染めと織の万葉慕情55
袖のしぐさに想い
1983/04/29 吉田たすく
衣服の袖のしぐさに想いを現わす歌がたくさんあります。
柿本人麿が石見の国に役人としておりましたが、そのころ、妻の依羅娘女(よさみののめ)に別れて奈良へ上京する折に詠った歌があります。歌の大意を書きますと次のようです。
「石見の海の浦廻によい浦も潟もないと言う。たとえなくとも、和多津の海辺のあたりには青い玉藻が朝夕の浪風が寄せてくるから、その涙と共にああ寄ったりこう寄ったりする玉藻のように、相寄って寝た妻を私は置いて来た。 道の曲り角ごと振り返って見るが、いよいよ里は遠のき、いよいよ高い山も越えた。今ごろ夏草のよう打ちしおれ、思い嘆き、私を慕っている妻の門を見たと思う」という歌があり、その反歌に
石見のや
高角山(たかつのやま)の
木のまより
わが振る袖を
妹見つらむか
或る本の反歌
石見なる
高角山の
木間ゆも
わが袖振る妹を
見けむかも
(万葉には、同じ作者の歌でも本によって違った歌になっていることがあります)
石見の妻を後にして旅路を進んでいるが、峠の別れの折、自分が袖を振ったのを妹が見ていただろうかと言うのです。
妹が振ったのでなく、自分が振った袖で妹への想いを現しています。 この歌につづった歌があります。
石見の海の崎に深みるが生え荒磯に 玉藻生えその藻のようになびいて寝た妻を心深く思うけど
共寝の夜は少なく別れて来た。 あれこれ思っても心が痛い。もみじ葉の散っている間に妹の袖もさやには見えず (山の雲間より月がかくれしまうように)入日の夕方になったらしっかりした丈夫(ますらを)と思っているわれも敷の衣の袖は通り濡れぬ
もみじの間の妹の袖というのは妹自身のことであり、自分の袖は通りて濡れぬの袖は、丈夫の涙で濡れた袖で、涙をぬぐう袖なのです。
この反歌に、またさきの反歌に同じような歌がのせられています。
石見の海
打歌山 (うつたのやま)の
木の間より
わが振る袖を
妹見つらむか
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく
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