世に行くでもないのに、門口でもの悲しげにうれい顔をしていたわが子大嬢を夜昼となく心にかけて思っているうちに、この身はやせてしまった。嘆いているうち、涙で袖までも濡れてしまった。こんなにむやみに恋しがっていたら、跡見の庄にこの一月もいられそうもない。
わが娘恋しさに袖を濡らすとは、今でおもえば少々オーバーな表し方のようですが、当時の歌の常識的な歌い方であったのかもしれません。
(新匠工芸会会員、織物作家)

「雨降花(あめふりばな)」とも呼ばれるホタルブクロは、子供が袋のような形の花の中に蛍を入れて遊んだところから命名された様ですが、アジサイと並んで、6月を代表する草花。
入梅ごろから咲きはじめ、梅雨が明けるころに花期を終えます。
ホタルブクロの
咲く頃に
川のほとりは
蛍の恋の
かけひき
乱舞が始る宵に
本年6月11日からは季節の七十二候の二十六候「腐草為蛍(くされたるくさ ほたるとなる)」です。
水辺近くで腐った様に湿った草から、成虫となった蛍がふわりと飛び立つ様子で季節を表します。
蛍の和歌は万葉の昔より様々な人が歌っていますが、特に私は平安時代の歌人・和泉式部の和歌を挙げたいと思います。
もの思へば
沢の蛍も
わが身より
あくがれ出づる
魂(たま)かとぞ見る
(恋人のことを思い悩んでいると、沢を飛ぶ蛍も自分の体から抜け出た魂のような気がします)
恋焦がれる切ない気持ちが出ていますね。美人で才女、三十六歌仙の一人でもあり、多くの男性に求愛され続けたマドンナの和泉式部にこういう歌を歌われたら誰一人好きにならないではおられないでしょうね
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昨日、山に行くと蛍袋を見つけました。
先週はそばを歩いても何もなかったのですが、梅雨に入り 雨を感じて咲いたのでしょう。
今を感じる料理
「物語のある料理『野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石』」で、お客様に食していただこうと早速 花を採ってきました。
さて、どんなおもてなしでこのホタルブクロの料理をお出ししましょう。

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器
拙作 白萩釉 流し掛け 高高台 四方 平皿 『浮雲』
2020年 第63回 恵那市美術展 教育長賞受賞
載せる料理によりどんな表現にでも漂う白雲の様な器として白萩釉の流し掛けで 漂う雲の感じがうまく出せました。
これも民藝 「民の芸」
用いる中の美 「用の美」だね
素朴で美味しいクッキーを作りました
ソイビーン・ブラックセサミ・クッキー
日本語で言いますと
黒胡麻黄粉煎餅ですね
グルテンフリー オーガニッククッキー
小麦粉やつなぎなど余分なもの一切使わない本物
〈材料〉
オーガニックきな粉
オーガニックメープルシロップ
オーガニック黒胡麻
天然塩
水
きな粉とメープルと水に隠し味の塩少々をコネて綿棒で伸ばして抜き型で取り 黒胡麻を乗せて押さえて120℃で40分焼いただけ
きな粉の価格は小麦の5倍もしますが余分なもの一切入れない きな粉100%のクッキーは作るのも簡単
カリッとしてサラッと壊れ きな粉の濃厚な味に香ばしさ。時々黒胡麻の味が加わり
余分な味の無いすっきりと美味しいクッキーです
いかがですか
とても美味しいですよ 簡単すぎますから お子さんでも誰でも作れるので、皆さんも作ってみてください。
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⚫︎小皿 拙作の手捻り 白釉に織部釉
⚫︎湯呑 出西窯 島根県出雲市
昭和22年 柳宗悦をはじめとする民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ始まった窯で実用的な「用の美」が息づく器です。
⚫︎御盆 黒柿一文字盆
柿の木一万本に1本出るかという貴重な濃い一文字の黒柿
黒柿とは
樹齢数百年を越える柿の古木のうち、ごく稀に黒色の紋様があらわれることがあり、この紋様があらわれた柿を「黒柿」と呼び、立派な黒柿の床柱は、1本で数百万円するといわれます。 黒柿の模様や色はまだらや線、太い筋など、どれひとつとして同じものはなく、見るもののこころを強く惹きつける不思議な魅力を持っています。
この盆のような太い幅の強い黒が出るものは一万本に1本出るかという貴重品で、これを丸太のまま10年以上自然乾燥させて狂いが出なくなってからお盆に加工されました。
たった一人の作家が、35年もの歳月をかけて公園のように広大な1800坪(5800㎡)ものスペースに作り上げた未完の陶芸空間
自宅から車で往復6時間以上かかり、松阪市内からでも片道1時間ほどの奈良県境に近い山奥の広大な陶アートスペース
こんなに辺鄙なのだが、写真などで見て以前から行こうと思っていて、ようやく訪問。
車を飛ばし着いたところはまるで別世界 まるで古代ローマの遺跡のような大空間が現れた。
写真などからの想像よりもはるかにすごい。
案内図
入り口正面に建つ二本の柱
はるか遠くに大陶壁と翼壁 様々なオブジェ
ポコポコしているのは雲か水柱か
この広大なスペースを左回りで東壁の方へ近づいていきます
最初は
勝利者の丘
丘の上には、三体の立像
この丘の裏斜面(つまり空間の外から見える面)には、制作を支援した人たちの名前の陶板が埋め込まれていました。
次は、その左に人像樹の森
人と木が一体になり後ろの森とも一体化してこの森を作っています。。
近くで見てみると、像は小さなパーツに分かれていますが、窯場で焼かれたのちにここへ持ってきてつなぎ合わされていることが見て取れます(全てのオブジェが同じ作り方で作られているそうです)
大陶壁左翼壁
大陶壁とセンター像
大陶壁右翼壁
さらに右に イリスの壁
イリスの壁
イリスとは、ギリシア神話に出てくる虹の女神のこと。
これは、地元の人や来場者などに陶板を一つ4,000円で買ってもらい、各自で名前や記念日を刻んだ後、焼いて壁に貼り付けて作品の一部にするというプロジェクトで、今では、1万枚以上の陶板があるそうで、額にするとなんと4,000万円以上の支援になります。
35年間の制作・建設資金は、主にこの「イリスの壁 陶板運動」によって得られた資金で進められました。
ミューズの丘
あまりにもたくさんの像 全て見るのに2時間かかってしまいましたが、
鳥の声だけがする大空間で、じっくり観ていると、とても癒される感じ 心の静寂を感じました。
またいつかもう一度行きたい空間でした。
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虹の泉は、1978年から2013年まで、陶芸家の東健次(1938年-2013年)によって制作された。約5800㎡の屋外空間が男女や雲上を象った無数の陶芸作品で埋め尽くされ、正面にそびえ立つ巨大な壁には2000枚以上の陶板を使って壁画が描かれている。
東健次は、愛知県立瀬戸窯業高校で作陶を学び、24歳の時に旅したスリランカで、シーギリヤの岩山に描かれた女性の壁画やジャングルでの10日間の滞在からインスピレーションを受け「虹の泉」の構想を思いついた。1978年、故郷の三重県に戻り、自ら工房や窯を建て、約5800㎡の山林を切り開いて「虹の泉」の制作を開始。自治体などからの資金援助は受けず、地元住民や協力者からのカンパや見学者からの入場料、希望者には有料で自分の陶板を作ってイリスの壁と呼ばれる一角に貼れるようにすることで、制作費をまかなった。[2][3]他の仕事はせず、制作開始から死ぬまでの35年間の生涯をかけて「虹の泉」制作に没頭した。(ウイキペディアより)
東健次(1938年-2013年)
1938年生まれ、三重県松阪飯高町森で育つ。
愛知県立瀬戸窯業高等学校卒業。
22歳、セイロンへ初めての旅。神から陶アートスペースを作るように告げられる。
23歳、第5回日展 工芸美術部門に入選。
28歳、外国の地を求めてアルゼンチンへ移住。アンデス山脈の麓に土地を購入し、作品を作り始めるが、自信を失い挫折。
39歳(1978年)、苦悩と忍耐の日々の末、日本こそが新たな目的地であるという考えに変わる。
帰国後、富永にアトリエ・窯を築き、虹の泉の創作を開始。
2013年5月、享年74歳。
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陶芸空間 虹の泉
三重県松阪市飯高町波瀬 国道166号線沿いにあります。
午前9:00~午後4:00ごろまで
・休み 不定休
もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。
080-1558-4612
備忘録
三つ星醤油
五橋の濁り
甘すぎず綺麗な濁り
日本一伊良湖水道の鯛
鯛めし
米と鯛だけで炊いてできてから三つ星醤油をスプレー
米は龍の瞳の突然変異
旨い
つきよしの 若林醸造 上田市
亀齢 上田 ひとごこち 純吟無濾過生原酒
生きた鳥貝の湯引き
旨い
川中島 幻舞
今年と1年寝かせたもの
寝かせた
お造り
日本一の鯛伊良子
鯛のしいから
鳥貝きみず
天使のエビ ニューカレドニア
鱧の焼き締め
鯛の
オーストラリアサーモン
タスマニア 天然で唯一生でたべられる
紅生姜三年もの
枝豆
鯛と天豆の擦り流し
いい味だ
新玉ねぎのピザ
甘くて美味しい
ブルゴーニュの白がよく合う
コーンクリームコロッケ
野で育った豚の背脂
甘くて旨い
アルゼンチンの白
99点 ということは南米一という事
イベルコ豚のハムのメロン巻き
カポナータ
鳩のパテ
フランス ラカンのピジョン
ぶっといホワイトアスパラ
微かな苦味のうまーい
三島牛ハンバーグ
幻の牛
でもハンバーグ
僕は肉は好きだけど、仕方ないことだが、ハンバーグは肉そのまま食べるにと比べると味が劣るので あまり美味しいと思わない
比べる方がよくないのだけどね
チーズ盛り合わせ
SINE QUANON
10
ピノはフランス
美味しくもあり面白い店
店長がとても拘りすぎでよく喋るおもしろい
15000円
山猫軒
名古屋市中区丸の内1丁目5-17 渋谷ビル 2F
090-6574-1242
伏見(愛知県)駅10出口から徒歩約10分(道案内)
http://yamaneko2.blog46.fc2.com/ (外部サイト)
染めと織の万葉慕情60
涙に濡れる袖の歌
1983/06/03 吉田たすく
水に濡れる袖の歌に次いで、今回は涙に濡れる袖の歌をとりあげてみます。袖を振り、袖の別れで後の心のいたみに泣くさまを涙をぬぐう袖の様子で表わすのです。
柿本人磨が国造として石見の国に居たころ、京へ参上のため妻の依羅娘子(よさみのをのめ)を石見に置いて旅立ちして行く時の歌です。
石見の海の韓崎の礁に深海松(ふかみる) が生え、玉藻が生えているが
玉藻なす 靡(なびき)寐(ね)し児を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は いくだもあらず はう蔓の別れし来れば…
海松(みる)や玉藻が海中でなびくように、互いになびき寝した妻(ひ
と)の事を深海松の言葉のように深く思っていたが、うま寝した夜はいく
らもなく別れて来た。
・・・・・・黄葉(もみじ)の 散りの乱(まが)ひに 妹(いも)が袖 さやにも見えず・・・・・・
紅葉が散りみだれているので、妻の振る袖もはっきり見えもせず
・・・・・入日さしぬれ 大夫(ますらを)と 思へるわれも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡れぬ
入日が差して来て暮れかかって来ると、男子と思っている私も敷栲の衣の袖は涙で濡れてしまうというのです。衣にかかる枕詞は普通「白の衣」とくるのですが、この歌では敷栲となっています。 しきたえは衣にもかかりますが、 おもに枕の枕詞に使われていますので、自分の袖を白栲と詠まないで敷栲と詠っているのは、妻と「さ寝」した夜の枕にした袖を表わしているのでしょう。 涙に濡れる袖に、思いの深さが読みとれるのです。
次の歌は天武天皇が崩(かむあが)りました時に、大后(おおきさき、後の持統天皇)がお作りになった歌。
わがが大君が、夕方には御覧になり、朝はお訪ねになるように、思われる神岳の山の紅葉を今日もおたずねになり、明日も御覧になることであろうか。その山を眺めやっては
・・・・・・その山を 振りさけ見つつ 夕されば あやに悲しび 明けく
れば うらさび暮し 荒栲(あらたへ)の 衣の袖は 乾(ふ)る時もなし
夕方になれば虫ように悲しみ、夜が明けると、心さびしく暮らし、喪服の袖は涙で濡れて乾く時もなく泣き続けている。
その涙の袖の枕詞は白栲や敷栲でなく、荒栲 (あらたへ)になっています。当時の喪服には、藤衣といって藤かづらの皮の繊維を糸にして荒い織物を作って着たのです。 韓国の現代の喪服は麻衣だそうですが、衣服文化が半島から入って来た当時、普通に着る服よりも一段と粗末な繊維の服を着るならわしがあったのでしょう。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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敷栲
寝所に敷く布
白栲(白妙)
梶の木の皮などの繊維で作った白い布
荒栲(あらたへ)
織り目の粗い布の総称
平安時代以降は麻織物のことが言われるようになった
栲(妙)たえとは
楮(こうぞ)、藤、栲(かじ)、などの樹皮をはぎ、内皮をとって細長く裂き、これを連結して撚り(より)をかけて糸にして、居座機(いざりばた)で織った、古代衣料のことである。布の触感や外観の差で、粗いもの、純白のもの、しなやかなもの、光沢のあるものなどの区別によって、荒妙(あらたえ)、白妙(しろたえ)、和妙(にぎたえ)、照多閉(てるたえ)、明多閉(あかるたえ)と呼ばれていた。妙の類は、一般用途として広く使われ、純白で清浄なため、神事にも利用されていた。平安時代以降になると、妙は、一般布帛(ふはく)をさすようになり、荒栲(妙)は麻布を、和栲(妙)は絹布をさすようになった。
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柿本 人麻呂(かきのもと の ひとまろ)
斉明天皇6年(660年)頃 -神亀元年(724年)3月18日
『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌9首・短歌75首が掲載されている。その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。また、「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」という言霊信仰に関する歌も詠んでいる。
一番有名な歌は百人一首の
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
人麻呂は歌人として称えられるだけでなく、和歌の上達などに霊験がある存在として崇拝され柿本人麻呂を祀った神社が日本各地にありますが、恵那市明智町にも柿本人麻呂社があります。
柿本人麻呂社(恵那市明智町)概要: 柿本人麻呂社の創建は不詳ですが伝承によると明智光秀が柿本人麻呂(万葉歌人として有名な歌聖)の分霊を八王子神社の境内に勧請したのが始まりと伝えられています。現在の社殿は明智光秀が建立したと伝わる古建築物で一間社春日造、切妻、妻入、正面1向拝付、桁行約2.8m、梁間約1.5m、銅板葺、外壁は板張素地造、浜縁、高欄無し、脇障子無し、明智氏の家紋である桔梗が掲げられ、岐阜県指定文化財に指定されています。
伝承によれば、文武を志す光秀公が学問所には天神を、八王子神社には人麻呂を祀り、社前に紅葉(楓)を植えたと伝えられています。
この社殿には明智氏の家紋である桔梗紋が彫られ、大和絵風の歌聖柿本人麻呂の画像が祀られています。
染めと織の万葉慕情59
袖の濡れる歌
1983/05/27 吉田たすく
袖を振る男女の別れの歌が続きましたが、振る所作とは別に、袖の襦(ぬ)れることを詠った歌もかなりあります。袖の濡れるにもいろいろの濡れ方があり、水に濡れる袖や涙に濡れる袖、露に濡れる袖などありますが、今回は水に濡れる袖の歌をとりあげてみます。
風高く
辺には吹けども
妹がため
袖さへ濡れて
刈れる 玉藻ぞ
大伴家持の恋人の紀女郎(きのいらつめ) はその名を小鹿(しか) といいますが、家持においしい海草を取って贈るときの歌です。 袖さえ濡れて、と詠いますので、袖のある衣を着ていた貴人の彼の女が岸辺で袖を濡
らしながら 「くろうして取ったのよ」というのでしょう。
次の一首は家持の父の旅人(たびと)の歌
太宰府の長官であった旅人が香椎神社に官人たちとお参りのあと、その香椎の海岸に馬をとめて磯あそびをしたときの歌
いざ子ども
香椎の潟に
白栲(しろたえ)の
袖さえぬれて
朝菜摘みてむ
海草を摘む歌です。貝を拾って袖を濡らす歌もあります。
妹がため
貝を拾ふと
血沼の海に
濡れにし袖は
乾せど干かず
妻のために貝を拾ったら、海水で袖が濡れてしまっていつまでも干かない、 と妻への想いの深さとその時間的な長さをあらわしています。
あさりする
海未通女(あまおとめ)らが
袖とほり
濡れにし衣
干せど乾かず
若の浦に
袖さへ濡れて
忘れ貝
拾えど 妹は
忘らえなくに
恋のいたみを取り去るといわれる恋忘れ貝(当時はそのように信じていた貝があったのです)を袖さえ濡らして拾うけれど、袖のかわかないようにいつまでもあなたを忘れられないのです。
わが袖は
手本 (たもと) とほりて
濡れぬとも
恋忘れ貝
取らずは行かじ
袖のたもとの方まで需れてしまっても、恋を忘れさせてくれる貝を拾います。恋のいたみにたえかねて。
また、君がために麦の実を袖を濡らしてまでも取ってあげる歌もあります。
君がため
浮沼の池の
菱摘むと
我が染めし袖
濡れにけるかも
豊国の
企玖(きく)の池なる
菱の末を
採むとや妹が
袖濡れけむ
太宰府近くの企玖の他でわたしのために菱の実を取ろうと、わが妻は袖を濡らしたことであろうか。袖を濡らし、かわかぬさまで人の想いの深さと、想う時の長さを詠います。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情58
男女の別れの歌
1983/05/20 吉田たすく
万葉の歌の大半は恋歌であります。恋とは愛に近づく一つの過程を意味しています。 恋は請(こう)の意なので、会いたい見たい、一緒になりたいと、こう気持ちが恋なのです。
愛は相(あい)で、相とか相合傘などのように一緒になることを意味しています。
恋愛とは、その成り行きの表現で、請いで相うのです。しかし、恋は必ず相えるとはかぎりません。 失恋がうまれて来るのです。
万葉の恋歌の内の秀歌に、失恋の歌がかなりあります。 失恋にかぎらず、男女の別れの道程を美しく詠んだ歌をとりあげます。
白梓(しらたへ)の
袖の別れは
惜しけれど
思い亂(みだ)れて
ゆるしつるかも
しらたへの袖を別れて離れ離れになるのは惜しいけれども、私の心は乱れてしまって別れたいという、あの方を許してあげたい。 袖を分かつことと悲しさにその袖を振るのです。また相たいが、それはもう出来ないのだと。
思いつめた袖振りの別れでなく、恋人同士のたわむれの袖振りの歌もかなりあります。
恋しけば
袖も振らむを
武蔵野の
うけらが花の
色に出なゆめ
この歌は、巻十四の東歌(あづまうた)=関東地方の未開の地の歌の中の一首で、関東地方の民謡でしょう。
恋しければ、私が袖を振りもいたしましょうが、決してお前は恋心を顔色にあらわしてはいけませんよ。人に知れるからね。
次の二首も同じく東歌です。
妹が門いや
遠ぞきぬ
築波山
隠れぬほどに
袖は振りてな
お前の家の門はいよいよ遠のいて行く。 ちくば山に隠れてしまわないうちに袖を振ろう。 これはしばしの別れの軽い袖振なのです。
日の暮に
碓氷(うすひ)の山を
越ゆる日は
夫(せ)なのが袖も
さやに振らしつ
うすい山を越える日には、わが背の君も袖を、はっきりとお振りになった。 うすい峠のかかりで別れの背の君の振る袖を見ている女心の歌です。
わが背子し
けだしまからば
白袴の
袖を振らさね
見つつ偲(しの)はむ
私の背の君が、もし都を出て越前の方へおいでになるなら、しらたへの袖をお振り下さい。 それを見つつお慕いいたしましょう。
なかなかお会い出きない君であるが、もしおこしなら袖を振ってね、というところでしょうか。
その袖の枕詠が「しらたへの」とくるので、緑の山路に袖の白さが目にしみるようです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
染めと織の万葉慕情57
続 袖降る歌
1983/05/13 吉田たすく
先々週にのせました大伴旅人の歌
凡(おほ)ならば
かもかもせむを
恐(かしこ)みと
振り痛(いた)き袖を
忍びてあるかも
という一首でしたが、これに続いて今一首、振る袖の歌があります。 この二つの歌には、次のような話が書かれています。
大宰師大伴卿、大納言に兼任して、京に向ひて上道(みちたち) す。 此の日、馬を水城 (みづき)に駐(とど)めて、府家(大宰府の庁)を顧み望む。時に卿を送る府吏の中に、遊行女婦(うかれめ)あり。 其の字(あざ
な)を児島といふ。 ここに娘子(をとめ)、此の別るることの易きことを傷(いた)み、彼(そ)の会うことの難きことを嘆き、涕(なみだ)を拭(のご)ひて、 みづから袖を振る歌を吟ふ。
とあって歌があるのですが、このそえ書きの中の文句にある別るることの易きことを傷み、会うことの難きことを嘆き、というところは他の歌の前書きにもありますけれども、ただ別れの寂しさ、哀しさというだけでなく、その別れと会うとの二つの言葉を並べていることにより、別れに対する人の哀惜の情が、時間を離して深く表されていくように感じられます。 「うかれめ」の乙女は、他の府吏たちのようにおおっぴらに手も振れません。しかし、他の人たちよりももっともっと哀しい想いをかくしきれず、袖を振るのです。
倭道(やまとじ) は
雲隠りたり
然れども
わが振る袖を
無禮(なめし)と思ふな
大和においでになる道は雲に隠れています。(そのように私の振る袖はお見えにならないでしょう)しかし、こらえきれず振る袖をどうぞ無礼と思わないで下さい。
この歌の気持ちとよく似た歌があります。
草枕
旅行く君を
人目多み
袖振らずして
あまた悔しも
別れを悲しぶる歌の一群の中の一首ですが、ただの仲の二人ではない人の別れなのでしょう。 人目が多いので、袖を振りたくても振れない気持ち、悔しくて悔しくて。
今で言えば、駅のプラットホームに出て手を振れないで、ベンチのすみでうしろ姿を心で見送るというところなのでしょう。
舟の別れの歌もあります。
八十楫懸(やそかかけ)
島隠りなば
吾妹子(わぎもこ)が
留まれと振らむ
袖見えじかも
たくさんのかいでこぎ出した舟は、島々に見え隠れする。 行かないで、行かないで、と留めながら袖を振った吾が妻は、もう見えないだろうか。
別れの袖の振り方には、心の微妙な変化が表れているものなのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)









































































































