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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 海に面したオーベルジュで、地物の食材でイタリアンをいただいたので、翌日は和の世界。 それも一番地物の魚が楽しめる活きのよい居酒屋です。

 

 出雲でもいいネタを出すという吉田屋さんへ

 

 

 

 

刺身

このお店は当然であるが全て天然物。

 (私は養殖は食べないのでそういうお店に行きます)

 

ヒラマサ キンメ イサキ 真鯛

 いい味

 

ヤマサン政宗誘一献いざいっこん

特別純米 五百万石92%山田錦8%酒度+1.5

いい感じの旨みがあるが優しい

 

 本バイ貝煮付けがあり、これはありがたい。即注文。

 貝殻の最も奥に、とても柔らかくとても切れやすいがフォアグラに独特の旨みのある苦味を加えた感じの味で、すこぶる旨いとても旨すぎる肝があるのだ。

これさえあれば殻の入り口近くにあるコリコリした身などどうでも良い(この部分もうまいのだが肝に比べればどうでも良い味なのだ) 

食べる時もこの柔らかい肝だけを楽しみ あとで他の部分を食べる。

 ところが、本バイは踏んでも噛んでも壊れないあまりにも硬すぎる殻の一番奥にとても柔らかくとても切れやすい肝があり、誰でも食べられるわけではない。多くの人は知らないか、諦めていて食べられないのだ。

 爪楊枝で身を刺して簡単に引き出そうとすると切れてしまい、素人では100%取り出せない。

 北陸の白バイは殻が柔らかいので殻の奥にある肝が切れても歯で齧ればなんとかなるが、本バイは歯が負ける。

 妻楊枝で少し引き出し、戻し、の作業を何十回も繰り返して少しずつ引き出していくしか方法がない。

 うまいものにありつくには我慢して根気よくやるしかないのです。

一皿食べ終わって、取り出せた確率80% 私ほどの猛者でもこの程度。

 子供の頃から何十回も食べてきた旨さだが、こういうバイは山陰へ戻らないと食べられない

 

これに合わせて

 月山 純米酒

旨みのある出雲らしい酒

 

   バイによく合う

 月山(がっさん)は、嘗て 戦国時代 中国地方5カ国を治めた大大名 尼子氏の居城 月山富田城のあった所。

 その後、安芸の毛利氏との数年に及ぶ覇権争いに敗れますが、主家である尼子家再興のために奔走する山中鹿之介が、

眠れずに過ごした夜が白々と明けようとするとき

 「願わくば、我に艱難辛苦を与えたまえ」 と三日月に祈ったという故事を思い出します。

出雲は酒についても最古の記述が残っている日本最初の産地だ。 

  出雲は神話は元より 様々な歴史の上を歩く街だ

 

 

そして バイのお代わりをする。

 

鰯の塩焼き

山陰で食べる活きの良すぎる鰯は 旨い。

これぞ山陰の海のゴッツォー(ご馳走)だ

 他の海で感じる様な生臭みがない

 

ボッカの煮付け

カサゴの事

 

 ブスほど旨いという典型的な魚だ

出雲の美味い魚で夜は深けていく。

 

 …………………………

私の故郷 鳥取県倉吉市と出雲は車で2時間程の距離で、日本海の同じ様な魚が食べられます。

  (バイとは貝のことであり、バイ貝というと貝貝で可笑しいので、実家の倉吉ではバイ貝などとは呼ばなかったが最近はこういう言い方が増えている)

 魚酒場 吉田屋

 0853-24-2011�島根県出雲市今市町中町1346

出雲市駅[北口]徒歩5分

神々が帰路に立つ前にお集まりになる
 万九千(まんくせん)神社

4月に出雲へ行き お参りしてきました。

 心地よい
  陽光(ひかり)の中に
    桜散る

  

 


 



 毎年10月 神無月に出雲に日本中の神様が集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜へ行き、お集まりになられる出雲大社にお参りし、次は、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社を参拝してきました。

 当たり前かもしれませんが、
神代の時代から神々も別れる時はきちんと惜別の会をしておられたという証拠の神社があり 嬉しいです。

 出雲大社の西1kmほど
  JR出雲市駅から東北東へ車で12分


到着するとちょうど桜が散りいく頃でした。



 ここは同じ敷地内に地区の氏神さまの立虫神社(たちむしじんじゃ)の社殿が建てられているため、そちらの方が目立ってしまっていました。

また、社殿も本殿がなく、拝殿の後ろに玉垣で囲まれた高さ約3mの磐座(いわくら)があるので、社殿は大きくないのでしょう。
 (残念ながら、磐座の写真は撮り忘れてしまいました)

 御祭神は、国土開拓と国造りをなされた櫛御気奴命、大穴牟遅命、少彦名命の三柱と日本国中の八百萬神からなり、食物、五穀豊穣、農業、土木、建築をはじめとする諸産業の繁栄に霊験あらたかとされています。


 また、神在祭に集われる八百万神の御神徳にあやかって、縁結びや病気平癒、諸会議、直会、宴の円満成就、旅行の安全無事、人生の岐路における諸願成就に霊験ありとされてきました。
 最近では、旅の安全を願う旅行者や旅行業、宴会にゆかりの飲食業の方のお参りが増えています。

4月に出雲へ行きお参りしてきました。

 毎年10月 神無月に出雲に日本中の神様が集まられますが、その神々が最初に上陸される稲佐の浜と、お帰りになる時に全員集まり別れの宴(直会(なおらい))をされる万九千(まんくせん)神社の参拝。

 

 

神々をお迎えする

  稲佐の浜

 

JR出雲市駅から北西へ車で12分

出雲大社の西1kmほど

 

 

 

生憎と曇り空 それでも夕日が弁天島のうえにかかり、神々しいです。

 

  旧暦10月10日の夜、海の向こうから集まってこられる神様たちを、出雲大社の西1kmほどにある稲佐(いなさ)の浜でお迎えするのが「神迎神事」です。

 

浜辺の奥に大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りの交渉をしたという屏風岩があり、海岸の南には、国引きのとき、島を結ぶ綱になったという長浜海岸(薗の長浜)が続いています。

 

稲佐の浜で一際目立つ丸い島は弁天島と呼ばれて親しまれている島で、かつては稲佐湾のはるか沖にあったため、沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。

昭和60年前後までは、島の前まで波が打ち寄せていましたが、近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるようになりました。

 

 

 

屏風岩(別名国譲り岩)

高天原からの使者として派遣された武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、この岩を背にして、大国主大神と国譲りの話し合いをされたと伝えられています。

戦うことなく国譲りをされた大国主大神の「和を尊し」とするこころは素晴らしいですね。 ウクライナも世界中もこうなら、戦争は起きないのに。

弁天島から約300メートル北東に離れた場所にあります。

 

 

 

 

 

 出雲大社境内の神楽殿でも「神迎祭」が行われ、これが終わると、神々は出雲大社境内の十九社(じゅうくしゃ)という宿で鎮まられるとされています。

神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさりますが、その前に、八百万の神々が万九千(まんくせん)神社に集まられ神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。

 出雲は日本歴史の一つの原点であり、今までに5度くらい行っていますが、久しぶりの訪問です。

 私の旅行は特別な理由がないかぎり、寝てしまえばどこも一緒なので、その地方の一番安いビジネスや旅館に素泊まりして料金をうかせて、食事はその地方で最も美味しそうな店を探して行きますが、今回も出雲市駅近のビジネスホテルです。最近のビジネスホテルは機能も充実しているのでいいですね。

 

  さて、今回は出雲の歴史・文化探訪で2泊するので、2回の夕食は、和と洋に分けて行くことにしました。

 

 人は生まれた土地の空気、大地の中で、その文化の中で、その地方の中で生まれた料理を食べて育ちます。

 その地方の自然の中で生まれその地方の文化のもとで作られた料理が何よりも一番美味しい。

そうガストロノミーです。

 出雲産の無農薬野菜、天然物の魚で、和と洋に分けて行くことにして、地元のグルメな方から様々な情報を得て、まず良さそうなレストランへ予約の電話しました。

 

 シェフに「魚介類は地物の天然物だけ、野菜も地物の無農薬有機栽培で」とお願いしましたら、こちらはそういう食材しか使わないと言われ、更に一物全体や身土不二など意気投合。楽しみに伺うことにしました。

 

 そのレストランは出雲市街から車で20分くらい西の海岸。神無月の十一月に全国の神様が出雲にきて上陸されるという「稲佐の浜」の近くにあるオーベルジュ。

 目の前に日の沈む日本海を見ながら出雲の豊かなオーガニック食材を使った贅沢なイタリアンです。

 

 日本海は夕陽が海に沈むので、子供の頃 故郷の鳥取県で、その美しさを独り占めしたいので浮き輪を持って沖に泳いで行き、夕陽を眺めながら浮いていました。

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 予約の電話を入れた時に、ちょうど17時半頃に陽が沈むからその頃いかがでしょうと言われたのでその時間で予約。

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 本来は1Fで食べるのですが、特別に、贅沢な宿泊用の広いロングオープンデッキのある一日一組だけの特別な個室プレジデンシャルアンティークルームへ案内されました。

 

 

 

 

 イギリスの高級アンティーク家具がゆったりと置いてあり、家具も調度品もどれもセンスが良い。

 部屋の中央 海に向かってダイニングテーブル。

 

 

カトラリーもなかなか味のあるアンティーク。

 後で聞きますと、レストラン付きの宿泊施設アルベルゴ(イタリア語)で、この部屋は一泊¥165,000(2名 税込)ということでした。 地方の小さな街なので、値段は抑え気味ですね。

 

  もと皇室関係のところで料理長をされてた方のお店なので、おもてなしも素晴らしいし、食器も素敵、味も美味しい

 

 

生憎の曇り空でしたが、海には沈みゆく夕陽の光の道が現れています

 

さて、

 この夕日を見ながら晩餐の始まりです。

 

 

飲み物はその都度料理に合わせてお願いすることにしました。

 

⚫︎まず最初の一杯は海を見ながら最初の一杯はミモザの甘い口付け

 スペインのスパークリングワイン

オペラ・プリマ・ミモザ・スパークリング ミモザ

  ヨーロッパの春を呼ぶミモザ色をした、太陽を浴びたスペイン産オレンジの濃厚な果実味とワインのブレンドのスパークリング

 

 

⚫︎エビのビスク

 (クリームベースの滑らかで濃厚な味わいのスープ)

 

 

最初の料理 良い味で これからの料理が楽しみ。

 

 テーブルランナーも豪華なエスニック風楽器の刺繍の帯 おばあさまのものだそうです。

 

 

自然 放し飼いの自然飼料の合鴨のサラダ

無農薬の10種類の野菜で作ったソース

 

このソースは旨い!

 

調理前の大きな黒鮑を持ってこられた

地元の海で取れたまだ生きているもの 海藻まで付いていた

これを今から料理すると。

 

⚫︎ミスティファイド・シャルドネ

カリフォルニア ナパバレー

グレープフルーツやライムの香り。樽由来のスモーキーさに丁子や干し草の風味。

 ちょっと甘いが綺麗な酸味でいい味だ 魚介類によく合いそう

 

⚫︎生黒鮑の肝と貝柱

三瓶山の山葵 山葵の花

醤油クリーム

 

 

ウエッジウッドの皿

プリプリの肝が美味い!

独特の苦味も優しく甘味もある

いい肝だ! 旨い!

 

 

⚫︎鮑の肝和え

ワラビがいい演出していてお皿との調和が素晴らしい 美味しい

下に敷いてあるユキノシタも苦すぎずアクもおとなしめで肝ソースによく合う

 

 

⚫︎月日貝のパスタ

これもいい味

プリッとしながら柔らかく生臭みも少なくうまく調理してある

これに合わせてシェリーを出されて優しい甘さと優しい酸味が貝の生臭みを消しながらいい感じに終わる。

 

⚫︎赤ワイン ボルドー のメドック

 PÉDESCLAUX2014シャトー ペデスクロー2014

 フランス ボルドー  メドック  ポイヤック フルボディ

10年もので、透き通るような酸味と引き締まった綺麗なタンニンと厚みのある味わい クラシックな赤ワインの味だね これはおいしい

 

⚫︎ノドグロ 目の前に広がる海岸の浅利 黒鮑 牡蠣 全て地物のアクアパッツァ

これも旨い

それぞれの天然食材が、持てる全てを出してくれた濃厚なソースに絡めて食べる この旨さ。

 

 

⚫︎三瓶山の麓で草を食べて育った牛のシャトーブリアン

タラの芽

三瓶山(さんべさん)は大山隠岐国立公園の一部で、島根県で一番高い山 遥か遠い高校生の時 山岳部で登山をしたが、主峰の男三瓶山 (1126m) 、女三瓶山 (957 m)、子三瓶山 (961 m)、孫三瓶山 (907 m)、太平山 (854 m)、日影山 (718 m) の6つの峰がありこれらを5時間かけて縦走していくのだが、標高は大したことないが、山は釣鐘型で傾斜が強く、途中に水場もないために難易度は低くない。

ここでも美味しい牛が育っているのだ。

 

 さらっとした良い味 牛も個体差があるから他のものはわからないが、この三瓶山牛はシャトーブリアンでもおいしいいほうだね。

 

 

⚫︎デザートワイン

Château Nauton Sauternes2019

シャトー ノートン ソーテルヌ 貴腐ワイン

 

アンズやトロピカルフルーツ、ハチミツの香りと甘さ いい味わい。

少しリッチで濃密なクリーミーな感じ。

 

⚫︎デザート

 

オーナーと様々会話しながら食事は進んで行きました

食後も含めて

 料理の話、家具の話 カトラリーの話 芸術の話、食全般の話と話は進み 

気がついたら23時 17時半にきて5時間半も滞在してしまいましたが、とても楽しい時間でした。

次回 出雲へ行く時はまたお邪魔しようと思います。

 

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Mare Dorato Ristorante Italiano

〒699-0751 島根県出雲市大社町杵築西赤塚1648−2

0853258172

 

http://maredorato.jp

 私の実家で使う器は、ほぼ全て 丹波焼や壺屋、島根県の出西(しゅっさい)窯、湯町窯、など民藝雑器で、私も小さな時から毎日の食事や飲み物はこれら民芸品で育ちました。

 出西窯は子供の頃から使っていましたし、出西窯にも3度以上は訪問していて、手と目に残っています。

 

 出西は、手の温もりのある料理が喜ぶような使い勝手の良い器でした。

 

今回も出雲に行くのだからと寄らせていただきました。

 

 

18年ぶりかの訪問。

飾ってあるものはむかしからの出西ですが、

 

 

 

販売されている器は

 たぶん 私だけがちょっと感じたことかもしれませんが、

販売されている出西は、私の知っている出西とほんの微妙に違うのです。

器の形 釉薬の 色 艶

 

良い言い方で言うと現代風とでもいうか、少し軽い感じ

 

ちゃんとした木のテーブルにも似合いそうだった器が、

イケヤやニトリの軽いテーブルに似合いそうになって

化学調味料を使った料理にも似合いそうな感じ

 

 誰も気が付かないかもしれませんが、

なんかほんの少し、薄っぺらい工業製品に近づいている感じになっている。

 

現代は政治も経済も生活もすべて薄く軽い方向へ動いている。

時代の流れですが、

 民の芸術 民藝も、時代に即して作られ、かわりながら生きていくのが当たり前なのですが、私とは少し離れてしまっている一抹の寂しさ。

でも、良い焼き物なんです。

 

 今回は何も買えないで帰りましたが、次回訪問する時は

またあの「手の温もりのある料理が喜ぶような器」がたくさん並んでいるといいな。

 

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 出西窯

島根県出雲市斐川町出西3368

 

ホームページより

 

 昭和22年、出西窯は5人の若者の真っ直ぐな志から始まりました。
柳宗悦先生をはじめとする民藝運動のメンバーに指導を仰ぎ、日常を彩る、健全で美しい暮らしの器を作り続けています。
 郷土の原料を大切にし、職人の手仕事による実用的な「用の美」が息づく器。
それは日々少しずつ姿を変えながら、現代の暮らしにも静かに寄り添い、毎日を心豊かに過ごせる道具となることを願っています。

 

 出西窯の成り立ち

出西窯は1947年(昭和22年)8月、農村工業の共同体構想を掲げた5人の青年によって創業しました。同年には、陶芸家河井寬次郎を迎え指導を受け、この時に実用陶器を志すことに定まり、窯の名称を地名より「出西窯」と改めました。

山陰地方の民芸運動推進者の吉田璋也の助けなどもあり、
以後、柳宗悦先生、濱田庄司先生、バーナード・リーチ先生ら民藝運動の推進者たちの指導をうけ、実用の陶器作りに邁進してまいりました。
現在も、島根県出雲市斐川町出西の地で、
民藝の志を持ち、野の花のように素朴で、健康な美しい器、くらしの道具として喜んで使っていただけるものを作ろうと祈り願って同人が心を一つにして仕事をしております。

 

登り窯

工房東側に6連房の大きな登り窯があり、現在も年3~4回の窯焚きを行っています。

 

吉田璋也記念館

 吉田璋也先生は鳥取市の耳鼻科の名医でありましたが、創業間もない出西窯の陶器作りを指導し、鳥取たくみ工藝店で取り扱って下さった恩人であり、柳宗悦をはじめ民藝運動の指導者たちと出西窯との出会いを作って下さった偉大な民藝のプロデューサーでありました。

 この吉田璋也の鳥取民藝美術館だった建物2棟を譲り受け、昭和55年(1980)に出西窯に移築して、吉田璋也記念館および研修館と名付け、出西窯陶器の見本や参考品を収蔵しています。

 

桜が満開の頃だと思い久しぶりに明治村へ。

 約100万㎡の敷地(東京ドーム約21個分!)に明治時代の蒸気機関車やボンネットバスも動いていて、明治時代の建物が70近くあり一日中楽しめます。

 今回も10時から16時までゆっくり見ていたら、30%程は見残してしまいました。

 

 

帝国ホテル

 

 

 帝国ホテルや様々な明治時代の建物を見ながら桜を愛でて、

 

途中甘いものが欲しくなり、休憩して、浅草の神谷バーの電気ブランの30度とオールドの40度を飲みましたが、やはりオールドの方がうまいです。

 (デンキブラン 電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと"電気○○○"などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。

さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。

それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです。

デンキブランのブランはカクテルのベースになっているブランデーのブラン。そのほかジン、ワイン、キュラソー、薬草などがブレンドされています。しかしその分量だけは未だもって秘伝になっています。)

 昔、東武鉄道の両毛号で佐野や足利などのアパレル縫製工場や私のショップへ年に数回行っていましたが、帰りに浅草で時々神谷バーに寄って飲んでいた懐かしい酒です。

 


 明治村はフォトスポットも多く、明治時代の格好やその他コスプレをした人も多くきています。

 さっき たくましい男性コスプレイヤーが女装して食事していましたが、よく見たら女性のようでした。

そして、なぜか、ここにくると超厚化粧の女性がコスプレに見えてきます。

 アルコール濃度の高い電気ブランで酔った為ではありません😅

 

昔より規則が厳しくなったのでしょうが、奇抜なコスプレイヤーはいなくなりましたね。ちょっと残念。

父が1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日 2年間に渡って新聞に連載していた万葉集の染織のお話を2年に渡って読み進んでまいりましたが、いよいよ最終回となりました。
  40年後の同じ日父の思いをどうぞお楽しみください。

 …………………………
染めと織の万葉慕情100
  かにかくに人はゆうとも
   1984/03/30 吉田たすく



 万葉の染織の歌をこの欄に紹介しはじめましたのが、一昨年三月五日でしたので、まる二年と少し、
今回で百回目になり、一応このあたりで「切」にしようと思います。

 万葉集の中から今まで沢山の歌を読みましたが、この三倍以上もの染織の歌があります。 それらの歌はまたの機会に読ませていただきましょう。

 さて、今までの染織の歌をふりかえってみますと、ほとんどの歌が恋歌でありました。染、織の材料、作業、道具、衣服で恋心を陰にひめて詠(うた)っているのでした。
 材料の歌では麻の歌が沢山ありました。麻の歌を一首。

 庭に立つ
  麻手刈り干し
    ぬのさらす
   東女を
    忘れたまふな

 麻を刈って干し糸に作り機で布に織って水に瀑(さら)す、あづま女をわすれないでね。麻の材料から布を仕上げるまでの作業全体を詠っています。染の歌もありました。

 月草に
  衣は摺(す)らむ
    朝露に
   濡れての後は
    うつろひぬとも

 つゆ草で染めよう。 朝露でにじんでしまっても。 あすの朝は別れてしまっても今夜一夜でもあなたに染まりたい。

 紅染の歌

 紅の
  薄染の衣
    浅らかに
   相見し人に
    恋ふるころかも

 織の歌にこんなのもありました。

 君がため
  手力つかれ
    織りたる衣ぞ 
   春さらば
    いかなる色に
     摺(す)りてばよけむ

 又一首。

 麻衣
  見ればなつかし
    紀の国の
   妹背(いもせ)の山に
    麻蒔(ま) く我(わぎも)

 袖の別れの歌もありました。

 妹が袖
  別れし日より
     白たへの
   衣も片敷き
    恋ひつつぞ寝(ぬ)る

 紐の歌はずいぶんたくさんありました。あんなに詠われた紐は平安時代の歌にはプツリとなくなるのでした。

 高麗(こま)錦
  紐解きかわし
    天人の
   妻どふよひぞ
    我も偲(しの)ばむ

 又一首。

 人妻に
  言ふは誰(た)がこと
    さ衣の
   この紐解けと
    言ふは誰がこと

 雨も降り
  夜も更けにけり
    今更に
   君いなめやも
    紐解きまけな

 裳(も、スカート)の歌には美しい歌がありました。

 さ丹(に)塗りの 大橋の上 紅の 赤裳(も)裾(すそ)引き 山藍もち摺れる衣着て・・・

 染織品は当時の人達にとって想いをつづる品々であったのでしょう。
 染織作家の私にとって万葉集は古代染織と私の染織を取りつなぐうるわしい歌でありました。

 かにかくに
  人は言ふとも
    織り継がむ
   我が機物の
    白き麻衣

 なんとかかんとか人は言うけれど「たすく」は織りをつづけていきます。私の機で。私なりの想いを込めて。

 長い間読んでくださいましてありがとうございました。

(資料は主に岩波の古典文学全集を参考にさせてもらいました)

        (おわり)

 (新匠工芸会会員、織物作家)




 …………………………

 (注)
さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て……
  
 元歌
 (「さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ  橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく」 作者 高橋虫麻呂 9巻1742 より

  丹塗りの大きな橋の上を、紅(くれない)染めの赤い裳の 裾を引いて山藍を摺り染めにした衣を着て ひとり渡って行く娘は、夫があるのだろうか、それとも独りで寝ているのだろうか訊いてみたい、彼女にしたいけれど、どこに住んでいるかわからない)

どの謳も恋心に結びつく歌ばかり、男女の仲は永遠ですね。

二年間に渡って父が書いてきたものを読み解いてまいりましたが、長い間お相手いただきありがとうございました。

 『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって山陰一の新聞に連載したものです。
 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきました。
 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food  風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
 https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html

 …………………………
 吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの代表作品や詳細は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

 癌にかかって東京で入院していたときは、いつも元気になって倉吉に帰って機織りをすると言い続けていましたが昭和62年(1987年)7月3日 65歳で逝去致しました。しかし、今も次の世で夫婦二人で仲良く楽しそうに機を織っていることでしょう。

コロナ禍で遅れていた33回忌を今年四月に倉吉市の菩提寺で行う予定です。なんとか100話完結できましたから父も喜んでくれると思います。
  本当に長い間ありがとうございました。

 赤き花
  白き花とも
   青空に映え



春なれど

  寒さ戻りて

    遅れ花

 

 

 中々花の便りが来ませんね

今回はいつもよりおとなしく活けてみました

 

生花 2024/03/28

 金釘の木

 フリージア

 デンファレ

 タマシダ

 

 

 月と梅

  グラスのルージュは

       アールデコ