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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 素朴で美味しいクッキーを作りました

 

ソイビーン・ブラックセサミ・クッキー

日本語で言いますと

 黒胡麻黄粉煎餅ですね

グルテンフリー オーガニッククッキー

 

小麦粉やつなぎなど余分なもの一切使わない本物

 

〈材料〉 

オーガニックきな粉

オーガニックメープルシロップ

オーガニック黒胡麻

天然塩

 

 きな粉とメープルと水に隠し味の塩少々をコネて綿棒で伸ばして抜き型で取り 黒胡麻を乗せて押さえて120℃で40分焼いただけ

きな粉の価格は小麦の5倍もしますが余分なもの一切入れない きな粉100%のクッキーは作るのも簡単 

 カリッとしてサラッと壊れ きな粉の濃厚な味に香ばしさ。時々黒胡麻の味が加わり

余分な味の無いすっきりと美味しいクッキーです

 いかがですか

  とても美味しいですよ 簡単すぎますから お子さんでも誰でも作れるので、皆さんも作ってみてください。

 

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⚫︎小皿 拙作の手捻り 白釉に織部釉

⚫︎湯呑 出西窯 島根県出雲市

昭和22年 柳宗悦をはじめとする民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ始まった窯で実用的な「用の美」が息づく器です。

⚫︎御盆 黒柿一文字盆

柿の木一万本に1本出るかという貴重な濃い一文字の黒柿

 黒柿とは

樹齢数百年を越える柿の古木のうち、ごく稀に黒色の紋様があらわれることがあり、この紋様があらわれた柿を「黒柿」と呼び、立派な黒柿の床柱は、1本で数百万円するといわれます。
黒柿の模様や色はまだらや線、太い筋など、どれひとつとして同じものはなく、見るもののこころを強く惹きつける不思議な魅力を持っています。


この盆のような太い幅の強い黒が出るものは一万本に1本出るかという貴重品で、これを丸太のまま10年以上自然乾燥させて狂いが出なくなってからお盆に加工されました。

 

たった一人の作家が、35年もの歳月をかけて公園のように広大な1800坪(5800㎡)ものスペースに作り上げた未完の陶芸空間

 

自宅から車で往復6時間以上かかり、松阪市内からでも片道1時間ほどの奈良県境に近い山奥の広大な陶アートスペース

こんなに辺鄙なのだが、写真などで見て以前から行こうと思っていて、ようやく訪問。

 

車を飛ばし着いたところはまるで別世界 まるで古代ローマの遺跡のような大空間が現れた。

写真などからの想像よりもはるかにすごい。

 

案内図

 

 

 

 

 

 

 

入り口正面に建つ二本の柱

はるか遠くに大陶壁と翼壁 様々なオブジェ

 

ポコポコしているのは雲か水柱か

この広大なスペースを左回りで東壁の方へ近づいていきます

 

最初は

 勝利者の丘 

丘の上には、三体の立像

この丘の裏斜面(つまり空間の外から見える面)には、制作を支援した人たちの名前の陶板が埋め込まれていました。

 

次は、その左に人像樹の森

 

人と木が一体になり後ろの森とも一体化してこの森を作っています。。

 

 

 

 

近くで見てみると、像は小さなパーツに分かれていますが、窯場で焼かれたのちにここへ持ってきてつなぎ合わされていることが見て取れます(全てのオブジェが同じ作り方で作られているそうです)

 

大陶壁左翼壁

 

 

大陶壁とセンター像

 

 

 

大陶壁右翼壁

 

 

さらに右に イリスの壁 

イリスの壁

イリスとは、ギリシア神話に出てくる虹の女神のこと。

これは、地元の人や来場者などに陶板を一つ4,000円で買ってもらい、各自で名前や記念日を刻んだ後、焼いて壁に貼り付けて作品の一部にするというプロジェクトで、今では、1万枚以上の陶板があるそうで、額にするとなんと4,000万円以上の支援になります。

35年間の制作・建設資金は、主にこの「イリスの壁 陶板運動」によって得られた資金で進められました。

 

 

ミューズの丘

 

 

 

あまりにもたくさんの像 全て見るのに2時間かかってしまいましたが、

鳥の声だけがする大空間で、じっくり観ていると、とても癒される感じ 心の静寂を感じました。

またいつかもう一度行きたい空間でした。

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虹の泉は、1978年から2013年まで、陶芸家の東健次(1938年-2013年)によって制作された。約5800㎡の屋外空間が男女や雲上を象った無数の陶芸作品で埋め尽くされ、正面にそびえ立つ巨大な壁には2000枚以上の陶板を使って壁画が描かれている。

東健次は、愛知県立瀬戸窯業高校で作陶を学び、24歳の時に旅したスリランカで、シーギリヤの岩山に描かれた女性の壁画やジャングルでの10日間の滞在からインスピレーションを受け「虹の泉」の構想を思いついた。1978年、故郷の三重県に戻り、自ら工房や窯を建て、約5800㎡の山林を切り開いて「虹の泉」の制作を開始。自治体などからの資金援助は受けず、地元住民や協力者からのカンパや見学者からの入場料、希望者には有料で自分の陶板を作ってイリスの壁と呼ばれる一角に貼れるようにすることで、制作費をまかなった。[2][3]他の仕事はせず、制作開始から死ぬまでの35年間の生涯をかけて「虹の泉」制作に没頭した。(ウイキペディアより)

 

東健次(1938年-2013年)

1938年生まれ、三重県松阪飯高町森で育つ。

愛知県立瀬戸窯業高等学校卒業。

22歳、セイロンへ初めての旅。神から陶アートスペースを作るように告げられる。

23歳、第5回日展 工芸美術部門に入選。

28歳、外国の地を求めてアルゼンチンへ移住。アンデス山脈の麓に土地を購入し、作品を作り始めるが、自信を失い挫折。

39歳(1978年)、苦悩と忍耐の日々の末、日本こそが新たな目的地であるという考えに変わる。

帰国後、富永にアトリエ・窯を築き、虹の泉の創作を開始。

2013年5月、享年74歳。

 

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陶芸空間 虹の泉

三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。

午前9:00~午後4:00ごろまで

・休み    不定休 

 もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。

    080-1558-4612

備忘録

 

 

 

 

 

三つ星醤油

 

五橋の濁り

 甘すぎず綺麗な濁り

日本一伊良湖水道の鯛 

鯛めし

米と鯛だけで炊いてできてから三つ星醤油をスプレー

 

米は龍の瞳の突然変異

 

旨い

 

つきよしの 若林醸造 上田市

 

 

亀齢 上田 ひとごこち 純吟無濾過生原酒

 

生きた鳥貝の湯引き

旨い

 

川中島 幻舞

今年と1年寝かせたもの

寝かせた

 

お造り

日本一の鯛伊良子

鯛のしいから

鳥貝きみず

天使のエビ ニューカレドニア

鱧の焼き締め

鯛の

オーストラリアサーモン

タスマニア 天然で唯一生でたべられる

 

紅生姜三年もの

枝豆

 

 

 

 

 

鯛と天豆の擦り流し

いい味だ

 

新玉ねぎのピザ

甘くて美味しい

ブルゴーニュの白がよく合う

コーンクリームコロッケ

野で育った豚の背脂

甘くて旨い

 

 

 

アルゼンチンの白

99点 ということは南米一という事

 

イベルコ豚のハムのメロン巻き

カポナータ

鳩のパテ

フランス ラカンのピジョン

 

ぶっといホワイトアスパラ

微かな苦味のうまーい

 

三島牛ハンバーグ

幻の牛 

でもハンバーグ

 

僕は肉は好きだけど、仕方ないことだが、ハンバーグは肉そのまま食べるにと比べると味が劣るので あまり美味しいと思わない 

比べる方がよくないのだけどね

 

チーズ盛り合わせ

SINE QUANON

10

 

ピノはフランス

 

 

美味しくもあり面白い店

店長がとても拘りすぎでよく喋るおもしろい

 

15000円

 

山猫軒 

名古屋市中区丸の内1丁目5-17 渋谷ビル 2F

090-6574-1242

丸の内(愛知県)駅8出口から徒歩約2分(道案内路線

国際センター駅2出口から徒歩約10分(道案内路線

伏見(愛知県)駅10出口から徒歩約10分(道案内

 

http://yamaneko2.blog46.fc2.com/ (外部サイト)

染めと織の万葉慕情60

  涙に濡れる袖の歌

   1983/06/03 吉田たすく

 

水に濡れる袖の歌に次いで、今回は涙に濡れる袖の歌をとりあげてみます。袖を振り、袖の別れで後の心のいたみに泣くさまを涙をぬぐう袖の様子で表わすのです。

 

 柿本人磨が国造として石見の国に居たころ、京へ参上のため妻の依羅娘子(よさみのをのめ)を石見に置いて旅立ちして行く時の歌です。

 

 石見の海の韓崎の礁に深海松(ふかみる) が生え、玉藻が生えているが

 

 玉藻なす 靡(なびき)寐(ね)し児を 深海松の 深めて思へど さ寝し夜は いくだもあらず  はう蔓の別れし来れば…

 

 海松(みる)や玉藻が海中でなびくように、互いになびき寝した妻(ひ

と)の事を深海松の言葉のように深く思っていたが、うま寝した夜はいく

らもなく別れて来た。

 

 ・・・・・・黄葉(もみじ)の 散りの乱(まが)ひに 妹(いも)が袖 さやにも見えず・・・・・・

 

 紅葉が散りみだれているので、妻の振る袖もはっきり見えもせず

 

 ・・・・・入日さしぬれ  大夫(ますらを)と 思へるわれも 敷栲(しきたへ)の 衣の袖は 通りて濡れぬ

 

 入日が差して来て暮れかかって来ると、男子と思っている私も敷栲の衣の袖は涙で濡れてしまうというのです。衣にかかる枕詞は普通「白の衣」とくるのですが、この歌では敷栲となっています。 しきたえは衣にもかかりますが、 おもに枕の枕詞に使われていますので、自分の袖を白栲と詠まないで敷栲と詠っているのは、妻と「さ寝」した夜の枕にした袖を表わしているのでしょう。 涙に濡れる袖に、思いの深さが読みとれるのです。

 

 次の歌は天武天皇が崩(かむあが)りました時に、大后(おおきさき、後の持統天皇)がお作りになった歌。

 

 わがが大君が、夕方には御覧になり、朝はお訪ねになるように、思われる神岳の山の紅葉を今日もおたずねになり、明日も御覧になることであろうか。その山を眺めやっては

 

・・・・・・その山を 振りさけ見つつ 夕されば あやに悲しび 明けく

れば うらさび暮し 荒栲(あらたへ)の 衣の袖は 乾(ふ)る時もなし

 

夕方になれば虫ように悲しみ、夜が明けると、心さびしく暮らし、喪服の袖は涙で濡れて乾く時もなく泣き続けている。

 その涙の袖の枕詞は白栲や敷栲でなく、荒栲 (あらたへ)になっています。当時の喪服には、藤衣といって藤かづらの皮の繊維を糸にして荒い織物を作って着たのです。 韓国の現代の喪服は麻衣だそうですが、衣服文化が半島から入って来た当時、普通に着る服よりも一段と粗末な繊維の服を着るならわしがあったのでしょう。

 

    (新匠工芸会会員、織物作家)

 

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敷栲

 寝所に敷く布

 

 

白栲(白妙)

梶の木の皮などの繊維で作った白い布

 

荒栲(あらたへ)

織り目の粗い布の総称
平安時代以降は麻織物のことが言われるようになった

 

栲(妙)たえとは

楮(こうぞ)、藤、栲(かじ)、などの樹皮をはぎ、内皮をとって細長く裂き、これを連結して撚り(より)をかけて糸にして、居座機(いざりばた)で織った、古代衣料のことである。布の触感や外観の差で、粗いもの、純白のもの、しなやかなもの、光沢のあるものなどの区別によって、荒妙(あらたえ)、白妙(しろたえ)、和妙(にぎたえ)、照多閉(てるたえ)、明多閉(あかるたえ)と呼ばれていた。妙の類は、一般用途として広く使われ、純白で清浄なため、神事にも利用されていた。平安時代以降になると、妙は、一般布帛(ふはく)をさすようになり、荒栲(妙)は麻布を、和栲(妙)は絹布をさすようになった。

 

 

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柿本 人麻呂(かきのもと の ひとまろ)

斉明天皇6年(660年)頃 -神亀元年(724年)3月18日

『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌9首・短歌75首が掲載されている。その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。また、「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」という言霊信仰に関する歌も詠んでいる。

一番有名な歌は百人一首の

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む

 

人麻呂は歌人として称えられるだけでなく、和歌の上達などに霊験がある存在として崇拝され柿本人麻呂を祀った神社が日本各地にありますが、恵那市明智町にも柿本人麻呂社があります。

 

柿本人麻呂社(恵那市明智町)概要: 柿本人麻呂社の創建は不詳ですが伝承によると明智光秀が柿本人麻呂(万葉歌人として有名な歌聖)の分霊を八王子神社の境内に勧請したのが始まりと伝えられています。現在の社殿は明智光秀が建立したと伝わる古建築物で一間社春日造、切妻、妻入、正面1向拝付、桁行約2.8m、梁間約1.5m、銅板葺、外壁は板張素地造、浜縁、高欄無し、脇障子無し、明智氏の家紋である桔梗が掲げられ、岐阜県指定文化財に指定されています。

伝承によれば、文武を志す光秀公が学問所には天神を、八王子神社には人麻呂を祀り、社前に紅葉(楓)を植えたと伝えられています。

この社殿には明智氏の家紋である桔梗紋が彫られ、大和絵風の歌聖柿本人麻呂の画像が祀られています。

染めと織の万葉慕情59

  袖の濡れる歌

   1983/05/27 吉田たすく

 袖を振る男女の別れの歌が続きましたが、振る所作とは別に、袖の襦(ぬ)れることを詠った歌もかなりあります。袖の濡れるにもいろいろの濡れ方があり、水に濡れる袖や涙に濡れる袖、露に濡れる袖などありますが、今回は水に濡れる袖の歌をとりあげてみます。

 風高く

  辺には吹けども

   妹がため

   袖さへ濡れて

   刈れる 玉藻ぞ

 大伴家持の恋人の紀女郎(きのいらつめ) はその名を小鹿(しか) といいますが、家持においしい海草を取って贈るときの歌です。 袖さえ濡れて、と詠いますので、袖のある衣を着ていた貴人の彼の女が岸辺で袖を濡

らしながら 「くろうして取ったのよ」というのでしょう。

 次の一首は家持の父の旅人(たびと)の歌

 太宰府の長官であった旅人が香椎神社に官人たちとお参りのあと、その香椎の海岸に馬をとめて磯あそびをしたときの歌

 いざ子ども

   香椎の潟に

   白栲(しろたえ)の

  袖さえぬれて

    朝菜摘みてむ

 海草を摘む歌です。貝を拾って袖を濡らす歌もあります。

 妹がため

  貝を拾ふと

   血沼の海に

  濡れにし袖は

   乾せど干かず

 妻のために貝を拾ったら、海水で袖が濡れてしまっていつまでも干かない、 と妻への想いの深さとその時間的な長さをあらわしています。

 あさりする

  海未通女(あまおとめ)らが

   袖とほり

   濡れにし衣

   干せど乾かず

 若の浦に

  袖さへ濡れて

   忘れ貝

  拾えど 妹は

   忘らえなくに

 恋のいたみを取り去るといわれる恋忘れ貝(当時はそのように信じていた貝があったのです)を袖さえ濡らして拾うけれど、袖のかわかないようにいつまでもあなたを忘れられないのです。

 わが袖は

  手本 (たもと) とほりて

   濡れぬとも

  恋忘れ貝

   取らずは行かじ

 袖のたもとの方まで需れてしまっても、恋を忘れさせてくれる貝を拾います。恋のいたみにたえかねて。

 また、君がために麦の実を袖を濡らしてまでも取ってあげる歌もあります。

 君がため

  浮沼の池の

   菱摘むと

  我が染めし袖

   濡れにけるかも

 豊国の

  企玖(きく)の池なる

   菱の末を

  採むとや妹が

   袖濡れけむ

太宰府近くの企玖の他でわたしのために菱の実を取ろうと、わが妻は袖を濡らしたことであろうか。袖を濡らし、かわかぬさまで人の想いの深さと、想う時の長さを詠います。

  (新匠工芸会会員、織物作家)

 

染めと織の万葉慕情58

  男女の別れの歌

   1983/05/20 吉田たすく

 万葉の歌の大半は恋歌であります。恋とは愛に近づく一つの過程を意味しています。 恋は請(こう)の意なので、会いたい見たい、一緒になりたいと、こう気持ちが恋なのです。

 愛は相(あい)で、相とか相合傘などのように一緒になることを意味しています。

 恋愛とは、その成り行きの表現で、請いで相うのです。しかし、恋は必ず相えるとはかぎりません。 失恋がうまれて来るのです。

 万葉の恋歌の内の秀歌に、失恋の歌がかなりあります。 失恋にかぎらず、男女の別れの道程を美しく詠んだ歌をとりあげます。

 白梓(しらたへ)の

  袖の別れは

   惜しけれど

  思い亂(みだ)れて

   ゆるしつるかも

 しらたへの袖を別れて離れ離れになるのは惜しいけれども、私の心は乱れてしまって別れたいという、あの方を許してあげたい。 袖を分かつことと悲しさにその袖を振るのです。また相たいが、それはもう出来ないのだと。

 思いつめた袖振りの別れでなく、恋人同士のたわむれの袖振りの歌もかなりあります。

 恋しけば

   袖も振らむを

   武蔵野の

  うけらが花の

   色に出なゆめ

 この歌は、巻十四の東歌(あづまうた)=関東地方の未開の地の歌の中の一首で、関東地方の民謡でしょう。

 恋しければ、私が袖を振りもいたしましょうが、決してお前は恋心を顔色にあらわしてはいけませんよ。人に知れるからね。

 次の二首も同じく東歌です。 

 妹が門いや

  遠ぞきぬ

   築波山

  隠れぬほどに

   袖は振りてな

 お前の家の門はいよいよ遠のいて行く。 ちくば山に隠れてしまわないうちに袖を振ろう。 これはしばしの別れの軽い袖振なのです。

 日の暮に

  碓氷(うすひ)の山を

   越ゆる日は

  夫(せ)なのが袖も

   さやに振らしつ

 うすい山を越える日には、わが背の君も袖を、はっきりとお振りになった。 うすい峠のかかりで別れの背の君の振る袖を見ている女心の歌です。

 わが背子し

  けだしまからば

   白袴の

  袖を振らさね

   見つつ偲(しの)はむ

 私の背の君が、もし都を出て越前の方へおいでになるなら、しらたへの袖をお振り下さい。 それを見つつお慕いいたしましょう。

 なかなかお会い出きない君であるが、もしおこしなら袖を振ってね、というところでしょうか。

 その袖の枕詠が「しらたへの」とくるので、緑の山路に袖の白さが目にしみるようです。

      (新匠工芸会会員、織物作家)

 

染めと織の万葉慕情57

  続 袖降る歌

   1983/05/13 吉田たすく

先々週にのせました大伴旅人の歌

 

 凡(おほ)ならば

  かもかもせむを

   恐(かしこ)みと

  振り痛(いた)き袖を

    忍びてあるかも

 

 という一首でしたが、これに続いて今一首、振る袖の歌があります。 この二つの歌には、次のような話が書かれています。

大宰師大伴卿、大納言に兼任して、京に向ひて上道(みちたち) す。 此の日、馬を水城 (みづき)に駐(とど)めて、府家(大宰府の庁)を顧み望む。時に卿を送る府吏の中に、遊行女婦(うかれめ)あり。 其の字(あざ

)を児島といふ。 ここに娘子(をとめ)、此の別るることの易きことを傷(いた)み、彼()の会うことの難きことを嘆き、涕(なみだ)を拭(のご)ひて、 みづから袖を振る歌を吟ふ。

 とあって歌があるのですが、このそえ書きの中の文句にある別るることの易きことを傷み、会うことの難きことを嘆き、というところは他の歌の前書きにもありますけれども、ただ別れの寂しさ、哀しさというだけでなく、その別れと会うとの二つの言葉を並べていることにより、別れに対する人の哀惜の情が、時間を離して深く表されていくように感じられます。 「うかれめ」の乙女は、他の府吏たちのようにおおっぴらに手も振れません。しかし、他の人たちよりももっともっと哀しい想いをかくしきれず、袖を振るのです。

 

 倭道(やまとじ)

  雲隠りたり

    然れども

 わが振る袖を

  無禮(なめし)と思ふな

 

 大和においでになる道は雲に隠れています。(そのように私の振る袖はお見えにならないでしょう)しかし、こらえきれず振る袖をどうぞ無礼と思わないで下さい。

この歌の気持ちとよく似た歌があります。

 

 草枕

  旅行く君を

  人目多み

  袖振らずして

  あまた悔しも

 

 別れを悲しぶる歌の一群の中の一首ですが、ただの仲の二人ではない人の別れなのでしょう。 人目が多いので、袖を振りたくても振れない気持ち、悔しくて悔しくて。

今で言えば、駅のプラットホームに出て手を振れないで、ベンチのすみでうしろ姿を心で見送るというところなのでしょう。

 

 舟の別れの歌もあります。

 

 八十楫懸(やそかかけ)

  島隠りなば

   吾妹子(わぎもこ)

  留まれと振らむ

   袖見えじかも

 

 たくさんのかいでこぎ出した舟は、島々に見え隠れする。 行かないで、行かないで、と留めながら袖を振った吾が妻は、もう見えないだろうか。

 

 別れの袖の振り方には、心の微妙な変化が表れているものなのです。

    (新匠工芸会会員、織物作家)

 

染めと織の万葉慕情56

  袖降る歌 Ⅱ

   1983/05/6 吉田たすく

袖振る歌の続きです。

その袖振るというしぐさによる心の表現のおもしろさを、歌の言葉の装飾に使ったものがあります。 山や川の言葉の上につけて「袖ふる山」とか「袖ふる川」と詠っています。なんともゆかしい感じのする詠い方になるものです。

未通女(をとめ)等が

 袖布留山(そでふるやま) の

  瑞垣(みづがき)の

 久しき時ゆ

   思ひきわれは

 右の歌は柿本人麿の歌です。未通女と書いて「おとめ」と読ませます。

 万葉の当時は、男が女性の家に通って行く結婚生活でしたから、男が通わない女子は未婚の女の子のことですから「をとめ」ということになるのです。

 そのをとめが、袖振るというのは何か思わせぶりの詠い方です。

とめが袖ふるの振るを、布留山のふるにかけているのです。布留山とは、今の天理市布留の石上神社のお社のことです。 布留山の瑞垣(みづがき) の久しき時、 布留を古にたとえて、古くから布留のがあるよう

に久しく長く、われはあなたを想っていました。と詠います。

 柿本人麿でなくては詠えない、美しいいいまわしの歌です。

 物に寄せて思いを陳(の)ぶ歌の一群の中の一首に、布留山でなく布留川を詠った歌があります。

 吾妹子(わぎもこ) や

  吾を忘らす

    石上(いそのかみ)

  袖布留川(そでふるかわ)の

   絶えむと思へや

 これも天理市の布留川を飾るため、袖振ると詠います。吾が妻よ、私を忘れないで。石上の布留川の流れの水が絶えないように、私たちの仲は絶えることなどないと思っていますよ。

近くの山や川に袖振る風情をくっつけることにより、感情をやさしく細やかな気持ちにもってきている詠い方なのです。

 袖振る歌は、まだたくさんあります。

 妹があたり

   我は袖振らむ

    木の間より

  出で来る月に

   雲なたなびき

 これは月を詠む一群の中の一首で、妻の家からの帰りであろうか、妻の家のあたりに向かって私は袖を振ろう。それが見えなくならないように、木の間から出てくる月に、雲よ、たなびかないでおくれ。これは袖の別れの歌です。

 妹は月明かりに、主の振袖を木の間から見送っていたのでありましょう。

      (新匠工芸会会員、織物作家)

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。

 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

https://ameblo.jp/foo-do/

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

 私はお客様をお迎えする時は何日も前から恵那の野山へ何度も何度も出かけ食べられる花や野山の幸を探しまわることを20年も行っていますが、私のは遊び心。 常に勉強。また、今回も季節を分けて勉強にお邪魔しました。

 

京都の超有名店『草喰 なかひがし』の店主・中東久雄氏の一日は、使用する食材を求め、野山や畑へ入ることから始まります。

 

また、超有名店 草喰 なかひがしへ

 

 なかひがしは、いつも亭主の中東久雄氏自ら先頭に立ち、ダジャレの多い接客で客の笑いを誘いながら料理の説明をされ、客の様子を見ながら、タイミングよくワインやお酒を注いでくださる庶民的な雰囲気。

 

 

先回は白沙村荘へ行き、素晴らしいお庭を拝見して、独特の作品ベルギーのフォロンの彫刻を観て、お昼に訪問しましたが、

今回は哲学の道を白沙村荘( 橋本関雪記念館)のところまで散策して

 

18時、定刻に暖簾が掛かり なかひがしへ入店した。

ここは紅のお店

 紅漆のカウンターと紅殻(べんがら)のおくどさん

 

カウンター中央の席へ案内された。 先回来た時の隣の席だった。

まだ用意の真っ最中

 

まず 飲み物

  喉を潤すだけだから ビール小瓶をお願いし、

次に日本酒を半合づつお願いした。

A英勲  (中東氏の言われるA君)

いい酒だ

 

⚫️先付け

のぞきの中はタンポポの葉等

 葱坊主入り焼 産卵後のシャケの燻製ふりかけ

花見には卵焼き 木の幹風

コシアブラ素揚げ

蛍烏賊

筍黒胡麻

冬大根の梅漬け

三島独活

鮨飯に名残の桜葉塩漬け

 

蛍烏賊は今が旬 昨夜のステファンパンテルでも蛍烏賊出たね。

素揚げのコシアブラはパリパリ

 

朱と紺切り替えた湯呑み良い感じ

 

 

⚫️次の料理は

白い土筆の器に

生麩の上に土筆の干したもの

生麩の下にタラの芽

黒いものはキハダの実

 

まさかなかひがしで木肌の実を使われるとは、想定外でした。

 

木肌は漢方の黄檗のことですが、数年前、11月の生花でキハダを使ったときに、真っ黒な実を齧ってみたら柑橘系の独特の強い苦味があり微かな甘みと山椒のような長い余韻も強い。 この漢方薬のような独特の強烈な後を引く味は、使いようによっては料理に使うと面白そうだと思って山に採りに行ってきて使ってみました。

 

これが私が山で採ってきたキハダの実を乾燥させたものです。

 

とてもおもしろい独特の味で、スパイスに使いましたが、とてもクセがあり料理をえらびますが、まさかこちらでも料理に使われるとは、流石ですね。

 

 

 

生麩にキハダの実を合わせると

柑橘系の苦味を伴った独特なキハダの実が、口に残り生麩が旨い

 

⚫️椀物

桜の蓋に紅葉の椀

ヨモギ

擬宝珠

白味噌トローっと甘くおいしい汁 

底に蓬餅が入っていて

 美味しい

 

 

どの客も皆 美味しい美味しいと言っている その通りこれはおいしい

 

 

⚫️焼き物

小浜の桜鱒

ブロッコリーの和えもの

菜の花 スナップエンドウの開き

紅、黄、緑、色合いが良いね

 

桜鱒は軽く酒粕に漬けたものだった 結構良い味

 

次の酒

伏見の神聖

ちょっと辛口

猪口の縁に唐子がへばりついている

 

⚫️鯉のひらづくり

いたどりの輪

片栗 

銀杏の新芽

からしみずな

かきどおし

カラスのエンドウ

カラシナ

軸茗荷

辛味大根と水菜

 

カラスノエンドウは私はいつも未成熟の鞘を使うが、こちらは茎そのまま。

虎杖(いたどり)も、茎のこんなに太いところは筋張るので使ったことがないが、こちらでは使われていた。案の定筋張っているけど、見た目は可愛いね。

 

この全てを混ぜて 鯉のから騒ぎだとご主人が 😆

鯉のから騒ぎ

全部が混ざって美味しい

これに伏見の酒がよく合う

 

混ぜている最中に

⚫️煮えばなが出た。

(煮えばなはご飯が炊きあがり蒸らしに入る直前のまだ芯が少し残ったアルデンテ。
京都の料理屋さんではよく出される。米の香りと甘みがあるアルデンテ)

 

量は少なめでお願いしていたから本当の一口 ちょうど良い。

今回は海苔付き

甘い煮えばなに海苔がよく合う

 

極薄のこれ以上薄くできないくらい薄い車染め付けの盃 なかなかいい盃だ

(中東氏の言われるエー君)の次で

Bだっしゅ 茜さす 土屋酒造 佐久市

 使用米 金紋錦/ひとごこち  減農薬栽培

 

 

 

⚫️土瓶蒸し

小浜の和布を入れ磯の香りのつゆに このこ(海鼠の卵巣の乾燥させた高級珍味くちこ、ほしことも言う、)が別のお皿に付いている

 

(ナマコ【海鼠】は古くは『こ』と呼ばれていたので、なまこの子は「このこ」、なまこのわた(腸)は「このわた」、「ばちこ」は干した姿が三味線のばちに似ていることから呼ばれています。ナマコは厳冬の1月から3月になると産卵期を迎えて発達肥大した卵巣を持つようになり、それが口先にあることから「くちこ」と呼ばれている。干した「こ」なので「ほしこ」。

開いた卵巣を何枚も連ねて一枚に干し上げるが、一枚作るのに十数キロのナマコが必要であるため、大変高価なものとなる。)

 

  (このこは良いものは高級すぎるが、ぬる燗酒に合うんだな—- )

 

土瓶蒸しの筍は、できた所で最後に生の筍を入れた半生の物

土瓶の中から半生の筍を出して山椒の新芽を載せてこのこと一緒に食べる

 

⚫️三年熟鮓(なれずし) 乳酸発酵菊芋

野ミツバの花

桜型の器 名残をたのしむ

 

菊芋のソース

熟鮓はいいあじをしているね。

酒がうまい

 

 

蕪の染付ぐい呑みは白ワインのナイヤガラ

 

⚫️煮物

本モロコと

ワラビの素揚げ

菜の花

どれも美味しい

 

出汁がおいしいから全て飲んでしまった

軽い器は木製 漆器だった なかなか良い感じの椀だね。

 

⚫️焼き物 本モロコ

 野蒜の美しい球根と穂

本モロコ

カラスミ

ゼンマイ

新玉ねぎ

 

下に敷いてある新玉ねぎの甘さと

野蒜のスライスの美味しさ

野蒜の美しい球根と穂のつけ汁がよく合っている

 

⚫️北海道の自然アンガス牛

蕗の薹ソース

京人参

椎茸

その上にチーズ

放牧され、草を歯んで育ったグラスフェッド

昨日のステファンパンテルも蕗の薹ソースだったがまた別の味 白味噌仕立て

 

食べた後に出てくる和歌 の皿

 

 

赤ワイン

「然2022」山梨のなかひがし専用

「shi ka ri」

 

亭主の中東久雄氏自らワインを注いでくださる。

 

フレッシュな辛口

 

畑菜(はたけな)

初午 お稲荷さんが鎮守された

田んぼに返す

湯葉

 

最後に残った湯葉

先ほどのシャケの出汁

冬の最後の贈り物

 

ご飯に合う酒

神蔵(kagura)純米無濾過無加水生

京都のお酒

 

 

⚫️メインディッシュ

目刺しとご飯 香の物

 

自由の女神

自由の女神はフランスからのプレゼント

フランス マルドンソルト

目刺しの横に山椒オイル

オイルの主産地は中東(ちゅうとう)

訓読みすると

 なかひがし

 

 

 

⚫️おこげ

お腹いっぱいなので、ほんの一口だけ入れていただく

ご亭主のいつもの口上

 

お焦げは パリパリ

お焦げに湯をいれ入浴

ニューヨーク

大根おろしがマンハッタン

梅干しが夕日

大根おろしが倒れてしまいマンハッタンが崩れてしまった

 

⚫️デザート

きな粉アイスクリーム

ボンタン

いちご

わらび餅

 

きな粉アイスクリームの上の小さな花は野人参

人参の味のする花

 

⚫️水出しコーヒー

亭主自ら高いところから

 

⚫️金平糖

黒砂糖の金平糖

ご馳走様

 

帰りはご主人がお店の外まで見送りをしていただきました。

 

タクシーが遠くへ行くまで 見送っていただきました。

 

 今回もまた、新しい気づきができました。

       ありがとうございました。

 …………………………

 

草喰 なかひがし

京都府京都市左京区浄土寺石橋町32-3

050-5493-2316

 

 

 

  商売じゃないからできる料理

 

 いつでも世界の食べ物を食べられる時代に

 ただ小さな自然のいとなみとの時間を楽しんでいただける方へ

 

季節の「今」を感じていただく遊び心の蕎麦懐石

 

 「物語のある料理 『野の花料理  恵那の野山の蕎麦懐石』」は、予約をいただいてから、大自然の野山に分け入り、お客様に召し上がっていただく花や実を探し求めます。

 

 しかし、お店と違い、自然の生き物なので、何があるか分かりません。全く見つからない日もあります。昨年採った場所に行っても無かったり、もう咲いているはずが固い蕾だったり、先に猿や鳥に取られてしまったり、出かけても採れない日も何回もありますし、思いもかけなかったものが見つかることもあります。

何度も何度も探す すべて自然のなせる術なので何かの発見を楽しく歩き探します。

 

 先回紹介したアミューズ(一口のお楽しみ)では、偶然 山の藪の中で見つけた一本の野薔薇で、「野薔薇のしずく」を造ったものを紹介しましたが、今回は二番目にお出しした料理

 

『月明かりに映える恵那の郷』を紹介します。

 満月の恵那の里山は青紅葉がサワサワと揺れ 夜風に群れ咲く皐月 藤の花 桜の木には桜坊 桑の木には甘い実 このおだやかな恵那の野山の情景を古いナルミのボーンチャイナを満月に見立てました。

 


 

 青紅葉には珍しく赤い実が生っています

 

上から左回りに

 ◎今咲き誇る皐月の花の人参仕立て 

  「余分に手を加えないで食材の良さを引き出しただけで美味しくなる」 という私の料理の原点です。 

 無農薬有機栽培の人参3本を何も味付けせず、寸胴に水をたっぷりと入れてただ水煮し、にんじんのエキスを全て取り出し、冷まし、また湯がき数日かけて水分を飛ばして、皐月の人参にエキス全てを元に戻しただけ、これだけでビックリする甘味と旨味がでてきます。ここにも小宇宙 人参の本当の美味しさをお楽しみ下さい。

 

 ◎藤の花の淡甘煮 

 つい先日まで恵那の山を艶やかな紫で装った高貴な色の藤の花、この香り高い藤の花びらには何よりも同じ恵那の藤の蜂蜜で軽く味つけた、他の味を一切含まない最高の組み合わせ  先日散っていった名残の味です 

 

 ◎烏の豌豆(カラスノエンドウ) 胡麻塩麹

 まだ膨らまない細く柔らかな部分だけ摘んできました。 1万年前 先祖が食したであろう 縄文時代の味をお楽しみ下さい。

 

 ◎桜の実 桜坊

 恵那の春を艶やかに彩った桜花、その子供達がようやく黒く実を付け熟成しました。

子供の頃に拾って食べた甘酸っぱいなつかしい郷里の味。ビターでちょっと大人っぽい味をお楽しみ下さい。昨日採れたばかりの走りの味わいです。

 

 ◎桑の実(マルベリー)柔らか煮

昔々恵那の里は絹を生む養蚕が盛んで至る所に桑畑が広がっていました。

この時期 子供達のとても大切なおやつとなった貴重な故郷の味です。 軽く醤油味に致しました。

 

◎朝どれワラビ

恵那の高原でまだ生えたばかりのワラビを上部の柔らかいところだけソーッと摘んで、アクとりのいらない贅沢品 さらっと塩麹でどうぞ

 

◎すかんぽの若葉

すいばとも呼ばれる虎杖(いたどり) 酸っぱさで喉を癒した子供の頃の味を生でお楽しみ下さい。

 

どれもひとつづつ山でいただいてきた貴重な幸です。

 

さあ 恵那の野山の今の情景を舌で感じてください。

 


次にお出ししたのは
⚪︎恵那の里の恵み 様々な自然のものや安心野菜達
⚪︎沢山のナッツが入った濃厚そば味噌。
⚪︎季節を感じる変わり蕎麦
⚪︎蕎麦の実を使ったフレンチ料理
⚪︎蕎麦の喉越しではなく、どこまでも旨味だけを追求した究極の日本一超々粗挽き手挽き十割蕎麦
⚪︎イタリアン蕎麦
⚪︎ポタージュのように濃厚な別製蕎麦湯
⚪︎手作りお菓子とお抹茶

すべて遊び心の料理達
 全10品を楽しんでいただきました。

 

 こういう懐石料理を一日一組四名の方限定で、お昼に月に2回だけ 遊び心で行っています。