さくらさり
みどりあざやか
萌えよとも
明日のこころは
やまぶきのはな
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今日もワンコの散歩
生憎の曇り
終焉の桜と
新緑のけやきのコントラストが美しく
そのふもとには、もう皐月の蕾が次の季節の出番を待っています
季節の移り変わりは早いですね
と言いながら横には満開の山吹が
明日の出番を待っている
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明日は雨ですね
あまりにも有名な山吹のうた
江戸に初めて城を作った若き日の太田道灌のお話
ある日、道灌が部下と狩りに出かけたところ、突然の雨に見舞われ農家で蓑(みの)の借用を申し出た。
応対に出た若い娘はうつむいたまま、山吹の一枝を差し出すのみ。
事情が分からない道灌は
「自分は山吹を所望したのではない。蓑を借りたいのだ」
と声を荒げるが、娘は押し黙るのみ。
しびれを切らした道灌はずぶ濡れになって城に帰り、古老にその話をした。
すると、古老は
「それは平安時代の古歌に“七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき”という歌があり『蓑』と『実の』を懸けています。
貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。
殿はそんなことも分からなかったのですか」
と言われた。
道灌は自らの不明を恥じ、その後歌道に精進したという話である。
七重八重に(あでやかに)花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのがふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。
この歌の作者は兼明親王
山吹を差し出した娘の像が東京の山手線の日暮里(にっぽり)駅にあります。
日暮里(にっぽり)は江戸時代ひぐれざとと呼ばれ
幕府の政策によって神田周辺から寺院が移転してきたことで、日暮里には多くの寺院が建てられ、寛延(1748-51年)の頃から寺院につつじが植えられたり、庶民の行楽地として人気が高まり、特に春の桜や秋の紅葉は美しく、日が暮れるのも忘れてしまうほどでした。そこから「ひぐらしの里・ひぐれざと」と呼ばれるようになり、「日暮里」という字があてられたのだそうです。


