染めと織の万葉慕情63   袖をかわす歌 | foo-d 風土

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染めと織の万葉慕情63

  袖をかわす歌

   1983/06/24 吉田たすく

 

 先週まで、袖の歌のうち、袖振る歌、涙にぬれる歌をつづけてのせましたが、今週から袖を寝るしぐさの表現につかった歌を取りあげてみます。

 夕(ゆうべ)には

  床うち払ひ

   白(しらたへ)の

 袖さし交(か)へて

   さ寝し夜や

 白の袖で寝床をうちはらってしたくをし、その二人の袖をさしかわして寝た夜と、袖のしぐさで夜の情景を詠ったのは、大伴家持でこのうるわしい表現はさすが家持だなあと思います。

 この歌は、家持がわかれている坂上大嬢(さかのうえのおほおとめ)を想い、胸の痛みにたえかねて、恋のくるしみを忘れようと詠った歌の一部ですが、大変わかりやすい歌ですので全文をのせてみます。

 ねもころに 物を思へば 言はむすべ せむすべも無し 妹とわれ 手たづさわりて 朝(あした)には 庭に出で立ち 夕(ゆうべ)には 床うち払ひ 白栲の 袖さし交(か)へて さ寝し夜や 常にはありける あしびきの 山鳥こそば 峯向(をむかひ)に 妻問すといへ 現世(うつせみ)の 人なるわれや 何すかと 一日一夜も 離(さか)り居て 嘆き恋ふらむ 此思へば 胸痛き そこ故に 情和(こころなぐ)やと 高まどの 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見ることに まして思ほゆ いかにして 忘れむものそ 恋といふものを(注)

 このように仲の良かった二人であったけど、別れてのちは胸の痛みに山に野に出てみると、 野花が美しく咲いていて、かえって美しい君を思ひ出して恋になやまされるというのです。

この歌に反歌が一首ついています

 高円(たかまど)の

  野辺の容花(かをばな)

   面影(おもかげ)に

  見えつつ妹は

   忘れかねつも

 かばなはひるがほの花だそうです。

 次の歌は家持の歌ではありませんが、家持の気持ちを詠ったような感じの歌ですので読んでみます。

 妹か袖

  別れし日より

   白栲の

 衣片敷(ころもかたしき)

  恋ひつつぞ寝る

 この歌の妹の袖は別かれに振った袖ではなく、

二人のうま寝のさしかわした袖の事だと思います。 別かれた日より後は

あなたは居ないで交はす袖はなく衣片しき、衣は二つでなく片いっぽの

私の一枚で、一人わびしく恋いつつ寝ています。

 歌の中の袖の表現は、 デリケートな思いを私たちにつたえてくれるものです。

   (新匠工芸会会員、織物作家)

 …………………………

うま寝【旨寝・熟寝】

気持よくぐっすり眠ること。熟睡。

大伴 坂上大嬢(おおとも の さかのうえ の おおいらつめ

大伴家持の従妹でのち正妻になる。名は坂上大娘とも見える。天平4年(732年)頃から家持との間に歌の贈答が見られるが、その後離絶。天平11年(739年)頃から再び交渉を持ち、恭仁に都があった頃(天平12年(740年) - 16年(744年))、家持の正妻になったかと思われる

上で紹介された大伴宿祢家持が坂上大嬢に贈った「ねもころに~」の長歌を現代語訳してみました。

ねもころに 物を思へば 言はむすべ せむすべもなし

 妹(いも)と我(あれ)と 手携(てたずさ)はりて 朝(あした)には 庭に出(い)で立ち 夕(ゆうへ)には 床(とこ)打ち払ひ

 白たへの 袖さし交(か)へて さ寝(ね)し夜(よ)や 常にありける

 あしひきの 山鳥こそば 峰(お)向かひに 妻問(つまど)ひすといへ うつせみの 人なる我(あれ)や なにすとか 一日(ひとひ)一夜(ひとよ)も 離(さか)り居(い)て 嘆き恋ふらむ ここ思(おも)へば 胸こそ痛き そこ故に 心なぐやと 高円(たかまと)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみし にほひてあれば 見るごとに まして偲(しの)はゆ いかにして 忘れむものそ 恋といふものを

現代訳

(ねもころとは心を込めてという意味)

 心を込めてあなたとのことを思うと 何も言えません何もできません

 あなたと私が手をつなぎ、朝には庭に降り立ち、夕には寝床を整えて

 お互いの袖を重ね合い 夜にはともに寝ることがいつでもできました。

 山鳥ならば山越えて妻に逢いに行くけれど人間であるわたくしはどうして一日一夜でも離れていたら嘆き恋しく思います。 そう思うので苦しくて気も晴れるかと高円の山にも野にも出かけて遊びまわってみるけれど 花々だけが美しく咲いているので見るたびにますますあなたが慕わしい

どうしたらこの恋というものを忘れられるだろうか。

切実で熱い恋心ですね。